2010年12月31日金曜日

ゲーム・チェンジャー

深大寺(今年はゲゲゲのおかげで随分と有名になりました)

われわれが最大の仮面をかぶるときは、内面にひそむ邪悪と醜悪をかくすためでなく、われわれの空虚さ(中味のなさ)をかくす場合である。何といっても、隠すのに最も難しいものは、存在しないものである(Our greatest pretenses are built up not to hide the evil and the ugly in us, but our emptiness. The hardest thing to hide is something that is not there)。

これは、エリック・ホッファーの『情熱的な精神状態』からのアフォリズム(金言)です。この一年半、日本の政治やマスコミを見ていて「これだ、コレコレ!」と思いました。

アメリカの雑誌、Foreign Affairesの11月号に、「The Game Changer」という中国に関するレポートが掲載されていました。「中国は、国際社会で大きなポジションを狙っているだけでなく、自分の都合の良いようにゲームのルールを変えるゲームチェンジャーだ」と批判しています。最近、アメリカのメディアでこういった内容の記事を多く見掛けます。これって、これまでアメリカがやってきたことなのにね。

一方、日本では「中小企業の活路は中国にある」と新聞やTVで中国ビジネスを奨励しているようです。中国に対する見方が相反しているので面白いですね。当の中国では、「中国はどんどん良くなっている」といった報道が急増しているようです(共産党の常として、ヤバイときに事実と真逆の報道をするのか?)。

経済力と軍事力でイギリスが覇権を握った19世紀半ばから第一次世界大戦までは、パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和と秩序)と言われました。その後、アメリカが新興国としてのし上がって来て20世紀になってパクス・アメリカ-ナと言われるようになりました。特に、ソ連崩壊後は、アメリカの一極体制になりパクス・アメリカ-ナが長く続くかと思われたのです。ところが、そうは問屋が卸しませんでしたね。昨今、アメリカの弱体化は歯止めが掛からない。21世紀、パクス・シニカ(Pax Sinica)、つまり、中国による世界平和と秩序維持の時代が訪れることがあるのでしょうか?

政治や国際情勢の話題に深入りするのはやめましょう。 墓穴を掘っちゃいます。

子どもの教育に関して一言。

最近、グローバル社会で生き抜くために、英語教育だけでなく中国語まで子どもに習わせる親が増えてきていると聞きます。偏差値偏重の受験システムでは飽き足りず、国際人に育てるために中国語も必須だということなのでしょうか。

「優秀な人材に国籍は関係ない」と声高に叫ぶ政治家やコメンテーターもいるようですが、私はそうは思いません。やはり、世界を舞台に仕事をしようとすれば、自分が日本人であることを意識せざるをえません。あなたがどこの国の人か分からないようであれば、外国人と信頼関係なんて築くことは不可能なのです。これが国の外交ともなれば一層重要なことです。「日韓中を一つの市場と考えて、国境を取り払い、パスポートも要らなくなる」といったようなことを、日本の某国大使が発言したそうですが、もっとリアリスティックに考え行動して欲しいですね。大使たるもの国家を代表しているのですから。

年の瀬のウダウダの結論ですが、子どもには外国語もいいですが、日本の歴史や文化を正しく教えて欲しいものです。

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2010年12月28日火曜日

ハンバーガーも作ってみた


ハンバーガーも家で作るのが最高!
メルローもうまい。

もうすぐ2010年も終わりですね。1年間日本を見て感じます。この国は、「文明」に近づくどころか「野蛮」に逆戻りしているんじゃないかと、、、。中高年の尊厳(dignity)も大事ですが、若者に希望(hope)がないのは悲しい。

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html
(今年1月のブログ「教育は何のためにあるのか?」)

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2010年12月26日日曜日

日本脱出されちゃった。。。。

深大寺の手水舎

息子がとうとう日本を脱出しました。

福沢諭吉の福翁百話に『成年に達すれば独立すべし』というのがあります。福沢さんというのは、どうなっているんでしょうね。時代に関わらず人生のどんな場面でもグッとくる一言を残しています。

往くを咎(とが)めず、去るを悲しまず、自由自在に任して、その働きのあらん限りを逞(たくま)しうせしむべきのみ。 斯(か)くありてこそ社会の進歩も期すべきことなれ子供が家を出ても、責めたり悲しんだりしないで子供の自由にさせなさい。そして、子供が思う存分に世の中で活躍できるようにするべきだ。そうすることによって社会も進歩するというものだ)。

既に至当の教育を被りて成年に達するときは、独立の生計を営むべし。即ち父母の膝下(しっか)を辞するの時にして、これより後は一切父母の厄介たるを許さず。既にその厄介たらずとあれば、仮令(たと)い父母の尊厳無上なりというも、漫(みだ)りにその子の言行を妨ぐべからず(子供が教育を受け成人になったのであれば、独立し自活させるべきである。父母の家を出て、もう両親の厄介になってはいけない。父母の尊厳は重要であると言うが、やたらに子供の言うことや行動を妨げてはいけない)。

息子は、下関から船で上海。上海から夜行列車で北京。北京からシベリア鉄道に一週間、モンゴル経由で極寒のサンクトペテルブルクへ。そこからスウェーデン、フェリーでドイツに渡りフランスから大雪のイギリス。先日、ニューヨークに着いたとEメールが来ました。

ここ1年余りは日本で働いていたのですが、彼なりに考えた上での日本脱出なのでしょう。ニューヨークで育ち、大学時代の4年間はマンハッタンに住んでいたので、「Get back to where you once belonged」なんでしょうね。

福沢さんは更に言います。

「父母の役目というものは、子供を産んで養育するだけでは、半分も全うしたことにはならない。産んで育て一人前の男女とし、子供たちの世代で世の中の役に立つ人物になるように教育し、老若交代してこそはじめて父母の名に恥じないと言えるのだ」(「教育のこと」福沢文集 巻之一)。

キツイねぇ、、、。

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2010年12月24日金曜日

ローストビーフを作ろう

日本のカイザーロールはミニチュアサイズ

牛肉の塊は、COSTCO(コストコ)でアメリカンビーフを買う。サンドイッチなど薄切りにする場合は安い肉で十分。プライムリブの場合は、リブアイの塊り4ポンド(1.8キロ)くらいのものを買います。焼く前に室温に戻しておく。

塩・コショー、にんにく(ガーリックプレスで潰す)、オリーブ油少々を手で肉にもみこむ。ミートサーモミターを肉に差し込み、予め325°F(163°C)にセットしておいたオーブンで肉1ポンドにつき25~30分焼く。

サーモミターの温度:

140度 RARE
160度 MEDIUM
170度 WELL DONE

実際にその温度にならなくても、オーブンから出した後も、肉内部の温度は上がるので、時間が来たら取り出して、ラックにのせたまま1時間レストさせる。

オーブン皿に残った油と肉汁の中で、野菜少々(玉ねぎ、セロリ、にんじん)薄切りを炒め、赤ワインを少々と水とマコーミックのAU JUS GRAVYミックスを溶かしたものを加え軽く煮込む。味見して、塩・コショーを加え、濾してソースとして使う。肉を切って出た肉汁も加える。


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2010年12月22日水曜日

運転免許更新 ~ Keep Getting Up !

アメリカの運転免許の更新手続きを日本から行いました。

アメリカの各種事務手続きはいい加減で問題が多いと思われています。
しかし、紆余曲折を経ても最終的には結構うまく行くのですよ。

アメリカで運転免許の発行や自動車の登録業務を行う所をDepartment of Motor Vehicles (DMV)と言います。役所の中でもイメージの良くないところです。ニューヨーク州DMVのホームページで調べても、海外から免許証を更新する方法が見つかりません。日本では、運転免許の更新手続きをする際には必ず「講習」を受講しなければならないのですが、アメリカ(NY州)では講習はなく、インターネットで更新ができます。

日本から更新しようとしたら、IPアドレスが国外であることを認識してか、うまく行きません。NYの友人に頼んでインターネットでの更新を試みましたが、これも失敗です。住所変更が伴う更新だからかも知れません。私の場合、ニューヨークに住所がないのでどう対応すればいいのか、または、そもそも非居住者は更新できないのか分かりませんでした。

諦めてはいけません。「Keep Getting Up !」。 アメリカ生活の基本です。そうです、映画「ロッキー」を思い出すのです。「ロッキー」のテーマ音楽を頭の中でかき鳴らし、出来るまでトライするのです。

以下の書類をレターを添えてニューヨーク州のDMVに郵送しました。

免許証のコピー
住所変更願(友人の住所を借りました)
更新依頼
視力検査(眼科医による証明書)
更新費用(80ドル50セントと17ドル50セントのチェック)

これが大事なのですが、上の必要書類(と思われる)ものに加えてレターを書きました。内容は、「現在、日本に住んでいます。免許更新のための必要書類とチェックを送付致します。必要書類はDMVのホームページからダウンロードしたものです。尚、視力検査のドクターによる表記『1.0』は日本の表記方法なので、アメリカであれば『20/20』です。もし、追加書類が必要であればお知らせ下さい。メールIDは以下の通りです、、、、、」。

果して、数週間が経ちニューヨーク州の友人宅に更新された免許証が送られてきました。手書きのレターが添えられており、「今回の更新では17ドル50セントは必要ない」とのことで、17ドル50セントのチェックが同封されていました。

Keep Getting Up !

庭の葉ボタン

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2010年12月21日火曜日

「走れメロス」をどう読むか?

大ヒットしたアメリカ映画の特徴は「ないものねだり」です。自分に無いものを映画で表現しているものです。少し分類してみました。分類なんて、コンサルタントっぽいですね。

  • ネバーギブアップ型:(「ロッキー」、「アポロ13」、「フォレストガンプ」、「ショーシャンクの空に」、「ルディ/涙のウィニングラン」)
  • ヒロイズム型(「シェーン」、「真昼の決闘」、「アルマゲドン」、「バットマン」、「大統領の陰謀」)
  • ホープ&ドリーム型(「レインマン」、「今を生きる」、「ET」、「勝利への旅立ち」、「愛と青春の旅立ち」)
  • グローイングアップ型(「ペーパー・チェイス」、「スタンドバイミー」、「セント・オブ・ウーマン」、「ベスト・キッド」、「卒業」)
  • サクセスストーリー型(「ワーキング・ガール」、「プリティウーマン」、「摩天楼はバラ色に」、「ベイビー・ブーム」)

さて、皆さんよくご存じの太宰治「走れメロス」、中学生の教科書に長年にわたり登場する作品です。「走れメロス」を中学生に教えるのは難しいでしょうね。学校ではどう教えているのでしょうか? 自分もどう教わったのか、今では覚えていません。

難しいと思うのは、作品が何を主題としているのかがはっきりしないからです。単純に友情や信義を主題とするか、それとも、時代を含む自分自身の境遇を皮肉った太宰のニヒリズムなのかと言うことです。私は知らなかったのですが、文学界では侃々諤々の議論があるようです。このあたりの背景も、先生が中学生に紹介すると面白いですね。現代史の授業にもなります。

上記のアメリカ映画の分類で言うならば、「走れメロス」は、自立したい太宰の心の表れである「グローイングアップ型が5割、単純に健康で明るく読む「ネバーギブアップ型」「ヒロイズム型のミックスが5割でしょうか。それに、時代背景、つまり、日中戦争が泥沼化し、軍部が台頭していくことに対する太宰の反骨精神がちりばめられている。これが私の解釈です。 何れにせよ太宰治はアウトプットを周到に意識した小説家ですね。

私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。

私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。

それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。

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2010年12月20日月曜日

日本の医療システムはすごい!

支払い能力の証明をしなくてもお医者さんが診察してくれるなんて、日本の医療システムは素晴らしい。アメリカだとこうは行きません。社会主義を標榜する中国だって国民皆保険からはほど遠い。

勇気を出して歯医者に行ってきました。レントゲンを撮って、歯茎のレーザー治療をして、歯垢をとってもらって、いくらだと思いますか? 2910円です! アメリカであれば確実に10倍以上だと思います。デンタル保険に加入していても、保険で何%給付されるかは、保険会社と何度も交渉をしなければ簡単には支払ってくれません。アメリカでは国民健康保険や社会保険のようなシステムはありません。ほとんどが民間の保険会社の健康保険に加入するわけです。そして、一般的にデンタルはオプションとなっていますので、別途加入することになります。

歯が痛くなってから最初に食べるジャイアントコーンです。ジャイアントコーンにミニサイズがありました。嬉しくて10コも買ってしまいました。 でも、歯が痛いときのアイスクリームは危険です。

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2010年12月17日金曜日

鎌倉と三鷹の共通点は?

昨日、所用があって鎌倉に行ってきました。

鎌倉と三鷹の共通点は「太宰治」です。

インターネットで著作権が消失した過去の文学作品を無料で読むことができるので重宝しています。長い文章をPCのディスプレイ上で読むのは苦手なのですが、短編だと問題ありません。短編が多い太宰治とか織田作之助はもってこいです。

学校の教科書では未だに「走れメロス」の太宰治ですが、私は好きな作家の一人です。理由は、太宰というのは「小説に出てきそうな小説家らしい小説家だった」と思うからです。私のブログのようなインスタントな文章でなく、熟考した上でエンターテイメントとしてのストーリーをアウトプットしようとしたのでしょうね。つまり、太宰治は職業意識の高い文筆家なのです。

太宰治は三鷹の玉川上水で自殺しましたが、鎌倉でも心中を図っています。昭和5年、大学生の頃です。許嫁がいたにもかかわらず、銀座のバーで知り合ったばかりの女性と薬を飲んで海に飛び込み女性だけが死んでしまいました。『道化の華』は、その時のことが舞台になっている短編です。その後、時代は満州事変から日華事変、大東亜戦争になり敗戦からアメリカ占領時代に突入します。

太宰治が死んだのは敗戦から3年後の昭和23年です。太宰と言えば、私生活と小説がオーバーラップしたデカダンスなイメージですが、戦前戦中戦後と時代を反映して作品は変遷していったのだと思います。戦後の作品を読むと、反骨の精神が垣間見えます。今の日本を予言していたのかも知れませんよ。http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_29.html (7月29日「太宰治のこと」)。

江ノ電 心中を図った小動岬(こゆるぎみさき)の近く


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2010年12月15日水曜日

宮本武蔵はなぜ負けなかったのか?

学校で習うことなんて、人生の中のほんの一部ですね。偏差値をベースにした日本の受験システムを全否定するわけではありませんが、戦後教育の集大成であるかのような昨今の日本を見ていると悪夢を見ているようです。

「理論の基礎は実践であり、理論はまた転じて実践に奉仕するものである」。これは、毛沢東の「実践論」(1937年)からの引用ですが、毛沢東は宮本武蔵の「五輪書」でも読んでいたのですかね? 宮本武蔵は有名な剣豪です。巌流島で佐々木小次郎とも決闘をしました。ご存じの通り武蔵は最後まで負けなかった。生涯六十余回の決闘をしたそうですが、遂に一回も負けなかった。

なぜ負けなかったか?

武蔵は晩年、「自分は器用であった」と言っています。「兵法の理を知っていたから勝ったのではなく、自分の小手先が器用だから勝ったのだ」と。武蔵の書画を見ても武蔵が抜群に器用であったことは分かりますが、多くの経験を積んで、その中から何かを掴むということが出来たのでしょうね。武蔵は実践を通じて常に勝つことを考えました。それは非常に合理的で現実に即したことだったのだろうと思います。一本より二本、武蔵の二刀流なんて、まさにこれですね。

武蔵の「五輪書」は、彼がたどり着いた人生の方法論です。

第一に、よこしまになき事をおもふ所 (正しい事を考える)
第二に、道の鍛錬する所 (学問/芸は鍛錬すること)
第三に、諸芸にさはる所 (多芸に親しむこと)
第四に、諸職の道を知る事 (様々な分野を知ること)
第五に、物毎の損徳をわきまゆる事 (物事の損得を理解すること)
第六に、諸事目利(めきき)を仕覚ゆる事 (真実を見きわめる力を養うこと)
第七に、目に見えぬ所をさとってしる事(目に見えないところを悟ること)
第八に、わづかなる事にも気を付くる事(小さなことにも気をつけること)
第九に、役にたたぬことをせざる事(役にたたないことをしないこと)

私は、第三が好きです。

(東照宮の石灯籠(苔のむすまで、、、、)

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2010年12月13日月曜日

日本人の付和雷同、アメリカ人のチームワーク

学校で「協調性がない」と言われたら?

喜びましょう。

逆に、幼稚園や小学校の先生から、「お子さんは、協調性があってよい子ですよ」と言われたら、危機感を感じたほうがいいかもしれません。

「協調性」って注意を要する言葉です。

日本の学校や会社組織では、「協調性」が重要視され、「和」がチームワークの基本であるかのように言われます。しかし、「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他の人と協調することなのです。学校の先生を含む多くの日本人は、この「和」の意味を誤解していると思います。「和」の前提は、個人の主体性です。主体性がないと「同じる」ことになる。つまり、「付和雷同」というわけです。

これが、孔子の言うところの「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(君子和而不同、小人同而不和)の意味するところなのです。夏目漱石は、主体性を軽視して西欧に迎合した明治時代の日本を死ぬまで憂いたのでしょう。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/02/blog-post_05.html (夏目漱石の「自己本位」に関する過去のブログ)。

仕事をする上でチームプレーヤーであるかどうかは重要な点です。だから、就職の面接で「チームプレーヤーだと思いますか?」と言うのはよく聞かれる質問です。しかし、「チームワーク」に関しても、「協調性」や「和」と同じで、多くの日本人の認識は、少しばかり世界とギャップがあるように思います。

「チームワーク」というのは、チームメンバーが同じて和せず、つまり、メンバー全員が単に協調することではありません。本当の協力や協調というのは、一人ひとりが自分の個性を尽くして、同じ目的を貫くということです。個性や技量は違っても(それぞれに「技がある」ことは大切ですが、、)、同じ目的のために全力を尽くすということであって、だから、ベクトルを合わせるために、または、わかり易くするために「Vision(ビジョン)」が重要になってくるわけです。

日光東照宮 御本社の屋根

(「Vision」と「チームワーク」がしっかりしていたので、日光東照宮は完成したのでしょうね)


「付和雷同」の意味:

自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。「付和」は定見をもたず、すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。「雷同付和らいどうふわ」ともいう。「付」は「附」とも書く。

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2010年12月12日日曜日

Happy Holidays !

やっと、我が家もクリスマスツリーを出してきました

1996年の感謝祭は、まったく寒くない年でした。ロックフェラー・センターに飾られるクリスマス・ツリーに、当時の我が家(ニューヨーク州アーモンク)のすぐ近所の木が選ばれました。家の増築を請け負ってくれたトニーが、「あれは6万ドルで売れたんだ」と教えてくれました。それを聞いて、自宅の裏庭にある木を眺めまわしてしまいました。残念ながらあれほど立派な木はなかった、、、。

その頃、ビル・クリントン政権が2回目の4年間に突入しようとしていました。クリントン政権の2期目は本当に余計でしたね。アメリカが中国に対して弱くなった4年間でした。今更、奥さんのヒラリーが出てきて中国に凄んでみても後の祭りですよ。そう言えば、10日にビル・クリントンがオバマ大統領との会見後の記者会見で、「日本のようになりたくない」と言ったそうですね。「お前さんだけには言われとうないわい!」と思ったのは私だけ?

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2010年12月10日金曜日

東照宮の三猿が教える人生訓

大洗の友人に会う序でに日光に行ってきました。日光東照宮に行くのは初めてです。

石灯籠や屋根の苔色を見ていると、私のような者でも「伝統が積み重なって文化になる」ことが分かります。人工国家が多い中、日本の歴史って相当誇れるものだと再確認しました。

神厩舎(しんきゅうしゃ)は1635年に建てられたものです。ここに誰でも知っている「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿(さんえん)の彫刻があります。実は、猿の彫刻は8面彫り込まれています(①子育て、②成長、③悩み・思春期、④旅立ち・希望、⑤挫折・友情、⑥出会い・恋愛、⑦結婚、⑧妊娠)。 猿の一生をもって人間の生涯を風刺したものだそうです。

子育て
母猿が小猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔をのぞきこむ。A mother monkey is looking far into the future of her child, and a child is looking up at the mother.

成長

子どものうちは、悪いことを「見ざる・言わざる・聞かざる」がよい。The three monkeys tells us that children should “See-No-evil, Say-No-evil, Hear-No-evil”.

挫折・友情

人生の崖っぷちにおいても、励ましてくれる仲間がいる。崖っぷちに立たされた猿。しっかりと足下をみつめる。He is frustrated in life and desperately looking down the cliff while one of his friends is cheering him up.


人生は8つの段階がシーケンシャルに推移するのではないようです。例えば、「挫折・友情」なんて人生に何度も出てきますね。

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2010年12月9日木曜日

小さい時から価値観の形成って大事ですよ

( 寒さに弱い12月の花 ポインセチア)

今日は12月8日です。30年前、ビートルズのジョン・レノンがマンハッタンのウエストサイドにあるダコタハウスの前で凶弾に倒れた日です。私の誕生日でもあります。私は凡人ですから、まだのうのうと生きていますね。特に優れたところがない私なのですが、少しばかり偉そうに、グローバルな環境で仕事をする上で一番重要なことに関してコメントします。

夏目漱石が「私の個人主義」で言っていることにも通じます。漱石がイギリスで胃が痛くなるほど考えた個人主義というのは、利己主義とか自分勝手という意味ではなく、自分のバックボーンとなる考えを確認し、信念をもって自分の道を進んで行くというものです。それは、自分だけでなく他人をも認めることなのです。

「グローバル」でも「インターナショナル」でも、言葉はどちらでもいいのですが、そういった環境で仕事をする時に大事なことは、「他者の価値観を理解すること」だと思います。全ての人の価値観が同じであることを前提としてはいけません。もし、あなたが管理職であれば、部下の価値観を理解して、行動を予測し、彼らのやる気を高め、チームとして仕事の成果に結びつくような施策を講じたり、指導する力が要求されます。

そこで、まずやらなければならないことは、自分自身の価値観をしっかりと認識しておくことです。このあたりが、イギリスで気づいた夏目漱石の「自分本位」なのです。そうした上で、あらゆるコミュニケーションを通じてチームメンバー一人一人の価値観を理解するように努めなければなりません。組織内でのコミュニケーションは、友人と無駄口をたたく(babbling)のではないので、何らかの考えをもってメンバー全員と会話をすることです。

日本人だけの職場であれば、実はそれほど大きな問題はないのです。なぜならば、暗黙知としてある文化的な背景は共有するわけですから(今のところ?)。しかし、国籍の違う人たちと一緒に仕事をする場合、彼らはあなたを意識する前に、彼らの持つ先入観を通して日本人としてのあなたを見ます。それがスタートポイントとなります。したがって、日本人であるあたなは、日本や日本人のことをよく理解しておかなければなりません。そうした上で、「自分の価値観はこうだ」と行動や言葉で仲間や部下に理解してもらうようにするのです。チームメンバーとの価値観のギャップを認識して、そのギャップをマネージするのが大事な仕事となります。

ちょっと堅苦しかったですね。先ほど、YouTubeでジョン・レノンの「Don’t Let Me Down」と「Instant Karma!」を聞きました。YouTubeに感謝です!

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2010年12月7日火曜日

常にアウトプットを意識する

図書館で「別冊太陽 三島由紀夫」を借りてきました。

三島由紀夫の自筆原稿や書簡が写真で多数紹介されています。三島由紀夫という人は、常にアウトプットを考えて創作したり死ぬまで人生を送っていたことがよく分かります。私みたいに思いつきで非論理的な文章をブログにアップするのではありません。比較するなんて失礼ですね、何を考えているのでしょう。

(金閣寺の創作ノート)

三島由起夫のことばかり書くと有らぬ誤解をされかねないので、本日のメッセージです。「常にアウトプットを意識して考えたり行動することは大事だ」と言うことです。

我々のようなコンサルティングビジネスでは非常に重要なことです。メンバーで議論に議論を重ね、時間をかけて膨大な資料を作成しても、クライアントへのプレゼンテーションでうまく伝えられなければ価値はないのです。

30年近く前、北京でアメリカ人の先輩と仕事をしていた時のことです。アメリカ人と言っても、元々はベトナム人で、後にアメリカ国籍を取得した大変頭脳明晰な女性でした。彼女からは色々と学びました。私の電子メールの書き方の問題点を指摘してくれました。それは、「1ページ目に結論を書け」ということでした。「マネジャーは忙しいので、電子メールが長いと2ページ目は読まないよ」と言うのです。これも、アウトプットをよく考えてアクションをとるということだと思います。

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2010年12月5日日曜日

なぜ子どもにとって読書は大切か?

( 井の頭公園のイチョウ)

戦後を代表する文芸評論家の故江藤淳さんは、『閉ざされた言語空間』(文春文庫)で占領軍の検閲と戦後日本の問題点を鋭く指摘しました。昭和の戦争で日本の軍部さえもやらなかった、徹底的な言論弾圧をアメリカ占領軍が行ったことがよく分かります。

今回は、江藤淳さんの「閉ざされた言語空間」を語るのではなく、「言語空間」という題名だけを拝借したいと思います。

人間は頭で思考する訳ですが、思考には言葉が存在します。日本人であれば日本語で考えるのです。この考える空間、つまり「言語空間」の大きさが問題です。「言語空間」が広ければ広いほど思考は深まります。そして、話をしていて楽しい魅力的な人にもなります。「言語空間」が広がると言うことはどういうことかというと、沢山の語彙や修飾語、そして、文章を知っているということです。それらがつながってストーリーとなります。私は威張って言うほど日本語を知っているわけではありませんが、今の日本のマスメディアや政治家先生、ビジネスパーソンの言語空間は一体どうなっているのかと驚くことがあります。

英語や中国語などの外国語の勉強では単語や文章を記憶します。日本語も同じです。カッコいい表現や教養がありそうに見える単語はいつでも使えるように自分の「言語空間」に在庫しておかなければいけません。政治家を志そうなんていう人は特に必要ですね。

ここ2~3日、三島由紀夫の『金閣寺』を読みました。

『金閣寺』は、現実を上手に生きることができない、今で言うと、引きこもり系の主人公が、最終的には放火することによって金閣を滅ぼして現実を生きていこうとするストーリーだと言われています。最初は10代後半に読みました。面白くなかった。20代か30代の頃にまた読みました。面白くなかった。今回は三度目です。すごく面白かった。三島由紀夫が何を言いたいのかが、自分なりに分かったような気がして嬉しくなりました。物語の最後は不可解にも「生きようと私は思った」で終わるのですが、恐らく、「戦後の日本はからっぽだけど、生きようと思った」のでしょう。私の「言語空間」も少しは広がったのかも知れません(もう手遅れ???)。

要するに、読書は大切だという話でした。10月に『読書のすすめ』も書いていますので読んで見て下さい。 http://www.ibg-kodomo.blogspot.com/2010/10/blog-post_17.html

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2010年12月1日水曜日

井の頭弁財天の手水舎(ちょうずや) ~ 12月

暖かく天気がよかったのでカメラを持って井の頭公園を散歩しました。12月に入りましたが、まだまだ落葉進行中でした。驚いたことに、カメラ小僧ならぬカメラ中高年でいっぱいでした。私は思わず持っていたカメラをカバンの中に隠してしまいました。

自民党ホームページで以下の文章を見つけました。結党の精神の一部で、昭和三十年十一月十五日とあります。

{前略}

国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。

思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである。
 
{後略}

55年間も考える時間があったのに、日本の政治って、まったく進歩なく漂流を続けているのですね。

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2010年11月30日火曜日

@上海浦東国際空港

上海の物価は上がりました。1年前だと浦東国際空港から市内までのタクシーは150元(約2000円)でした。上海万博が始まった頃から180元になり、今日は219元でした。日用品に関して言えば、香港よりも物価が高くなっているそうです。

上の写真は、浦東国際空港のコーヒーショップです。インターネットの接続は無料です。勿論、このブログやYouTube、Facebookへのアクセスはできません。日本にある弊社のサーバーへのアクセスもできなくなっていました(夏にはできたのですが)。コーヒーは50元~60元で、私が食べたチャーハンは68元(800円)でした。空港とはいえ高いですよね。ちなみに、弊社の若者がランチの値段として安いと感じる価格は6~8元(70~100円)です。

上海市内の不動産価格は下落していないようです。給与水準も上がっているので健全なエコノミーと言えるのでしょうか? 政府発表の統計値がどうであろうと、失業率は確実に上がっていると思います。投機対象が、わかり易い不動産や株から生活必需品に移ったり、新たな金融派生商品なんかが出てくると危ないですね。

上海市内の果物屋(果物の品質は良くなっていますが、価格上昇が驚くばかりです)

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2010年11月26日金曜日

(続)JALの機内食がお弁当に!? 


このお弁当、味は結構いけています。以前の機内食よりずっとましでした。無料のメルローも合格です。味噌汁は紙コップでしたが、、、。

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2010年11月25日木曜日

JALの機内食がお弁当に!?

JALのエコノミーの機内食が、とうとうお弁当になりました。でも、酒類は無料なのでOKです。

上海へ向かう飛行機の中でNHKニュースをみました。今日11月25日は、三島由紀夫が市ヶ谷で自刃した日です。没後40年ということで、ニュースでは特集をやっていました。三島事件を、軍事クーデターの側面だけにスポットをあてたNHKの番組作りには非常に違和感を感じました。私だけですかね、、、?

三島由起夫は、日本人による日本の自主的な防衛を主張しました。自衛隊による「自主防衛ごっこ」ではなく、国家と国民の間にアメリカが存在するのではなく、つまり、日本国民がアメリカの介在なく世界と対峙すべきであること、そして、それが戦後の終焉であり、日本の独立を意味することを言ったのだと思います。多くの評論家が、今でも「三島由紀夫の『楯の会』こそが軍隊ごっこではないか」と批判しているようですね。しかし、三島由紀夫は、日本や日本人を考えた。天皇の存在も考えた。そして、哲学者のように人間の生や死を考えたのだと思います。

三島由紀夫は、戦艦大和の生き残り将校である吉田満と親交がありました。吉田満は、著書「戦艦大和ノ最期」の中で臼淵磐(うすぶち いわお)海軍大尉の発言として以下のように書いています。

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本は救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」(「戦艦大和ノ最期」より)。 http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/08/blog-post_9592.html

恐らく三島由紀夫も吉田満と同じような気持ちだったのだろうと思います。「自分と同年代の若者は、一体何のために戦争で死んだのか?」と問い続けたのです。「死ぬには大義が必要であり、人は大義がないと死ねない」。戦後の日本は、三島由起夫にとって、あまりにもカラッポの世界になってしまったのでしょう。

昨日、横須賀からアメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンが黄海にむけて出港しました。ジョージ・ワシントンの母港は日本の横須賀です。沖縄が日本に返還されても戦後は終わっていないのですね。誤解しないでくださいね。私は日本共産党や社民党の代弁をしているのではありませんよ。

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2010年11月24日水曜日

童謡「むすんでひらいて」、誰の作曲?

帰国後1年3ヶ月。しばらく忘れていた日本の問題点が蘇っています。デジャブですね。それは、日本人には「契約」の概念が稀薄だということです。日本人だけだと気づかないことなのですが、現実は列島の外との関係は断ち切れないわけで、「契約」は十二分に意識する必要があります。

契約概念の基礎は、学校教育で教わっておくと少しは違うかも知れません。

ヨーロッパの宗教戦争から近代国家の成立、フランス革命からイギリス産業革命、そして、重商主義や帝国主義、ドイツの勃興から第一次世界大戦、このあたりを教えて、遅れてやって来た日本と比較対象させて歴史を教えるといいと思います。そもそも世界史と日本史を別々に教えるのはオカシイのです。同時に、社会思想や哲学も学ぶことができます。もしかしたら、私が知らないだけで、こういった議論や試行は学校(中学・高校)で既に行われているのかも知れません。

このように歴史を勉強すると、近代国家の成立過程、国家と国民の関係、国家と国家の関係が理解できると思います。宗教戦争や魔女狩なんてなかった文明国日本は、自己防衛を国家というエージェント(近代国家)にアウトソースするなんて必要がなかった。アウトソースには「契約」が必要で、それは、国家と国民の間にある「保護」と「忠誠」という契約関係なのです。実際にはお金を払って契約するわけではないので、自発的な貢献としての「愛国心」なんてものが登場するのです。

ホッブス、ロック、ルソー、そしてモンテスキューがそれぞれ何を言ったかは、受験戦争や公務員試験にでるかも知れません。しかし、大事なのは彼らが生きた時代背景や彼らの主張の必然性を理解することでしょう。ルソー「社会契約論」なんて、日本の受験生は言葉として誰でも知っているのでしょうが、どういったことなのかを説明出来る人は果たしてどれほどいるでしょうか? もしかしたら日本の政治家先生も、ホッブスのような政治思想家が考えた事なんて関心がないのかも知れませんね。

質問の正解は、「ルソー」です。ご存じでした?

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2010年11月23日火曜日

談合坂ロード ロングバーム 50cm


談合坂の由来は、はっきりとしないようです。北条氏と武田氏の和議調停の場だと理解していましたが、犬・サル・キジが桃太郎の家来になる約束をしてダンゴをもらった所だからという説もあるようです。

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2010年11月22日月曜日

14年前の会話

昨日、中国人の友人Q君から電話をもらいました。出張で高松を訪れているそうです。初めてQ君と会ったのは30年前の上海です。

少し長くなりますが、14年前のQ君との会話を紹介します。当時、Q君は日本に住み、私はニューヨークにいました。今の日本を見ていると、進歩がないどころか、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東の文化大革命時代みたいですね。

「中国は、人権問題では『発展途上国にとっての人権はまず生きるための生存権だ』と自らを『発展途上国』として逃げ、実際は自らを『大国』とした外交を行う。核実験では軍の現代化(近代化)の必要性から他国の非難を受けながらも決して譲ることはない。これらは政治・外交に強い中国であり、ボーダーレスの21世紀を生き抜く国としては日本よりたくましい」

Q君「『衣食住足りて礼節を知る』という孔子の言葉で解釈すれば、生き抜くための基本的なレベルに達してはじめて礼節を知ることができる。礼節とは人権や民主主義といった意味もある。中国は、『大国』になるまで、少なくともあと数十年が必要である。『中国脅威論』はある種の神経質に過ぎない」。

「中国は共産党政府の社会主義体制の中、民主主義の議論をすることなく経済を優先させているように見えるが、国民は『民主主義が先か、経済成長が先か』の問題に関してどう考えているのか?」

Q君「国民は安定した社会を望んでいるし、民主主義が先か経済成長が先かという議論を考える余裕はない。いずれにしても民主主義が先に実現しても経済成長が見込めないし、経済成長して民主主義を避けて通ることもありえない。どっちが先にするかではなく、中国の実情に合う時代の流れに任せたいのは中国人の一般的な考えである」。

「日本は民主化せず経済を優先させて敗戦後半世紀が過ぎた。日本の戦後民主主義は自分で考えることなくアメリカに用意してもらったものである(大正デモクラシーとは別)。戦後日本は、焼け野原の日本を復興させることに無我夢中であったため『日本の民主主義』を考える暇はなかった。そして、世界の国々も日本が軍国化または、共産化しない限り何も言わなかった。ところが日本が『大国のようになった』今、アメリカをはじめ世界は日本を民主主義に基く先進国と見ている。日本政府はこのギャップを早急に埋める方向で政治や外交を考えるべきだ」。

Q君「日本は終戦後に一早く社会市場経済を実施し、大成功をおさめた。その後、韓国、台湾、香港、シンガポールも同じ道を歩んだ。民主主義の初期段階では権力者がおまえは『民』、おれは『主』だと考えている。本当の民主主義になるまでは長い年月がかかる。日本の民主主義は戦後50年かけて一番成熟した民主主義だと思う」。

「中国では学生や知識人がこれからの国際社会の中での中国を考えているから1989年の天安門事件が起きたのではないか? 一方日本は、ポスト冷戦時代の国際関係に入って行こうというのに、『すでに国際社会の大国(国家)である』と錯覚している。中国では知識人でかつ若い人がナショナリストである。これは日本と比べて救いのある点だ。日本の若者がナショナリストになると、軍国主義(帝国主義)が復活する恐れがあると思いますか?」

Q君「日本の若者の大多数は、政治に対してほとんど無関心で、有権者といっても選挙で投票しない。それぞれ仕事に熱中するか、遊びに熱中するか、平和な社会に恵まれてナショナリストにはなれないと思う。一方、中国の知識人でかつ若者は豊かさを目指して金儲けに走っており、物質文明を追求し、精神文明を忘れている。中国人は国産品を嫌い、外国製品を好んでいる。国の利益をあまり考えていない。納税意識の薄い国民はナショナリストになるはずがない」。

「中国政府は社会意識や価値観の多元化を実現するために地方分権体制や開放政策をとっているように思う。価値観の多様化や多元化が世界の大国、先進国であるための大前提であると考えているかのようである。これは日本にはないところである。日本社会の本質は均一化、平均化することである。日本では資本主義の論理は働かない」。

Q君「日本は単一民族であり、単一言語の国でもある。均一化、平均化しやすい国である。一方、アメリカは移民によってできた国なので、多様な価値観、文明を存続する事も必要である。中国は均一化することも不可能だし、多様化、多元化しすぎると国全体が解体しがちである。日本社会の均一化は社会主義市場経済によるもので、産品の品質管理、優れた産品を生産するのに欠かせないので、決して悪いとは思わない」。

「社会的格差をなくするのが日本の社会だ。中国は競争原理を前提とする『市場経済』を目標としている。中国では社会主義が無意味になった。日本は社会主義(日本型社会主義)を名乗るべきではないか? 中国は全体主義の毛沢東から民主主義の市場経済を目指している。一方日本は、近代国家をつくるはずが、全体主義に陥り『がんばるぞ!』をベースにした会社を中心とする『日本型社会主義』をつくってしまった」。

Q君「中国の社会主義市場経済は新しいものではない。日本の市場経済そして韓国、香港、台湾、シンガポールの経験を借りて実施したものであって、今の中国は社会主義の要素が残っていない。社会主義の看板をおろせば日本とほぼ同じものである。さしあたっては、良い選択だと思う」。

「中国の大きな問題は依然として残っている。『中国の危険性』はやはり政府の不確実性だと思う。政治を見ると、不透明な部分が多すぎる。経済では民主化を目指し、政治は権力者の都合のいいように不透明にしておくことはできない。軍部を強化し飼い慣らして、自らを守るドーベルマンにしようとしている限り問題は残る。

Q君「まったく同感だが中国人は商人なので、不透明な部分が多い。不透明があるこそ将来のことを占う楽しみがある。また商人にとっては問題があるから商売になる。混乱があるから金になる。アメリカ、日本みたいに先のことを誰でも透明に見えるのは、ビジネスチャンスがほとんどないと思う。リスクがあるから金儲けができる」。

1996年4月11日

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2010年11月20日土曜日

「バスに乗り遅れるな」の精神状態


どの国も「義」なんてなくなって、「利」ばかりを追究しているのでしょうね。それが、そもそもグローバリゼーションの本質です。アメリカや中国なんて典型ですね。 だったら、、、日本も? 「バスに乗り遅れるぞ」ってか?

論語と言うのは素晴らしい。江戸時代の藩校や寺子屋ではみんなが勉強したのですよ。

子曰、君子喩於義、小人喩於利

子曰く、君子は義に喩り(さとり)、小人は利に喩る。

孔子が言った。学徳ともにすぐれた君子と言われる人物は、物事の理にかなったこと(義)に敏感であり、 器量がない小人は、利益に敏感である

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2010年11月18日木曜日

最高のオモチャを与えてくれた ~ レス・ポール


「レス・ポールの伝説」というDVDをアマゾンでオーダーしました。20年もニューヨークにいたのに、レス・ポールのステージを生で見なかったことが悔やまれます。レス・ポールは2009年に94歳で亡くなる直前まで、毎週月曜日はマンハッタンのイリジウムというジャズ・クラブで演奏していたのです。

映画の最後のほうでレス・ポールが言います。

It's great that we can do something make people happy !
(人をハッピーにできることなんて最高じゃない?)

これって人生で最も大切なことかも知れませんね。 エレキギターの原型をつくり、多重録音技術を発明したレス・ポールは、ローリング・ストーンズのキース・リチャードが言うように、「俺たちに最高のオモチャを与えてくれた」のです。

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コーヒーの自動販売機



久しぶりに長距離ドライブ。
東名を走り関西方面へ。帰りは中央自動車道から東京に帰ってきました。

コーヒーの自動販売機には驚きました。一杯ごとに豆を挽き、ドリップ中の映像を生で見ることができるのです。こんなの日本人しか考えないでしょうね。

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2010年11月17日水曜日

物持ちが良い

15年ほど前に購入した椅子が壊れました。肘掛けがとれちゃいました。










新しいモノはいいですが、好きなモノを長く使い続けるのはいいものです。自分で修理しようと思ったのですが、ねじ山などの規格がこのメーカー独特のもので無理でした。
修理してくれるところをネットで探して元通りに直してもらいました。

長年使うと愛着がでるものです。この椅子は、人間工学なんか全く取り入れていません。座り心地? あまり良くないですね。しかし、高い背もたれに身を沈めると、家の中だけでもエクゼクティブになったように感じます(なるべく肘掛けには触れないように、、、、)。


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2010年11月16日火曜日

なぜ『三四郎』の広田先生に登場してもらったか?

先週のブログで「三四郎」の広田先生の言葉を引用しました。佐伯教授が産経紙面で明解に説明されていましたので、ご紹介します。さすがに大学の先生ですね。

グローバリゼーションが進めば進むほど、各国は自国の利益を追求します。つまり、ナショナル・インタレストが最大限になるように行動します。そして、それが突き進むとウルトラナショナリズムになり、国家が成熟していない場合、戦争となるのです。第一次世界大戦前のドイツだったり、先の大戦前の欧米の植民地政策やそれに続いた日本ですね。佐伯教授が「経済問題の根底には『グローバリズム』という現実があり」と言われているのは、そういったことだと思います。そして、今の日本の問題の根底には日本の変則的な国家体制がある。敗戦後65年もの間、本質的な問題解決を先送りしてきた訳です。これが「三四郎」の広田先生の言葉を引用して私が伝えたかったことでした。

【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 政治への過剰な期待と失望 (2010.11.14 03:23 産経新聞)

(前略)

尖閣強硬論の世論は軍備増強や憲法改正に賛成するのであろうか。必ずしもそうとも思われない。また、菅政権を批判する自民党もそこまではいわない。そうだとすれば、この問題についても、多くの人々はただ感情的な不満をぶつけているだけということになる。

こうしたことが民主政治をきわめて不安定にしてゆくように思う。経済問題にせよ、防衛問題にせよ、今日の課題は、容易に解答が得られる種類のものではない。経済問題の根底には「グローバリズム」 という現実があり、防衛問題の根底には「平和憲法プラス日米安保体制」という変則的な国家体制がある。これらのことがらを先送りにして小手先の対応を迫られる政治にできることは限られている。にもかかわらず政治が問題を解決できなければ、人々はすぐにその政権を見限る。その結果、政治そのものが著しく不安定になってゆくのだ。それは政権政党が民主党であろうが自民党であろうが同じことであって、民主政治というものは、いくら国民が主権者だといっても、政治に対する過度な期待と過剰な失望を自制しなければうまくゆかないであろう。

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2010年11月12日金曜日

『三四郎』 ~ 広田先生の警鐘

(早朝のJR三鷹駅)

夏目漱石の『三四郎』のはじめの部分に、熊本から東京の大学に入るため東京へ向かう三四郎が、汽車の中で髭の男と会話を交わす場面が出てきます。この人は、東京で再会することになる旧制一高英語教師の広田先生です。

漱石は、広田先生に「魂なく日本が発展しても、それは真の発展ではなく、似非であり、日本は滅びる」と言わせたかったのでしょう。漱石の警鐘は、先の大戦で現実となり日本は滅亡寸前まで行きました。その後、敗戦をゼロスタートとして経済成長を最優先し、先進国家の一員になりました。しかし、それはmake-believe(ごっこ)の世界だったのでしょう。現実を直視しない国ごっこが65年も続いてしまった。明治が目指そうとした近代国家さえ未だに出来ていなかったのかも知れませんね。

今の日本の状況を念頭に置いて漱石の『三四郎』を読んで見て下さい。楽しめますよ。

髭の男は、「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが」、「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。

三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」
と言った。

(中略)

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」

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2010年11月10日水曜日

三省の日々です

(夜明け前の吉祥寺駅前です。ISO400、露出 1/60、手持ちでの撮影です。私の腕ではなく、あくまでもニコンのVRレンズ(手ブレ補正内蔵レンズ)のおかげです。 カメラはD90)。

コンサルティング・ビジネスは、商品がサービス、つまり、人によって提供されますから、コミュニケーション・スキルは大切です。コミュニケーション・スキルとは、ただ単に、プレゼンテーションが出来るとか、ミーティングでファシリテーションができるとかではないのです。

論語には、コンサルタント育成に使える指標が数多くあります。以下の文は、コミュニケーション・スキルの核心を衝いています。これは、カウンセリングを行うときにカウンセラーが注意すべき点でもあります。

曾子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。

曾子曰く、吾(われ)、日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)と交りて信ならざるか。習わざるを伝うるか。

孔子の門人の曾子言った。私は一日の中で何回も何回も(三たび)、以下の点について反省する。

  1. 他人のために相談に乗った時、本当に誠意をもって考えてあげたか?
  2. 仲間との交際において、十分に信義を尽くしたか?
  3. 自分がちゃんと理解していないことを、他人に教え伝えはしなかったか?

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2010年11月8日月曜日

穏やかな日本の朝

愛国心って、英語ではパトリオティズム(patriotism)です。パトリというのは郷土のことですね。愛国心なんてものは、列島の外から日本を見ないと感じることはないかも知れませんね。自己防衛意識と同じです。

政治家先生が、「偏狭で極端なナショナリズムを刺激しないことを政府の担当者として心すべきだ」と言っているようですが、どうでしょうね、今の日本の教育ではナショナリズムどころか、パトリオティズムすら醸成できないでしょう。

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2010年11月7日日曜日

「吾輩は猫である」で今の日本を考える

YouTubeの投稿がきっかけとなって、日本が変わるかも知れませんね。65年もの間、タブーになっていたような議論がYouTubeや2チャンネルを媒体として活発になってきました。日本のTVや新聞メディアの人たちは「現状を真摯に受け止める」のか「遺憾に思う」のか、どちらでしょうか? われわれ大衆は、ますます「事物を疑って取捨を断ずる事(福沢諭吉)」が重要になってきます(http://ibg-kodomo.blogspot.com/2009/12/blog-post_16.html)。

明治維新を跨いで生きた福沢諭吉は勿論ですが、明治の文豪も文学を通じて「国家」を考えました。夏目漱石は、「吾輩は猫である」の登場人物の一人である八木独仙(やぎ どくせん)君に、以下のように発言させています。

「中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方が余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない」。

「永久満足ができるものじゃない。去ればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通すことが出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ」。

これは、「吾輩」の飼い主で英語教師の珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)君が、隣の中学校の野球部の生徒とボールが自宅の庭に飛んでくることで、もめていることに関して、哲学者である八木独仙君がコメントしたものです。「中学生」って、日本の北や南や西に位置する隣国と同じじゃないですか?おっと、忘れていました。太平洋を挟んでずーっと東にも、小学生のような国がありましたっけ。

今の日本の政治家はどうなっているのでしょうね? 政治家なのに「国家の利益(ナショナルインタレスト)」を考えずに、自分のエゴを全面に押し出すようです。

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2010年11月4日木曜日

オバマ大統領 “自分の責任”、、、日本の政治家は?

オバマさんの民主党が中間選挙で歴史的な大敗を喫しましたね。アメリカの経済や雇用状況が非常に良くないということです。10年前の世界経済では、アメリカが世界の需要をひっぱっていました。アメリカが世界中からモノを買い、日本がお金を出すという構造だったのです。

2009年11月オバマ大統領が来日しました。もう1年、早いですねぇ。

昨年、オバマ大統領は日本およびアジアに対する演説を東京で行いました。当時の鳩山首相はオバマ大統領の演説を待たずにシンガポールへ旅立ってしまいました。シンガポールで同じ会議に出席するというのに、、、。そう言えば、シンガポールで鳩山さん、ロシアのメドベージェフさんと北方四島に関して何か話をしていましたね。

昨年、オバマさんが何を訴えたのか復習しておきましょう。

1.パクス・アメリカ-ナの終焉 ~ アメリカはもう強くないのよ、日本も自立してちょうだいね。

2.共通の価値観 ~ 日本は価値観を共有する仲間だよね?(基本的人権、民主主義、自由と平等)。価値観を共有する国同士の互恵が大事なのよ。

3.核について ~ 将来的には核廃絶を望むけど今は無理。アジアにだって急速に軍拡している横暴な国があるよね。

4.対中政策 ~ 中国に民主化をお願いするのは諦めたよ。今はアメリカ製品をどんどん買ってくれればそれでいい。アメリカだけが消費国なんてもう無理。

5.日本へのメッセージ ~ お願いだから、国際情勢をよく理解して。日本は独立国家なんだから、そろそろ自立してね。

さて、APECではどんなメッセージになるのでしょう? それにしても、ここ1年ちょっとの間に日本は随分と沈んだものです。責任のとれるリーダーの存在は不可欠ですね。

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2010年11月3日水曜日

自家製クリームあんみつ















赤えんどう豆入りの自家製クリームあんみつ。赤えんどう豆は薄い塩味で、これだけでビールのつまみになります(赤エンドウ豆は、右の写真の寒天の下に見えます。トップにあるのは小豆)。



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2010年11月2日火曜日

人間なんて、、、

日本人というのは、本当に無駄とか余裕が嫌いですね。 

それに、欠点が全く無い完璧を目指します。 アメリカや中国なんて欠点だらけですよ。問題があるのは当たり前、問題だらけの中から良いものをピックアップして前に進もうとします。たまには強引に。

日本は完璧になるまで前に進めません。問題が100%解決しないのに、余裕なんて見せたら総攻撃にあってボコボコにされてしまいます。私は「無駄とか余裕から魅力が生まれる」と言い続けているのですが、日本ではあまり受け入れてもらえませんね。だから長年日本にいなかったのかも知れません。

「しわけ」なんて簿記の世界の話(仕訳)かと思っていたら、政治の世界で人気があるようですね。理解不能です。 ギリシャ哲学の世界から、ヘーゲル、マルクス、そして毛沢東と、「矛盾」ということが論じられてきました。なぜでしょうね? 

私は「人間なんて生まれてから死ぬまで矛盾との戦いだからだ」と勝手に納得しています。「矛盾をいかに解決するか」、「矛盾とどう向き合うか」が、人間そのものなのだと思います。 人間が矛盾そのものなのだから、人間が行う政治とか、特に、外交なんて矛盾や葛藤の塊のようなものでしょう。「遺憾だ!」と列島の中で叫んでもね、、、、。
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2010年10月30日土曜日

「足るを知る」って日本人だけのもの?

上海料理の青菜豆腐です)

昨日、台風14号の風雨と共に上海から帰国しました。 今日だと上海-成田は全てキャンセルでした。危ないところでした。

エリック・ホッファーは「情熱的な精神状態」の中で、以下のように言っています。

『「もっと!」は、不平不満の空想家によって作り出されたモノのように、非常に効果的な革命スローガンだ。足るを知らないアメリカ人は永遠に革命的だ。彼は変革を誇りとする。つまり、まだ所有していないものを信仰し、獲得のためには人生(命)をかけようとしている(“MORE!” is as effective a revolutionary slogan as was ever invented by doctrinaires of discontent. The American, who cannot learn to want what he has, is a permanent revolutionary. He glories in change, has faith in that which he has not yet, and is ready to give his life for it.)』 。

中国のウルトラ格差社会は日本でも報道されています。しかし、本当の問題は、お金持ちが正当にお金持ちになっていないことなのです。「官二代」や「富二代」は最近の中国メディアで耳にする言葉です。「官二代」は、ワイロやキックバックをもらって金持ちになった官僚や公務員の2代目のことで、「富二代」は、倫理的に正しくないことをしてでも金を稼いだ金持ちの二代目のことを指しているようです。

アメリカ人は、所有していないものを獲得するために人生をかけるかも知れません。ところが、中国の人の中には、獲得するために他人の人生(命)を軽視する人たちが多いことだけは確かです。

日本人だけが「足るを知る」を行動倫理とした場合(外交の力なく)、日本列島はあっという間に日本人のものではなくなるでしょうね。ストレスフルな上海から日本に帰ってくるとホッとします。胡錦濤・温家宝政権がスローガンと掲げる安定した「和諧社会」(協調社会)のロールモデル(お手本)は日本であることは間違いないのです。

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2010年10月29日金曜日

文明化にはデリカシーが必要だ





皮蛋(ピータン)は、食べ過ぎると鉛中毒になるんですよ。ご存じでした? 製造過程でタンパク質を固めるために一酸化鉛を使用するからです。右は焼き小籠包(生煎包)です。焼き小籠包なんて、10年前にはなかったですね。

上海万博の最後の週ということで、地方からのおのぼりさんで上海のホテルはいっぱいです。日本からの旅行客が少々減ろうが平気なのですね。殆どの中国人は尖閣列島の問題なんて知りませんが、、、。

ホテルの朝食はビュッフェスタイルになっています。おのぼりさん中国人宿泊客を見ていると、この国の文明化は何十年もかかるだろうと思いました。まだまだ動物の域から遠ざかっていないのです。人間も動物ですが、むき出しの姿を出してはいけません。行儀作法は国ごとに差異はあるのでしょうが、それ以前のデリカシーの問題ですね。


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2010年10月26日火曜日

中国って民主化すべきなの?

昨日は、ibg上海オフィスの若者10数名とお弁当を食べながら議論をしました。みんな上海の有名大学を卒業して1~3年です。中国の受験戦争を勝ち抜いてきた若者たちです。ただし、大手有名企業ではなく、我々の会社にいるということは、世渡りにおいて少々不器用な面があるのかも知れませんね。

彼らに、「『毛沢東選集』を読んだことある?」と聞いたところ、驚いたことに一人も読んでいなかったのです。そのかわり、彼らの中には、日本のアニメから「友情」とか「信義」といったことを肌で感じ取っている連中もいました。毛沢東の話では盛り上がりませんでしたが、日本の若者文化には興味津々のようです。

中国の若者全体を見れば、右翼もいれば左翼もいます。極端な愛国主義者もいます。ノンポリもいるし、日本のサブカルチャーにどっぷりと浸かっているオタクもいます。各種各様になってきています。これは中国の大きな変化です。そして、日本では想像できないようなウルトラ格差社会の中で生きている。更に、日本の10倍のインパクトで高齢化社会がやってくる。

欧米諸国や日本からは中国に対する民主化のプレッシャーが高まっていますが、中国共産党幹部は民主化の危険性をよく承知しているのだと思います。民主化して狂信的な愛国主義者が選挙でリーダーにでもなれば、日本列島なんて一日にして侵略されてしまいます。

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2010年10月23日土曜日

ちょっと虎穴に入ってきます。。。

しばらく上海に行ってきます。

「君子危うきに近寄らず」なのか、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」なのか?

毛沢東は「矛盾論」(『毛沢東選集』 第一巻 1937年8月)のなかで次のように言っています。

「社会の変化は、主として社会の内部矛盾の発展、すなわち、生産力と生産関係との矛盾、諸階級のあいだの矛盾、新しいものとふるいものとのあいだの矛盾によるものであり、これらの矛盾の発展によって、社会の前進がうながされ、新旧社会の交代がうながされる」。

中国の矛盾はいっぱいありますが、政治(共産党独裁体制)と経済(資本主義市場経済)が矛盾の本質です。国内と国外の間の矛盾を拡大(発展?)させながら、政治と経済の矛盾をマネージしているのでしょう。一党独裁なので政権交代はない訳ですから、旧ソ連や東西ドイツのようになるか、北朝鮮の方向で行くかのどちらかですね(政権交代って後退する場合だってあるのですが、、、)。

毛沢東はヘーゲルの「矛盾」の論理をうまく利用したのですね。自由と民主主義の部分は強調しなかった訳ですから。

さて、上海の様子はどうなっているでしょうか、、、。

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2010年10月21日木曜日

葉隠 ~ 武士のコーチング

最近、コーチングとかカウンセリングとか流行っているのでしょうかね?よく耳にします。メンタリングも同様に、それぞれが意味するところは曖昧です。正確な定義などないのでしょう。他人に意見をするのは難しいことです。私なんか10年ほど前までは何の迷いもなく、「コーチングとはこうだ」、「カウンセリングとはああだ」と臆面もなく言っていましたね。今考えると赤面ものです(私の人生は赤面ものが多すぎる、、、、)。

人に意見するのは本当に難しいことです。他人の長所や短所を見付けるのは簡単です。普通、短所を見付けることは長所を見付けるよりも簡単です。何でも批判することは簡単ですが、相手に理解してもらい、改善してもらうことは難しい。以下は、重要なポイントです。

① 相手の性格を見きわめる
② 相手との距離を考える
③ 言い方やタイミングを選ぶ
④ 相手に気づかせるように話す

これは、アメリカのコーチングやカウンセリングのメソッドを拝借して言っているのではありません。「葉隠」の中にあるのです。

「人に意見をして疵(きず)を直すと云ふは大切なる事にして、然(しか)も大慈悲にして、ご奉公の第一にして候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。およそ人の上の善悪を見出すことは易き事なり。それを意見するもまた易き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひにくき事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば、力に及ばざる事と云ふなり。何の益(やく)にも立たず。ただ徒(いたずら)に、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり」。(後略)

さて、三島由紀夫は「葉隠入門」でどう言っているのでしょう?

男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは思いやりの能力である。武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えながら、現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。常朝(「葉隠」の著者である山本常朝)は人に意見をするにも、次のような配慮と、次のようなデリカシーをつぶさに説いている.。(中略) 彼が人に忠告を与えることについての、この心こまかな配慮をよく見るがよい。そこには、人間心理についての辛辣なリアルな観察の裏づけがあるのであって、常朝はけっして楽天的な説教好き(人間的にもっとも無知な人びと)の一人ではなかった。

三島由紀夫は、「デリカシー」という言葉を使っています。このあたりが三島らしいところですね。私も楽天的な説教好きの一人にならないようにしなければ(遅きに失する?)。失礼しました。

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2010年10月20日水曜日

ローリング・ストーンズ


ローリング・ストーンズのDVD 『Ladies and Gentlemen(レディース&ジェントルメン)』 を手に入れました。1972年の 『メイン・ストリートのならず者』 リリース後の北米ツアーを収録した映像です。中学高校時代、私の頭の中では、いつもミック・ジャガーが歌っていましたね。当時、優等生はサイモンとガーファンクル、普通の子はビートルズ、そして、不良のガキはローリング・ストーンズと相場が決まっていたのです。2年前にNYで、「Shine A Light」というストーンズの映画を見たところ、ミック・ジャガーは歌が上手いということが分かりました。40年近く、ミックは歌がヘタだと信じてきたのですが、ミックには悪いことをしました、、。

「では、果たしてキース・リチャードはギターが上手なのか?」、 仮説をたてて検証するとしましょう。コンサルタント的アプローチです。

仮説は、「キースはギターが下手なので、オープンGコードで誤魔化している」です(オープンGは左手で弦を押さえず右手で6弦全部を同時に鳴らすとGコードになるチューニングです)。

キースの演奏をYouTubeで100回近く見ました(暇ですねぇ、ちゃんと仕事しているのでしょうか?)。YouTubeは本当に便利です。たくさんの映像がUPされています。キースはチューニングをオープンGコードにして、6弦を弾かずに適当にフィーリングでやっているだけのように見えます。映像によっては6弦を張らないで、1弦から5弦だけの5本で弾いているところも確認されます。大御所は、弦が5本しかなくたって、エレキでカポを使ったって、誰にも文句をいわせないのです。ミストーンが何だ、もともと何が正しい音なのかわかりゃしない。とにかく若いキースはカッコいいのです。

ローリング・ストーンズの代表曲は、オープンGで弾いてみると結構簡単に弾けてしまうことが分かります。『Ladies and Gentlemen』でもオープンGが主体です。

、、、とすると、私の仮説は正しい?

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2010年10月19日火曜日

葉隠 ~ 生きる事と見付けたり

多くの人が「葉隠」を知らないのは残念だと思います。例え知らなくても、内容に関して大きな誤解があるのは甚だ遺憾ですね。遺憾だなんて政治家の言葉みたいで嫌ですが、、、。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と言えば、「知っている」、「聞いたことがある」と答えられるかも知れません。恐らく、この部分だけが強調されて、「葉隠」がファナティックな武士の指南書であると思われている証拠でしょう。

三島由紀夫は、「葉隠入門」(新潮文庫)のプロローグでズバリ核心を衝いています。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というその一句自体が、この本全体を象徴する『逆説』なのである。わたしはそこに、この本から生きる力を与えられる最大の理由を見いだした。

逆説なんですね。「葉隠」は、死ねと言っているのではなく、一日一日を精一杯生きろと言っているのです。これまで何度もこのブログに出てきた「Seize The Day(今日を生きる)」と同じことなのです。三島由紀夫が「葉隠」の「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」に共感して自決したという評論家も多いのですが、「葉隠」も三島由紀夫も、現代の評論家先生が考えるほど単純ではないと思います。(「葉隠入門」は三島由紀夫が自決した3年前の昭和42年に書かれました)。

三島由紀夫は、「毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを『葉隠』は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるを得ない。われわれの生死の観点を、戦後二十年の太平のあとで、もう一度考えなおしてみる反省の機会を、『葉隠』は与えてくれるように思われるのである」と言っています。

人間が死ぬと言うことは、ソクラテスやプラトンの時代から今日に至るまで何も変わっていないのですね。どんどん意識しなくなっているだけです。死ぬことは自分でコントロールできません。いきなりやって来る。そのタイミングが最善か最悪かは運命です。だから、毎日を無駄にするなということなのです。つまり、「Seize The Day」なのです。

三島由紀夫が憂いた日本の太平はとっくの昔に終わり、とうとう沈みだしているように思います。 「葉隠」の主張は、「Seize The Day (今日を生きる)」といった点でも、アメリカの義務教育に通じるものがあると思います。

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2010年10月18日月曜日

葉隠のすすめ ~ 大高慢

アメリカの義務教育(K-12:日本でいう幼稚園年長組から高校3年生まで)が根幹にしているのは「自尊心(self-esteem)」の育成です。

武士の心得、つまり、武士道のマニュアルである「葉隠」の基本精神も、実はこの「自尊心」なのです。江戸時代の武家社会では、現代のアメリカと同じ概念を教育のバックボーンとしているのです。面白いと思いませんか?

「葉隠」の序文「夜陰の閑談」に次のような記述があります。

同じ人間なのだから、誰に劣るというのだ。だいたい修行と言うものは、大高慢でなければものにならない」(同じ人間が誰に劣り申すべきや。惣じて修行は、大高慢にてなけば役に立たず候。How can one human being be inferior to another? In all matters of discipline, one will be useless unless he has self-esteem)。

「葉隠」の中に出てくる「大高慢」というのが「自尊心」で、英語で言うところの「self-esteem」です。「高慢ちき」などと、高慢というのは、思いあがっている人のことで、あまり良い意味ではありませんね。しかし、「葉隠」の至る所に出てくる「大高慢」はそうではありません。武士たるもの、強い気概と自負心をもつことが大事であり、「大高慢」がなければ、武士としての修行でさえものにならないと言っています。実は、コンサルタントの世界も同じで、「大高慢」を内に秘めていないと、コンサルタントとしては成功しません。

三島由紀夫は著書「葉隠入門」で、以下のように言っています。

「葉隠」ほど、道徳的に自尊心を解放した本はあまり見当たらぬ。「武勇は、我は日本一と大高慢にてなければならず」。「武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覚悟が肝要なり」と、「葉隠」の精髄として引用しています。

「自尊心」に関するブログ。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/01/blog-post_03.html

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2010年10月17日日曜日

読書のすすめ

「葉隠」がアメリカの義務教育の基本理念と似ているということを書こうと思って、三島由紀夫の「葉隠入門」(新潮文庫)を読み返していました。すると、私の考えそのままのことが「葉隠入門」のプロローグに書かれていました。「私の考えそのまま」なんてオコガマシイですね。私が単に三島由紀夫の影響を受けているだけです、失礼しました。

「少年期の一時期に強烈な印象を受け、影響を受けた本も、何年かあとに読んでみると、感興は色あせ、あたかも死骸のように見える場合もないではない。しかし、友だちと書物との一番の差は、友だち自身は変わるが書物自体は変わらないということである。それはたとえ本棚の一隅に見捨てられても、それ自身の生命と思想を埃(ほこり)だらけになって、がんこに守っている。われわれはそれに近づくか、遠ざかるか、自分の態度決定によってその書物を変化させていくことができるだけである」。

凄いですね。こんなことなかなか言えません。「読書のすすめ」は、まさに三島由紀夫が言っている通りだと思います。

葉隠(ウィキより)

「葉隠」(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に出された肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得について見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基が筆録した記録である。全11巻。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。

「葉隠」とアメリカの義務教育の類似点は近々紹介させていただきます。

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2010年10月14日木曜日

(続)落語のすすめ

臨時国会が始まりました。最近は政治家の声を聞くだけで鬱陶しく不機嫌になってしまいます。水戸のご老公に喝(カツ)を入れて欲しいくらいです。

ですので、落語の話をします。

桂米朝さんという上方落語界の重鎮がいらっしゃいます。人間国宝に認定されている方です。1925年生まれなので85歳です。米朝さんの凄さは、江戸落語と上方落語の「境界」をうまくマネージした点だと思います。米朝さんは、落語だけでなく、異文化・異芸能コミュニケーションを長年に渡って研究されてきました。米朝さんは、中国東北部大連で生まれ、兵庫県で育ち、東京の大学に行きました。若い時に関西とは違った文化圏とのつながりも出来ているのですね。東京根岸生まれの小沢昭一さんとの俳句を通じた交流も長年に渡っているそうです。

米朝さんの弟子に桂枝雀さんがいます。枝雀さんが亡くなってから(自殺)11年になります。枝雀さんは、米朝落語を踏襲しながらも独自の分野を築きました。米朝さんというスーパースターを完全に理解することを起点として自分の世界を創造していった人です。枝雀さんは落語に出てくる登場人物に標準語を喋らせます。関西人である枝雀さんが、標準語を無理矢理しゃやべる可笑しさを意識しているのです。また、英語落語にも挑戦していました。恐らく、枝雀さんの英語力はかなりの水準だと思います。東西融合や日米(日本語と英語)の「境界」を意識しながら自分の世界を構築したのですね。

枝雀さんの凄いところは、これだけでなく落語にフレームワーク(枠組み)をセットしたことです。枝雀さんの言う「緊張の緩和理論」です。これは、私の理解によると、緊張と緩和の「境界」をマネージすることです。枝雀さんは、「適度の緊張が続き、それがある時点で緩和されるところに笑いが起る」と定義しています。緊張が過度、又は、長時間すぎると笑えません。「人はなぜ笑うのか?」を分析し、緊張と緩和をパターンに分けて落語の噺にフレームワークを与えたのが枝雀さんです。コンサルタントみたいですね。自分自身が創作する新作落語は、フレームワークを意識して新しい噺をデザインしました。枝雀さんの新作落語では更に枝雀さん独特のシュールな魅力にあふれています。

さて、本日のウダウダです。

最近、「Diversity(多様性)」という言葉をあちらこちらで見ます。多様性は大事な事で、日本の社会、特にビジネス界が必要とするものだと思います。Diversityと言うのは、様々な物事の境界をうまくマネージしてダイナミズムを生むということです。ただ単に異なる性質のものを一緒くたにすると言うことではありません。一緒くたにすることによって矛盾がうまれ、それを解決することによって進歩が見られるということです。毛沢東も同じようなことを言っていますね(「矛盾論」1937年)。でも今の中国の矛盾(政治体制と市場経済の矛盾)は解決できないと思いますよ。

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2010年10月10日日曜日

たこ焼きを作ってノーベル化学賞を祝う!


夕べ、たこ焼きを作りました。上手にできました。私は大阪は上本町六丁目の生まれですから生粋の関西人です。大阪を離れて30年が経ちますが、たこ焼きやお好み焼きには一言も二言もあるのです(白状しませんが、、、)。

ノーベル化学賞を受賞した米パデュー大特別教授の根岸英一さんが、「日本はすごく居心地がいい社会なんでしょうけれど、若者よ海外に出よ、と言いたい。たとえ海外で成功しなくとも、一定期間、日本を外側からみるという体験は、何にもまして重要なはず」とコメントされました。

根岸さんという方は特別優秀な方ですが、老百姓(ラオパイシン)の私でも「その通り!」と言いたい。海外に身を置くことで、自己防衛意識に目覚め、自然と日本のことも考えるようになるからです。私が根岸さんのコメントで重要だと思うことは、「成功しなくとも」の部分だと思います。ほとんどの人は成功しないのですよ。成功しなくても、例え失敗しても、何とか乗り越えて「教訓」とします。こういったことが大切です。失敗しても、「失敗した経験」を積んだのですから、それを「自信」とすればいいのです。

私は関西文化圏を出てからずーっと旅を続けています。「成功しなくとも」の範ちゅうかな? でも、そこそこ楽しめる人生だと思っています。「かわいい子には旅をさせよ(Spare the rod and spoil the child)」とはよく言ったものです。ん? 自分に言ってどうするんだ!?

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2010年10月6日水曜日

世の中は不平等、でも平気の平左衛門


久しぶりにボブ・ディランを聞きました。実際は、YouTubeでここ数年の映像をまとめて見ました。最後に聞いたのは「Time Out Of Mind」でグラミー賞を受賞した時ですから1990年代後半です。息子のジェイコブとのダブル受賞だったのですが、親子でステージに立つ姿を見て「ボブ・ディランも子育てやってたんだ、、、」と驚いた記憶があります。

ボブ・ディランを聞くたびに、自分でも歌えるんじゃないかと錯覚します。ボブ・ディランの歌は、音程があっているのかいないのか、リズムにのっているのかいないのか摩訶不思議、よく分かりません。でも、だからボブ・ディラン、それが魅力なのでしょうね。浅はかなる私はボブ・ディランを聞くたびに自分でも歌えるのではないかと勘違いし、今回もギターを手に「時代は変わる」にチャレンジしました。

やはりダメでした、、、、、。私の音痴は生まれ変わらないと治りません。

ダメなものはダメなのです。出来ないものは出来ない。私はギターもへたくそです。最初にギターを手にとってビートルズの真似をしようと思ってから40年たちますが、未だに上達しません(エクスキューズは常に「必死になっていないから」です)。そもそも歌がダメならギターでカバーしようなんて考えが甘い。それよりも、現実を直視することが重要です。家人に罵倒されようが嘲けり笑われようが、やり続けるという、へこたれないタフな精神力と自尊心が大事です

私の録音・録画をたまに聞かされる気の毒な友人たちがいます。友人たちは家人よりも寛大ですから、大概は優しい言葉をかけてくれます。自分の実力を熟知しているリアリストの私は、彼らの優しい褒め言葉に期待し満足するのではありません。無理矢理にでも音楽を聴かせる友人、つまり彼らが存在するということを重視しているのです(彼らには気の毒ですが、、、)。

世の中は不平等です。今の日本は、優しい言葉をかけてもらいたい、褒めてもらいたい、同情してもらいたい、、、こういった非現実主義の人たちが多すぎます。政治の世界では「自分達がこう思っているのだから、相手国もそれに見合った対応をしてくれるだろう」と言う感覚になるのでしょう。平等な人生や責任のない自由なんて有り得ないのです。しかし、そういった中でも楽しく毎日を生きていくことが肝要だと思うのですが、学校の先生方や子育て中の親御さんたちはどうお考えでしょうか?

隣国の首相が立ち話に付き合ってくれたと相好を崩すようでは日本列島もいつまで浮かんでいられるか心配ですね。

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2010年10月5日火曜日

学問のすすめ

幕末から明治維新を生きた福沢諭吉は、日本人に欠如しているものとして「人間交際(じんかんこうさい)」を訴えました。

これは「社交のすすめ」のことです。幕末から明治にかけてアメリカとヨーロッパ諸国を見た福沢諭吉は、「列島の中で日本人に限定される交際でなく世界と交際をしなさい」と訴えました。江戸時代にはすでに日本文化をベースとする日本人の人間交際はできていたのでしょう。落語が描く世界が証明しています。落語というのは誇張された創作話ですが、江戸時代の庶民の生活を表現しています。

今の日本はどうでしょうか?

日本国内、日本人だけでも人間交際ができているとは言えません。とても世界と人間交際するレベルに達していないのです。これは、やはり今の教育の理念や戦略が間違っていると言わざるを得ません。アメリカの義務教育が日本より優れていると主張するつもりはありませんが、少なくとも、「教育とは?」「教養とは?」と言うことを理解していると思います。そして、厳しいアメリカ社会の現状を理解しているから、子どもたちに社交(ソーシャル・スキル)、つまり、人間交際を理解させ、自尊心を育むことに主眼を置くわけです。以前、サマーキャンプのことを書きましたが、サマーキャンプは人間交際の第一歩です(http://ibg-kodomo.blogspot.com/2009/12/blog-post_11.html )。

「学問のすゝめ」は十七編から成り立っています。

九編十編は手厳しい福沢諭吉の(明治初期の)現状認識です。目指す姿に到達するには現状認識が重要で、現状が認識できないのであれば、目指す姿とのギャップはわかりません。ギャップがわからないと言うことは目指す姿に近づく作戦、つまり、戦略が立案できないということです。今の日本は、何を目指しているのか曖昧ですし、自分の立ち位置や周りの国との距離がどうなっているのか分かっているとは思えません。だから、戦略の立案なんて無理だと思います。まさか、福沢諭吉は130年後の日本がこうなっているとは想像だにしなかったでしょうね。

人たるものはただ一身一家の衣食を給しもって自ら満足すべからず、人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉(つと)むるところなかるべからず。

九編と十編は二つで一つです。九編のまとめが十編の冒頭に上のように書かれています。「衣食が足りただけで満足しちゃアカンよ。世界の一員として全世界のために尽くさないと、愚かものか虫けらのようなものなのよ」と解いています。どこかの隣国に言ってやりたいようなことですね。

今の日本人に対しては、「社交を大事にしなさい。社交ネットワーク(人間交際)の中で自分の役割を果たしなさい。将来的に必ず見返りがあります。質の高い社交の輪に自分の身をおけば自分も必ず成長します。そうやって教養を高めて魅力的な人になりなさい」と聞こえます(大胆な拡大解釈ですが、、、、)。

自由独立と言うときには、その字義の中に自ずからまた義務の考えなかるべからず。独立とは一軒の家に居住して他人へ衣食を仰がずとの義のみに非ず。こはただ内の義務なり。なお一歩進めて外の義務を論ずれば、日本国に居て日本人たるの名を恥しめず、国中の人と共に力を尽くし、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、始めて内外の義務を終えたりと言うべし。

上の部分は現代の政治家先生によく考えて頂きたいことですね。「日本人として国際的に立派な人になりなさい、そして日本を自由独立の一流の国にしなさい、日本人の名を辱めるのはアカンよ」と言っているように聞こえます。今の日本は、どこの国のために奉仕しているのか、何に命をかけているのか分からない人まで大臣をやっていますからね。

子どものころから「教育」だけでなく「人間交際」を通じて「教養」を高めないと、立派な責任ある政治家先生は生まれないですね。早くてあと30年?

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2010年10月4日月曜日

社交のすすめ


ここ数週間、「教育」「教養」「文化」といった言葉が頭の中でぐるぐる回り、それらが桂枝雀の落語とクリームのクロスロードと絡み合い、訳が分からなくなっていました。論理的に説明する文章力なんてありませんから、それぞれがどう関連するのか説明なんて出来ません(クリームは、40年ほど昔にエリック・クラプトンが在籍したロックバンドで、クロスロードは当時の代表曲)。

以下の文章から行間を読んで、私の言いたいことを想像してください。

日本人の生き方が日本の「文化」であり、それは今の日本の「教育」では培われないと私は思っています。知識を詰め込む「教育」を一生懸命やっても「教養」豊かにはならないということです。勿論、知識が多いと教養に幅と深みが出てくることは否定しません。落語にでてくる江戸時代のキャラクターは、日々の生活の中で「教養」を培っていったのではないでしょうか? 毎日の生活は日本人の生き方そのものであり、今日という一日は、長く継続してきた日本固有のものの最新バージョンで、したがって、今日を生きる(「Seize The Day」)ことが重要であるのです。毎日を一生懸命に生きることで「教養」が身につく、つまり、魅力的な人柄が形成されていくのだと思います。

現代の日本のように大人も子どもも時間がなく、例え時間があったとしても、そのわずかな時間をマスメディアに占領されているとどうでしょう? 「教養」が身につくスペースがなく、「教育」によって間違った知識がどんどん蓄積されて大人になっていくのだろうと思います。

福沢諭吉、夏目漱石、三島由紀夫、三人とも違った時代を生きた日本人ですが、今の日本を見ずに死んだのは幸せだったかも知れませんね。ただ、彼らの文章力をもってすれば、今の日本をどう表現したのか見てみたいものです。

そう言えば、今年の2月に「教養」について書いていました。

2010年10月3日日曜日

落語のすすめ

子どもの頃から落語に親しむのはお薦めです。

落語を聞くと(見ると)、江戸時代の長屋の様子が生き生きと出てきます。八っぁん、熊さん、与太郎、おかみさん、若旦那、ご隠居さん、、、お馴染みの登場人物です。落語は演芸ですが、レベルの高い噺家であれば、我々を江戸時代にタイムスリップさせてくれます。

江戸時代というのは「Seize The Day」の世界だと思いますね。落語に出てくるキャラクターは、毎日毎日を精一杯生きている人たちだからです。彼らは、人生に必要なことは、日々の生活で培った。そして、その積み重ねが教養になり文化となっていったのです( 「Seize The Day」に関するブログ:http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/01/blog-post_14.html )。

三島由紀夫が以下のように言っています。

「未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的な形はないと思う」(「文化防衛論」 昭和44年)。

革命なんてものは、理想の未来のために現在をおろそかにする(犠牲にする)ということで、三島由紀夫が当時の日本人(与野党の政治家や学生運動家)に訴えていたのは、「革命(改革)と叫んでも、君たちは今日を命を賭けて生きているのか?」と言うことだろうと思います。三島由紀夫の言う“文化”とは、長年にわたり積み重ねてきた精神的なものの今日までの集合体ということです。それが日本文化であり、守るべきものではないのかということなのです。

落語は、本当に様々なことを教えてくれます。三島由紀夫が言及する“文化”もいっぱい詰まっています。子どもと一緒に落語に親しんで人生を豊かにして下さい。

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2010年10月1日金曜日

ジャイアントコーンの新製品


グリコのジャイアントコーンにチョコクランチが入った『クッキー&チョコクランチ』が新登場です。『クッキー&チョコ』、『クッキー&チョコクランチ』、『チョコナッツ』の3つのラインナップになりました。

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2010年9月30日木曜日

勉強すればするほど考える時間がなくなる?


JRお茶の水駅聖橋口から数分のところに湯島聖堂があります。 写真は、孔子を祀っている大成殿です。徳川綱吉が額の字を執筆したそうです。

学而不思則罔、思而不学則殆 (論語)
学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし

「人から教わったり知識をつけても自分で考えることがなければ意味がない、また、一人で考えていても他人の意見を聞いたり勉強することがなければ、危険だよ」という意味です。たった12文字の漢字なのですが、意味深長ですね。これだけで様々な議論ができます。

普通、若い時は知識を蓄積することに集中し、40歳を過ぎる頃から後段の傾向が強くなるのでしょう。両方のバランスがとれている人は少ないと思います。年齢を重ねるとともに独善的になって行くのは人種を問わないことでしょうが、日本の場合、子どもから大人まで「思う時間」、つまり、「考える時間」が少ないのは大きな問題です。

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2010年9月29日水曜日

鎖国時代のほうが外交を分かっていた

学校で鎖国はどう教えているのでしょうね。

18世紀末、ロシアからラックスマンが通商を求めてやって来ました。松平定信は海防強化を命じるとともに、ラックスマンには「日本の対外関係は古(いにしえ)より、通信・通商の二種類に限定される」と言って、「通信無き国」を理由にロシアからの国書を拒否しました。徳川幕府は、鎖国の下、外国に向けてあけられた4つの窓口を四口と呼び、海外との接触を、長崎(幕府直轄)、対馬(対馬藩)、薩摩(薩摩藩)、蝦夷(松前藩)に制限しました。通信は朝鮮と琉球、通商はオランダと中国に限定して行っていたのです。

国の概念なんて抽象的なものです。日本で国境の話は難しいですね。そもそも国境は時代と状況により変化するものです。国境を接する隣国もあり、交渉が存在し、だから外交が必要となります。外交にはプロトコールがあります(http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/06/blog-post_09.html)。ジョン・レノンのイマジンの世界になれればいいのですが、500年は無理でしょう。人間ってまだまだ愚かなものですから。

鎖国というのは、「戦略的な外交政策」ですから、国の「境」を考えるにはちょうど良いのです。外交でのDOsとDONTsをはっきりさせる。即ち、それが外交戦略です。尖閣の問題で一人でも多くの日本人が覚醒したのなら、中国に感謝しなきゃ。

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2010年9月27日月曜日

頭を冷やすために散歩をしました

(夏目漱石旧居跡の吾輩)

昨日は天気が良かったですね。やっと散歩ができます。お茶の水から湯島聖堂に行き、神田明神を抜け、根津から夏目漱石旧居跡を通って団子坂から日暮里まで歩きました。

夏目漱石の「吾輩は猫である」は何度読んでも面白いですね。吾輩である猫の眼から見た人間世界の描写、主人である苦沙弥(くしゃみ)君やその他の登場人物の個性、全てにおいてメリハリがついていて実に見事です。落語で登場人物が多い噺の場合、下手な落語家がやるといけません。多くの人物と情景の描写に振りまわされるからです。 漱石の「吾輩は猫である」は、名人の落語家が登場人物の多い噺を見事に演じているかのようです。

The man who reads nothing at all is better educated than the man who reads nothing but newspapers(アメリカ第三代大統領 トーマス・ジェファーソン)。

以前にもご紹介しましたが(http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/03/blog-post_07.html)、様々な名言を残しているジェファーソン大統領が、「新聞ばかり読んでいる人よりも、全く読まない人のほうが教養がある」と言っています。全く同感です。しかし、日本の場合、新聞に加え、テレビの悪影響が深刻な問題です。「テレビを全く観ない人は、テレビだけを情報源としている人よりも教養がある」です。 戦後の占領政策でアメリカは日本人を洗脳するのにテレビを有効利用したと言われていますが、まだその呪縛が続いているのでしょうか?

日本のニュース報道を見て気になるのは、「主観」と「客観」が一緒くたになっていて境目がはっきりしない点です(国の境界も同じか、、、)。司会者や出演者が、自分の感想を言っているのか、それとも、客観的な事実を報道しているのかよく分からないのです。全く専門家でもない人たちが、自称知識人ですかねぇ、中途半端な知識で堂々とコメントしています。「日本は言論の自由が担保されている」と言えばそれまでですが、あまりにも無責任だと思いますね。ジャーナリズム精神なんてものは毫もないのでしょうか。

「事実はこうこうです。様々な意見があるようだけど、私の立場はこうで、このように考えます。その理由は、これこれこうです」と話をすすめてもらいたいものです。でなければ、「この番組はバラエティ番組です」と最初に断るのがいいでしょう。

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2010年9月26日日曜日

調和的というスローガン

胡錦濤・温家宝政権のスローガンは「和諧社会」(調和的な社会)です。

エリック・ホッファーが「情熱的な精神状態」の中で以下のようなことを言っています。

われわれがどう言おうと、まったく調和的な個人というものは、前進する衝動がなく、人生のどの部分でも完全を追究する向上心を欠く人たちである。 だから完全な社会は、停滞社会になるチャンスがつねにある』。

日本人はまったく調和的な個人になってしまいました。停滞社会が長く続いたのですね。アメリカは不景気になって、少しは調和的ということを学んできたのかも知れません。 アメリカ人が「足るを知る」なんて昔は考えられなかったことですからね。

さてさて中国です(やれやれと言うか、、、)。

中国政府は、自分の国や国民性を熟知していて「和諧社会」をスローガンにしているのでしょうね。中国が一番欠いている部分ですから。

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2010年9月25日土曜日

日本が守るべきものとは?

帰国して1年ちょっとが経ちました。この間、日本のことを色々と観察しました。日本の良いところもいっぱい再発見しました。しかし、20年以上前に感じた絶望感も同時に蘇ってきました。 ここ数週間の日本政府の行動や発言を見ていると暗澹たる思いですね。史上最悪と言われた村山内閣の過ちを二度と繰り返さないと、その後の内閣は肝に銘じてきた筈なのに、、、見事にやってくれましたね。

この国は、国家としての自信とか日本人としての民族の誇りとか国民の気骨とか、どうやって回復するんでしょうかね?これは教育の根幹でもあるはずです。今の政治家に言わせると、偏狭なナショナリズムになってしまうのですかね?

アメリカは、保守するものを作るところから始めました。アメリカという魅力で人を虜にするしかないのです。どこの国の人でもアメリカにやって来てアメリカ人になった人たちは、そのことをよく心得ている訳ですね。

日本は、黒船が来て「鎖国という外交戦略」を貫くことをやめて開国し、明治時代は世界に認められようと必死になって「国家」を作りました。ご存じのように、先の大戦で全てが崩壊し、敗戦とともに自信や民族の誇りや国民の気骨というものは粉々に砕かれました。ところが日本人は経済大国になるということで失った自信や誇りを回復してきたのです。

村山政権を誕生させたことで日本の政治は致命的な痛手を負った訳ですが、どうにかこうにかこの15年の間やってきたのです。しかし、これからの日本や日本人はどうやって自信や誇りを回復させたらいいのでしょうか?

日本政府が保守するものとは何なんでしょう?
総理大臣だけでなく、政治家先生一人一人に聞いてみたいと思います。

日本はもう一度、「鎖国」という外交政策をとってはどうでしょうか?日本人の叡智で100年や200年は持続できるかも知れませんよ。 なに、それじゃ解決策になってないって!? 私のウダウダなんてこんなもんですよ。失礼しました。

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2010年9月23日木曜日

中国人スタッフが見た東京の印象 ~ その(2)

わが社の中国人の若者を見ていると、中国の20代の若者の考えがよく分かります。彼らは中国政府やマスメディアよりも自分の眼を信じます。ネット上の情報にしても、注意深く真偽の程を確かめているようです。彼らにとって温家宝首相は人気がありません。災害地などでの温家宝首相のパフォーマンスは、アカデミー賞ものだと揶揄されています

さて、「中国人スタッフが見た東京の印象」です。

北京から来たGさんが東京で最も気に入ったところは「明治神宮」だそうです。「銀座のデパート」なんて言わないところ、我社の若者はカッコいいでしょう!? 以下はGさんのメールから抜粋です。

  1. 日本は間違いなく清潔です。特に空気がキレイなので心地よいです。衣服がほこりだらけになる心配がないし、靴はドロで汚れる心配もありません。
  2. 東京は夜と昼では2つの違った都市のようです。昼は紀律があります。人は静かで淡々としています。しかし、夜は喧噪にまみれ喧しくなります。
  3. 地下鉄で本を読んでいる人が多い。見ていて大変嬉しく思います。
  4. 人は親切です。こういう事がありました。国会議事堂で入口を警備している警官に道を聞きました。すると、5メーターほど離れているにもかかわらず警官のほうから寄ってきて、親切に道を教えてくれました。これには驚きました。中南海の前にいる警備の解放軍に道を尋ねようとする人なんていません(中南海は天安門横の中国政府要人の官邸のあるところ)、追い払われるだけです。また、東京大学構内の掲示板と構内地図を見ていたら、門衛の詰所の年配の門番さんが「行き先は分かりますか?」と私に大きな声で尋ねてくれました。私は嬉しくなりました!
  5. 日本人は細いことまで礼儀正しいです。地下鉄で足を組んでいる人を見ませんでした(たまたま?)。席を奪い合ったり携帯で話をしている人はいません。喧嘩をしている人もいないし、確実に「和諧社会」といえるのではないでしょうか?(「和諧社会」とは今の胡錦濤・温家宝政権が掲げるスローガンで、中国は調和社会を目指すというもの)。
  6. 東京は上海と似ています。狭くて余裕がないところです。ビルが密集していてビルの上の階に行かないと周りがみえません。たぶん、しばらく東京にいるとプレッシャーを感じるのでしょうね。機会があれば日本の田舎に行ってみたいです。

    この他にも小さな出来事はいっぱいありました。一つ一つは説明しませんが、今回日本に来れたことは非常によかったです。

以上がGさんの東京の印象です。中国政府の日本に対する態度とはかなり違いますね

彼女からのメールは中国語でした。最後に「二郎脚」について少しだけ。地下鉄で「足を組む」と出てきましたね。中国語で足を組むは「二郎脚」と言います。「二郎神」という神様がいて足を組んでいる姿が残っていることから二郎脚と言うのだそうです。この「二郎神」は西遊記で孫悟空を追い詰めて幽閉した神です。

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2010年9月21日火曜日

(続)中国の反日問題を考えてみよう

2005年の中国における反日活動は、上海、北京、成都などの大都市で破壊行為をともなう暴動まで起りました。今回は2005年の時のような暴動は起っていませんが、今回のほうが事態は深刻ではないかと思います。

理由は二つあります。

一つは中国の国内問題の悪化です。所得格差と失業の問題、これらは改善されるどころか、より深刻になっています。中国13億の人口の70~80%は農民と言われています。農民は、ウルトラ格差のなか尖閣も日本も自分らとは関係ないことなのです。自分達の生活や老後の権利さえ保障されていないのですから。そして汚職の問題、国内のインターネットの普及により地方行政の汚職が暴かれ、政府としても処罰をしなければいけない状況も出てきました。したがって、これまで以上に対外的に強く出て矛先をかわさないと、あと2年の胡錦濤政権は一層辛い立場に追い込まれます。

二つ目は日本の問題です。政治の混乱は誰(日本列島の外)が見ても明らかで、絶好の攻撃のチャンスです。2005年に比べると、長期的なデフレとともに日本経済は更に落ち込み、国民の気持ちにも余裕がなくなってきています。全体主義に陥りやすい危険性があります。いつものことですが、マス・メディアも触媒の機能をはたしています。本来の使命である「どこまでも真理に迫る」どころか、「お金のあるところに吸い付けられている」状態です。

昨日は江華島事件が起った9月20日だったのですが、朝鮮半島は静かだったですね。韓国は中国政府が恐いのでしょうね。アメリカ政府のコメントも、第七艦隊司令官の発言と温度差があって、今のアメリカの弱さを表わしているかのようです(江華島事件は朝鮮政府開国のきっかけとなった1875年の日朝間の衝突事件)。

色々と言いたいことはありますが、これ以上しゃべると墓穴を掘りそうなので、このあたりでお終いにします。

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2010年9月20日月曜日

中国人スタッフが見た東京の印象 ~ その(1)

三島由紀夫が自決する少し前に高橋和巳と対談をしています。三島由紀夫ほど世間(日本社会)が考えるイメージと実際にギャップがある人はいないのではないかと思います。夏目漱石は、小説同様に講演が見事で非常に魅力的な話し方をする人でした。YouTubeで検索できるものなら漱石の講演を見てみたいものです。三島由紀夫はYouTubeに映像があるので見ることができます。三島も難解な小説よりも(特に初期)、エッセイとか対談が魅力的です。恐らく、三島由紀夫という人の素顔が出ているからなのでしょうね。

対談の中で三島は中国に関して次のようなコメントをしています。

三島「中国というのが非常に西洋人に近いと思うのは、自然に対して人工というのを重んじるところね。中国人の人間主義というのは非常に人工的なものを尊ぶ主義でしょう。作って、変えたという確信を持つことが権力意識の獲得ですから。だから意識の変革ということをやりたくてしょうがないんだよ。中国文学の専門家には悪いけど、これは中国人の伝統的な趣味だと思うんだ」。

自然崇拝、精霊崇拝である多神教(八百万の神)がベースにある文化、これが日本文化であり、中国や朝鮮半島、または、西洋とは違った日本独特の文化です。だから日本の神社は自然と一体化しているし、あらゆるものに神を見いだすわけですから、日本人が優しくもなるわけです(ちょっと日本人を褒めすぎ?)。日本の文化は中国や朝鮮半島から伝わって来たものだと当然のように主張する日本人もいます(特に自称知識人コメンテーター?)。伝わって来て融合したものもあるでしょうが、「根本的には全く違う」ということを理解するべきだと思います。三島由紀夫はそのことを高橋和巳との対談の中でさらりと言っているのです。すごいですねぇ。

先日、ibgの中国人スタッフが北京から出張してきました。彼女は中国の大学院で日本語を専攻したほどの日本通ですが、初めての日本です。人工的な部分の東京ではなくて、自然を重んじている東京を感じて欲しいものです。

次回は、彼女の東京の印象をご紹介します。

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2010年9月17日金曜日

中国の反日問題を考えてみよう

オーウェルの「1984年」に「現在を制するものは過去を制する、過去を制するものは未来を制する」とあります。歴史なんて、戦争に勝った側が自分の都合のいいように書き換えてしまうものなのです。東シナ海の尖閣諸島周辺の領海内で9月7日午前、違法に操業していた中国のトロール漁船が哨戒中の海上保安庁の巡視船2隻と衝突した問題で日中関係が騒がしくなってきました。

中国人の反日感情を考えてみましょう。日本の学校では教えてくれませんからね。

下は、ibg上海オフィスの中国人コンサルタントのコメントです。80后(パーリンホウ)と呼ばれる1980年以降の生まれです。有名大学卒のインテリと言えるでしょう。

『2005年に対日感情が最悪になった時も今も基本的には何も変わっていないです。中国人は一般的に子供の頃は日本のことを好きでも嫌いでもありません。学校教育で戦争中の日本の悪いイメージを植え付けられますが、日本のことが嫌いになる程の感情にはなりません。 しかし、突発的な事件や継続的なネガティブ要因(教科書問題等)が生じると、「学校で聞かされたこと」を思い出します。例えば、日系企業で日本人上司が中国人社員を殴ったと聞くと、「やっぱり」という気持ちになります。つまり、事件が起こりさえしなければ、悪いイメージを思い出すことはないのです』。




5年前に対日感情が悪化した時は、中国政府は日本を叩くことで大衆の矛先をかわそうとしたのだと思いますが、今回は日本側の問題が大きそうです(勿論、それが全てではありません)。それは、日本政府が極めて弱体化しているということです。エコノミストの最近の記事に、日本政府は『dysfunctional』(機能不全、崩壊)と書いてありました。かなり強烈な言葉ですね。名目GDPも中国に抜かれてしまいました。日本は世界2位の経済大国だとは言えなくなったのですね。日本が弱くなればなるほど近隣諸国は元気が出てきます。

外交と芸能ニュースを同次元で扱う日本のマス・メディアでは多くの国民は本質をとらえることは難しいと思います。新聞やTVを見れば見るほど本質から遠ざかります。中国のことをよく知らないで「日本の地方都市の景気回復には中国マネーを呼び込め」なんて安易な報道はやめてもらいたいですね。単純に資本として利用できるのであればいいのですが、資本主義のロジックの弱い日本では難しいと思います。相手は超資本主義の国、natural born merchantです。一枚も二枚も上手ですから。「山」も「水」も身ぐるみ剥がれて本当に沈没しても知りませんよ。

孫子の兵法で有名なのは「知己知彼、百戦百勝」です。ご存じですよね。日本人は、日本のことをよく知って、そして中国や外国のことを知らないと、他国と仲良くもできないし戦もできないのです。

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2010年9月16日木曜日

カリフォルニアからシュワちゃんがやって来た!

カリフォルニアからシュワちゃんがセールスにやって来ました。新幹線をエサにカリフォルニアワインや農作物を日本や韓国に売りつけたいのでしょうね。

去年、カリフォルニア州からIOUが届きました。IOUとは「I Owe You」を意味する借用書のことです。「後で返すから今は待ってね」と宣言する文書のことです。書面には、さすがにIOUとは書かずに「Registered Warrant」と書かれています。ibgがカリフォルニア州に納めた企業所得税の返納分を一方的にIOUで送りつけてきたのです。差出人がカリフォルニア州知事のシュワルツネッガーだったら額に入れてとっておこうと思ったのですが、残念ながら州コントローラー(財務担当)のJohn Chiangさんからでした。



カリフォルニア州は様々な問題を抱えています。

今のアメリカを象徴するかのような州です。州の財政を個人所得税収に依存する比率が高い、つまり、シリコンバレーを中心とするキャピタルゲインとかストックオプションで稼いだ起業家からの税収に頼っているのです。一方、メキシコからの不法移民が何百万人も入り込んでいます。彼らは不法滞在者ですからちゃんと税金も払っていません。州政府は彼らを合法にして、そうすることによって税金を徴収し税収を上げようと躍起になっています。さらに、一人一人の不法労働者と対応するのは効率が悪いからと、企業にその責任を転嫁して、企業が不法労働者に対してちゃんと対応をしなければ、不法労働者が見つかった企業から膨大な罰金をとる仕組みにしています。アメリカ人の考えそうなことですよねぇ。

住宅事情に関してもここ7~8年のアメリカを代表しているかのようです。カリフォルニアは住宅価格の上昇と下降の振れ幅が最も大きかった地域の一つです。土地は広いから家はいくらでも建てられます。ロサンジェルスやサンディエゴは車でちょっと東に走ればもう砂漠です。バブルにのって砂漠のほうにまで宅地を開発して移民や若い人向けの住宅をいっぱい造ってしまいました。金融危機で収入は安定せずローンの支払もままならず家はFORECLOSURE(差し押さえ物件)となり住宅価格は下がり続けます。

ちなみにカリフォルニア州の失業率は全国平均よりも高く、2009年5月が11.6%(全国平均は9.5%)でした(今年に入ってからは12%台です)。

シュワルツネッガー知事は昨年の春に「政府で何とかしてくれ~!」とワシントンDCに乗り込みました。交渉相手はルービン一家のフロントマンのガイトナー財務長官です(日本の財務大臣よりもずーっと甘いマスクですが中味は違います)。ターミネーターのシュワちゃんでもウォールストリートのルービン一家にはかないません。冷たく追い返されてしまいました。政府としては、財政赤字で死にかけている州はカリフォルニア州だけじゃないからカリフォルニアだけを特別扱いする訳にはいかないからでしょう。どうしようもなくなったカリフォルニア州はIOU発行を最後の手段としたのです(ルービンはクリントン政権の財務長官、元ゴールドマンサックス、シティバンク会長)。

カリフォルニア州は人口も3800万人で全米最大の州です。そのカリフォルニアが破綻しています。借用書を発行して支払を待ってもらうしかない状況に陥っているのです。万が一新幹線が売れたら、「支払いはカリフォルニアワインでどうかね?」なんて言ってきそうです。

カリフォルニアがアメリカという国全体の状況を象徴していると思えてなりません。今に世界の国々に対して「IOU」の送付を開始しないだろうか? 戦争を起こされるよりましですが、、、。

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