2026年3月3日火曜日

No Pain, No Gain ― 好きでなければ、痛みは越えられない

 

最近は「痛みを避けること」が賢い生き方だと言われているようですが、私はどうもそうは思えません。それは「働く」ということに対する姿勢です。自分が苦労してきたと自慢したいのではありません。ただ、試行を繰り返さなければ錯誤の幅は縮まらない、という実感があるのです。私にとって働くことの本質は、「No Pain, No Gain」と言えるかも知れません。

2003~2004年、私は中国で「ゴミ処理技術を定着させなければ地球環境は守れない」という議論を真剣にしていました。十五、六年ぶりに訪れた中国で、青空が消えていたことに衝撃を受けたからです。北京から二百数十キロ離れた石家庄に、北京市向けのゴミ処理プラントを建設できないかという話までしました。日本の地方の工業都市をモデルにしました。しかし、いくつかの理由で、議論は発展しませんでした。技術移転とは単に設備を持ち込むことではありません。移転された技術を定着させ、改良し、さらに発展させる忍耐と謙虚さがなければ、本当の意味での移転にはならないのです。

中国で仕事をする難しさは、短期的な利益を優先する意識をどう変革するかにありました。しかし振り返れば、それは中国だけの問題ではありません。痛みを避け、効率よく成果だけを取りにいく姿勢は、どの国にもあります。

「Quiet Quitting(静かな退職)」という言葉が話題になっています。会社に所属していながら心理的には距離を置き、必要最低限の業務だけを淡々とこなす働き方です。ワークライフバランスを重視し、昇進やキャリアアップを求めない。個人の自由な選択だと言われればその通りでしょう。しかし私は少し違和感を覚えます。

働くことを、拘束時間と引き換えに報酬を得る行為だと考えている限り、大きな成長はありません。仕事には、自分の将来のためにあえて引き受ける「痛み」があります。それは理不尽な我慢ではなく、自分への投資です。自分の限界を超える負荷の中でしか、見えない景色があります。

スポーツは分かりやすい例です。世界の一流選手と同じ舞台で戦い、同じ空気を吸い、同じ練習をこなすからこそ、自らの水準が引き上げられます。ビジネスも同じです。レベルの高い集団で働き、一流の人間の「型」を目に焼き付ける。その過程は決して楽ではありません。しかし、その痛みを経なければ本当の意味での成長はないのです。

アメリカで働いた経験は、仕事と報酬の関係をより厳しく教えてくれました。成果が出なければ報酬は減り、職を失うこともあります。役割と責任が明確で、市場が価値を決めます。日本の仕組みとは大きく異なりますが、少なくとも「Gain」を得るには相応の「Pain」を引き受けるという原則は徹底しています。職位が上がれば上がるほど、「Pain」 は増幅します。

一方、日本の教育は優秀な従業員を育てるにはよくできています。しかし、従業員であることは一つの生き方に過ぎません。人生百年時代、会社を離れた後の時間は長いのです。退職後に必要なのは、単なる知識よりも教養です。教養は文化の中で育まれるものであり、政府が無償化すれば身につくというものではありません。自由に生きる力とは、不安や苦痛と向き合う力でもあります。「不安だから自由はいらない」と言ってしまえば楽かもしれませんが、それでは長い人生を支えきれません

私は最近の日本人、とくに若い世代に、Gainばかりを強調しPainを効率よく避けようとする傾向を感じています。それが賢い生き方だと信じられているようにも見えます。しかし、本当にそうでしょうか。痛みを引き受けないまま得た安定は、いつまで続くのでしょうか。

働くとは、時間を売ることではありません。社会の中で自分の価値を問い続けることです。枠に正しく数字を入れる仕事もあれば、曖昧なところに枠を作る仕事もあります。どちらを選ぶにしても、成長を望むなら負荷は避けられません。

No Pain, No Gain。これは根性論ではありません。自分の成長やキャリアに必要な痛みは、耐えるべきものであり、むしろ楽しむべきものだということです。試練を避けるのではなく、そこから何を学ぶかを考える。その姿勢こそが、私が長年の経験からたどり着いた「働くこと」の本質なのです。

……などと書いてはみましたが、実は高齢者になった今が一番Painは嫌なのです。

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