2013年9月28日土曜日

忍耐とは

武蔵野のチャーリー ~ どこまで私の忍耐を試すんだ!

「忍耐とは、癇癪持向きの一徳目ではない。私達が、抱いて生きて行かねばならぬ一番基本的なものは、時間というものだと言っても差支えないなら、忍耐とは、この時間というものの扱い方だと言っていい。時間に関する慎重な経験の仕方であろう」(小林秀雄 『還暦』 1962年)。

日本の教育や社会は、この時間というものを無視することに問題があると思います。 一日は24時間、一年は365日、人の一生は不可逆性です。 これを無視しちゃいけない。

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2013年9月27日金曜日

唐招提寺


奈良って、いつまでたっても京都のようにメジャーになりません。 だから、奈良なんでしょうね。 本当の日本精神があるのかもしれない。

古寺巡礼

和辻哲郎

西の京――唐招提寺金堂――金堂内部――千手観音――講堂

堂の正面をぶらぶらと歩きながら、わたくしは幸福な少時を過ごした。大きい松の林がこの堂を取り巻いていて、何とも言えず親しい情緒を起こさせる。松林とこの建築との間には確かにピッタリと合うものがあるようである。西洋建築には、たとえどの様式を持って来ても、かほどまで松の情趣に似つかわしいものがあるとは思えない。パルテノンを松林の間に置くことは不可能である。ゴシックの寺院があの優しい松の枝に似合わないことも同様であろう。これらの建築はただその国土の都市と原野と森林とに結びつけて考えるべきである。われわれの仏寺にも、わが国土の風物と離し難いものがある。もしゴシック建築に北国の森林のあとがあるとすれば、われわれの仏寺にも松やひのきの森林のあとがあるとは言えないだろうか。あの屋根には松や檜の垂れ下がった枝の感じはないか。堂全体には枝の繁った松や檜の老樹を思わせるものはないか。東洋の木造建築がそういう根源を持っていることは、文化の相違を風土の相違にまで還元する上にも興味の多いことである(1919年)。

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2013年9月26日木曜日

上海料理を洗練させた台湾の小龍包


台湾のおいしい小籠包のお店京鼎樓(ジンディンロウ)です。 鼎泰豊(ディンタイフォン)で修行した陳三兄弟が開いたお店だそうです。   

写真は、デザートの「芋泥小龍包」(タロイモの小籠包)と、手前は「豆沙小龍包」(あずきあん入りの小龍包)です。 
タロイモのやさしい甘さが、いかにも台湾らしくて最高です!

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2013年9月25日水曜日

台湾新幹線

台湾新幹線の台北駅(月台はプラットフォームのことです)

日本の「新幹線」 を走らせている台湾でも、一部で韓国車両を導入したことがあるそうです。そしたら、故障が続出。 更に無責任な対応だったために、いま台湾では鉄道における韓国メーカーは、出入り禁止状態となっていると聞きました。

アフリカはともかく、アジア
諸国では中国や韓国の鉄道は眼中にありません(ブラジルは入札プロセスの最中ですが、だんだんと気づいています)。 実は、中国でも川崎重工の車両技術を取り入れているのです。 

15年ほど前ですが、ニューヨークのブロンクスとウェストチェスター郡の境にあるヨンカースの川崎重工地下鉄車両工場を訪問したことがあります。 NYでも日本製車両は抜群の信頼性だと説明をうけました。 どんな時代であろうが、地域であろうが、一番大切なのは信頼性で、一朝一夕に養い得ることではないのです。

今回の台湾iCCP(ibg career counseling program)では、日本の大学生たちに、台湾新幹線に乗車してもらいました。 色んなことに気づいてもらいたかったのです。

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2013年9月24日火曜日

台湾の歴史問題

台湾 台南市国立台湾文学館

日本統治時代の旧台南州庁舎は、現在国立台湾文学館となっています。 東京帝国大学建築学科出身の森山松之助によって設計されました。 森山さんは、台南州庁舎以外にも、明治・大正期の台湾の多くの官庁を設計しました。建物は米軍の台南空襲の際に大きな損傷を受けたそうですが、現在はきれいに修復されています。

親日的だと言われている台湾でも、反日の活動は確実に広がっています。 

下関条約で清国が日本に台湾を割譲し、日本が台湾を統治したというのが、史実なのですが、日本が軍事的に台湾を強奪したというニュアンスの「日拠」が歴史教科書で使われ出しました。 国民党独裁時代には「日拠」と教えていたそうですが、民主化運動により「日治」に変更されました。 ところが、現在の馬英九政権になってから「日拠」がよみがえって来たのです。 外圧なんでしょうね。


旧台南警察署本部(1931年建設: 現在も警察署)









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2013年9月23日月曜日

立派な人 ~ 八田與一

烏山頭ダムにある八田與一像

大学生たちと台湾に来ています。

台湾で日本統治時代の昭和5年(1930年)、当時アジア最大級の烏山頭ダムを建設するなどして、不毛の嘉南平野を台湾最大の米作地帯に変えたのが金沢市出身の日本人技師、八田與一です。

八田さんは、1942年、灌漑調査のためフィリピンに向かう途中、乗っていた大洋丸が米国潜水艦に撃沈され殉職しました。 そして八田さんの外代樹夫人は、終戦後の1945年9月1日、夫が身命を賭けて築いた烏山頭ダムの取水口に投身自殺したのです。


日本の大学生が一人でも多く八田さんのことを知ればいいと思います。
 




 
今月9月1日、八田記念公園で外代樹夫人の銅像の除幕式が行われ、関係者が八田夫婦をしのびました。 

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2013年9月21日土曜日

台湾の中秋節

なぜか台湾の中秋節はバーベキュー 

台湾の中秋節は月餅でなく、BBQをしながら路上で月を愛でる!

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2013年9月18日水曜日

眼高手低

私よりも更に忍耐力に劣るチャーリー (2013年9月17日)


周知のことですが、私に一番欠けることは「忍耐」です。 忍耐力が全くない。

今年のiCCP(ibg Career Counseling Program)インターンシップは台湾で実施します。 大学生との付き合いは、私の弱点である忍耐力を試されているようで、頭を掻きむしりたくなるのです。 まだまだ私の修行が足りないということでしょう。

小林秀雄が還暦を迎えた時に発表した作品に『還暦』があります。 今の日本は、経験の積み重ねから、何かが生まれるのではなく、怪しげな理解とその場しのぎの批評だけが飛び交っているのでしょう。

『還暦』 文芸春秋 (1962年)

眼高手低という言葉がある。それは、頭で理解し、口で批評するのは容易だが、実際に物を作るのは困難だと言った程の意味だ、とは誰も承知しているが、技に携わる人々は、技に携わらなければ、決してこの言葉の真意は解らぬ、と言うだろう。実際に仕事をすれば、必ずそうなる、眼高手低ということになる。眼高手低とは、人間的な技とか芸とか呼ばれている経験そのものを指すからである。

(中略)

成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生まれて来なければ、人間は何も生むことは出来ない

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2013年9月16日月曜日

守破離(しゅはり)

 

「守破離」は、最近の新入社員教育で流行っているそうです。 どう説明しているのか興味があります。

故桂枝雀さんが言っていました。 弟子入りしたら自分の師匠に稽古をつけてもらう。 これが10数年。 師匠の噺を完全にマスターしたら、師匠に別の師匠を紹介してもらって、その師匠に稽古をつけてもらう。 こういった出稽古を10数年やって、やっと自分の噺家としてのスタイルを確立していく、、、と。

ギターも同じです。 クラプトンは黒人ブルース・ギタリストのロバート・ジョンソンを完全にコピーして、それから、その他の黒人ブルース・ギタリストの真似をしていった。 そうして最終的に、自分のスタイルを確立しました。 でも、クラプトンって、正直でカワイイところがあって、「コピーしたフレーズはカッコいいけど、自分で考え出したフレーズはあまり好きじゃないんだ」ってインタビューで答えていました。

要するに、噺家もギタリストも、基礎ができていて、引出が多いのがいいってことじゃないですかね?  状況に合わせて臨機応変にやるには、基礎と引出の多さが重要になります。 コンサルタントも同じなのです。

やはり、気になります。 新入社員を育成する側が、「守破離」についてどれほど理解しているのでしょうか?

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2013年9月15日日曜日

インコンピタントということ

大宅壮一 『炎は流れる』 (1964年 文藝春秋)

37年ぶりにパラパラと中を見ていると、以下の部分に鉛筆で線が引いてありました。 昭和30年代40年代の知識人のレベルは、今よりずっと高いような気がします。 それは、昭和の戦争からあまり時間が経っていなかったからでしょうか? 

“保護国”というのは、第三国からの侵略を防衛する義務や外交の権利が、保護する立場にある国にゆだねられている国のことである。“従属国”というのは、内政の面ではあまり干渉をうけないが、外交関係は宗主国にまかせている国のことである。どっちにしても、たいしてちがいはなく、この時代(明治末期)には、世界各地にこういった準禁治産的な国がたくさんあった(『炎は流れる』 第三巻 P147)。

incompetent (禁治産的な、無能な)

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2013年9月13日金曜日

カマキリな奴

何年、否、何十年ぶりかでカマキリに遭遇しました 

蟷螂の さりとては又 推参な   夏目漱石

中国語でカマキリは蟷螂(タンラン)といいます。 日本でも昔は「蟷螂(とうろう)」と言いました。「推参」というのは、「出過ぎた無礼な奴だ」という意味です。

漱石は、カマキリを題材にした句をいくつか詠んでいます。 ユーモア精神に溢れる漱石にとって、カマキリというのはイジリ易いのでしょうね。 カマキリを見て、人間や国家の行為に例えるなんて、漱石にしかできません。否、日本語にしかできないでしょう。

カマキリだけでなく、漱石は「推参」という言葉が好きなのかも知れません。 『吾輩は猫である』に、「是は推参な奴だ、人の運動の妨(さまたげ)をする」というのがあります。 漱石は、中身を伴わず形式だけを西欧列強のマネばかりする田舎者の日本人や日本という国家を、「推参な奴」と揶揄したのだと思います。

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2013年9月12日木曜日

30年ぶりに出てきたレコード

30年ぶりに実家の納屋から出てきたレコード

あの不規則に入るプチプチっていうノイズが聞きたくて、レコードプレーヤーを買うしかないかと思います。 選曲も、針を曲と曲の間の溝に落とす。 あの感覚が懐かしい。

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2013年9月8日日曜日

気持ちが大事やね

東名高速が完成したのは昭和44年(日本平SA)

当たり前なんやけど、国が国民のためにせなあかん公共事業は、将来の国民のために実施されるべきもんやねん。

道路や橋やトンネルなんかそうやろ? メンテナンスちゅうもんが大事やちゅうことは、わかるやろ? だから、国ちゅうもんが必要なんや。 「公」というものやな。 

それだけやあれへん、「将来的に今よりも良くなるさかい」という気持ち、つまり、目標っちゅうもんや、それがあれへんと、あかんよ。 何よりも気持ちが大事や。 そやないと、現状維持が精いっぱいや。 現状よりも良くなることはあれへん。 みんな一緒になって目指す目標っちゅうもんがでけたんでよかったんちゃうか。

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2013年9月6日金曜日

学生は不安に苦しんでいる


小林秀雄は、経験や実践を重んじました。 『僕の大学時代』という作品があり、以下のことを言っています。1938年頃です。

「現代の学生は不安に苦しんでいるとよく言われるが、僕は自分が極めて不安だったせいか、現代の学生諸君を別にどうという風にも考えない。不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいいではないか。学生時代から安心を得ようなどと虫がよすぎるのである」

今の学生さんたちは、経験や実践を軽んじている訳ではないのでしょうが、最初から安心を得るための方法だけを模索するのは如何なものかと思うのです。

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2013年9月3日火曜日

人生における成功者とは?

 

学生さんは、これから人生の第1コーナーに入ります。 人生は不可逆性ですので、トラックを何周もできない。 第1コーナーは、人生で一回きりです。


ibgは、会社のポリシーとして、「ゴーイング・コンサーン(going concern)」を掲げています。 継続して事業を行うという意味です。 実は、人生も同じなのです。 成功の定義は、人によって違うかも知れませんが、成功者って、死ぬまで成長を目指してチャレンジを続ける人だと思います(試練を乗り越え続ける人)。

だから、これから社会に出る学生さんたちは、何回もチャレンジする強い精神力と、40歳になっても50歳になっても60歳になっても、成長を続けられる土台を作ることが大事だと思うのです。

「今の日本人は周回遅れじゃないか(怒)」と団塊世代が批判します。 人生は不可逆性です。 周回遅れなんてないのです。 この世は「無常」なのです。 

現実を直視して、Seize The Day ! (今日を生きる)。

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2013年9月2日月曜日

400メートル競争の人生



「人生は無常であること」を忘れては、時間が無駄になります。

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