福田恆存が言うところの「集団的自我」とは、家族、企業、国など、様々の集団に属してその中で必要な役割を演じる自我であり(九十九匹)、「個人的自我」とは、そうした集団に帰属させ得ない純粋な個人としての自我です(一匹)。 人は「集団的自我」によって政治、経済といった社会的な活動を行い、「個人的自我」によって精神的な諸事、つまり、文学や宗教に向き合う。
今の世界は、集団的自我(エゴ)や個人的自我(エゴ)が充満していて(要するに、多様化やグローバリゼーションです)、エゴだらけで、エゴとエゴの戦いじゃないでしょうか? 宗教が自我を緩和するのではなく増長する。 そして、一匹を癒す文学者たり得る文学者は何處にもいない。
ぼくたちの思惟が他人の思惟とくいちがうとき、あるいは現実の抵抗を感ずるとき、ぼくたちのなさねばならぬことは、それらを性急にくみふせようとあせることではなく、まず自己の発生の地盤を見いだすことである(『一匹と九十九匹と』)。
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