この1945年製造のC11は姫路機関区の播但線を走っていたそうです
(新橋駅前 SL広場)
『渡り鳥』は太宰治の昭和23年4月の作品です。 太宰の死が昭和23年6月13日ですから死の直前に発表されたものです。
主人公は大学生ですが、闇屋をやったり出版社のアルバイトしながら暮らしています。「ベートーヴェンを聞けば、ベートーヴェンさ。モオツアルトを聞けば、モオツアルトさ。 どっちだっていいじゃないか」。 主人公が日比谷から有楽町界隈で偶然出会った3人の相手とのやりとりを書いた短編です。 軽佻浮薄な主人公は戦後の日本人の態度を皮肉ったものだと言えるし、自分の人生を自虐的に振り返っているとも言えます。 死の直前に書かれたものだけに意味深長です。
もともと、このオリジナリテというものは、胃袋の問題でしてね、他人の養分を食べて、それを消化できるかできないか、原形のままウンコになって出て来たんじゃ、ちょっとまずい。 消化しさえすれば、それでもう大丈夫なんだ。 昔から、オリジナルな文人なんて、在ったためしは無いんですからね。 真にこの名に値いする奴等は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。 だから、あなたなんか、安心して可なりですよ。 しかし、時たま、我輩こそオリジナルな文人だぞ! という顔をして徘徊している人間もありますけどね、あれはただ、馬鹿というだけで、おそるるところは無い。 ああ、溜息が出るわい(『渡り鳥』 太宰治 1948年)。
自分で考えて消化することなく、流行りのものや勝ち馬に相乗りする傾向は、70年経った今でも続いています。 2015年の日本もそういった出来事ばかりだったと思いませんか?
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