2015年7月20日月曜日

英語化は愚民化


人間、型にはまると魅力がなくなります。 特徴がなくなるからです

私は東京に住んでいますが、もしウチに成長期の子供がいたならば、東京のような大都市では暮らさないかも知れません。 大都会の澱みの中につかってしまうと、標準化され協調性だけが取り柄の大人になりそうだからです。

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この週末は政治学者 施光恒(せ てるひさ)さんの『英語化は愚民化』(集英社新書)という本を読みました。 英語教育やグローバル人材育成について日頃考えていることが上手に新書にまとめられていました。

本の中にもありますが、ヨーロッパの近代化は普遍語であるラテン語を各国語(フランス語やドイツ語など)に翻訳することから始まりました。 また、日本の近代化は西欧の先進技術や考え方を一つ一つ意味を考えながら日本語に翻訳することにより成し遂げられました(福沢諭吉や新渡戸稲造の貢献は偉大です)。 外国語をそのまま使うのではなく、概念を理解し各国語(日本では日本語)に翻訳する。 適切な言葉がないならば作る。 そうやって発展途上国は学習しながら先進国になっていったのです

施光恒先生は、英語をラテン語に重ね合わせ、日本の教育を英語化(≒ ラテン語化)することは日本の近代化の真逆、つまり、国を発展途上国に逆戻りさせる愚民化政策であると言っています。 私も繰り返し言及していますが、全ての学生に対して過度な英語教育は必要ないのです。母語の授業を減らされるだけ、多くの学生さんたちは情緒が育まれず英語も中途半端になってしまいます。

ジョージ・オーウェルの小説『1984』にはニュースピークという新語が出てきます。

『1984年』の舞台となる国は思想や言論に厳しく統制が加えられています。 物資は欠乏し、国民は、テレスクリーンによって昼夜を問わず屋内でも屋外でも行動が監視されています。言語はニュースピークというものです。 ニュースピークは、思考を単純化し、思想犯罪の予防を目的として成立した新語です。語彙の量を極端に少なくし、政治的・思想的な意味を持たないようにされて、この言語が普及すれば、反政府的な思想を表現することができなくなるというものです。

言葉を単なる手段、つまり、道具(ツール)だと考えたら、仕事や生きることが無味乾燥で味気ないものになります。 会社のような組織は合理性が支配するのですが、本質には有機体としての人間が存在します。時間をかけて人と人の信頼関係、仲間意識などが醸成されていきます。 そこには文化や習慣を背景とする母語があるのです。

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