2026年3月22日日曜日

大阪のおばちゃんのグルーブ感 — 沈黙ではなく「間」で返す外交

沈黙ではなく、“間”で返せていたか。

高市総理とトランプ大統領の会談について、日本の多くのメディアやコメンテーターは概ねポジティブに報じています。確かに、難しい相手との対面としては無難に乗り切った、という評価もできるでしょう。

しかし、私は少し不快感を覚えました。

トランプの発言には、相変わらず軽さがあります。悪気があるというより、深く考えていないのだと思います。言葉の背後に戦略や思想があるというより、過去のアメリカ人のステレオタイプの延長線上で発せられているように感じます。

率直に言えば、1990年代に私が相手にしていた「典型的なアメリカ人」と大きくは変わりません。現代のアメリカの若者たちはもっと賢いし現実的かも知れません。

だからこそ、日本側の受け方が問われます。

あの記者会見の場で、正面から議論を挑む必要はありません。外交の場であり、無用な摩擦を生むべきではないのは当然です。しかし、「沈黙」だけが最適解とは思いません。

一方で、評価すべき点もありました。高市さんのトランプとの物理的な距離感です。あそこまでトランプに接近するのは、誰にでもできることではありません。もしかするとトランプ夫人よりも近い距離感だったかもしれません。あれは、大阪のおばちゃんならではの身のこなしだったと思います。相手の懐に入る力は、間違いなく一流です。

だからこそ、なおさら期待してしまいます。

私が期待したのは、もう少し違う種類の反応でした。

たとえば、大阪のおばちゃんのグルーブ感です。

正面衝突ではなく、かといって受け流すのでもない。
一瞬の「間」を取り、軽くツッコミを入れるような、あの独特のリズム感です。

音楽で言えば、ジェームス・ブラウンの8分休符16分休符のファンキーなグルーブ感です。

「それはまた後で二人で話しましょうか」(we'll talk later, pass the peas !)

その一言で十分です。
それだけで場の空気は変わります。

相手の発言を否定せず、しかしそのまま受け入れるわけでもない。
主導権をほんのわずかに引き寄せることができます。

これは論理というより、身体感覚に近いものです。
そして実は、国際交渉の現場では非常に有効な技術でもあります。

この話は単なるコミュニケーションの技術論ではありません。
もっと根の深い問題につながっています。

それは、「自分の国をどう理解しているか」という問題です。

以下は、25年前に私が書いた文章です。

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汚名は晴らす方がいい
~ ハル回顧録 (2001年 中公文庫)を読んで

近隣諸国の歴史教科書は、多くの嘘や偏向した知識とで書かれています。 アメリカの教科書だって、アメリカの都合のいいように書かれています。 それは仕方がないことです。 自分の国に誇りが持てないような教育を自国民にすることは、義務教育の目指すところではないからです。

私が一番の問題と思うのは、日本人はもっと自国の歴史を史実に基づいて直視する眼を持つ必要があることです。 正しい歴史認識は日本人に一番必要なのです。 晴らせる汚名は晴らしておいたほうがいいのです。

ニューヨークに住んでいると、12月になると必ず話題になるのが真珠湾奇襲攻撃です。 そう、「Remember Pearl Harbor」です。 日本人は騙し討ちをする(Sneak Attack)卑怯者だと思われているのです。

「真珠湾が奇襲だったのか?」、「日本は宣戦布告なしで真珠湾を攻撃する計画をもっていたのか?」。 アメリカ人との酒席で話題になった場合、ユーモアを交えてさらりとかわせないといけません。でないと、アメリカ人組織で本当のマネジメントチームの一員になれないからです。

相手を説得する必要はありません。ロジカルに自分の意見を主張できればいいのです。 そのためには、自国の歴史を出来る限り客観的に知っておく必要があります。 様々な意見があるのは当然で、「色んな立場の見方はある」でいいのです。「It is controversial、、、」と話を切り出せばいい。 この「controversial」はマジックワードです。

真珠湾奇襲攻撃に関しては、必ず読んでおいたほうがいい書物があります。 ルーズベルト大統領の国務長官であったコーデル・ハルの回顧録です。

アメリカの日本に対する最後通牒だと言われているハル・ノートを知っている人は多くても、ハル長官が当時を振り返って何を言っているか理解している日本人はほとんどいないと思います。 しかし、これは日本人全員が理解しておくべきことです。 なぜならば、「日本人は奇襲を計画した卑怯な民族だ」という汚名を着せられているかも知れないからです。 着せられた汚名は晴らして、名誉は挽回しておかなければいけません。

ハル長官は自伝の中で、「ワシントンの日本大使館よりも先に、日本からの野村駐米大使宛の長文の暗号電文を解読して内容を理解していた」と書いています。 日本大使館でのタイプが間に合わなかったら、日本政府が野村大使に指示した時間に自分と会見し、電文の内容を口頭でもいいから伝えるべきだったと述懐しています。 当事者であるハル長官の言によると、日本は宣戦布告なしに奇襲を計画していたのではないことが分かります。

これだけで十分なのです。知っているのと知らないのでは大きな差を生むのです。

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ここで私が言いたかったことはシンプルです。

相手と争う必要はありません。
しかし、自分の立場を理解しないまま沈黙するのは、もっとよくありません。

外交の場でも同じです。

トランプの発言に対して、強く反論する必要はありません。
しかし、何も返さないのではなく、「間」で返すべきです。

その一瞬の余白の中に、自国の歴史認識と自信がにじみます。

大阪のおばちゃんのグルーブ感とは、単なる軽口ではありません。
「私は分かっています」というサインです。

沈黙でもなく、対立でもなく。
そのあいだにあるリズムをどう使うか。

そこに、日本の外交の一つの可能性があるように思います。

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