新渡戸稲造は、「成功と失敗は、世間の眼には見えない」と、『自警録』(1929年)の中で言っています。 的を射た文言ですね。 なぜならば、日本って、理想とする、つまり、どういう状態であれば幸福なのか非常に曖昧であり、自由と平等の定義と同様、成功と失敗の定義だって私にはよく理解できないからです。
新渡戸さんは、「
輿論を標準として成功と失敗は測ることはできない」と以下のように説明しています。
世を渡るにはまったく輿論を無視するわけにはいかぬけれども、世人の考えをのみ標準として成敗を測ることは、はなはだはかなき業である。 勝つも敗くるも、失敗するも成功するも、その基は各自の心のうちに置いてこそ、真の成敗の味わいが分かるものである。
(中略) 自己の心の据えどころこそ成敗を測る尺度であって、この尺度が曲がらぬ以上は、いかなる失敗に遭遇しても心に憂うることがない、これ霊丹(れいたん)一粒、鉄を点じて金と成すものか(『自警録』)。
どのような人生を送りたいかというのは大事なことで、そろそろ自分で考えたほうがいい。 自分自身でイメージが浮かんでこないということは、どれくらいの努力をどういったタイミングですべきかが分からないということです。 また、理想のイメージを世論が作り出す、即ち、新聞・雑誌やテレビが言っているものであるならば、全く主体性のない他人任せの人生ということです。 魯迅が描写した『阿Q』のようですね。
私なんか、自分の心に期すことのレベル設定が低いので、
常に成功だし、常に勝ちです。 もちろん、私の心に期すことなんて誰にも言いませんよ。
本文とは全く関係ないギターとミニアンプとハーモニカ
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