2012年2月27日月曜日

見え過ぎはよくない

小林秀雄は、「宮本武蔵は偉い」と思いました。 『私の人生観』で宗教や音楽の話と一緒に宮本武蔵の話をしています。『私の人生観』は小林秀雄の講演(昭和23年 大阪)を文章におこしたものですが、私は何十年もの間、話の流れがよく分からなかった。

宮本武蔵は、ひたすら自分の体験の積み重ねから『五輪書』を書きました。 いかなる宗教の力でもなく過去の書物でもなく中国の古典でもなく、自分の体験だけをベースに集大成として死ぬ前に『五輪書』を書いたのです。その『五輪書』の中で、目には二つあると説いています。

武蔵は、自分の脚下だけを見てきました。 禅でいうところの「照顧脚下」です。 私は、脚下を見ると言う事は、見えないものを見ることでもあると考えます。 武蔵が言うところの「観の目」と「見の目」の二つをつかって見ることではないでしょうか? 見は物理的に見ることで、観は心の眼で見ること。 武蔵はこの二つの目が重要だと説いたのです。 宗教に関係ない武蔵がこういった悟りに達したことが凄いのですね。

2月の ibg の月例ミーティング

中国の問題点は、物理的に見えるモノを獲得することに皆が右往左往していることです(それが唯物論だなんて冗談は言ってられません)。 心の眼を忘れてしまった、つまり、氷山の海面上の部分だけを見てあたふたとしている。 今の中国では昔と違って余りにも色んなものが見える。見え過ぎているからなのでしょう。

私はバブル期に日本にいなかったので正しいかどうかは分かりませんが、バブル期の日本に似ているのかもしれません。 アメリカは弱くなった、でも一部の人たちから脚下を見ることを始めているような気がします。 日本はどうか? マスメディアのフィルターを無視し、自分の心の眼で見るようになれば覚醒するでしょう。あと一息かも知れません。 しかし、中国はまだまだ目に見える対象だけを見て追いかけている状態だと思います。

過去のブログ(『私の人生観』について)
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/05/blog-post_03.html

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