数年前に備忘録として書いたものです。 ちょっと堅苦しいかも知れませんが、、、。
戦争になった一つの時代背景 ~ アメリカ側から見たらどうなるか?
私は戦争オタクではないし、右でも左でもない。 若い頃と違って戦争の本は読まなくなりました。 とても空しいし、悲しいですからね。 でも、近現代史をできるだけ事実に基づいて理解しておくというのは非常に大事なことだと思います。 「何が事実」と言うのは難しいですが、、、。
一つ鉛直な真実として言えることは、日本内部の問題だけで戦争になったのではないと言う事です。
それについて少々。
アメリカは第一次世界大戦というヨーロッパの戦争で大儲けをしました。 兵器を作りまくった。 つまり、朝鮮戦争時の日本と同じでした。 重工業に大投資しました。戦争が終わり生産過剰、過剰投資になり、やがて、大不況になった。 ニューヨーク株が暴落し、ついには世界大恐慌になりました(1929年)。 経済学者じゃないから経済理論からの説明はできませんが、、、。
そういった中、民主党のルーズベルトが大統領に当選しました。 それまでは共和党のフーバーでした。 このルーズベルト大統領が日本の運命を大きく変えたのだと思います。 マンハッタンには南北に走る2つのハイウェイがあります。 一つはハドソン川沿いのウエストサイド・ハイウェイ、そして、もう一つがイースト川沿いのFDRドライブ、つまり、フランクリン・D・ルーズベルト ハイウェイです。
ルーズベルトと言うのは強烈な人種偏見、人種差別の人でした。 真珠湾の前から日本人強制収容所の計画を持っていました(記録も残っています)。
ルーズベルトは戦争には介入しないことを公約に大統領に当選しました。 選挙公約を破るわけにはいかないから景気回復のための戦争はできない。 ニューディール政策と言っても効果はないし、このままでは経済は回復しないし、大統領も首になる、、、、、困っていた。
そこに、カモネギの日本がいたのですね。
自分で戦争できないから蒋介石の中国(国民党)に日本と代理戦争をやらせた。 あらゆる知恵(軍人)と兵器と金を与えて、日本を中国大陸の奥へ奥へと引っ張り込んでいった。 アメリカ軍はタイ国境から内陸部に物資の輸送をした(これが所謂 「援蒋ライン」 と呼ばれるものです)。
日本は田舎者の成り上がりで、軍部は国際情勢なんて読めないから、いけいけドンドンで満州事変で調子に乗って盧溝橋でハメられた(色々と説はあるが、、、)。 ルーズベルトはニヤリとしたと思います。 もともとアメリカは列強として中国大陸に進出したかったわけですが、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアに遅れをとって焦っていました。 また、ルーズベルトは反日派と言うだけでなく親中派でした。 これは、民主党の伝統なのかルーズベルト個人の考えなのかは分からないですが。
日本軍の真珠湾攻撃と言うのは、ルーズベルトにとって千載一遇のチャンスだったわけです。 援蒋ラインでは限度がある。 アホな日本が奇襲してくれたらアメリカ国民の支持も得られる。 戦争して景気を一気に回復できる。 恐らくパールハーバーでニヤッとしたのは山本五十六ではなくルーズベルトでしょうね。 山本五十六は「大変なことになってしまった、、、」と焦ったでしょう。
ヤルタ会議(1945年2月)でスターリンにかけあって終戦の直前にソ連に参戦させたのもルーズベルトだと言う事をどれだけの日本人が知っているのか? ルーズベルトはスターリンに対して「千島列島と南樺太をやるから日本に宣戦布告しろ」と言ったそうです。
日本では「原爆を広島と長崎に落とした大統領はトルーマンだ」と、トルーマンのほうがルーズベルトより印象が悪いようです。 しかし、トルーマンは「前大統領の決定を単に実行したまでだ」と発言しています。 ルーズベルトが急逝したのは1945年4月(脳卒中)だから、トルーマンの発言は嘘ではないと思います。 そもそも、原爆のマンハッタン計画の推進リーダーはルーズベルトでした。
ちなみにルーズベルトの墓地はブロンクスのWoodlawnにあります。 同じ墓地には野口英世の墓もあります。 余談ですが、今では1000円札になった野口さんも、伝えられていることと実際とはかなりギャップがあったようです。
後編は、近々UPします。
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