これからのAIの時代、つまりデジタル化が進化すればするほど、想像力や判断力やイニシアチブが重要になってきます。 だとすると、中学や高校時代に枠にはめられた受験勉強ではなく、歴史や文学を学ぶ意味が出てくるのです。 デジタルの世界が実は曖昧さや創造力が大切なんて皮肉ですね。
日本の教育はアメリカのMBAのようになっている。つまり、すぐに役立つものや世間が興味を持つ実務的なもののみが知識として重要視される状況です。1990年代前半にボストンでオラクルの創業者であるラリー・エリソンのプレゼンテーションを聞く機会がありました。オラクルは今の10分の1の売上、ラリーはホラ吹きセールスマンだと揶揄するジャーナリストもいた時代です。しかし、ラリーの頭の中にはインターネットを中心とした近未来がイメージできていたのでしょう。スマホがない時代にスマホを「スーパーセット」と言ってました。
今の日本の政治家は嫉妬というかコンプレックスが強いようです。コンプレックス(優越感と劣等感のミックス)が強い人たちに金と権力を持たせちゃいかん。コンプレックスの原因は序列社会の中で大学入試の失敗が人生の最大の挫折と思っていることかも知れません。基本は彼ら自身の内部にある「ENVY」でしょう。
福沢諭吉は『学問のすゝめ』十三編で「怨望」について書いています。多くの欧米の書物を読んで日本に紹介した福沢諭吉は、英語のenvy(エンヴィ)を「怨望(えんぼう)」と訳したのでしょう。 これは、妬みのことです。福沢諭吉はこれが一番よくないと言っています(凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし)。福沢諭吉は「怨望」を「他人と幸せのレベルを比較して、自分のほうが不幸せだと感じたら、自分が幸せになろうと努力するのではなく、他人を不幸に陥れようとして低レベルに平均化すること」と説明しています。
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