コロナ禍を忘却してよいのか ― 日本と世界をめぐるポストモダン的考察
新型コロナウイルス感染症が世界を襲ったのは2019年12月。
欧米では社会や思想のあり方に深刻な揺らぎを残し、
欧米:ポストモダニズムの加速
コロナ禍は欧米社会において「モダニズムの限界」
- 絶対的真理の揺らぎ ― 科学的知見の不確かさや専門家の意見対立が露呈し、「
科学が唯一の真理」という信仰が揺らぎました。 その隙間に陰謀論や多様な解釈が拡散しました。 - 中心の喪失と分断 ― 政府や国際機関の対応の不手際、
ワクチンやマスクをめぐる対立は国民を分断し、 とくにアメリカでは党派対立をさらに激化させました。 - 「大きな物語」の終焉 ― 経済成長やグローバル化といった従来の物語が停滞し、
未来への不安が社会全体に広がりました。
こうした現象は、
日本:「忘却」と「同調」の社会
日本では欧米のような激しい分断や論争は起こりませんでした。
- 無意識のポストモダン的受容 ― 日本文化はもともと絶対的な真理を求めず、「空気を読む」
ことで調和を保ちます。感染対策も、 強制ではなく同調によって徹底されました。 - 「無かったこと」にする力学 ― 政府の不手際や医療体制の限界について深い議論をするよりも、
安定を優先し日常に戻ることを選んだのです。 - 内面化された変化 ― 表面上は忘却が進んでいるように見えても、
マスクや衛生観念の定着など、 人々の生活習慣には確かに変化が残っています。
つまり、日本は「忘却」と「同調」
中国:国家主導の「超モダニズム」
一方の中国は、ポストモダン的な価値観とは真逆に進みました。
- 国家による真実の一元化 ― ゼロコロナ政策は、国家が唯一の正解を示し、
徹底的に人々を従わせるモダニズムの極端な例でした。 - 利己主義のモダニズム ― 自国中心主義を強め、国際社会への情報開示を制限し、
統制を外交にも持ち込みました。 - 監視社会の強化 ― パンデミックを口実に監視技術を社会に浸透させ、
個人の自由を犠牲にしました。
中国は、ポストモダンを拒絶し、
一元化と二元化 ― 哲学的な補足
私は「一元化」という言葉を、
哲学では、一元論(世界は一つの原理で説明できる)と二元論(
この点で、日本の「一体化」の感覚は、
忘却ではなく教訓へ
コロナ禍から2年、日本ではその記憶が急速に風化しています。
私たちは、歴史の痛みや経験を「なかったこと」
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こうしてみると、
隠居からの提案
教育が社会を変えるのではありません。むしろ教育は、
教育の変遷は社会の変化の結果である――
では日本の教育はどうでしょうか。
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