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2026年3月17日火曜日

桜の季節に考える「武士道はまだ生きているのか」

 
三鷹駅前(玉川上水)

今年も桜の季節がやってきます。


桜を見るたびに思うのですが、人生は不可逆的な変化であるのに対して、四季は循環的変化です。人は一度きりの人生を生きますが、春は毎年必ず戻ってきます。

在原業平

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし


という歌があります。

桜があるからこそ人は心を乱される。しかし、その儚さゆえに、桜は人の心を深く揺さぶるのでしょう。

毎年、桜が咲き始めると、カメラを持って早朝の井の頭公園を歩きます。咲き始めた桜を見ながら、新渡戸稲造のことを思い出します。私の不可逆的な人生の中にある、ささやかな循環的変化です。

新渡戸は『武士道』の中で、武士道を日本社会の精神の象徴として、桜の花にたとえています。

ヨーロッパ人がバラを賞賛するのに対し、日本人は桜を愛する。
バラは華やかで香りも強く、しかし棘を隠し持っています。
それに対して桜は、淡く静かに咲き、そして潔く散ります。

新渡戸は、桜の美しさとは、自然の呼び声に従っていつでも命を手放す覚悟を持つことだと書きました。

新渡戸稲造の『武士道』は、明治三十三年に英語で書かれた本です。彼はベルギーの法学者から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳教育をするのか」と問われました。

そして考えた末、自分に善悪の観念を教えたのは武士道であったことに気づいたのです。

武士道は成文化された宗教ではありません。
しかし、日本人にとっては精神的な支柱のようなものです。

『武士道』は十七章からなり、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己といった徳目が体系的に説明されています。なかでも「義」は武士道の中でもっとも厳格な教えであり、「卑劣な行動ほど忌むべきものはない」とされています。

新渡戸はこれを The Soul of Japan、つまり日本の魂だと表現しました。

私はアメリカで生活していた頃、ユダヤ人社会に接する機会がありました。宗教や民族を強く意識しながら社会が成り立っていることを肌で感じました。

それに比べると、日本人は宗教を表に出すことはほとんどありません。しかし、新渡戸が言うように、日本人には宗教に代わる精神として「大和魂」があったのだと思います。

その精神を端的に表すのが、吉田松陰の有名な歌でしょう。

かくすれば かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ 大和魂


松陰はペリーの黒船に乗り込もうとして捕まり、江戸へ護送される途中でこの歌を詠みました。自分の行動が死につながることを知りながら、それでもやらずにはいられないという覚悟です。

新渡戸は『武士道』の最後の章で、こう問いかけています。

Is Bushido Still Alive ?

武士道はまだ生きているのか。

日本の政治家が、会派離脱や離党を繰り返すときに「やむにやまれぬ行動だ」と言うことがあります。しかし、「やむにやまれぬ」という言葉は、そんなに軽く使ってほしくないと思います。

桜は毎年咲き、毎年散ります。
それは循環する自然の姿です。

しかし、人の人生は一度きりです。

松尾芭蕉

さまざまの事おもひ出す桜かな

と詠みました。

春になると、誰しもいろいろなことを思い出します。

芭蕉の人生哲学は「不易流行」です。変わらないもの(不易)と、時代とともに変わるもの(流行)の両方を見極めることが大切だという考え方です。

国の成長も、人の成長も同じでしょう。
流行ばかり追いかけていては、本当の意味での成長はありません。

春は、一歩踏み出すにはちょうどいい季節です。

人生は不可逆的に進んでいきます。しかし、桜はまた来年も咲きます。

アメリカで Commencement が卒業式を意味するのは、この言葉が「始まり」を意味するからです。学業の終了は、新しい人生の始まりでもあるのです。

日本人こそ、春は commencement です。

桜を見ながら、日本人としての The Soul of Japan を、もう一度思い出してみてもいいのではないでしょうか。

***

2026年3月12日木曜日

「際」を生きるということ ―― 福沢諭吉 と「迷子になる勇気」

 

私の人生に大きな影響を与えた日本人の一人が、

福沢諭吉です。

福沢の人生を眺めていると、あることに気づきます。どこかで聞いたこともあります。彼は、ある意味で 「際(きわ)」に立って生きた人でした。

福沢諭吉が生きた「際」

福沢の人生を並べてみると、すべてが境界の上にあります。
  • 武士の時代 → 明治国家
  • 漢学 → 蘭学 → 英学
  • 封建社会 → 市民社会
  • 日本 → 西洋
彼の人生は、常に世界の変わり目 にありました。

福沢自身が書いていますが、蘭学を学ぶために長崎へ行ったとき、彼は気づきます。世界はオランダ語ではなく、英語で動いている。

そこで彼は迷わず方向を変えます。大胆な意思決定です。

つまり福沢は、最初から確信を持っていた人ではありません。
むしろ 現実を見て、方向を変え続けた人でした。

「迷子になる勇気」

私は『迷子になる勇気』という本を書きました。
後から考えてみると、この感覚は福沢の思想にかなり近いのではないかと思います。

福沢の有名な言葉があります。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

これは単なる平等論ではありません。

本当の意味は
自分で考えろということです。

そして自分で考えるためには、ときには既存の道を外れる必要があります。

つまり、『迷子になる勇気』です。

日本思想の面白さ

ここで少し面白いことがあります。

西洋の思想は、多くの場合
体系(システム) を作ります。

しかし日本の思想は、むしろ

境界に立つ人から生まれることが多い。
例えば
  • 空海
  • 本居宣長
  • 福沢諭吉
  • 夏目漱石
  • 新渡戸稲造
  • 小林秀雄
この人たちは皆、どちらの世界にも完全には属していません。
だからこそ、世界の矛盾が見えたのだと思います。

私もずいぶん迷子になってきました

自分の人生を振り返ると、
私もまた境界の上を歩いてきたように思います。

言い換えれば、
私もずいぶん迷子になってきました。

仕事や生活の場としては
  • 日本(地方都市と東京)
  • 中国
  • アメリカ
三つの世界を経験しました。

しかも、アメリカのITやコンサルティング会社という
大きな組織の中でです。

これはある意味で
文化の境界線でした。

さらに考えると、私は
  • 技術
  • ビジネス
  • 歴史
  • 思想
そうした分野の境界にも立ってきたと思っています。

境界に立つ人には、一つの特徴があります。

違和感を感じることです。

そしてもう一つあります。

境界に立つ人は、どこにも完全には属さないため、少し孤独になります
授業をサボって喫茶店にいる時のように。

その結果、人は次のどれかを始めます。
  • 研究する
  • 思想を作る
  • 書く
福沢は『学問のすゝめ』を書きました。

私はそんな立派なことができる人間ではありません。
研究ができるほど忍耐力もありません。

ただ、自分の人生で経験してきたこと、考えてきたことを、
忘れてしまう前に少しずつ書き残しているだけです。

小さな檸檬

私が好きな短編があります。

梶井基次郎の『檸檬』です。

この作品もまた、境界の文学です。
  • 都市と個人
  • 近代と感覚
  • 憂鬱と解放
その境界に主人公は立っています。
そして彼は世界を変えようとはしません。

ただ、檸檬という小さな爆弾を置いて立ち去る。

文章を書くこと

私が文章を書き続けている理由も、
たぶんそれに近いのだと思います。

世界を変えることはできません。
あと10年以内に死んでしまう確率が高い。

しかし、日本の歴史や社会、教育や主体性について、
読んだ人が 少しだけ違う角度から考える きっかけになればいい。

それで十分です。

それはきっと、
小さな檸檬だからです。

私の愛車である
黄色のコペンのように。

***

2026年1月31日土曜日

プロフェッショナルとは何か

 


プロフェッショナルとは何か


― ゼネラリストとスペシャリストを混同し続ける日本社会へ


日本のビジネス界を見渡すと、長年変わらない「基本的な勘違い」があります。それは、プロフェッショナル、ゼネラリスト、スペシャリストという概念の区別が、極めて曖昧なまま使われていることです。言葉だけが一人歩きし、レベルセットが行われないまま議論が進む。その結果、抽象度の低い、噛み合わない会話が延々と続く。これは日本のビジネスシーンの慢性病と言っていいでしょう。

添付した1枚目のスライドでは、「プロフェッショナル」を中心に、ジェネラリスト、スペシャリスト、エキスパートという概念を整理しています。ここで最も重要なのは、プロフェッショナルとは職種や専門分野の名称ではなく、姿勢であるという点です。

プロフェッショナルの前提にあるのは、顧客第一主義、すなわち「真のニーズに応える」ことです。自己満足でも自己中心でもない。常に相手の価値を最大化するために、自分をどう使うかを考える存在です。

ところが日本では、専門知識や技能を持っている人、つまりスペシャリストを「プロ」と呼んでしまう傾向が強い。極端な話、「うちはスペシャリストしかいません」と胸を張る会社すらあります。しかし、専門性があることと、プロフェッショナルであることはイコールではありません。スペシャリストやエキスパートは「スキル中心」の世界にいます。一方でプロフェッショナルは、スキルを含みつつも、それをどう使い、どう統合し、誰のために価値を出すのかという「働き方・生き方」の問題なのです。

2枚目のスライドでは、プロフェッショナルを支える三つの柱として、People Management、専門性、自己管理能力を示しています。

ドラッカーが繰り返し述べているように、マネジメントとは他人を動かす技術ではありません。本質は「自らをマネジメントすること」にあります。これは新渡戸稲造が『武士道』で語った「克己(こっき)」と同義でしょう。自分をコントロールできない人間が、他者をマネージできるはずがないのです。

政治家は英語で “Law Maker” とも呼ばれます。法律を作り、私たちの税金を使うことを国民からアウトソースされている、れっきとしたプロフェッショナルのはずです。それにもかかわらず、今の政治にプロフェッショナルの姿が見えないのはなぜでしょうか。責任と権限の概念を理解せず、言葉だけで場を取り繕う。その姿は、ビジネスの世界とも不気味なほど重なります。

プロフェッショナルとは、決して「できる人」ではありません。自分に満足せず、常に次の壁に挑み続ける人です。一つ壁を越えれば、また次の壁が現れる。その過程を苦行ではなく、楽しみとして引き受ける。論語にある「知る者は好む者に及ばず、好む者は楽しむ者に及ばず」という言葉の通り、楽しみながらやっている人の中からしか、本物のプロフェッショナルは生まれません。

小林秀雄は「模倣は独創の母である」と言いました。完璧に模倣できた地点が、プロフェッショナルのスタートラインです。エリック・クラプトンも、ジミー・ペイジも、ジェフ・ベックも、最初は徹底したコピーから始めています。中途半端な理解のまま「オリジナリティ」を語るのは、単なる自己満足に過ぎません。

黒澤明監督の映画『七人の侍』は、実に見事なチームビルディングの教科書です。リーダーは同質な人材を集めるのではなく、技量も性格も異なるプロフェッショナルを集め、全体としてのバランスを取ります。ムードメーカー、無口な達人、参謀役、橋渡し役。それぞれが自分の役割を理解し、自律的に動く。これこそがプロフェッショナル集団です。

今の日本では、新卒一括採用やハウツー偏重の教育が、「自分を知る(know yourself)」機会を奪っています。流行のスキルを追いかけるだけでは、死ぬまで漂流者のままです。ブログや日記を書くことは、自分とのコミュニケーションを始めるための有効なツールでしょう。

結局のところ、プロフェッショナルとは肩書きではなく、覚悟です

自分を律し、学び続け、楽しみながら壁を越え続ける。その姿勢を持つ人が増えない限り、日本はこれからも「埋もれたまま」なのでしょう。

***

2026年1月3日土曜日

「義」は生きているか――令和に問う『武士道』の現在地

 

静と動――武士道が伝えてきた『義』の二つの表情
  

2026年年初に「義」を考える

――新保祐司・新渡戸稲造・アメリカ人の視点から――

私は新聞を読まなくなって何十年も経ちますが、元旦の新聞だけは別です。各紙の論調を一望すると、その年の日本がどこに立っているのかが、うっすらと見えてくるからです。

2026年元旦、産経新聞の「正論」で、文芸評論家・新保祐司氏が「義」を正面から論じていました。年末からたまたま武士道やヤクザ、さらにはアメリカ人の言う「義務」や「責任」について考えていた私にとって、この論考は不思議な符合を感じさせるものでした。

新保祐司氏のいう「義の国」

新保氏は、日本が内憂外患の危機に直面するいま、必要なのは制度改革や対症療法ではなく、「義」を時代思潮の基調に据えることだと述べています。そして令和を「第2の明治」と捉え、明治の精神の核心こそが「義」であったと指摘します。

新保氏が引くのは、札幌農学校に学んだ内村鑑三と新渡戸稲造です。内村の『後世への最大遺物』が説く「勇ましい高尚なる生涯」、新渡戸の『武士道』が最初に掲げる徳目「義」。それらはいずれも、損得や空気ではなく、正しいと信じる道を実践する生き方を意味しています。

新保氏の文章で印象的なのは、「昨年は『勇ましい高尚なる生涯』とは対極的な出処進退を随分見せられた。もうたくさんである」という一節です。これは、近年の日本の政治や組織に蔓延する、責任回避や保身、責任転嫁への強い違和感を代弁しているように感じました。

新渡戸稲造『武士道』とは何か

新渡戸稲造の『武士道』は、明治33年に英文で出版されました。序文には有名なエピソードがあります。

ベルギーの法学者から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳教育をするのか」と問われ、新渡戸は自分に善悪の観念を植え付けたのが「武士道」だったことに気づいた、と述べています。

アメリカやヨーロッパでは、宗教が道徳の基盤です。ニューヨークでは、ユダヤ教の祝祭日を考慮したスクールカレンダーが組まれ、子どもは宗教や民族意識の中で育ちます。一方、日本人の日常生活では宗教心はほとんど表に出てきません。新渡戸はそこを否定するのではなく、「宗教に代替する精神的基盤としての武士道」を提示しました。それが「The Soul of Japan」「The Yamato Spirit」です。

『武士道』は全17章からなり、3章から11章で徳目が体系的に論じられます。最初に置かれているのが「義(Rectitude or Justice)」です。義とは、単なる正しさではなく、「敢為堅忍」、すなわち実行力と忍耐力を伴った決断の力だと説明されます。義のない勇気は無謀であり、義のない礼は猿芝居であり、義を欠けば名誉も忠義も成り立たない。これらの徳目は相互に結合した一つの体系なのです。

私自身、この本は夏目漱石の『私の個人主義』と並ぶ座右の銘です。英語は難しいですが、三年間の中学英語は『武士道』一冊で十分だと本気で思っています。「The feeling of distress(惻隠の情)」などの表現を、外国人との会話でさらっと使えたら、それだけで日本人としての背骨が伝わるはずです。余談ですが、私は『武士道』は、新渡戸がクエーカー教徒であるアメリカ人の奥様に書いたラブレターのように感じます。

アメリカ人の考える「義」

興味深いのは、「義」は決して日本人だけの専売特許ではないことです。アメリカで仕事をしていた頃、私の周囲には海軍や海兵隊の将校出身者が何人もいました。彼らに共通していたのは、強い「sense of obligation」、つまり義務感でした。

日系人初の米太平洋艦隊司令官、ハリー・ハリス提督は、日本人の母から「義理(duty)」を叩き込まれたと語っています。「国民は国家が必要とするときに奉仕する」という感覚は、アメリカではごく自然なものです。義務と責任が対になっている社会だからです。

ルース・ベネディクトは『菊と刀』で「義理は日本人特有の範疇だ」と述べましたが、私は必ずしもそうは思いません。中国人にも、アメリカ人にも義を重んじる人はいます。問題は、現代社会において、正義の道理を勇気をもって実行する人が極端に少なくなったことです。

スペインの哲学者オルテガが「我は我と我が状況である」と言い、エリック・ホッファーが群衆心理の中で描いたように、人は環境と人間関係によって形づくられます。義を欠いたネットワークに身を置けば、義は育たないのです。 

「武士道」は生きているか

新渡戸稲造は『武士道』の終盤で問いかけます。
Is Bushido Still Alive?

吉田松陰の

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」を英語で紹介しながら、武士道とは状況に流されず、覚悟をもって行動する精神だと示しました。

いまの日本で、「やむにやまれぬ」という言葉が、どれほどの重みをもって使われているでしょうか。権力を守るために仲間を裏切り、責任を国民に転嫁する姿は、「The Soul of Japan」とは正反対です。

新保祐司氏が期待するように、厳しい国際環境が日本人の皮膚に「搔痕」を与え、その下から「一人の武士」が現れるのかどうか。その答えは、私たち一人ひとりが「義」を自分の問題として引き受けるかどうかにかかっています。

もし『武士道』を読んだことがなければ、ぜひ一度手に取ってみてください。そこには、今の日本に最も欠けている背骨が、静かに、しかし揺るぎなく書かれています。

***

2025年11月5日水曜日

自己決定という教育 ― “考えない社会”への処方箋

 
My grandchildren are growing up learning to think for themselves.
All I can do is watch over them.


自己決定という教育

「子どもを幸せにすることが親の務めなら、子どもの自己決定力をのばす関わりをすることが大切だ」

ある教育支援団体の代表がそう語っていました。

その人によれば、2万人の日本人を対象とした調査で「自己決定力が幸福感をもたらす」ことが明らかになったそうです。これは、まったくその通りだと思います。人は誰かに決められて生きるのではなく、自分で決めることによって初めて“幸福”という感覚にたどり着くのだと思います。

ただ、少し補足したいのは、「再登校」や「学校に行くこと」そのものが、すべての子どもにとっての幸福とは限らないという点です。授業をサボって街を彷徨するのも、立派なオプションのひとつです。自分で選んだ結果なら、不安も孤独も自分で受け止めるしかない。それが“自己決定”というものではないでしょうか。学校に行かずに喫茶店でたむろした経験のない大人には、この感覚は少しわかりにくいかもしれません。

「考えない教育」が生んだ国

日本の教育は、「枠の中で考えないこと」を教えてきたように思います。文科省が定めたカリキュラム、学校の規則、そして「みんなと同じであること」の重圧。その結果、「自分で考える」という脳の筋肉が育たないまま大人になり、社会に出てから突然「自分の人生を選びなさい」と言われるのです。これでは、無理もありません。

アメリカでは、落ちこぼれにも軍隊や地域ボランティアという“別の選択肢”が用意されていますが、日本では選択肢がほとんどありません。受験偏差値というレールの上を走るだけで、レールを外れた瞬間に「落伍者」扱いされてしまう。教育とは本来、枠を与えることではなく、枠を自分でつくる力を育てることのはずです。

子育ての本質は「オプションを与える」こと

親ができるのは、正解を押しつけることではなく、選択肢(オプション)を提示することだと思います。どんなに間違って見えても、子ども自身に選ばせてみる。その選択が失敗だったとしても、失敗の中にしか学びはありません。人間の脳は、成功と失敗を繰り返すうちに“自分の枠”を作っていく。それが「学ぶ」ということだと私は思います。

教育産業が「生きる力を育む」などとスローガンを声高に叫ぶ時代ですが、本当に必要なのは「ヒマ(閑暇)な時間」ではないでしょうか。何もしない時間、ボーッとする時間があってこそ、人は考えることを学ぶのです。これが私の考える“閑暇の教育”です。考えない社会に育つ子どもたちに、せめて考える時間を返してあげたいと思います。このままだと、生成AIが考える画一化された社会になっていきます。

自己決定とは「克己」である

新渡戸稲造の『武士道』には「克己」という言葉があります。自己を制すること。つまり、自分で選んだ道を、責任をもって歩むということです。精神力とは、他人に勝つ力ではなく、自分に勝つ力のことです。それは、先ほどの「自己決定力」と同じ根っこにあると感じます。

結局のところ、自己決定とは“生きる力”そのものです。誰かの指示で動くロボットではなく、調教された動物でもない。失敗も迷いも含めて、「自分で決めた」人生を歩むこと。
それが幸福の第一歩ではないでしょうか。

***

2017年4月3日月曜日

棘のあるサクラ

薬師寺の桜はまだまだ、、、(4月2日)

パッと咲いてパッと散るだけでなくて、みんな一緒に咲いてみんな一緒に散るところも日本人に似ていますね。

ただ、最近ではその本質も随分と変化してきているのが気になります。真紅でトゲのある桜ができたりして!?

新渡戸稲造 『武士道』 より

私たちの愛する桜花は、その美しい装いの陰に、トゲや毒を隠し持ってはいない。自然のなすがままいつでもその生命を捨てる覚悟がある」(which it is ever ready to depart life at the call of nature)。

その色はけっして派手さを誇らず、その淡い匂いは人を飽きさせない」(whose colors are never gorgeous, and whose light fragrance are volatile, ethereal as the breathing of life)。

***

2014年6月27日金曜日

プロフェッショナルの極意

プロフェッショナルじゃない自家製焼きそば

政治家の先生は、英語では”Law Maker”とも言われます。 法律を作る訳ですよ。 そして、我々の税金を使うプロフェッショナルのはずです。 国民や東京都民は国政や地方行政を彼らにアウトソースしているのです。

もっと、プロフェッショナルを自覚して仕事をしてもらいたい。

ピーター・ドラッカーは、多くのマネジメント(経営)の本を出しています。 マネジャーになる前には代表的なものは読んでおいたほうがいいと思います。 私も参考にしましたし、若い人たちに薦めてきました。 自分のマネジメントスタイルを確立するためのベンチマークになるからです。 

ドラッカーの著書は、日本で氾濫するビジネスのハウツーものとは内容を異にします。 それは、ドラッカーは人間の生き方や働き方の意味を繰り返し言及している点です。 これは、新渡戸稲造が『武士道』で言った「克己」ということだろうと私は理解しています。 つまり、最後は克己、自分をコントロールすると言う事です。 本質は、自らをマネジメントすると言う事です。 自分をコントロールできないのに、他者をマネージするなんて有りえないでしょう。

嘆かわしいことですが、政治家もビジネスパーソンもプロフェッショナルがいなくなった。

***

2014年6月16日月曜日

正義とは勇気を伴う決断の力である


新渡戸稲造 『武士道』の第3章は、武士が守るべき最も厳格な教えとして「義」(rectitude or justice)について説明しています。

「義」とは敢為堅忍(かんいけんにん)の精神、つまり、実行力と忍耐力がともに備わっている精神だ(the spirit of daring and bearing)と言っています。 そして、敢為堅忍の精神が無い場合は、卑怯者であると断定するのです。

我々の受けてきた日本の“戦後民主主義教育”は、「武士の実務的な勇敢さや合理的な判断力」と「精神修養として胆力を鍛えること」の両方ともゼロリセットしたのではないでしょうか? または、意図的にゼロリセットさせられたと言うべきか、、、。

人生の半分を武士として生きた福沢諭吉が「人間交際(じんかんこうさい)」といった意味は、コンフリクトを前提として、破滅的な状況に陥ることを避ける方法を提言したような気がします。 戦争を避けようとするのは当然のことです。 しかし、最初に戦争は絶対にしないと宣言した場合、嘘八百であろうが恫喝した相手の思うつぼです。

僅かに残っているアメリカの良心は、リーダーとしてのオバマ大統領のこういった無責任を責めているのだろうと思います。 まぁ、よその国はさておき、我が国は今の世界情勢の中で自ら自衛権の放棄を宣言したらどうなるでしょう?

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2014年3月4日火曜日

先生の教育


以前、「仕事が金銭を得るための手段と化したら人生はつまらなくなる」と言いましたが、教育でも同じような問題があると思います。 立派な先生もいらっしゃるでしょうが、今の学校を見ていると、あえて、子供たちを教育する前に自分を教育する必要があるといいたいですね。

新渡戸稲造さんが、『教育家の教育』(1907年)という講演で、以下のように言ってます。

「私の謂う教育家はさほど広い意味ではない。ズッと狭くして児童の精神あるいは知識あるいは身体を発育せしむる事に志し、かつ尽力する輩をいうのである。これはあるいは普通一般に用いらる解釈とは少し違うかも知れませぬ。世の教育家と称するのは志と尽力の有無は問わず、あるいは文部省あるいは地方庁なり何んなり相応の官憲等から免状を受けている者を教育家というので、免状あるいは辞令書が教育家と否との標準となる

志の有無は別問題。もっとも、何れ誰でも教えて見よう位の志が有ればこそ免状を得ようが、しかし能く探ると実際真に必しもそういう志が有る訳ではなくして外に飯を食う道がないから教育を一の飯食う手段とするので、志は教育にあらずして飯に存する。故にかくの如き人は如何に免状を貰っても教育家の中には入れられない。これはいわゆる教育屋の側に属する。故に私の教育家と申しますのは飯を食うために教育を手段とするのでなくして児童の身体知識精神を発達せしめる志と力のある者をいうのである」

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2012年8月10日金曜日

理想の翻訳 ~ 誤訳してないか?

加賀が保守した金箔の伝統

帰国してそろそろ3年が経とうとしています。 私は日本に生まれた日本人ですから自分の国は民度の高い立派な国になって欲しいと思っています。 これには理屈なんてないんですね。 だから、しっかりと理想像を描き、理想と現実をつないで行くことができない政界・財界のリーダーたちには憤りを感じます。 
 
新渡戸稲造さんが、『自警録』の中で「理想を実地に翻訳するが人生」ということを書いています。 個人の人生も会社の経営も国家の運営も全て同じことだと思います。 今の日本って、理想を実地に翻訳するのに誤訳だらけじゃないですか! 思想がないからなのか、それとも何らかの意図が見えないところで働いているのでしょうか?

「理想なしにぶらぶら流れのまにまに活きていることは存在するというだけで、人間の生活をしているとは言いがたい。 人間の生活なるものは理想を実地に翻訳することになりはせぬか。(中略) もやもやしており、あるいははっきりしても形のない思想を、実際の言行に現すのである。 これが人生というものではないかと思う」(『自警録』大正五年十月)。
  
***

2012年4月9日月曜日

正しい目標の設定

昨日、「私は心に期すことのレベル設定が低い」と書きました。 私はオジサンなので、もうこれでいいのですが、若者はダメですよ。 特に大学生なんか、正しい大志を抱いてもらわないといけませんね。 この国の将来がかかっていますから。 野心(ambition)と知識・スキルと倫理観の三つをうまくバランスさせてください。 野心だけでもダメ、知識とスキルだけでもダメ、倫理観念だけが強くてもダメです。

実は、新渡戸さんも『自警録』の中で「勝敗を定むる標準を高きに置け」と言っています。



カラスも花見? いやいや、夜明け前から生ゴミを虎視眈々と狙っているのです。 私はカラスより高い目線で背後からカラスをとっちめたいのですが、、、、。

***

2012年4月8日日曜日

成功と失敗の基準

新渡戸稲造は、「成功と失敗は、世間の眼には見えない」と、『自警録』(1929年)の中で言っています。 的を射た文言ですね。 なぜならば、日本って、理想とする、つまり、どういう状態であれば幸福なのか非常に曖昧であり、自由と平等の定義と同様、成功と失敗の定義だって私にはよく理解できないからです。

新渡戸さんは、「輿論を標準として成功と失敗は測ることはできない」と以下のように説明しています。

世を渡るにはまったく輿論を無視するわけにはいかぬけれども、世人の考えをのみ標準として成敗を測ることは、はなはだはかなき業である。 勝つも敗くるも、失敗するも成功するも、その基は各自の心のうちに置いてこそ、真の成敗の味わいが分かるものである。

(中略) 自己の心の据えどころこそ成敗を測る尺度であって、この尺度が曲がらぬ以上は、いかなる失敗に遭遇しても心に憂うることがない、これ霊丹(れいたん)一粒、鉄を点じて金と成すものか(『自警録』)。

どのような人生を送りたいかというのは大事なことで、そろそろ自分で考えたほうがいい。 自分自身でイメージが浮かんでこないということは、どれくらいの努力をどういったタイミングですべきかが分からないということです。 また、理想のイメージを世論が作り出す、即ち、新聞・雑誌やテレビが言っているものであるならば、全く主体性のない他人任せの人生ということです。 魯迅が描写した『阿Q』のようですね。
私なんか、自分の心に期すことのレベル設定が低いので、常に成功だし、常に勝ちです。 もちろん、私の心に期すことなんて誰にも言いませんよ。

本文とは全く関係ないギターとミニアンプとハーモニカ
***

2012年3月28日水曜日

卒業 ~ これから始まる!

卒業式

新渡戸稲造の『武士道』の凄いところは、欧米人に対して「日本人には宗教心がなくても武士道がある」とロジカルに説明したところです。 キリスト教では神と人間の関係は契約で、人間は神に対して絶対の服従です。 ここがホウレンソウ(報・連・相)の報告が義務(fiduciary duty)である所以です。 キリスト教徒である新渡戸が、宗教の力を借りなくても日本人には義務を果たす精神(背骨)がちゃんと一本通っていると主張します。 それが武士道であると。

今の日本は、新渡戸が言う武士道の精神なんてドロドロになって蒸発しちゃったのでしょう。 利己的で、つながりの稀薄な国になってしまった。 ところが、ネットの世界でバーチャルなつながりを求めます。 他者に関わる面倒は嫌だけど、一人で不安な状態でいるのも困るという訳でしょうか?

新渡戸稲造は『武士道』で、「克己(こっき)」(自分に克つ、self-control)を説明しています。 義から始まり、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、武士の教育と訓練、そして、最後が克己です。 私欲を克服するということです。 ストイックなまで自分に克つ努力をしないといけない。 このあたりは、ストア派の哲学ですね。 もっとも、今の日本には宗教以前に哲学がないのだから、ストイックなんて誰も考えないのでしょうが、、、。

とにかく、

Let's get the show on the road !

卒業、おめでとう!

***

2012年3月7日水曜日

エドウィン・ライシャワー ~ 日本とアメリカの架け橋

Mr. & Mrs. Reishauer

新渡戸稲造はアメリカ人女性を妻として『武士道』を書きました。 日本人女性を妻としたエドウィン・ライシャワー(1910 ~ 1990)の以下の著書も是非読んで欲しいものです。 これほど日本や日本人を理解していたアメリカ人はいないと思います。
  • 『ザ・ジャパニーズ』 文藝春秋、1979年。The Japanese, Belknap Press, 1977.
  • 『ライシャワーの日本史』 文藝春秋、1986年/講談社学術文庫、2001年。Japan The Story of a Nation, C.E. Tuttle, 1978.
ライシャワーさんは日本(東京白金)で生まれ育ち16才になって渡米しました。 日本とアメリカという二つの立場でモノを見る目が養われていました。 このことがその後の彼の生涯を決定付けました。 ハーバード大学教授、駐日大使、そして、日本人よりも日本の歴史や日本人をよく知る日本通のアメリカ人となっていきました。  奥様のハル(春)夫人は、第四代総理大臣松方正義(薩摩藩出身)の孫にあたり、ライシャワーさん同様、調布のアメリカン・スクール(ASIJ)の卒業生でした。

ライシャワーさんは、「江戸時代の日本が、色々と違った考え方を認める余地のある多様性を許す社会制度だった」と言っています。 秩序を保ちながら多様性を許した社会であったと賞賛しているのです。 日本人のアイデンティティを確立したのは徳川家康であり、300年近く続いた江戸時代が今日の日本の「民主主義」と「安定」の基礎となっていると言い切っています。

私も同感です( TVドラマ『水戸黄門』を見ているとよ~く分かりますよね!?)。 民主主義に関してですが、士農工商、様々な制約はあったにもかかわらず、それぞれの身分の中で自由裁量の幅を持っており、社会的な一つの自治組織であったのだとアジアの他の国と比べて日本の特徴を説明しています。

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2011年6月22日水曜日

ジャパン イズ ネイトー

デッキの花

新渡戸稲造さんは、「外国人が日本人を批評し、日本人はとかく嘘をつくというが悪意はない」と書いています。

私は、悪意のない嘘というよりも、日本人は自分を欺いて現実を見ないようにする傾向が強いと思います。 よく言えば運命に逆らわない(fatalistic)性質です。 運命を変えることを評価する傾向のある欧米や、運命どころか、ミサイルで天気まで変えてしまおうとする中国の人たちには理解しがたいことですね。でも、日本人にとって being fatalistic は美徳でもあります (最近、友人たちとのメールのやりとりで fatalistic が話題になりました)。

ビジネスの上では、日本人の美徳は裏目と出る場合があります。 意思決定をする場合です。 日本人は調整に重点を置きますから、どうしようもない時の一手は、いつも、「問題の先送り」です。 これは、欧米や中国の人たちからみると、リーダーシップの欠如とうつるのです。 彼らからすると、日本人にリーダーシップなんて発揮してもらいたくなから、ほくそ笑んでいるわけですが、、、。

因みに、先送りを英語で言うと、no action talk only (NATO) と言います(冗談ですよ)。 昔、アメリカ人の仕事仲間から、「(ジャパン イズ) ネイトー、ネイトー」とからかわれたものです。 辞書で「先送り」を引くと、delay とか put off が出てきますが、随分とニュアンスが違いますね。

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2011年6月21日火曜日

コミュニケーションのレベル


コミュニケーションのレベルが高度になると、信頼や協力関係も上がっていくという説明です。

自分の部門の仕事だけが片付けばそれでいい、自分の与えられた仕事だけが完了すればそれでいいというのが、防御的(defensive)コミュニケーションです。 昔の日本軍の陸軍と海軍の関係や、多くの製造業でも製造部門と販売部門なんて、大抵は防御的コミュニケーションに陥っています。 これでは1+1が0.5にしかなりません。

相手に敬意を表するコミュニケーション(respectful)というのは、少々分かり難いかも知れません。 顔では笑って友好的だけど、積極的に協力するまでには至っていない状態のことです。 会議を開催すれば参加するけれど、前向きな発言はしないで(笑顔で)黙っているケースです。 実は、外国人にとって日本人のこの態度が一番やりにくいのです。この状況では1+1は1.5です。

1+1が3になるような相乗効果を生む(synergistic)コミュニケーションが、信頼を生み協力関係を構築して行くのです。

アメリカが今後も強力で、中国が発展途上国のままであれば、これまで通りアメリカの子分として、列島の中で「見て見ぬふり」を決め込み、自分を騙し続ければいいのかも知れません。しかし、現実を冷静に見てみると、どうもそうは問屋が卸さないような気がします。 コミュニケーションだって、世界の認識を共有しておいたほうが、自己防衛のためにも賢明かもしれません。

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2011年5月31日火曜日

嘘をついても悪意がない?

上海の生ガキ(もちろん、私は食べませんよ、、、)

新渡戸稲造は、外国人が日本人を批評し、日本人はとかく嘘をつくというが悪意はない。しかし、日本人は西洋人よりも事実に違ったことを吐く点に至っては、はるかに多いのではないかと述べ、2つの理由をあげています。一つは、普通教育がまだまだ充分でないので、用いる言葉に精確を欠くため。もう一つは、主観的な要素が日本人には甚だ強い、すなわち感情が事実に混じやすいと言うのです。

私は新渡戸さんみたいに立派な日本人でないので、今の日本の政治を見ていると、正直なところ日本人であることを辞めたくなっちゃいます。いつもの発作が出たようなものですが、、、。

原発の問題は、日本だけの問題ではなく地球規模の問題です。中国の若者でさえ日本政府の原発対応に関しては、大きな疑問を持っています。日本政府に悪意があって嘘をついていると思っているよりも、そもそも日本には統治する政府というものがあるのか?というのです。放射性物質の除去に対して国が積極的に動いていないこと、そして、それに対する国民の従順な態度。 もしも、福島県が中国のどこかの省だったら、とっくに暴動が起こっているでしょう(起こったら、圧倒的な武力で制圧するのでしょうが、、、)。

自分の与えられた仕事だけが片づけばそれでいい。放射性物質の対応なんて、担当の誰かがやればいいという考えなのでしょうね。内閣府(原子力安全委員会)、文科省、経産省、、、、。縦割り組織の弊害だと言えばそれまでですが、政府にしても私企業にせよ、こういった問題が無くならないのは、普通教育が不充分というよりも、方向が間違っているか、「主観的」を主導するマスメディアの問題が大きいと思います。

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2011年5月9日月曜日

泣く子だけがミルクにありつける?

今朝の北京の街角
会哭的孩子有奶喝。

泣く子だけが牛乳にありつける。これは中国でよく言われることです。つまり、「自己主張しないと何も手に入らない」と言う意味です。

国と国との関係なんて自己主張の競い合いのようです。中国は赤ん坊の頃から「ミルクが欲しければ黙ってちゃダメよ。ちゃんと泣いて自己主張するのよ」と教えます。

北京の首都空港はオリンピックのおかげで立派な国際空港になりました。人々を観察していると、まだまだ自己主張だけが強くて、中味と形式にギャップがあります。しかし、これからまっとうなナショナリズムが育ち、ギャップは狭まってインターナショナルな一流国になるのでしょうか?

新渡戸稲造は、アメリカ、ヨーロッパ、台湾、中国と世界中を渡り歩きました。ナショナルとインターナショナル、相克の生涯だったのでしょうね。

新渡戸稲造『真の愛国心』

国を偉大にする一の方法

僕は寧(むし)ろ我国民性に如何なる欠点あるかを省るのが国を偉大にする一の方法でないかと思う。言葉を換えて言えば反省、自己の過を知ること、己の短所を自覚すること、これが大いに伸びんとする前に大いに屈せねばならぬという訓(おしえ)に適うことで、これがなければ国民は慢心するのみである。慢心は亡国の最大原因である

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2011年3月22日火曜日

平成の後藤新平は誰か?

星新一『明治の人物誌』で紹介している10人の中に後藤新平がいます。

某放送局では悪者扱いされたようですが、後藤新平は立派な人です。医者としてキャリアをスタートし、日清戦争後の台湾総督府長官、満鉄の初代総裁、国政では逓信大臣、内務大臣、外務大臣を担当し、その後、第七代の東京市長になります。新渡戸稲造をアメリカから呼び戻して台湾に連れて行き、星新一の父親である星一を台湾や大陸の活動に登用しました。

そして、忘れてならないのは、関東大震災の震災復興計画の立案者であり復興プロジェクトのリーダーだったことです。先の大戦でアメリカに焼け野原にされちゃいましたが、今の東京のフレームワークを設計したのは後藤新平なのです(関東大震災の死者・行方不明者は14万2800人)。

何が凄いか? 以下は後藤新平の名言です。

金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり。

後藤新平のことは是非とも学校で教えてほしいですね。そうだ! 星新一の『明治の人物誌』を中学校の歴史の教科書にすればいいんだ。日本の近代化がよく分かります。

政府は、20日、東日本巨大地震の被災地復興などに取り組む「復興庁」を創設する方向で検討に入ったそうですが、平成の後藤新平は一体誰になるのでしょうか?

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2011年2月23日水曜日

サザエの殻

ES335

国が人民の殻(から)でない今の日本、パンダのようにワシントン条約で絶滅種に指定してもらい保護してもらうしか日本人生存の道は無いのでしょうか?

1881年(明治14年)、福沢諭吉46歳。外交政策論である『時事小言』を発表しました。若い頃から内外で見聞を広めた福沢諭吉は、「日本にとって大事なことは、国力を増強し、独立主権を目指すことだ」と、強く思ったのでしょう。

殻の外の「喧嘩異常なる」って、チュニジア、エジプト騒乱に端を発する中東情勢であり、中国の軍拡、北朝鮮の核問題、プーチンロシアの脅威、欧米の経済状況、、、「殻」たる政府が取り組まなければならないことは枚挙に遑がないですね。「気がついたら殻と共に魚市場のまな板の上だった」なんてことがないようにしてもらいたいものです。それとも、ヤドカリにように、別の「殻」を探さなければならないのでしょうか?

「俚話(りわ)に、青螺(さざえ)が殻中に収縮して愉快安堵なりと思ひ、其安心の最中に、忽ち殻外の喧嘩異常なるを聞き、窃(ひそ)かに頭を伸ばして四方を窺(うかが)へば、豈(あに)図らんや、身は既に其殻と共に魚市の俎上に在りと云ふことあり、国は人民の殻なり。其維持保護を忘却して可ならんや」(俚話:巷の話)。

福沢諭吉は大阪生まれの武士でした。10代の頃は居合と同時に漢学を学び、緒方洪庵の適塾では自然科学を学びます。江戸に出たあと、横浜の外国人居留地の見物に行ったら、専ら英語が使われていて、自分が学んできたオランダ語が全く通じずショックを受けています。24歳でした。この時から英語を猛勉強し、1860年、勝海舟と共に咸臨丸で渡米することになりました。

1862年(文久2年)、27歳の福沢諭吉は、幕府使節団の一員としてヨーロッパ各国を訪問しました(この年、新渡戸稲造が岩手で誕生しました)。欧州に行く途中、香港、シンガポールで植民地主義・帝国主義を目の当たりにしたのです。アジア人が白人によって虫けらのように扱われるのを見てショックだったでしょうね。ロンドンでは万国博覧会を視察し、蒸気機関車や電気機器に触れました。樺太の国境問題の交渉でロシアにも行っています。帰国後『西洋事情』を書いています。1867年には再度渡米、帰国後は『西洋旅案内』を書き、教育活動に専念して行きます。

漢文からオランダ語、英語。人文科学から自然科学。江戸から明治。日本から海外、それも、アメリカ、アジア、ヨーロッパ諸国。クロスオーバーですねぇ、ギタリストでいえば、先日グラミー賞を受賞したラリー・カールトン(ミスターES335)みたいな人です。

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