2013年6月28日金曜日

減点主義はよくない

丸の内のスタバ

今週は二度も丸の内に行きました。 中央線の中では若い母親が子供を叱り、スタバでは上司が部下に小言です。 自分が怒られている気分になり、滅入ってしまいます。

減点評価は良くないと今更ながら感じます。 減点評価だと子供は伸びないし、若いビジネスマンは成長しません。 彼らは、減点されないように、満点を目指してリスクをとろうとしませんから。 学校のテストは100点満点かもしれませんが、社会には100点満点なんてありません。

日本でベンチャーが育たない理由の一つは減点評価です。 クライアント(買う側)の担当者がリスクを負わないからです。 保身のために褒めない(たとえ良いと思っても)。 自分の好評価を信じて前向きの意思決定ができない。 だから、ベンチャー企業なんていつまでも大手に採用してもらえません。

ベンチャーコンサルティングの ibg は? 我々は平気です。 仲間うちで褒めあっていますから。 痩せ我慢、痩せ我慢。

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2013年6月27日木曜日

脳機能から考える教育


私は脳の専門家でも何でもないのですが、脳機能は右脳左脳で区分けできるほどシンプルじゃないことは分かります。 脳機能の構成(上図)を頭にいれておくと、子供の教育にも、会社での社員教育にも役に立ちます。

「頭の良さ」なんて、明確な定義はありません。 だから、天才をつくる幼児教育なんて、疑ってかかったほうがいいですね。 親がプリンシプル、つまり、ぶれない人生観を持つのが一番だと思います。 親が、積極的に前向きに生きている姿を見せ続ければ、 子どもはちゃんと生きていくでしょう。 特に、試練に対応する力なんて、親の対応を見て学ぶからです。 決して学校の先生からじゃない。 

てっぺんにあるSense & Respond  の「気付き」の部分は、学校教育の範囲では限界があります。

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2013年6月25日火曜日

アブナイ、アブナイ

昨日の丸の内オフィス街
日本型ビジネスを再評価してもいいじゃないか

徳富蘇峰は、敗戦直後の1948年敗戦学校を発表しました。 日本は世界の田舎者であり、世間知らずで勝手放題の一人よがり「夜郎自大」の類であったと言っています。 その通りだと思います 冷徹な世界の勢力争いを冷静に読むことができなかった。

70近く経った今の日本はどうなったでしょう? 

勝手放題の一人よがりではなくなりました。 もちろん、夜郎自大なんかじゃない。 長年の自虐的な内外からの洗脳が行き届いたからでしょう。 しかし、新聞テレビを見てみると、世界情勢を冷静、且つ、客観的に読む力は、70年前よりも劣っているのではないだろうかと強く感じます。 世間知らずの度合いは強まったと言う事です。 グローバリゼーションのスローガンを声高に叫ぶ様子を見ていると、果てしのない絶望感に苛まれます。 

もちろん、欧米のメディアが公明正大だとは言っていませんよ。 たまには毒だって混じっている。 軽度なものから致死量に至るまで。 アブナイ、アブナイ。

敗戦学校の生徒の第一に心得ねばならぬ事は、何故に敗戦学校の生徒となつたかと云ふ事である。言ひ換ふれば、何故に負けたかと云ふ事を、知る事である。今それを一口に言へば、我が国民性に大なる欠陥の在つた為である。欠陥と云へば、相手方も知らねば、自分をも知らぬ。即ち彼を知らず、我を知らざるが為であつた。今更事々しく孫子を引くではないが、知彼知己百戦不殆。不知彼面知己一勝一敗。不知彼不知己毎戦必敗。つまり我等は、此の原則通りに、必敗したのである(徳富蘇峰『敗戦学校』1948年)

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2013年6月22日土曜日

チャーリーの教育、子どもの教育

  • チャーリーは、人間の辛抱強さを見て育つと、いつの日か耐えることを学ぶだろうか?
  • チャーリーは、人間が譲り合うのを見て育つと、人間やほかの犬に譲るようになるだろうか?
  • チャーリーは、このまま馬鹿にされて育つと、自分を表現出来なくなるだろうか?
  • チャーリーは、静かな落ち着きの中で育っているはずなのに、、、いつかは平静な心を持つようになるだろうか?
  • チャーリーは、褒められて育つと、犬生の目標を持つようになるだろうか?
  • チャーリーは、犬としての存在を認められると、犬の立場である自分が好きになるだろうか?
  • チャーリーは、満ち溢れた愛情の中で育っているわけだが、生きることは楽しいことだと知るだろうか?
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2013年6月21日金曜日

六月十九日

 
6月19日の玉川上水

太宰の遺体が発見されたのは1948年の6月19日。 写真は遺体が発見された近くです。 6月19日は太宰の誕生日でもあります。 遺体にはクビを絞められた跡があったといいますが、本当に心中だったのでしょうか? 謎ですね。 

太宰と全く関係ない話ですが、日本のメディアって、どうなっちゃたんでしょうね? 

個人もそうですが、日本全体が、どこに向かおうとしているのでしょう。 福澤諭吉は、「智徳と人間交際を高め、禽獣の世界から文明に近づけるのが教育である」と言いました。 智徳の智はインテリジェンスであり、手段やツールのようなもので、徳はモラルです。 福澤諭吉が言う人間交際は、私は社交性のことであり、コミュニケーションであると理解しています。 これは、国家間のプロトコルでもある外交の、根っこの部分でもあります。

今の日本は、Where do you want to go? (目的)が明確でないのに、手段やツールの獲得に必死になっている。 智徳の智と徳のバランスが悪い。 つまり、手段やツールである智に集中しすぎている。 そして、人間交際に関しては、自己中心的すぎるように感じます。 他者が見えない、関心がない。  

どこに原因があるかと考えた場合、教育の問題は根本原因でしょうが、新聞・雑誌やテレビ・ラジオの影響が大きいと思うのです。 それほど最近のマスメディアは酷いということです。

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2013年6月15日土曜日

父親の役割

自分から自分に父の日のプレゼント

コンサルティング会社における商品は人材です。 この人材の価値を上げる責任を担っているのがカウンセラーです。 カウンセリング・セッションを通じて商品、つまり、コンサルタントの価値を上げるのです。 そして、カウンセラーとカウンセリーの関係は永遠に継続する訳ではありません。 

桂枝雀さんの「緊張の緩和理論」は、緊張が緩和した時に笑いが起こると説明していますが、カウンセリング・セッションの場合は、緊張が緩和し、リラックスすると、その時点で、2人の間でのカウンセリング関係は終了です。 カウンセリーが成長し、カウンセラーとカウンセリーの実力が同等となったからです

ところが、父親と子供の関係は違っています。 

父親の役割って、父親が亡くなって初めて子供たちに伝わる部分があるからです。 子供は親が健在のときは、親の生き様をみて学習する訳ですが(例え反面教師でも)、実際は、亡くなって初めて気づく部分があるということです。 関係は終了しない。

「年老いて、万事枯れ行く昨日今日、むさくるしさに、なるまいぞ夢」 (三遊亭圓歌 『中沢家の人々』より)。

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2013年6月14日金曜日

顔がほころぶ日本文化

阿佐ヶ谷 いちょう小路 ホルモン焼 「友ちゃん」

落としたモノが返ってくる国は本当に少ない。 私の知るところでは、日本と台湾くらいでしょう。 ほとんどの国では、拾った人のモノになってしまいます。

知らない電話番号から三回も四回も携帯に着信がありました。 知らない電話番号からだと電話を取らないので無視していました。 五回目か六回目にメッセージが残ったので電話をすると、阿佐ヶ谷のホルモン焼のお店からでした。

「阿佐ヶ谷の友ちゃんという店ですが、名刺入れを落とされていました」。

私の名刺入れは高価なモノではないのですが、仕事で通ったテネシー州ナッシュビルで購入したもので、かれこれ15年程使っています。 だから大いに愛着があります。 失くしたことによる緊張、そして、見つかったことによる緊張の緩和。 桂枝雀さんの笑いの原則 「緊張の緩和理論」じゃないですが、本当に嬉しくて、顔がほころび豊かな気持ちになり週末を迎えます。










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2013年6月12日水曜日

安易に流される

5年前のコンパクトデジカメでの撮影

人間って、どうしても安易に流されますね。

フィルムカメラ、ライカは裏蓋を開けてフィルムを装填する時、ドキドキワクワクと自己満足が最高潮に達します。 全く必然性もないのに、路上でフィルムを入れる。 道行く人や自転車を避けながら、気持ちだけはロバート・キャパや澤田教一のような報道カメラマンです。 でも、出来上がってくる私の写真は全く進歩がない。 当たり前ですよね、ド素人ですから。 それに、戦場じゃないし。

デジカメだと、たとえコンパクト・デジカメでも上のような写真が撮影できます。 テクノロジーの進歩で誤魔化されるのですね。
 
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2013年6月10日月曜日

堕落しろ!


チャーリーの、又、子犬の正しい姿とは何ぞや。

欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心ではないか。 この赤裸々な姿を突きとめ見つめていることがチャーリーの犬性だ。

このチャーリーの姿に倣うことが、先ず、日本人の復活の第一の条件ではないか? そこから日本や日本人の、真実の誕生と、その発足が始められる。

日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。   

坂口安吾 2013年。

坂口安吾が『堕落論』、『続堕落論』を発表したのは敗戦直後の1946年。 レベルが高すぎて、アメリカ占領軍の検閲の目をかいくぐったのでしょうか? 

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2013年6月8日土曜日

面倒は楽しい!

裏蓋を開けてフィルムを入れる瞬間が一番楽しい!

私のようなド素人には、デジタル一眼レフのほうが圧倒的にちゃんと撮れる。 

しかし、フィルムカメラにはワクワク感がある。 フィルムを買う、フィルムを装填する。 シャッタースピードや絞りをあわせる、ピントを合わせてシャッターをきる。 撮り終わったら、フィルムを巻き上げる、吉祥寺のDPE屋に持っていく。 1~2時間は待つことになる。 プリントが出来上がっても、レイアウトや露出の変更をパソコン上で出来ないじゃないか、ジャンクの山を築くだけだ。 

とにかく面倒だ。 お金だってかかる。 でも、一つひとつの動作が楽しい。 わかるかな?

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2013年6月6日木曜日

太宰治を偲ぶ


昭和23年、入水自殺する直前、太宰治は武蔵野税務署から所得税の通知書を受け取りました。 奥さんの手記(津島美知子『回想の太宰治』)によると、太宰は、「自分のように毎日、酒と煙草で莫大な税金を納めている者が、この上、税金を納めることはない」と、駄々っ子のように泣いたそうです。

今年も桜桃忌(6月19日)がやってきます。 太宰治を偲ぶ日です。 6月19日は死体が玉川上水で発見された日であり、太宰の誕生日です。

「世間」から評価されている人が、実は時代の尻馬に乗っただけの俗物だった。 戦争中に軍国主義に協力した作家たちが、戦後臆面もなく180度転換した。 「世間」なんてたかだかそんなもんだ。 自分は「世間」からダメな人間と思われているが、実はそうじゃないかもしれない、、、と、太宰が考えたか? 

もしかしたら、太宰治が忌み嫌った「世間」って、今でも日本社会そのものじゃないですか? 「世間」って曲者ですね。 日本のメディアの正体?

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2013年6月5日水曜日

お台場の女神


昨日は数年ぶりでお台場に行ってきました。 ミーティングが終わり時間があったので、少し散歩をすることにしました。 自由の女神がありました。 ものすごい違和感です。 レプリカだそうですが、左手に持っているタブレットには、1776 JULY IV MDCCLXXVI (July 4, 1776) と書いてあるようです。 アメリカがイギリスから自由を勝ち取った独立記念日ですね。

お台場の自由の女神には、もっと気の利いた、ユーモア溢れるものを持たせて欲しかった。 例えば、、、やめておきましょう。

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2013年6月4日火曜日

ロールモデル


「噺の中の人物を演じるのではなく、まずは噺を演じている噺家を真似る」。 今は亡き桂枝雀さんが言わはりました(ここだけ大阪弁)。

枝雀さんは、芸にたいして大変厳しい落語家でした。 人はなぜ笑うのかを「緊張の緩和理論」として分析しました。 落語とは、噺家と客とのコミュニケーション、客との関係で緊張感を盛り上げ、最後に緩和させる。 だから笑いが起こるというのです。

枝雀さんは、お師匠さんである桂米朝さんを完全コピーすることから始めたそうです。 完成すると、ほかの名人たちを次から次へと真似ていった。 そして、そこから自分のスタイルを作っていったのでしょう(冷静な米朝さんと身体全体で表現する枝雀さんは全く芸風が違いますからね)。 

要するに、レベルの高いお師匠さん、つまり、ロールモデルを見つけることが大事だという事です。 子供は親の生き様を見て育つし、会社だって、社員は先輩や上司の行動に影響を受け、彼らの言動がいつまでも耳に残るのです。 自分のスタイルを確立するのは、真似ることが完全にできてからですね。

日本にはロールモデルたる立派な大人がいない、、、と言うよりも、日本人のエトスなんて所詮そんなものなのかと疑う今日この頃です。 

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2013年6月2日日曜日

かつて日比谷公園は焼き討ちされたんだよ


昨日、久しぶりに首都高速を走りました。 4号線高井戸を乗ったところから渋滞でした。 土曜の早朝なので大丈夫だと思ったのですが、、、。 神田橋のあたり、右手に日比谷方面が見えました。 61日は日比谷公園の開園記念日です。 1903年(明治36年)ですから110年ということになります

音楽好きな私としては、日比谷といえば野音なのですが、マスメディアには日比谷焼打事件(1905)を取り上げてほしかったですね。 その後の日本の運命を大きく変えた重要な事件だからです。 当時は政府も国民も大変未熟だった。 日清戦争に続く日露戦争の勝利で、大衆がモラルを欠き運命に逆らった。 オルテガの言うところの『大衆の反逆』そのものです。

夏目漱石は、日露戦争勝利で日本が一等国になったというマスメディアや大衆には同調せず、『吾輩は猫である』(1905年~1906年)の中で世間を皮肉っています。 その後に発表した『三四郎』(1908年)では、広田先生に日本は『滅びるね』と言わせています。

昨日も言ったのでしつこいですが、政治家先生やメディアに登場する人たちには、このあたりの時代の流れ、その中での日本の変化をしっかりと認識した上で「今」を発言してもらいたいですね。 週末は報道番組が多い。 久しぶりに見てしまいました。

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2013年6月1日土曜日

難しい問題

ライカで試行錯誤を継続中

戦争を知らない我々は、戦争の書物を読んで、最低限の知識を持つべきだと思いますね。 戦争の本も100冊くらい読めば、ガダルカナルやフィリピンの戦場がどんなものだったのか、百分の一くらいは想像できるかも知れません。 右側の人も左側の人も、政治家も学者さんも、ちゃんと勉強して発言してもらわないと危険極まりない。 

人生観、死生観だって同じです。 今は、人が死んでいく姿に接することから遠ざかった。 つまり、日本では、人は知らないところで死んでいく。 死後の世界は、永遠に分からない。 だから苦悩するはずだった。 しかし、今の日本は、分からないことに対して悩むことなく大人になって年をとる。 だから、永遠に幼稚なままだ。 これは、純粋であるということとは違う。

宗教から縁遠い日本では、特に、生と死を考える機会がない。 過去に対する知識もなく、死を全く考えずに生きていることは、本当に生きることの責任を全うしていることなのだろうか? 

難しい問題なので私には分かりません。 テレビでコメントする知識人の方々には、私よりも何倍も分かっていて欲しいですね。

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