2025年9月22日月曜日

走れメロスを再考する

 

太宰治の故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石。このあたりの玉川上水で、太宰は入水しました(この入水も謎ですね、、、)。  

ある大手新聞社のベテラン記者が、アメリカ社会の分断を「走れメロス」と対比して論じていました。小学校時代に劇で演じた「走れメロス」を思い出しつつ、友情や人を信じる大切さを説く内容です。王はメロスとセリヌンティウスの姿に打たれて改心する――そんな一般的で道徳教材的な解釈です。

しかし私は、どうにも違和感を覚えます。記事の書きぶりは耳触りよく整えられているのですが、「人を信じる努力を忘れてはいけない」と言っておけば自分の責任は回避できる、そんな「無責任の勧め」のようにも感じられるのです。私のうがった見方かもしれませんが、どうしても安易に聞こえてしまいます。

この大手新聞社の力はかつてほどないようですが、いまでも一定の影響力を及ぼしています。しかし、この大手新聞社は、国民に自分に対して嘘をつかせる自己欺瞞の精神を根付かせた大罪を犯していると思います。そして、この新聞社と戦後の日本の教育のベクトルは一致しています。非常に偽善的です。それでも、140年以上の歴史をもち、毎朝約334万部を発行しているそうです。国民のリテラシーが問われているのです。国民の主体性や想像力の芽をつみ続けている。

以上の私の感想は正しいのでしょうか、間違っているのでしょうか?しかし少なくとも、この国の戦後80年をふり返ると、そうした構造が確かに存在してきたのだと思わざるを得ません。

私が思うに、メロスの行動の本質は「信義」と「覚悟」にあります。彼は王や友を感動させるために走ったのではなく、自分が約束したことに対して、逃げずに応じるために走った。そこには、他者に向けた「優しい心」以上に、自分自身への「コミットメント」がある。信義とは、自分の心に対しても嘘をつかないことです。

太宰の時代背景を思えばなおさらです。1940年、日中戦争の泥沼化と軍部の台頭。社会全体が「信義」を失い、強者の論理に押し流されていた時代に、太宰はあえて「私は正直な男として死にたい」とメロスに言わせました。これは単なる友情物語ではなく、むしろ「信義を貫け」という太宰の切実な叫びであり、時代への反骨精神だったのではないでしょうか。

いまの世の中を見ると、ますます「信義」が軽んじられています。国際政治も、ビジネスも、人間関係すらも、表向きの約束や契約はあっても、本気でコミットしない人が増えている。米国の政治リーダーが「王のように信じて改心することができない」のは、決して遠い国の出来事ではなく、世界に広がる病理です。

だからこそ、私は「走れメロス」を再び考えたい。友情や信じる心の美談に留めるのではなく、「人が自分の信義にどこまで覚悟を持てるか」という問いかけとして。メロスが走ったのは、ただ友を救うためではない。彼は「恐ろしく大きいもの」のために走った。――その大きいものとは、人が人であるための最後の拠りどころ、信義そのものだったのではないでしょうか。

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