新渡戸稲造の『武士道』の凄いところは、欧米人に対して「日本人には宗教心がなくても武士道がある」とロジカルに説明したところです。 キリスト教では神と人間の関係は契約で、人間は神に対して絶対の服従です。 ここがホウレンソウ(報・連・相)の報告が義務(fiduciary duty)である所以です。 キリスト教徒である新渡戸が、宗教の力を借りなくても日本人には義務を果たす精神(背骨)がちゃんと一本通っていると主張します。 それが武士道であると。
今の日本は、新渡戸が言う武士道の精神なんてドロドロになって蒸発しちゃったのでしょう。 利己的で、つながりの稀薄な国になってしまった。 ところが、ネットの世界でバーチャルなつながりを求めます。 他者に関わる面倒は嫌だけど、一人で不安な状態でいるのも困るという訳でしょうか?
新渡戸稲造は『武士道』で、「克己(こっき)」(自分に克つ、self-control)を説明しています。 義から始まり、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、武士の教育と訓練、そして、最後が克己です。 私欲を克服するということです。 ストイックなまで自分に克つ努力をしないといけない。 このあたりは、ストア派の哲学ですね。 もっとも、今の日本には宗教以前に哲学がないのだから、ストイックなんて誰も考えないのでしょうが、、、。
とにかく、
Let's get the show on the road !
卒業、おめでとう!
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