2023年5月7日日曜日

太宰治とクラプトン

 
Cream『Sunshine of Your Love』(1967年)

自分の人生にかなり大きな影響を与えた曲です。2008年の自分の映像がありました。不思議なリフのようですが、メジャーとマイナーペンタのミックスでクラプトンの真骨頂です。

誰も言ってないようだから備忘録として書いておきます。

私の中ではエリック・クラプトンって太宰治とダブって仕方がないのです。自分の私生活の葛藤や浮き沈みをそのまま赤裸々に作品として世に出してしまう。二人とも酒に麻薬に女にと、ギターや小説家としての才能が無ければ本当に波乱万丈のダメ男です。でも二人とも好きですよ。放っておけない魅力があるのでしょう。

クラプトンはクリーム時代(1966 ~ 1968)が自分の頂点だという意識から離れられず、つまりギタリストのキャリアはクリームのまま止まってしまったと考えた。それが 1970〜1980年代は麻薬に酒に不倫へと彷徨い歩いたのでしょう(全くの私見ですよ)。リアルタイムで聞いていた私がリリース時に買った最後のアルバムは1974年の『461 Ocean Boulevard』 、次に買ったのは1992年の『Unplugged』でした。

今回のクラプトンの来日、武道館における公演は100回目を記録したそうです。78歳のクラプトンですが、すごい人気のようです。どの時代のクラプトン、クラプトンのどこに惹かれているのでしょうね?

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2023年5月6日土曜日

いつくになっても自由は難しい

朝の日課になっている鉛筆削り

“自由”に生きることはいくつになっても難しい。

元々アメリカの自由と日本人が考えていた自由は意味が違います。アメリカの自由は「~~からの自由」です。これは束縛や拘束からの自由です(liberty)。

仏教の「自由」の意味は異なります。自由の「由」は<~による><~にもとづく>という意味です。他に由らず、独立して自存すること、即ち<自らにもとづく><自らによる>ことが「自由」なのです。ブッダは「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」と言いました。人間の行動の判断は「自らに由る」よりも、むしろ「他の意見や権力によって支配される」ことが多いのでしょう。そこには「自由」がない。

仏教学者であり禅文化を世界に英語で広めた鈴木大拙は「肘外に曲がらず、これが本当の自由である」と言いました(中国の禅宗語録『碧巌録』)。「肘外に曲がらず、これが自由自在である」という。肘は外に曲がらないという制約があるから肘なんだ、いま持っている肘で精一杯生きろよということです。

現代の日本で自由というのは「何でもあり、何をしてもいい」という解釈のようです。「人を殺しても金が欲しいんだ、援助交際や売春だって自分の勝手だろ」という具合に、いつも自我中心であることが自由だと錯覚してしまう。大拙は「自由という言葉を freedom と訳すのは間違いだ。なぜなら、freedom には ‶自ずから“ という言葉がはいっていない」と言いました。

国家は個人を護らない。個人も国家を護らない。自由でありたいけど他者に依存しないと生きて行けない、、、、水戸のご老公様に言わせると、それは卑怯で無責任ということですね。

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2023年5月5日金曜日

クラプトンでノスタルジーに浸る

 

長い間聞いていなかったエリック・クラプトンを聞く日々が続いています。エレキバージョン(1971年 Derek & The Dominos)『Layla』に至っては、15〜16歳の頃以来挑戦していませんでした。

この曲は難しい。武道館のクラプトンはテンポをオリジナル録音よりもすごく遅くして演奏しました。クラプトンは「レイラのエレキバージョンは演奏したくない」と言ったそうです。歌いながらでは印象的なリフが難しいのでしょうね。高齢になったクラプトンにとって自分自身を癒してくれるのは、自分が一生かかって愛した3コードのブルースなのでしょう。

Aメロ(半音下がる転調)に入るとチョーキングも半音上げと一音上げが混じっているので、耳が遠く音痴の私には無理です。クラプトンの弦は009だそうですが、私のストラトの何年も張り替えてない弦は011です。チョーキングは辛い。

YouTube は速度を半分や0.75にできるのでコピーも随分と楽になりました。50年前はテープでしたからね。今の若者はすぐに上達する訳だ。。。。

クラプトンでノスタルジーに浸る今年のゴールデンウィークでした。

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2023年5月4日木曜日

健全な迷子になろう

 
ibg 『迷子になる地図』より

先日は武蔵野市議の選挙がありました。気が進まなかったのですが、重い腰を上げて投票に行ってきました。誰が誰やら何を言っているのか分からないので、候補者全員が紹介されている武蔵野市の広報紙に目を通しました。市議の選挙となると、主張することの抽象度がバラバラです。国家や憲法のことを言ったり吉祥寺駅前の駐輪場の話をしたり、、。

人間の意識は感情に根差しています。そして感情の根っこの部分には愛がある。自分の属する国とか地域とか所属団体とか家族への愛情です。もし愛情を核とした感情に余裕や寛容さがあれば他の集団への理解が働く可能性が高い。

自分と異なる他集団との差異を感じ取り見分けるためには知識が要求されます。そして、それらの差異を測るためには抽象度(abstract)を上げた尺度、つまりコミュニケーションツールとしての「概念」の理解が必要なのです。共通の概念の理解がないとレベルセッティングはできません。「概念」は蓄積だけでなく更新(update)が必要です。概念の蓄積や更新には日記をつけることが一番なのです。自分の感情や認識も把握することができます。

『迷子になる地図』は日記帳ですが、概念の蓄積や更新のために6つの視点を提示しています。

1.人間と自然(環境問題)
2.個と公共
3.文明と文化
4.学び
5.対話
6.デジタル(情報問題)

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2023年5月3日水曜日

言葉 ~ 思考のツール

 
中トロの漬け丼

現代は本物と偽物の区別がなくなるシミュラークルという世界に入っています。情報化(デジタル化)や異文化コミュニケーションの問題でもあるし、トランスジェンダーのような問題でもあるのです。

言葉が異なれば見える世界も変わる

例えば果物の「イチゴ」と言えば日本人であれば同じ「イチゴ」を思い浮かべる。ところが日本語を解しない人に「イチゴ」と言ってみても「イチゴ」が果物なのか何なのか分からない。つまり言語の数だけモノの見え方(頭の構造)が違う。モノを見るときにモノそのもの(性質とか本質)ではなく、共同幻想(日本人なら日本語の世界=イチゴ)を見ているにすぎない。梅干しと聞いてツバが出るのは日本人だけでしょう?これはフェチズムだとも言える。

言語は単に意思伝達のためのツールではなく意識の構造

日本人は日本語でしか意識できないし、アメリカ人は英語(米語)でしか理解できない。これが異文化コミュニケーションの本質であり、異文化コミュニケーションで意識しなければならないことです。いま求められているコミュニケーションは共同主観を可能な限り形成するということです(文化が違うわけですから100%は無理です)。

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2023年5月2日火曜日

日本人はマスクを外すか?

 

什锦炒饭(五目チャーハン)

炒飯が食べたくて作ってみました。揚州(ヤンチョウ)炒飯と什锦(シーチン)炒饭の違いが良く分かりませんが、日本では五目焼めしです。美味しくできました。健康には目をつぶって、多めのラードと創味シャンタンと味の素を投入すると中華の味になります。旨いものは身体に悪い!

新型コロナウイルスは感染症法における位置づけが5月8日に「5類」なるそうです。日本人はこの日を境にマスクを外すのでしょうか?

日本の場合は昭和の戦争時の大本営発表と同じような気がします。新聞やテレビが事実を事実として報道しない。それは恐らく、マスコミを動員して何らかの意図で操作すれば一億日本国民はその指示通りに動くことを誰かが知っているからです。

回のコロナ禍で明らかになったのは、多くの日本人は生きて行く上で自分の思想を持たないことでしょう。人生観、死生観、社会観、、、あらゆる「観」が欠落しているということです。

日本の教育の目的とは思想のない大人を量産すること??? 

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2023年5月1日月曜日

答えはまだない

近所にある公衆電話。

昨日中学2年の同級生N君と電話で話をしていて「電話」の話題になりました。我々の子供の頃は各家庭に電話はありませんでした。理由はどうあれ日本は右肩上がりの頃です。子供の間では特に格差の問題なんてなかった。クラスメートに医者の息子もいましたが、ほとんどは公団住宅住まいでした。

我々が社会人になった1980年代は、公衆電話は上の写真のように緑になってテレカというものが出てきたと思います。携帯やインターネットが普及したのは1990年代も後半になってからです。果たしてテクノロジーの進化は我々を幸福にするのでしょうか? 

AI ChatGPT といった具体的なツールの議論もいいですが、情報化(デジタル化)や情報の価値の問題を考えるのが最初だと思うのです。私的所有権がどうなるのか? 表現の自由は限りなく自由か? 作者の労働の価値はどう評価されるべきか? AI に瑕疵があった場合の責任の所在は? 人間と人間のコミュニケーションのあり方はどうあるべきか? 多くの問題が山積しています。 

答えはまだないのだろうと思いますよ。

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