烏山頭ダムにある八田與一像
大学生たちと台湾に来ています。
台湾で日本統治時代の昭和5年(1930年)、当時アジア最大級の烏山頭ダムを建設するなどして、不毛の嘉南平野を台湾最大の米作地帯に変えたのが金沢市出身の日本人技師、八田與一です。
八田さんは、1942年、灌漑調査のためフィリピンに向かう途中、乗っていた大洋丸が米国潜水艦に撃沈され殉職しました。 そして八田さんの外代樹夫人は、終戦後の1945年9月1日、夫が身命を賭けて築いた烏山頭ダムの取水口に投身自殺したのです。
日本の大学生が一人でも多く八田さんのことを知ればいいと思います。
今月9月1日、八田記念公園で外代樹夫人の銅像の除幕式が行われ、関係者が八田夫婦をしのびました。
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