2024年11月22日金曜日

プロトコルを弁える

  



FNNプライムオンラインから

2024.11.20.



以下は14年前に書いたブログですが、今回の総理のニュースを読んで思い出しました。日本の社会人の世界でもアウトですね。      

14年前のブログから

日本人は外国人が混じるとコミュニケーションが下手になる。もちろん英語ができない問題はあります。しかし、通信手順であるプロトコルが合わないことも大きな問題なのです。日本という列島の中では、このプロトコルが異常に発達してしまって、プロトコル、つまり、手順をあやふやにしても、いきなりデータ(本題)を送れてしまうのです。阿吽(あうん)の呼吸と言われるものです。勿論、アメリカ人や中国人の世界でもプロトコルがいい加減な場合もありますが、日本人ほど発達している訳ではありません。30年前のコンピュータの世界と現在のiPadとの違いくらいはあるかも知れません。  

日本企業がこれだけ海外で活躍しても時おり大きな問題を起こすのは、このプロトコルの問題である場合が多いのです。日本製品が優秀なので、これまであまり問題にならなかったのですが、これからは更に注意しないといけません。危機管理の対象の一つに、自社の従業員が含まれるなんて日本企業の多くは考えないですからね。また、同じ国でも世代間ギャップによりプロトコルが大きく違っている場合もあります。

政府間の問題。これは日本という国家の問題です。私のような老百姓がウダウダ言うのとは違う。政府は国民の生命財産を護らなくてはいけないのです。外交のプロトコルは十分に注意していただきたい。アメリカとはアメリカとのプロトコル、中国とは中国とのプロトコル、勿論、世界共通のプロトコルも入り交じります。大事なのは、プロトコルを省略した日本人ネットワーキングは、世界では「つながらない」ということなのです。

Know Yourself ! 

前総理の岸田さんは日本の総理としては英語が話せた。英語に問題がある場合は何かでカバーする必要がある。英語が書けない場合は、せめて句読点のような形式だけでもちゃんとするのが鉄則です。実力が伴わない私は靴を磨いて身なりや立ち振る舞いに気をつけたものです。  

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2024年11月21日木曜日

谷川俊太郎を悼む

 

言葉と現実のインターブリッジ


谷川俊太郎は詩人というよりも哲学者か言語学者のような人です。言葉と現実を橋渡し(インターブリッジ)する翻訳家なのです。日本語から英語のような翻訳はまだまだ表層的な問題なのです。谷川さんという詩人は平易な言葉で現実との距離を縮めようとしたのでしょうね。社会思想や哲学では近代とポスト近代が争点になる場合が多いのですが、言語学の世界でも近代と現代言語学はコペルニクス的転回をしています(ソシュールの言語学)。


モノが先か言語が先か?


赤ん坊は「りんご」という言葉を覚え、その後に「リンゴ」は食べ物で丸くて赤いものだとリンゴというモノの概念を獲得していきます。だとすると、人が言葉を覚えるということは、同時に周りの世界をどう認識するかを、自分が育つ文化圏や環境(家庭環境からはじまる)に応じて身につけていくということです。私には二人の孫がいます。二人ともアメリカで生まれアメリカで生活しています。彼らはアメリカ、それも南部という文化圏で生活しているわけですから、その中でモノの概念を獲得中だという事です。ジージとしては少し寂しいのですが、「りんご‐ ringo」といっても孫の頭の中には私が思い浮かべる「りんご」は出てこないのです。

以上は私が幼児や小学生の英語早期教育に反対の理由です。谷川さんからヒントを得ています。


りんごへの固執


紅いということはできない、色ではなくりんごなのだ。丸いということはできない、形ではなくりんごなのだ。酸っぱいということはできない、味ではなくりんごなのだ。高いということはできない、値段ではないりんごなのだ。きれいということはできない、美ではないりんごだ。分類することはできない、植物ではなく、りんごなのだから。

花咲くりんごだ。実るりんご、枝で風に揺れるりんごだ。雨に打たれるりんご、ついばまれるりんご、もぎとられるりんごだ。地に落ちるりんごだ。腐るりんごだ。種子のりんご、芽を吹くりんご。りんごと呼ぶ必要もないりんごだ。りんごでなくてもいいりんご、りんごであってもいいりんご、りんごであろうかなかろうが、ただひとつのりんごはすべてのりんご。

紅玉だ、国光だ、王鈴だ、祝だ、きさきがけだ、べにさきがけだ、一個のりんごだ、三個の五個の一ダースの、七キロのりんご、十二トンのりんご二百万トンのりんごなのだ。生産されるりんご、運搬されるりんごだ。計量され梱包され取引されるりんご。消毒されるりんごだ、消化されるりんごだ、消費されるりんごである、消されるりんごです。りんごだあ!りんごか?

それだ、そこにあるそれ、そのそれだ。そこのその、籠の中のそれ。テーブルから落下するそれ、画布にうつされるそれ、天火で焼かれるそれなのだ。子どもはそれを手にとり、それをかじる、それだ、その。いくら食べてもいくら腐っても、次から次へと枝々に湧き、きらきらと際限なく店頭にあふれるそれ。何のレプリカ、何時のレプリカ?

答えることはできない、りんごなのだ。問うことはできない、りんごなのだ。語ることはできない、ついにりんごでしかないのだ、いまだに・・・・・

谷川俊太郎『りんごへの固執』
  
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2024年11月20日水曜日

新東名を東へ

 鈴鹿SA(新名神)

奈良市内を午前三時ちょっと前に出たのですが、足柄から先が工事と事故で渋滞。東京インターまでバンパー・トゥ・バンパーでした。環八も混んでいて7時間半もかかってしまいました(足柄から武蔵野の自宅まで4時間弱)。東京と関西は直近十数年の間で何十回と往復していますが、もうそろそろ限界かも知れません。高齢者の長距離ドライブは危険です。

早朝のSAはどこも外国人が多い。欧米やラテン系も多い、日本人もいるんだと思って彼らの会話を聞いていると中国語でした(オーバーツーリズムの実感)。自販機のコーヒーも値上がりしていましたね。   


岡崎SA(新東名)掛川SA(新東名)


足柄SA(新東名)

余りにもお粗末な日本の現状は放っておいて、乙巳(きのとみ)の 2025年を考えることにしました。

乙巳の変(いっしのへん 645年)は「蘇我氏の世襲」による独占や横暴をやめさせるために、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏を滅ぼした政変でした。私の記憶では、小中高時代の社会科の教科書(歴史)には乙巳の変は出てきませんでした。

明日香村の遺跡発掘は2005年頃からです。乙巳の変から大化の改新へとすすみ、中大兄皇子は後に即位し天智天皇となります。  

「乙」は未だ発展途上の状態を表します。「巳」は植物が最大限まで成長した状態を意味するそうです。この組み合わせは、これまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆しています。来年は令和の大化の改新が起こり、消滅しかけている日本国を復興させて欲しいですね。

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2024年11月15日金曜日

サンタが街にやってくる

 

Santa Claus is Coming to Town(1934年)


この曲も毎年この時期になると必ず演奏する曲です。年が明けて2月頃にはすっかり忘れているので、11月頃から自分の過去動画を見ながら最初からやり直しです。毎年毎年同じです。私はキリスト教的世界観で生きていませんので、季節が巡るように繰り返しのサークルを回り続ける人生です。   

今年はマーチンを8か月にわたる長期間修理に出していたので、この K.Yairi を購入しました。7万円でした。なかなかいいギターです。マーチンも修理が完了したので、クリスマスにはマーチンで弾いてみます。以前は弾きもしないのにギターに対する拘りがありました。でも最近はどうしても欲しいギターもなくなりました。それって、老化の兆候か?

Santa Claus is Coming to Town (1934)

This song is also a song that I always play at this time of year. I completely forgot how to play around February after Christmas and the new year, so I started over from around November. It's the same year after year. I don't live in a Christian worldview, so it's a life of reincarnation, a life that keeps going around in a repeating circle. I like it.

This year, I had Martin out for repairs for 8 months, so I bought this K.Yairi. It was 70,000 yen (450 US$). It's a pretty good guitar. My Martin has been repaired, so I'm going to try playing it with Martin for Christmas. I used to have an obsession(kind of desire) with the guitar even though I didn't play it for a long time. But lately, I've run out of guitars that I really want. Is it a sign of aging?

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2024年11月7日木曜日

2024 アメリカ大統領選で考えたこと

 

CNNと日本の開票報道を見ました。

両方ともお通夜のような雰囲気は共通でしたが、問題の本質は違うと思います。私はトランプ支持でもハリス支持でもありません。日本人の感性を持つ私からすると二人とも大嫌いです。日本のテレビ報道の司会者や出てくるコメンテーターの抽象度の低さ視野の狭さには今更ながら驚くばかりです。

私はローマ帝国と拒食症で若くして亡くなったカーペンターズのカレン・カーペンターが頭に浮かびました。       

アメリカはローマ帝国の成立から発展、そして滅亡への道にそっくりです。アメリカや中国のような若い巨大国家が暴走する現代の世界情勢と同じだということです。アメリカは自分たちの戦争をつねに正義の戦争といって民主主義をスローガンに世界の覇権を目指した。中国は長期的視野でアメリカに取って代わろうとしている。

ローマ帝国は現代のアメリカで、徹底的に魂を抜かれた日本はローマに滅ぼされたカルタゴと同じです。黄禍論に始まり排日主義は手を変え品を変えて現代まで続いている。日本政府に反抗する気概はない。     

ローマは発展度の異なる諸民族や移民が流入した。力をもつ少数者が繁栄を独占して自分こそが正義だと主張して他者を抑え込んだ。悪徳と貪欲がふくれ、そしてついに内部から崩壊する。今のアメリカと同じじゃないですか?ダイエットを繰り返し拒食症で食べると吐きついには心不全を発症する運命にある(カレンのファンの方々、ごめんなさいね。私はカレンの低音の歌声が大好きですよ)。  

自己中心的なアメリカに他者(弱者)に手を差し伸べる寛容さはあるか?そして日本は孤独に耐え覚醒する時が来るのか?   

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2024年11月5日火曜日

弦を交換して最初に弾く曲

 

K.Yairi RF635Y


ギターを購入後はじめて弦を交換しました。購入したのは3月ですから7か月ぶりです。通常は2~3年交換しないので私としては早いほうです。

弦を交換したら最初に弾く曲はやはりベンチャーズ『10番街の殺人』。ギター小僧の原点ですね。中学3年の夏休みに福岡市から大阪に引っ越したのですが、福岡ではフリーやレッドツェッペリンやグランドファンクが憧れの的だったのですが、大阪の中学ではベンチャーズでした。『ダイヤモンドヘッド』が弾けるとクラスの人気者。『十番街の殺人』まで弾ける中学校のスーパースターでした。

K.Yairi RF635Y

I replaced the guitar strings for the first time after purchase. I bought a K.Yairi guitar in March, so it's been 7 months. Normally, I don't replace it for 2~3 years, so it's early for me.

After changing the strings, the first song I played was "Slaughter On 10th Avenue" by The Ventures. It's the origin of the guitar boy. Here's how it all started. 

During the summer vacation of my third year of junior high school, I moved from Fukuoka City to Osaka, in Fukuoka, Free, Led Zeppelin, and Grand Funk were so cool among guitar kids, but in Osaka junior high school, surprisingly still The Ventures. If you can play "Diamond Head", you will be popular in the class. However, if you could play "Slaughter On 10th Avenue" , you will be a super-star in the whole school.

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2024年11月3日日曜日

西尾幹二さんを偲んで

 評論家の西尾幹二氏が死去 「自虐史観」是正に尽力、ニーチェ研究の第一人者(産経新聞) - Yahoo!ニュース

news.yahoo.co.jp
評論家の西尾幹二氏が死去 「自虐史観」是正に尽力、ニーチェ研究の第一人者(産経新聞) - Yahoo!ニュース
産経新聞「正論」メンバーで評論家の西尾幹二(にしお・かんじ)氏が1日、老衰のため死去した。89歳。葬儀・告別式は家族葬で執り行う。後日、お別れの会を開く予定。 東京都生まれ。東京大文学部を卒業後、


西尾幹二さんはテレビの対談番組なんかで失言も多かったけど、立派なドイツ文学者であり思想家でした。若い時に随分と勉強させてもらいました。西洋史学者の会田雄次(故人)も同じですが、ヨーロッパを研究してアメリカを見る人の洞察は非常に納得のいくものです。西尾さんに関して言いたいことは山ほどあるのですが、アメリカ大統領選が来週ということもあり一つだけ紹介します。アメリカの宗教性ということです。
アメリカはイスラエルと双璧をなす宗教国家です。ヨーロッパよりもはるかに神を信じます。ヨーロッパでいじめられた人々が新大陸に逃げてきたピューリタンです。ユダヤの起源と同じです(出エジプト記)。つまり、エジプトの迫害から逃れモーゼの下に集まった他民族の奴隷(後のイスラエル)とよく似ています。
日本人はアメリカの宗教性を考えない。明治・大正・昭和と考えて来なかった。和魂洋才の「才」ばかりに注目し「魂」を置き去りにした。アメリカという国は建国以来同じです。常に宗教を考え敵対する国の宗教(精神的主柱である魂の部分)をつぶすことを考えます。イスラエルと同じですよね?      昭和の敗戦直後のGHQ占領政策は、日本の宗教性(天皇を中心とした)をいかに消滅させるかを第一義としました。だから、歴史(国史)教育を禁止した。仕方がないので歴史を社会科の一部として組み入れた。即ち、宗教性(神話性)を抜いたものが社会科の日本史や世界史になった。これは令和の今でも変わりません。 
歴史は革命(今でいうイノベーション)によって変化するというキリスト教的歴史観と、歴史は動かない、つまり、四季のように繰り返すと考えるアジアの歴史観は異なると教えてくれたのも西尾幹二の著書でした。        西尾幹二先生、R.I.P.

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2024年10月30日水曜日

精神的な劣化

 


東日本大震災直後の13年前、この文章を書いた時の総理は菅直人でした。

https://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/04/buck-stops-here.html

繰り返し言っていますが、高齢者の問題は「責任感」と「情熱」と「他者との距離感」が低下することだと思います(私は石破さん野田さんよりも年上です)。特に「責任感」は急速に減衰して自己中心的になります。人生先が見えてくるからです。人によって差はありますが、だいたい65歳になると傾向は現れます。物理的な劣化は当然ですが、精神的な劣化に注目すべきです。日本人全体に言えることですが。


The Buck Stops Here !

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2024年10月28日月曜日

ドッグフードで選挙を振り返る

選挙結果にあきれ果てていたら、食卓の上にあったドッグフードのチップスを食べていました。悪くない。ケチャップをつけたら美味しく食べられる!日本の選挙と同じで、とうとう取捨を断ずることができなくなったか?

   

「私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ……生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ」(『人間・この劇的なるもの』福田恒存)。


福田恒存によると「生きる喜びとは必ずしも主役を演じることを欲しているわけではない」そうです。どんな人にも役割と責任は存在する。そして、それぞれの責任を忘れてはいけない。「政治家と国民の役割が不明確で、従ってそれぞれの責任がいっそう不鮮明になった」というのが私の衆院選の感想です。                 

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2024年10月21日月曜日

自分の意見を持つには


 70年近く生きてきましたが、自分を知るって本当に難しいと感じます。若い時から「一番信用ならんのは自分だ」と思ってきましたが、今でもその考えは変わりません。

信頼できる家族や友達や仕事仲間がいて初めて自分のことがわかる。他者と戦うのではなく自分と戦う。衆議院選挙の候補者を見ても明らかなように、今や自分と戦うことを忘れた人ばかりです。彼らは一番の強敵は他の候補者じゃなくて自分だということを忘れた人たちです。立派な政治家はいつの時代でも世界のどの国でもしっかりと現実的に考えている人です。

今の危うい世界情勢や日本の政治をみていたら考える力がつくと思います。様々な疑問が次から次へと浮かんでくるからです。疑うことで自分で考え理解できなければ調べる。そして更なる疑問が出てきてまた調べる。そうすれば、やがて自分の意見というものが浮かび上がってくる。ただし自分の意見が正しいとは限らない。だからまた考える。
    
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2024年10月20日日曜日

アジの開き

 アジの開き


塩焼きにするとアジよりも新鮮なサバのほうが脂がのっていて絶対に旨いけど、良質のアジの干物は懐かしい香ばしさがある。

岸壁から釣るとサバは小さいのしか釣れない(15~20センチ)。これは食べても旨くない。本当に美味しいサバは30センチ級で船で沖にでないと釣れない。岸壁から釣る豆アジは丸ごとから揚げにするので5センチくらいが旨い。イワシは大きさにかかわらず新鮮であればおいしい。  

鳴門の友人の話を聞いていると、私が徳島にいた40数年前と違って昔のように岸壁から釣れなくなったらしい。当時は夜釣りでアナゴも釣れました。

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2024年10月17日木曜日

うぬぼれと不安の交錯   















山かけ蕎麦

外で食べると1000~1400円(吉祥寺神田まつや は1320円)。私は自分で作ります。作る楽しみもあるから。


1980年代の初め、六本木のランチは1000~1200円でした。自分も若いし給料も少ない。四国徳島から六本木に異動してきた私は別世界である東京の物価はすごく高いと思いました。でも当時のサラリーマン同様に私は1200円のランチを食べていた。夜は同僚と飲みに行ってから帰宅した。社会保障にしても税金にしても特に気にすることはなかった。


あれから40年、情報システム(デジタル化)は急速に進歩し生活環境は随分と便利に変化しました。しかし、若い人たちには酷な社会になったと思います。

1980年代後半、長男が生まれ住宅ローンが始まると生活は苦しくなり、買ったばかりのマンションを放り出してニューヨークに逃亡したのでした。「うぬぼれ」と「不安」をごちゃ混ぜにしながら。
   
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2024年10月16日水曜日

経験は自信につながり、自信は覚悟につながる

ウクライナ、中東、朝鮮半島、台湾と世界はあちこちでとんでもない状況になってきました。グローバル化が行き過ぎた場合、人類は戦争以外に解決する手段を持ち得ないのでしょうか? 国連が機能しないことは明らかになりました。コロナ禍でWHOも役に立たないことが露見しました。

国家には国民を護る責任があります。ところが、北朝鮮の拉致問題を見ても半分国家の日本に多くは望めません。また、最近の政治家の言っていることを聞いていると、日本は半分国家が1/4になろうとしているかのようです。

「外」(海外)から「内」(日本)を見るって本当に大事だと思います。「内」しか知らないって子供の世界のようなものです(江藤淳が言った「ごっこ」の世界)。私みたいにオツムが空っぽでも外の世界でひどい目にあってきた経験(体得)は自信につながっています。そして自信は覚悟につながると思うのです。コンサルティングビジネスは「仮設・検証」だといわれています。しかし大事な点は、検証で導き出される解決策って体験的じゃないと意味がないということです。仮設はビジネススクールで教わる知識かもしれないけど、検証は体験に裏付けられないと机上の空論になります。

よく理解することなくコンサルは学生の人気職業の一つになっているようですが、日本のコンサルタントは体験的じゃないという半分コンサルのようです(コンサルごっこ?)。アメリカも随分と変わりました。しかし、まだ体験的な部分を重要視する要素が残っていると思います。


可愛い子には旅をさせよ

Spare the rod and spoil the child.
むちを惜しめば子どもを駄目にする

今の日本は子が親離れできないよりも親が子離れできないほうが多い? (ご無礼!)

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2024年10月14日月曜日

これからの時代、本当に大事な教育とは?

これからのAIの時代、つまりデジタル化が進化すればするほど、想像力や判断力やイニシアチブが重要になってきます。 だとすると、中学や高校時代に枠にはめられた受験勉強ではなく、歴史や文学を学ぶ意味が出てくるのです。 デジタルの世界が実は曖昧さや創造力が大切なんて皮肉ですね。

日本の教育はアメリカのMBAのようになっている。つまり、すぐに役立つものや世間が興味を持つ実務的なもののみが知識として重要視される状況です。1990年代前半にボストンでオラクルの創業者であるラリー・エリソンのプレゼンテーションを聞く機会がありました。オラクルは今の10分の1の売上、ラリーはホラ吹きセールスマンだと揶揄するジャーナリストもいた時代です。しかし、ラリーの頭の中にはインターネットを中心とした近未来がイメージできていたのでしょう。スマホがない時代にスマホを「スーパーセット」と言ってました。

今の日本の政治家は嫉妬というかコンプレックスが強いようです。コンプレックス(優越感と劣等感のミックス)が強い人たちに金と権力を持たせちゃいかん。コンプレックスの原因は序列社会の中で大学入試の失敗が人生の最大の挫折と思っていることかも知れません。基本は彼ら自身の内部にある「ENVY」でしょう。

福沢諭吉は『学問のすゝめ』十三編で「怨望」について書いています。多くの欧米の書物を読んで日本に紹介した福沢諭吉は、英語のenvy(エンヴィ)を「怨望(えんぼう)」と訳したのでしょう。 これは、妬みのことです。福沢諭吉はこれが一番よくないと言っています(凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし)。福沢諭吉は「怨望」を「他人と幸せのレベルを比較して、自分のほうが不幸せだと感じたら、自分が幸せになろうと努力するのではなく、他人を不幸に陥れようとして低レベルに平均化すること」と説明しています。  

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2024年10月13日日曜日

実情 ~ 空気を通してみた事実

 

「新聞を読まない人は、読む人よりも真実に近い」( 第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソン )

新聞や週刊誌だけでなくテレビを見ない人は見る人よりも真実に近い。私は30年以上日本のメディアとは距離をとってきました。だから汚染レベルは比較的軽度なのでしょう。学生の頃はA新聞の世論調査のバイトをやっていたので、世論調査なんてものも一切信じません。ネットで様々な角度でニュースを検索するように努めているのですが、ある程度は汚染されていると思います。  

最近のテレビやラジオは本当にひどい(アメリカ並みだ、、、)。経営が苦しいんでしょうね。お金のためなら何でも書く。どんどん大胆になってきています。どこの国の人だか分からないようなコメンテーターが知識人の代表であるかのようにコメントします。司会者も出鱈目ですね。単に進行をつかさどるのではなくニヤニヤした愛想笑いの奥底に悪意を感じます。

福沢諭吉が言いました。

「信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮(ぼくぜい)を信じ、、、、、」。

今の日本であれば、

「国民は新聞・テレビ報道を信ずと雖(いえ)ども、その信は偽を信ずるものなり、、、」です。つまり、信であると思って信じているものが、嘘偽りを信じていることに他ならない。

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2024年10月12日土曜日

発信する重要性

仕事のプレゼンや楽器の演奏も同じです。発信(アウトプット)して失敗したり恥をかかないと成長は限定的になります。試行錯誤を繰り返して錯誤の幅を狭めていく。死ぬまでそれが続くのでしょう。老害にならぬ程度に、、、。

重要なことは、失敗を共有したり振り返る楽屋みたいな場があることです。楽屋での仲間やライバルとの刺激しあう会話があるから次のステージにつながると思います。料理も同じで、食べてもらえなくても失敗しても作り続ける前向きな姿勢。それが次につながるのです!    



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2024年10月11日金曜日

サキソフォンを始めました

 

サックスケースは新たに購入しました

9月になってアルトサックスを始めました。生まれて初めてのSAXです。

息子が27年前に学校で吹いていたサックスを27年ぶりにケースから取り出しオーバーホールに出しました。WHITE PLAINS(ニューヨーク郊外)の Sam Ash(楽器屋)で800ドルくらいで購入したものです。今回の修理は¥98,000 でした。これは練習するしかない!と始めたのでした。

I started playing alto saxophone. It's the first time in my life. This is the recording of my second week (excuse me!).I took the saxophone out of the case that my son played at school 27 years ago and sent it for overhaul. I bought it at Sam Ash in WHITE PLAINS (suburbs of NY City) for $800, and this repair cost me 98000 yen. I thought that the only way to deal was to practice myself. 

   
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2024年10月10日木曜日

政治のドタバタ

 

日本政治のドタバタは日本国民が覚醒する絶好の(最後の?)機会かもしれません。石橋湛山(55代首相)と吉田茂(45代、48~51代首相)を比較することで、敗戦後80年の日本政治を理解するヒントになると思います。考えは異なりますが、二人とも日本の生き残りをとことん考えたのでしょう。  

自信を持つということは個人も国家も大事です。日本が自信を持つには経済の繁栄だけでない。1945年の敗北に立ち返り、栄えるも滅びるも自分たちの運命は自分たちの意志で引き受ける誠実さが必要だと思います。今の政治家に誠実さがありますか?

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2024年9月20日金曜日

国語に関する世論調査と自民党総裁選

TBS Nスタより(文化庁調査)

2023年度「国語に関する世論調査」

そろそろ人生を振り返る年齢になってきました。人生のどのフェーズを見ても私には人に自慢できる価値なんてないことを再認識させられます。これは謙遜とかじゃなく、自分のことは自分が一番知っているから言えることなのです。    

5年に一度の文化庁の国語に関する調査が発表になりました。驚きです。私は学校は大嫌いでしたが本はいっぱい読みました。小学生の頃は伝記やSFが好きでした。10代の頃、読書は学校の勉強よりも重要になりました。それは学校の先生よりも本の方が価値があると思っていたからです。大人からすると鼻持ちならないイヤなガキですね。  
   
社会人になってからは、仕事柄移動が多かったので出張には必ず本を持って行きました。読書は中国やアメリカで仕事をする上で役にたちました。そもそもコンサルという仕事の本質は「パクリ」です。引き出しにより多くのネタが入っているほうが仕事がやり易くなるのです。   

自民党総裁選は国民に対するリトマス試験紙

さて、自民党の総裁選の話題です。いろいろと勉強になります。日本国民に対するリトマス試験紙です。人となりを知るための基礎の基礎は読解力だと再認識しました。  

先日の記者クラブでの会見を2倍速で、更に飛ばし飛ばし見ました。9人の候補者はそれぞれ違っているけど共通点もあります。「話す力」の前に「聞く力」に問題があるように感じました。

① 質問を理解した上ではぐらかす。
② そもそも相手の質問の意味が解らない。

政治家だから半分以上は①のパターンでしょう。ところが明らかに②の人がいる。更に視点が小学生の作文の域を出ていない(論文の域に達していない)。

質問の主旨を読み取れないのに自分の意見が言える訳はないのです。胡麻化そうとしてもダメです。自分勝手に相手の質問を解釈しておいて全く疑問を感じない。恐らく子供の頃からアンテナの感度を上げる努力もなく、見識が深まっていない。

②の人は最低限以下の事を実行したらいいと思います。  

1.相手の質問のキーワード(概念)をメモする。
2.全体の論理構造を理解する。
3.質問の趣旨を読み取りながら、返答の方向性を考える。

政治家、そもそも一国の宰相を目指す人たちなのに、全体を鳥瞰する眼(世界観)をもっていない。これは日本の戦後教育の当然の帰結でしょう。時代を最低数百年単位で見渡し、今起こっていることがどういったことかを自分で考えたことがない事は明らかです。

和魂洋才という意味では志の道半ばで間違ったかも知れませんが、少なくとも明治の日本国民は西洋に追いつこうと知識の収集や世界観の構築に一生懸命になったのだろうと思います。やはり日本全体のレベルが下がったということか?              

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2024年9月12日木曜日

アメリカ大統領選と自民党の総裁選

 

日本にはアメリカやアメリカの「反知性主義」に対する誤解があります。分かり易く言えば「反知性主義」は日本の政治家の世襲のようなものです。

多くのアメリカ人はお金を持ってる者だけが有名な大学に行き重要なポストに就きそれが世襲されることを嫌います。これは、キャピタルゲインで金持ちだけが更に金持ちになることとも共通性がある。実際TOP1%の所得は全アメリカの所得の95%に等しい。自由な社会の前提は自己規律、つまり道徳なのです。今後のアメリカは自らが信じて来た自由との闘いになるでしょう。

いくつか大事なことがあります。第一にアメリカは平等を求めてイギリスから逃げてきた人たちが作った国であることです。だから平等という価値観が非常に強い。二つ目は、反知性主義というのは知性を攻撃しているのではなく、知性の権威で不当に利益を上げていないか(知性と権力の結びつき)をチェックしようという主義のことです。三つ目を挙げるとすると、リーダーとは自分の知性と権威に対して常に自己反省が出来るか否や(integrity)がポイントなのです。だとすると、今のアメリカはすでに原点に戻るのが不可能なくらい壊れてしまっているのではないでしょうか?

自民党の総裁選は日本の政治家のレベルの低さを如実に示しています。国民の何%が気づいているのか? 学歴に騙されちゃいけない。

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2024年9月4日水曜日

The Match


今の日本が陥っている政治の劣化って想像を絶するほどに深刻です。政治だけでなく、政治報道に携わる新聞・TV、政治ジャーナリスト、TVの報道番組に登場するコメンテーターやら専門家、大学の先生たちを見ていると絶望的になる。もしかしたら、辛亥革命前後の中国と同じかもしれない。申し訳ないが国民は魯迅が描いた『阿Q』のように見えることがある。

「The Match」? 何だか高校か大学の学園祭で自分たちだけが理解するロジックで盛り上がっている学生みたいじゃない?国民の責任は大きいのだろうけど、80年近く前の敗戦直後の坂口安吾が言ったように「堕落しろ、まだまだ堕落が足りない、もっと堕ちろ」しかないか?

「日本や日本人とは、いつまでたってもお気楽なものだ。 むなしい人間関係の上に安眠し、社会制度や国際情勢というものに全身を投げかけて平然としている。 堕落のもつ性格の一つは孤独であると敗戦直後に言ったではないか。 だから、人間の持っている自然の姿(人性)に帰るためにも、もっと孤独になれ。 とことん堕落しろ! そして、 一人荒野を歩いて、そこから這い上がれ」(『堕落論』坂口安吾 1946年)。

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2024年9月3日火曜日

Key To The Highway

 

Key To The Highway (1940)

この曲を聞くと映画『男はつらいよ』が思い浮かびます。主人公の寅さんは、旅回りのテキ屋なのですが帰るべき故郷があります。寅さんの話って実はアイデンティティの確認ではないだろうか?
    
全国を飛び回る寅さんには葛飾柴又で時間を共有した家族や旧知の隣人がいる。つまり、アイデンティティがある。だからこそ町から町へと放浪できるのでしょう。寅さんのアイデンティティは葛飾柴又の人々によって守られているのです。
Rather than a man who left his home because he fell in love with a woman, he is more like a Japanese movie Otoko wa tsuraiyo (男はつらいよ, It's Tough Being a Man). Main character Tora-san is a traveling salesman who has a hometown to return to. Tora-san's talk is a confirmation of identity. Tora-san, who travels all over the country, has old neighbors with whom he shared family and time in Katsushika Shibamata. In other words, he can wander from town to town because he has an identity. Tora's identity is protected by the people of Katsushika Shibamata. That's what it is all about.
  
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2024年7月22日月曜日

ちゃんと生きて、きれいに死ぬ

早朝の井の頭公園



「ちゃんと生きなかったら、きれいに死ねない」松田優作さんの死が転機に。原田美枝子さんインタビュー

https://mainichigahakken.net/hobby/article/post-2381.php?fbclid=IwAR1_wI-Z2tw0xqJexpTu4vDi-AnZBNivehEiFyAZdtDVSPeaPvAAWMnILCA
(毎日が発見ネット 2023.8.25)

私はいつも「年を取るってロクなもんじゃない」と言っていますが、良い点もホンの少しだけあります。それは若い時に興味が無かったり理解できなかった日本の古典とか宗教が少しばかり分かった気になることです。

原田さんは65歳になるんですね。人間65歳になると、何となく落ち着かず夏休みの最終週の子供の気持ちになってきます。川下りでそろそろ滝つぼの存在に気づきはじめる頃です。夏休みはいつ終わるか分かっていますが、滝つぼはいつやってくるのか分からない。突然やってきて真っ逆さまに落ちる。それでおしまい。

誰が言ったのか忘れましたが、「立派に費やされた人生には幸福な死が訪れる」というのがあります。幸福の議論は盛んなようですが、それらは全て生きている間、つまり滝つぼが意識にない間のハウツーであり死ぬ事との向き合い方は教えてくれないのです。
  
私はこれまで人生を10年単位で考えてきましたが、高齢者になると5年単位でゴールから逆算して計画を立てることが賢明だと思います。決して100歳まで生きようと思うことじゃない。
  
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2024年7月17日水曜日

トランプのランニングメイト J.D.Vance


トランプが J.D.Vance をランニングメイト(副大統領候補)として選んだ理由を考察することは、アメリカを理解する上で重要なことです。それは反知性主義の象徴だからです。日本は自分らの運命がかかっているのに、ちゃんと解説できる知識人は殆どいません。

日本にはアメリカやアメリカの「反知性主義」に対する誤解がある。分かり易く言えば「反知性主義」は日本の政治家の世襲のようなものです。お金を持ってる者だけが有名な大学に行き重要なポストに就きそれが世襲されることを嫌います。これはキャピタルゲインで金持ちだけが更に金持ちになることとも共通性があると思います。実際TOP1%の所得は全アメリカの所得の95%に等しい。自由な社会の前提は自己規律、つまり道徳なのです。今後のアメリカは自らが信じて来た自由との闘いになるでしょう。

いくつか大事なことがあります。第一にアメリカは平等を求めてイギリスから逃げてきた人たちが作った国であることです。だから平等という価値観が非常に強い。二つ目は、反知性主義というのは知性を攻撃しているのではなく、知性の権威で不当に利益を上げていないか(知性と権力の結びつき)をチェックしようという主義のことです。三つ目を挙げるとすると、リーダーとは自分の知性と権威に対して常に自己反省が出来るか否や(integrity)がポイントなのです。だとすると、今のアメリカはすでに原点に戻るのが不可能なくらい壊れてしまっているのではないでしょうか?

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2024年6月22日土曜日

東京都知事選に思う

 


今年も長野から杏がやってきて杏ジャムになりました。

暴力の独占


マックス・ウェーバーが定義した主権国家は「暴力の独占を有する」ということでした。一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものです。ここで重要なのは、こういった独占に正統性(レジティマシー)があるかどうかという事です。

東京都ほどの規模になると一つの国家のようです。独裁国家や共産主義にはレジティマシーは存在しませんが、日本は半分国家ですが、支配者の言いなりになる専制国家ではないはずです。だとすると、リーダーを選ぶ場合、レジティマシーが問われるべきです。

レジティマシー

普通の国や大都市の支配関係はどうあるべきか? 支配される側(例えば東京都民)は、いつ、いかなる理由で権威を受け入れるのか? 支配する側の正当化の手段とはどういったものなのか?
マックス・ウェーバーはレジティマシーを以下の3つで説明しています:

  1. 「永遠の昨日」の権威; 昔から妥当していることによって、またそれを守ろうとする習慣的な態度によって神聖化された習俗
  2. リーダーの資質(カリスマ性も含む)に対する支配される側のコミットメント
  3. 合法性による支配。

どういった組織でも同じです。ある人が誰かについていくとき、そこには「レジティマシー」があるべきです。

今の日本は「動機は不純で責任はとらない」ということだと思う。メディアはジャーナリズムとは程遠く情動(エモーション)に埋没している。たちの悪い大衆人化している。責任感のない人たちにジャーナリスティックな役割を与えるのは危険極まりないのです。多くの国民は騙されますから。   

政治のために生きるか、政治で生きるか?
                  
マックス・ウェーバーに「仕事としての学問 仕事としての政治」という有名な講演があります。政治を仕事にする人には2種類あって、政治のために生きるか、政治で生きるか(生計を立てる)を議論しています。この2つは明確に分離できるものではないのですが、政治で生計を立てる職業政治家は、サラリーマンのような有給の役職者か、業績に対して手数料を受け取るか、現物支給や現金を受け取るしかないのです。   

政治という仕事の理解政治家に必要な資質の両面を根本から考え直さないと、東京都知事選のような状況になるのです。

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2024年6月10日月曜日

不登校は人生の勉強

 

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/34036

不登校になる子供たちよりも、日本の虚無的(ニーチェの言う消極的ニヒリスト)な社会や教育システムのほうが問題なのですよ。学校が本来あるべき人間形成の場になっていない。  
            
不登校って、世間の色に染まりたくないという精神でいる限り全く問題はないと思います。挑戦するってことだからね。人生って死ぬまで試行錯誤の連続です(挑戦)。自分が何をやりたいか、そして、何をやったかがその人の人生でしょう。                        
      
不登校も人生の勉強といえます。自分の人生について考える時間になっているのであれば問題はない。むしろ充実した老後が待っていますよ。真面目に学校に行って従順な態度に徹するって、安全な道ばかり行こうとすることであり、こういった謙虚さは逆にズルさや打算的で、後出しジャンケンのような感じがするのです。

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2024年6月8日土曜日

未熟を楽しむ

 

Baby, Please Don't Go (1935年)

私はこれまで自分は未熟であるという前提で生きてきました。そろそろ人生先が見えてきましたが、これからも変わりませんよ。未熟さに対するコンプレックス(劣等感)なんてありませんからね。それはまだまだ可能性があるということです。未熟は楽しめばいいのです。ギターは言うに及ばず、唄に関しては私の可能性は95%は残っているんじゃないかと思います。   

Enjoy immaturity

I have lived my life on the assumption that I am immature. I don't know how many more years I will be alive. Life has become clearer, and my assumption will not change. To me, there is no such thing as an inferior complex about immaturity. It means that there is still a lot of potential(sounds good!). Enjoy immaturity. Not to mention my guitar, I think I still have more than 95% potential when it comes to singing a song.

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2024年6月2日日曜日

東京都知事選とイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』

 

暴力の独占

マックス・ウェーバーが定義した主権国家は「暴力の独占を有する」ということでした。一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものです。ここで重要なのは、こういった独占に正統性(レジティマシー)があるかどうかという事です。

東京都ほどの規模になると一つの国家のようです。独裁国家や共産主義にはレジティマシーは存在しませんが、日本は半分国家ですが、支配者の言いなりになる専制国家ではないはずです。だとすると、リーダーを選ぶ場合、レジティマシーが問われるべきです。

レジティマシー

普通の国や大都市の支配関係はどうあるべきか? 支配される側(例えば東京都民)は、いつ、いかなる理由で権威を受け入れるのか? 支配する側の正当化の手段とはどういったものなのか?マックス・ウェーバーはレジティマシーを以下の3つで説明しています。
  1. 「永遠の昨日」の権威; 昔から妥当していることによって、またそれを守ろうとする習慣的な態度によって神聖化された習俗。
  2. リーダーの資質(カリスマ性も含む)に対する支配される側のコミットメント。
  3. 合法性による支配。
会社でも、どういった組織でも同じです。ある人が誰かについていくとき、そこには「レジティマシー」があるべきです。

Hotel California (1976年)

東京都知事選挙を見ていると、どうしてもこの曲を思い出してしまいます。この曲は快楽主義や金持ち主義(hedonism)を批判したもののようです(イーグルスは皮肉にもお金の取り分に関して裁判にまでなってしまいましたが、、、)。なぜ東京都知事選挙が『Hotel California』につながるかを見てみましょう。
      
They livin' it up at the Hotel California
What a nice surprise
Bring your alibis

選挙だ選挙だとメディアが煽って世間は大騒ぎしている。
政治のために生きたいと思うならば(政治で生きるのではなく)、先ずは自分らの潔白を証明する証拠を持って来いよ!

And she said, "We are all just prisoners here of our own device"
みんな自らすすんで自分の欲望の虜になっている。

They stab it with their steely knives, but they just can't kill the beast
欲望という化け物を刺し殺そうとするんだけど、どうしても出来ない。

"We are programmed to receive
You can check out any time you like, but you can never leave"

諦めて自分で考えないで流れに乗ってればいいんだよ。みんな絶対に逃れられないんだから。
   
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2024年5月24日金曜日

アメリカとは何者なのか?










私の原点は『鉄人28号』

鉄人28号は昭和の戦争末期に日本軍が起死回生の秘密兵器として開発したロボットでした。鉄人28号がテレビで放映されたのは1963年から1965年。小学生の私は夢中になりましたね。作者の横山光輝によると鉄人28号はフランケンシュタインとB29から着想を得たと語っています。ブラック・オックス(写真左)は悪役の不乱拳酒多飲(ふらんけんしゅたいん)博士が製作した鉄人28号のライバルです。

アメリカは変わった

移民の変化

宗教がアメリカ大統領選の根底にあるのは間違いありません。しかし、ここ数十年のアメリカの問題は、キリスト教プロテスタント的な価値観が移民の流入によって希薄になったことです。1970年代までのアメリカへの移民はヨーロッパからの白人が中心でした。ところが移民法の改正等もありアメリカへの移民の70~80%は有色人種になった。結果、アメリカのアイデンティティであったWASP文化がなくなったという事です。

アイデンティティの喪失

アメリカ没落の原因はアメリカのアイデンティティの崩壊であることは明白です。ハーバードの政治学者ハンティントンは、1990年代の半ばに「アメリカは将来的にプロテスタントの倫理観念とアングロサクソンの政治文化を失い国家としてのアイデンティティが無くなる」と予言しています。日本のアイデンティティを喪失させることに成功したアメリカは80年後に自らのアイデンティティを失うこととなる、、、何という皮肉か

日本はどうか?

フーテンの寅さんの口上はアイデンティティの確認作業です。フーテンで全国をフラフラしている寅さんでも、葛飾柴又に家族や時間を共有した昔からの隣人たちがいる。つまり、アイデンティティを保守しているからフラフラできるのです。1970年代の中ごろまでは、日本でも評論家や大学の先生たちが日本のアイデンティティ喪失の危機感を盛んに議論していました。ところが、いまやそんなこと問題にしている知性はどこにもありませんね。総理大臣に聴いてみたいものです。知性の崩壊、これもアメリカと同じ道を歩んでいます。  

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2024年5月18日土曜日

Judy Blue Eyes ~ CSN&Y

 

Suite: Judy Blue Eyes(1969年)

ウッドストックでのCSN&Yは衝撃的でした。福岡市城南中学3年の時に『4 Way Street』がリリースされ自分の持っているギターとは全く音が違うことに戸惑いました。同級生の S君と毎日レコードを聴きながら頭を抱えました。レギュラーチューニング以外に別のチューニングがあるなんて想像すらしなかったのです。

当時は映像もなかったので、どう弾いているのか全く分からない。中三の一学期中悩んで諦めました。夏休みに大阪に引っ越しフォークロック愛好家の S君とも別れ、私の興味の対象はCSN&Yからクラプトンのクリームに移りました。

あれから半世紀、今やYouTubeにはチューニングの仕方から丁寧に弾き方を教えてくれる映像がいっぱいです。Easy come Easy go です。

CSN&Y at Woodstock was shocking. Soon after Woodstock, "4 Way Street" was released, and I was confused by the fact that the guitar sound was completely different from the guitar I had. I was scratching my head while listening to the record every day with my classmate. I didn't even imagine that there was another tuning other than regular tuning.
At that time, there was no video, so I had no idea how they were playing. I worried about it all semester before summer vacation and gave up. Then, I moved to Osaka, and my interest shifted from CSN&Y to Clapton's Cream.  
Half a century has passed since then, and now YouTube is full of videos that teach you how to tune and how to play carefully. Easy come easy go.


2024年5月17日金曜日

Hideaway ~ エリック・クラプトン

 

Hideaway(1966年)

この曲を最初に聞いたのは中学3年から高1の頃です。開局したばかりのFM大阪の田中正美のビートオンプラザという一時間の音楽番組でエリック・クラプトン特集をやっていました。洋楽ロックを中心に、毎日話題のアルバムを頭から終わりまで、基本的にはノーカットで放送してくれる番組だったのです。クリームを含むクラプトンの60年代の全アルバムを特集で流してくれました。私はオープンリールのテープデッキで録音しました。
Hideway のコピーに挑戦したのは初めて聞いてから40年後、つまり50代になってからです。コードが E の 3コードのブルース、全てのギター小僧の基本となる曲ですが、私は初老になってからのチャレンジでした。卓上ギターアンプをバスタオルで包んでの深夜のハムバッカーサウンドです。
The first time I heard this song was when I was in the third year of junior high school or the first year of high school. There was a one-hour music program called 「Beat On Plaza」by Masami Tanaka on FM Osaka, right after they had started the FM station. It was a program that mainly broadcast Western rock music and topical LPs(albums) from head to end every day, basically uncut. They featured all of Eric Clapton's albums from the '60s, including Cream. I recorded with an open-reel tape recorder.
I didn't try to copy Hideway until I was in my 50s; that was 40 years after I first heard it. It's a blues with three chords with a chord of E, and it's the basis of all guitar boys & girls, but it's a challenge for me when I'm in my 50s. Below is a after mid-night humbucker sound with a table-top guitar amp wrapped in a bath towel.

Ohio ~ CSN&Y

 

Ohio(1970年)

この曲を忘れていました。中3の一学期はCSN&Yの『4 Way Street』を毎日聞いていたような気がします。『Ohio』は『4 Way Street』に収められた一曲です。当時、この曲の背景に関しては、ベトナムの反戦歌であるということ以外は全く知りませんでした。この曲は、1970年5月のオハイオ州ケント大学の銃撃事件を題材にしています。ベトナム戦争をカンボジアに拡大しようとする政府に反対する学生のデモに対してオハイオ州の州兵が発砲し4人の学生が亡くなり多数の負傷者を出したのです。
2007年から2年間、仕事の関係で毎週のようにNYの自宅からオハイオに出張しました。同世代のアメリカ人のパートナーとこの曲の話で盛り上がりました。そして、我々以外のメンバーは全員が若く、 Kent State Massacre もCSN&Yの『Ohio』も知りませんでした。プロジェクトメンバーの中にはウクライナからの移民も混じっていました(優秀な若者でした)。
I almost forgot about this song. In the first semester of the 3rd year of junior high school, I listened to CSN&Y's "4 Way Street" album every day. "Ohio" is a song from "4 Way Street". At the time, I didn't know anything about the background of the song, other than that it was an anti-war song in Vietnam. The song is based on the May 1970 shooting at the Kent University in Ohio. The Ohio National Guard opened fire on a student demonstration against the government's attempt to expand the Vietnam War to Cambodia, killing four students and injuring many others.
For two years from 2006, I traveled from my home in New York to Ohio almost every week due to work. I had a lot of fun talking about this song with my American partner of the same generation. Other than us two, all the project members were young, and they didn't know Kent State Massacre or CSN&Y's Ohio. Some of the project members were immigrants from Ukraine (they were excellent young consultant).

Voodoo Chile ~ ジミー・ヘンドリックス


Voodoo Chile (1968年)

好きなギタリストはいっぱいいますが、誰が一番かというとジミヘンですね。彼が凄いのは、自分の頭の中にある想像をギターや歌で見える形にしたということです。当時(1960年代)の録音は4トラックで、できることは限られていたはずですが、常識にとらわれないギターのセッティングやエフェクターの可能性を思う存分に引き出した。70年代以降のロックギタリストの原点は全てがジミヘンに詰まっていたといっても過言じゃないでしょう。本当はエレキとワウでやりたいのですが、なにぶん夜中なもんで、、、。

There are a lot of guitarists I like, but if I had to pick one that is the best, it would be Jimi Hendrix. What's amazing about him is that he was able to take the imagination in his head and make it visible through his guitar and songs. At that time (1960s), recordings were made on 4 tracks, and there must have been a limit to what could be done, but Jimi brought out the possibilities of guitar settings and effector pedals that were not bound by common sense. It would not be an exaggeration to say that the origin of rock guitarists since the 70s was all packed in Jimi Hendrix. I really wanted to do it with electric guitar and wah pedal, but it's the middle of the night now、、、。

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