柴五郎を知っている日本人ってどれくらいいるでしょう。 幕末から明治を生きた有徳の人です。
柴五郎は、義和団の乱(1900年)で総指揮をとりました。 各国からの寄り合い所帯で意思疎通が難しい中、事態収拾後、
柴五郎は会津藩士の家に生まれました。 戊辰戦争で官軍(指揮官は板垣退助)の攻撃を受けて落城した時、母や祖母は自刃しました。 生き残った父や兄たちと津軽に流刑の身となり凄惨な生活を強いられました。 わずか10才だったのですが立派な武士の子でした。
その後、 苦労を重ね陸軍幼年学校から士官学校へとすすみ、最終的には陸軍大将まで上 り詰めました。 柴五郎の遺書である『ある明治人の記録』(中公新書)には華々しい活躍の時代は書かれていません。 苦労して士官学校に上がるまでが遺書としてまとめられています。
国会議事堂の中央広間の3つの銅像の一つは板垣退助です。 国会議員の中で柴五郎の会津魂を知らない人なんていないと思いますが、、、、、。
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国会議事堂の中央広間の3つの銅像の一つは板垣退助です。 国会議員の中で柴五郎の会津魂を知らない人なんていないと思いますが、、、、、。
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