2022年12月30日金曜日

観の形成 ~ 日本の教育に足りないもの

息子夫婦からのクリスマスプレゼント


     自家製ベーグル

概念の収拾

ビジネス雑誌の記事で「人間はほとんどの情報を概念によって知覚している」と書いてありました。その通りだと思います。

それは言葉に発する前に頭の中で、日本人なら日本語で考えているということです。そのさい「概念」が貧困だったり時代に合ってなかったり間違っていたりすると、他者とのコミュニケーションが難しくなるということです。議論の前提であるレベルセッティングができないからです。これは外国語以前の問題です。概念の蓄積は日々無意識に継続しないといけない。それには日記やメモ、毎日書かなくても備忘録でいいのです。今年作成した ibg の『迷子になる地図』の意図するところです。

適応異常か過剰適応か

同じ記事の中で「日本人の弱点は変化に対する対応力が非常に弱い」という事も言われていました。果たして日本人は適応異常なのか、それとも過剰適応なのでしょうか?

明治維新以降の日本は日本的なものと西欧近代的なものの間で右往左往する、落ち着きのないブレブレの歴史です。昭和の敗戦後は西欧近代的なものがアメリカ的なものに変わりました。優越感と劣等感の間の揺れ動き、つまり、それがコンプレックスなのです。夏目漱石がロンドンで悩み胃潰瘍になった頃から何も変わっていません。300万人以上が死んだ戦争の原因が何であるかを冷静に分析し学習しない記憶喪失の国のなるべくしてなった現状でしょう。

自分の信念を持つには日々概念を収集して自分の世界観、社会観、死生観、、、あらゆる「観」を形成することです。

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2022年12月18日日曜日

価値判断の基準

ibg 『迷子になる地図』より

生活をしていると毎日様々なニュースが聞こえてきます。今までは取るに足らなかったことが、最近では問題となって世間を騒がしているように感じています。その問題の多くは、現代社会のあり方や人々の価値観の違いに起因するものであると思うのです。時間に流され対岸の火事としてやり過ごすこともできますが、問題を先送りせず時には誠実に向き合うことが大切です。そしてそのために、我々一人ひとりの意識や価値判断の基準の見直しが不可欠であるのです。

全世界で起こっているこの大きな”うねり”は、我々が生きていくうえでの価値判断の大前提の変化でもあり、人間が歴史の中で築いてきた『知の構造』が大きく変化しているものです。そして大前提が変わりつつある状況下で我々は安直に今までの行動を続けるのではなく、しっかりと自らの判断と行動を見つめ直す必要があると思います。一人一人が変わらないと日本は変わらないのです。

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2022年12月8日木曜日

12年前のブログから ~ 歴史を学ぶこと


私は右でも左でもない。中庸(Golden Mean)を心掛けて生きてきたつもりです。ところが、暫く日本を離れていると、日本全体が左に移動してしまって、中庸のつもりだった自分が右に寄った感覚に陥ります。

歴史を学ぶことについて、学者先生たちが様々な意見を言われています。大概は素晴らしい意見です。しかし、小中高の教科書に反映されていないですね。歴史は歴史になっていない。そこには悪意さえ感じられます。自分の生まれた国を貶めて何の意味があるのでしょうか?これでは、自尊心も生まれないでしょう。歴史を勉強しないと、今の日本がなぜこうなっているのか(良い点も悪い点も)、分からないと思います。

日本にいたら、国や日の丸を意識することなんてほとんどありません(オリンピック以外は、、)。しかし、日本を出るときは、パスポートが必要です。どの国でも入国するときには入国審査があり、パスポートの提示を求められるのです。

海外で暮らすと、自分の国の歴史を知らないために恥ずかしい思いをすることがあります。

仕事仲間のアメリカ人Rとは10年以上の付き合いです。Rは、大学を卒業して7年間、アメリカ海軍の駆逐艦(デストロイヤー)に将校として乗船していました。退役して20年、マネジメントコンサルタントをやっています。彼は、日本海海戦や東郷平八郎のことを知っています。山本五十六のことやミッドウェイ海戦のことに詳しい。士官学校で教わっているのです。

お酒が入ると、「日本人はSneak Attackをする」と真珠湾奇襲の事を持ち出します。私はいつも、「真珠湾はルーズベルトのBooby Trapだ」と言い返すことにしています。お酒の上での友だち同士の会話なので、どうってことはないのですが、こういったやりとりがあるから2人の間に一定のレベルに達する信頼関係が生まれているのだと思います。

史実なんて、正確には分からないものだと思います(タイムマシンが発明されるまでは)。だから、多くの国は自分の国の歴史を国策に基づいて主張し、教育に取り入れます。ほとんどの国は、そのことを理解しているのでしょう。

日本も、子供たちが日本や日本人に誇りをもてるような歴史教育をすべきだと思いますね。

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2022年11月21日月曜日

神戸王子動物園








ほぼ50年ぶりに神戸王子動物園を訪れました。昭和と現在が混在する素敵な空間です。悲しいのは動物が少ないことですが、飼育員の努力が至るところで見受けられました。


社会にとっての動物園としては、以下のような役割が考えられます。

⋆ ヒトと動物との関わりを考える場 (ポストモダンの一元思考)
生態系や自然環境を考える場 (環境問題の本質)
⋆ 野生動物を公共的に確保・維持する場 (個と公の問題)
⋆ 希少動物を保護・保全する場

今は国を跨ぐ動物の移動が非常に困難です。動物園間の繁殖協力を通じた種の保存が必須となっています。 繁殖個体との交換による新たな飼育動物の入手という観点からも、動物の繁殖には力を入れて行かなくてはならないのです(日本のメディアではパンダだけが注目されますが、皆が知っている動物の多くが an endangered species、絶滅危惧種なのです)。

入園者の大多数は幼稚園児でした。彼らもある意味で絶滅危惧種と言えるかもしれない(ご無礼!)。

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2022年11月11日金曜日

切手コレクション ~ 所有か収集か?

小学生の頃夢中になった切手コレクション


私はどうも所有欲というのはあまり無いんだろうと思います。どちらかというと、収集欲のほうが強い。切手に関しても、収集するというプロセスが楽しかったのでしょう。所有欲は若い頃はもっと強かったと思いますが、年とともに急速に薄らいで来ました。所有するモノが人の価値を判断する基準となることに対する「反抗」でしょう。


昔アメリカ人の同僚を見ていて彼らの所有欲の強さに呆れた覚えがあります。「もっと!(more)」というのはアメリカ人の特徴だと感じました。自分が持っていないモノに憧れたり持っている人を妬んだり、手に入れたら入れたで失うことを恐れたりと、いくつになっても心中穏やかでないのです。

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2022年11月10日木曜日

アメリカ中間選挙に思う

 

Plymouth Rock とはピルグリム(巡礼始祖)が1620年にメイフラワー号からプリマスに上陸した際に最初に踏んだとされる岩です。

アメリカは負けを理解できない

共和党も民主党も同じです。双方とも負けを理解できません。アメリカ人はアメリカが世界の中で地盤沈下しているのには気づいています。しかし、一体全体それがなぜだか解らないのです。知性(intellect)は「振り返り」であり「反省」です。アメリカはコンピュータ的であり、今の言い方であれば AI 的です。AIは反省しませんからね。アメリカは知性ではなく知能(intelligence)の国なのです。

それにしても日本のアメリカ中間選挙のニュースは表面的すぎて酷い、、、、。

アメリカを勉強しよう

民主党も共和党も負けを理解できない。それがアメリカそのものなのです。That's what it is all about !  選挙というのはアメリカを理解するには絶好の機会です。アメリカという国は何を重視するのか? アメリカの間接選挙は今の時代でも正しいか? アメリカはどう変わってきているのか? 何が変わらないのか? Plymouth Rock からたかだか400年です。日本人も属国を決めたなら宗主国の歴史を勉強しましょう(ご無礼!)。

トランプとは何か?

トランプって特別な人ではなくて、典型的なアメリカ人でありアメリカ大統領だったのかもしれません。福音の伝道者であり、福音とは富と成功を意味するのです。40%近いアメリカ人はトランプは成功して大金持ちになったのだから神から一番祝福された self-made man(成金)だと信じています。日本では self-made man は成り上がりとして嫌われます。

正統性(legitimacy)の欠如

理念や目的の欠いた(いわゆる正統性の欠如です)ポピュリズムが支配しているのがアメリカの実情です。会社でもビジョンがない、つまり利益だけが目的のマネジメントと同じです。self-made man(成り上がり)の条件は機会の平等です。後はポジティブ思考があれば誰でもアメリカンドリームを掴むことが出来ると考えてきたのですが、格差が拡がり過ぎてどうにもならなくなった。それが今のアメリカでしょう。ハーバードやイェール出身の弁護士エリートよりもトランプのような経歴の人のほうが大統領としてアメリカ大衆に受け入れられるのです。

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2022年10月31日月曜日

自分らしい生き方を貫く

 


40代を襲うキャリアの危機といったことがビジネス誌の記事になっています。我が国の総理もリスキリングを声高に連呼します。多くの40代は自分を知ることが怖い。40代になって自分の「市場価値」がだんだんと明らかになって、それを受け入れることに躊躇するということらしいです。40代の10年はその後の人生のためにも重要な10年だと思います。精神的にも肉体的にも。

要は、自分らしい生き方を貫けるかどうかだというのが私の結論です。

自分というのは一番不可解な代物です。長期的に日記をつけると、年をとって自分というものが少しばかり分かってきます。人生が長いか短いかは判りませんが、自分とは何者かということを死ぬまで問い続けるのでしょう。

子供の頃に伸び伸びとできていないと、大人になっても自分の可能性は何だと悩み続けるものです。40代の人生の踊り場であれこれ悩んでいると、50代を無駄に過ごして高齢者になって後悔することになります。ご用心!

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2022年10月23日日曜日

自分で選択する大切さ

 


オプションを比較して自分で選択することによって人の人生は大きく変わる。環境を選ぶこともできない運命というのもあるけれど、「毎日忙しくて」とか「親が言っているから」とか「伴侶が反対するから」とか「世間の目が、、」とかを行動の基準(クライテリオン)としても何の意味もないと思います。

誰かに強制されたのでもない、世間の動きに合わせたのでもなく、自分の意志で何をどう選んできたか、人生ってそうやって自分がつくり上げてきたものじゃないですか? 管理職かそうじゃないかは上司の意向ばかりじゃない、自分の意思も大きく影響して今の自分があるのです。

自分で決める自由が大切だからこそ、色んなことに興味や関心を持つことがとても重要なのです。これは男も女も関係ない。仕事をする女性も専業主婦も関係ないことです。日本の「空気」はそれを奪っている。もしかしたら自ら進んで放棄している。それの方が楽チンだから?

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2022年10月22日土曜日

大人になるための第一歩は絵日記

 
マルタイ棒ラーメンで作る博多ラーメン

大人になるための第一歩

人生って物語です。物語の主人公は自分。自分を布置化して(距離を置いたところから見て)自分の位置を確認する。絵日記というのは自分を語ることの第一歩です。自分を語るというのは大人になるための重要なプロセスなのです。それは大人になってから、自分自身の決断や思考力を試すことにつながる。日記をつける(またはエッセイを書く)ことの重要性です。

多くの人と交流し物語を記す

より多く人の話を聞き、より多くの人に語りかけ、様々なことを経験して試行錯誤を繰り返す。そして、自分の人生のビジョンを明らかにしていく。自分の好き嫌いをはっきりさせる。要するに、自分の好みを見つけ自分がどういう人間かを知ることです。

人生の色んなフェーズで時間(時代)を共有する他者がいるから面白くなる。フェーズ毎に自慢できることもあるだろうし、人に言えないこともあるでしょう。それぞれのフェーズの物語に他者が絡んでいる。時間を共有することで信頼と尊敬が生まれる。そうやって単なる他者が友人となる。最終的には自分の老後資金の原資となるのです(原資はお金だけじゃない)。

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2022年10月13日木曜日

価値判断の乱れ

日本はレジリエンスかフラジャイルか?
   

岸田首相の「日経リスキリングサミット」での発言要旨

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1257J0S2A011C2000000/?fbclid=IwAR01aXsPGZzF9KGKy429EtaQFvWJE_bvC03FR6RsnOOa8aoE5cN59edZ0gY

リスキリングというよりも、教育の失敗が今の日本の停滞の原因になっていないかを検証すべきでしょう。

世界中で近代化の限界にぶち当たったわけですから、国のリーダーには人間や国家にとって最も大切なこと、つまり、どうすれば質の高い価値規範を維持することができるかを議論してもらいたい。それは国家が独立する目的でもあるのです(紀元前にプラトンという人が言いました)。

そうであるならば、一国のリーダーには日本人の価値判断の基準をしっかりと固定して欲しいものです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教でない日本は宗教が国を支えることは難しいので。今の日本は様々な点で、価値判断が乱れていると思いませんか?

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2022年10月3日月曜日

日本語の危機は考える力の危機

ibg『迷子になる地図』は日記帳であり雑記帳です 

文化庁の国語世論調査を受けて、「手書きの大切さ再確認したい」といった記事をあちらこちらで見ました。全体の82%が「国語に関心がある」と答え、関心がある点は「日常の言葉遣いや話し方」「敬語の使い方」が多かったそうです。デジタル機器の進化に伴い、漢字が書けなくなったと感じている人は多いし、日ごろから文字を書く機会は減っているのは事実でしょう。しかし、問題はそれほど表層的なことではないのです。

思考するためには概念の理解が必要です。他者との対話で必要となるのは、先ずは一定の抽象度に高める(abstract)レベルセッティングなのです。他者は自分と100%同じ意見やバックグランドを持っている訳ではないのですから重箱の隅から入ってはいけません。レベルセッティングの後に「概念」と「具体的」を行ったり来たりしながらコミュニケーションします。

漢字を忘れないようにするためでなく、自らの思想構築のために、日記というのは素晴らしいツールです。日記をつけることで、自分の頭の中に様々な概念が集積し世界観ができていくのです。または、自分の世界観を表現するために概念の蓄積があるのです。若い時から日記をつけておくと、高齢者になって自分というのがどういった人間かということも知ることになります。

何を書くか? 普段から問題意識や危機意識がないと、何を書くか何を話すか何を議論するかという内容が決まらない。表現が素晴らしく、ロジックが一貫していても内容がないものとなってしまいます。国語教育の議論はそういった点まで考慮して議論されていないのではないか? だとすると、日本人の考える能力(思考や思想構築)の低下はとどまるところを知らないでしょう。

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2022年9月23日金曜日

これからの日本社会を問うてみた

東大寺(今は亡き父の撮影)

陰徳を積む


日本文学者のロバート・キャンベルさんは、江戸時代の書物を例にだし陰徳を積むことが大切であると言っています。日本人がとっくに忘れ去った言葉をご存じだ!何が真理であるか判らない時代、個人で出来ること、個人が自己責任としてやるべき事は徳を積む、道徳心を養うことです(自らの思想を形成することでもある)。江戸も末期に近い天保時代って、現代の社会情勢に似てる気がします(precarity:不安定)。武士の序列社会が腐敗し武士は武士道を忘れ蓄財のために悪徳商人と手を結び、民は無能なリーダーの下で生活もままならない。そこに天災や飢饉が起こる、、、。 現代の日本の政治家は大企業の係長か課長補佐のようにもっと小粒で、天保の江戸幕府にも劣るような気がします(老中水野忠邦は賛否は両論でも天保の改革を実行した)。民だって最後には一揆を起こして黙っていなかった。一方、現代の日本の民は虚無的で公に「もっと、もっと!」と依存しすぎる。

大衆の反逆(オルテガ 1929年)

オルテガの言う「大衆」の定義:

① みんなと同じである
② 大衆社会を代表する
③ 自己否定する

大衆的人間は議論をするつもりもなければ、そもそも相手の話を聞くつもりもない。大多数の人が信じている常識や偏見をうのみにし、それを一方的に押し付けてくるだけである。大衆はみんなと違う人を排除する。多くの団塊世代や高齢者が台風の中なぜ国会前に集まったのか?(数は報道の10分の1ほどだったようですが)。彼らは2000年以上の日本や日本人を否定し、戦後77年を信じます。なぜか? それは彼らは陰徳を積んでいないからです。直近の半世紀余りが豊である(あった)という自惚れが強いから、過去を否定したくなるのです。彼らは往々にして歴史的経緯をちゃんと勉強していないし、豊かさや便利さを享受するだけで、何のために生きているのか分からない。オルテガは『大衆の反逆』の中で、自分のなすべきことが分からないと、人間は自己否定するものであると言っています

改めて自己責任

一時「自己責任」という言葉が流行りました。「情報化」がもたらす問題の一つが、中心なき社会、権威なき社会です。社会全体に規範意識(norm)がなくなり、日本では個人としても確固たるアイデンティティは存在しない。だれも責任をとらない社会の出現です。それがオルテガのいう大衆社会と同じなのです。だとすると、これからのポストモダン、ポストコロナの日本社会はどういった統制原理でまとまる必要があるのか? 国のリーダーたちはそれを議論すべきなのです(これからの「個と公共の関係」)。政治家が、葬儀に参加する・しないで大騒ぎする場合じゃない!

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2022年9月19日月曜日

世界で通用する人は、紙と鉛筆で仕事する


ibg のポストコロナの羅針盤『迷子になる地図』は、物事の本質を捉え直すための「6つの視点」を用い、物事を眺め、検討し、見えた事・考えた事をまとめていくためのノートブックです。

文科省のHPには国語教育に関して多くの記述がありますが、隔靴掻痒の感があります。ビジネス界で見受けられるのは、小学生の作文のままで大人の文章(論文)にならない人が多いという事です。英語とか論理的思考以前の問題なのです。

『迷子になる地図』は視座・視点・視野を高めるための日常の訓練であり、小学生の作文を社会的・客観的・抽象的(abstract:因数分解で共通項をカッコの前に出す作業)にするための概念の埋め込みです。

要するに、口に出す前、文章を書く前、議論をする前に、自分の頭のなかに多くの概念の理解が必要だということです。それが故に、自分の世界観や POV(Point of View)を他者に提示することが可能となります。これは異文化コミュニケーションの大前提となるものです。グローバル人材の育成なんて盛んにメディアに取り上げられていますが、紙と鉛筆でどれくらいの仕事ができるかが重要なのです。

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2022年9月13日火曜日

大阪で考えたこと

 

天王寺

所用があって46年ぶりに大阪 天王寺に行ってきました。高層商業施設のハルカスや阿部野橋筋の西側は様変わりしていました。JR天王寺駅は同じ外観で、東側は昔の店がチラホラと残っています。動物園の入り口付近は綺麗になりました。しかし、注意して見ると酔っ払いなのか浮浪者なのか訳のわからん連中もいます。


エコーオーサカというホテルが天王寺駅からはす向かいのところにあり、50年近く前にホテルのパブ「シャイアン」で週に2日バンドのバイトをやっていました。ロクな思い出はありません。才能がないことが一番ですが、音楽との決別を決めた場所でした。エコーオーサカがあったところは20年ほど前に新しいビルが立ちホテルはなくなっていました。用事が済んで谷町筋を北上し森ノ宮から阪神高速に乗りました。途中私が生まれた大阪日赤病院や彷徨の3年間を過ごした府立高校もこのあたりです。そういえば森ノ宮の日生球場もとっくに無くなっていましたね。

「天王寺野外音楽堂は何処だったか?」と公園前の警官に尋ねたところ、驚いたことに数人いた警官は誰一人野外音楽堂のことは知りませんでした。それに警戒感が強くフレンドリーじゃなかった。私を天王寺公園に野宿する怪しげなホームレスと思ったのでしょう後で調べると野外音楽堂は1980年に閉鎖されて今の動物園のコアラ舎の辺りだったそうです。1970年代は春一番コンサートが開催され、ディランIIや上田正樹・有山じゅんじ・石田長生を羨望の眼差しで見ていたものです。1980年だと私は就職してもう大阪にいませんでした。

知らんけど

大阪の街は変わっていない部分が多い。お寺や茶臼山のような史跡が多いからでしょうか? 全体的には以前の猥雑と言うイメージよりも寂しいという印象です。 このまま「one of 多くの地方都市s」になっていくでしょうか。東京が大企業体質なのか大企業が東京体質なのか、どっちもどっちなんでしょうね。政府が主導して東京と関西に国家プロジェクトを振り分けるべきです、、、知らんけど。「知らんけど」と言うのは大阪人のズルさ無責任さの象徴ですね(知らんけど、、、)。私は大阪人です。

メディアも政府も「ダイバーシティ」を声高に叫んで久しいのですが、様々なマイノリティが集まっている大阪は、これからの日本のショー・ケースかも知れません。大阪での歴史ある活動や試行錯誤の繰り返しから、これからの日本の共生(『迷子になる地図』の6つのテーマの一つである「個と公共」)のあり方を考えることができるかもしれません。問題は、大阪人は物事を日本全体で考えるほど責任感がないことです(私はこれを「知らんけど文化圏」と呼びます)。

大阪の未来

真理がどこにもない世界では自分の頭に思想を構築することが最も重要です。更に道徳的でないといけない(国家や公共が崩壊するから)。これは、大阪が克服しなければならないポイントです。2025年に大阪万博をひかえた大阪に「個と公共」を考える道徳心が芽生えるか? 2025 大阪万博のテーマは「いのちへの向き合い方や社会のかたち」だそうです。「個と公共」だけでなく『迷子になる地図』の中の「環境問題」、「文明と文化」、「異文化コミュニケーション多様性)」とも大いに重なっています。勿論「教育」や「情報(デジタル)」は基本となるものです。更に大阪人の視野や世界観を拡げるリーダーの存在は不可欠でしょう。

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2022年8月29日月曜日

レベルセッティング ~ 「概念」の理解は正しいか?

 
キスの昆布〆とアジ (奈良 つる由)

関東と関西では水も違うし出汁も異なります。関西は昆布が出汁の主流です。

      鱧の吸い物(奈良 つる由)


論理を記述したりプレゼンする前に「概念」(物事の何たるか)の提示が大事です。実は、それがレベルセッティングでもあるからです。レベルセッティングとは、会議に集まった人たちの考えていること、思っていることにずれがないかを確認、食い違いがひどい場合、調整する。これをレベルセッティングといいます。

日本では「概念」の提示がないばかりか、あっても「概念」の理解が間違っている場合が多々あります。「概念」は外来語になると目も当てられないのです。日本のテレビを観れば観るほど「概念」の理解が無茶苦茶になります(意図的にカタカナ語でけむに巻くコメンテーターもいます)。

ibgのポストコロナの羅針盤である『迷子になる地図』は、実はこの「概念」の埋め込み(仕入れ)の方法論でもあるのです。深く考えるとは「概念」を理解し、自分の引き出しに入れることを習慣化することです。

日本社会や日本人の組織はレベルセッティングされていると思い込んでいる。多様性が重視されるとはいえ、同じ目的のもと同じ仕事に取り組むためには共同主観の形成が重要となります。これから益々必要なことは、レベルセッティングされていないという認識の下に対話を始めることです。若い頃から「概念」の埋め込みを日常化しレベルセッティングを習慣化しないと、世界とは対話にならないでしょう。

夏野菜の煮もの(奈良 つる由)


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2022年8月23日火曜日

空気の支配が続く

山本七平さんの著書は10代の頃から読み始め、アメリカで仕事をしていた1990年代は「how to do with the Japanese」というテーマで、上のような資料を作成しアメリカ人の同僚たちに日本や日本人を説明したものです。

コロナ禍、ウクライナ紛争、安倍元首相暗殺以来の統一教会に関する報道 等々を見ていると、日本の思考停止は停止どころか、私の10代、つまり半世紀前よりも酷くなり、停止ではなく泥沼に沈み先の大戦の大本営発表の様相を呈しています。

アメリカ政治は宗教から切り離すことができません。そもそもアメリカという国がイギリス国教会から離脱した新しい宗教国家なのです。大統領選の熱狂的なキャンペーンを観ればよく理解できます。テレビ伝道といわれる宗教テレビを巨大スタジアムレベルまでスケールアップしたものが大統領選のキャンペーンなのです。

日本の場合、比較的善良な一般市民って国民の大部分を占めていると思います。そして宗教色は極めて薄いのです。統一教会にしても幸福実現党にしてもメディアが煽るほどの影響力なんてないのです(創価学会レベルだと別ですが)。日本国憲法が大好きなリベラル派のメディアやコメンテーターの人たちはここまで詐欺まがいに捏造した状況をどう収拾をつけようとしているのでしょう? 人の噂も75日か?

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2022年8月16日火曜日

迷子になる地図

 

日本の教育は、評価基準が偏っているのに学校で序列をつける。学校だけにとどまらず会社にも序列をつける。しかし実際は長期的な余裕や無駄がないと人は育たないのです(degree of freedom や誤差が必要)。結果、社会も成長しないということです。それが今の日本なのです。どうも学校は変わりそうもない。だったら自分で変えて行くしかないでしょう。人生は一度、不可逆的ですから。


生産性至上主義の日本は150年思考停止していたのかも知れない(少なくとも思考が偏っていた)。日本人がコロナ禍から学ぶことができる教訓はいっぱいあります。そつなくこなしていたら経験から学ぶことはできない。Risk taker じゃない。だから、Change maker にはなれない。可能性ゼロ、自由度ゼロ、誤差ゼロ、迷子の可能性ゼロの社会は生きていてつまらんでしょう。高齢者になって町内会運営にサラリーマン時代の栄光を求める老後は滑稽で悲しくないですか?

今の日本はロールモデルがいない。財界にも政界にも学界にも近所にも、子供たち(小学生から40代まで)が目標とできる大人が存在しない。「憧れ」がないとスキルをパクろうとはしない。興味や関心は強制できないものです。興味や関心のあるものを見つけられずにいる方がいらしたら(小学生から高齢者まで)、我々と一緒に迷子になってみませんか? 

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2022年8月9日火曜日

フーテンの寅さんがいなくなった


アメリカ没落の原因の一つはアメリカのアイデンティティの崩壊です。

サミュエル・ハンティントン(アメリカの国際政治学者)は1990年代の半ばに、アメリカは将来的にプロテスタントの倫理観念とアングロサクソンの政治文化を失い国家としてのアイデンティティが無くなると予言しています。日本のアイデンティティを喪失させることに成功したアメリカは70~90年後に自らのアイデンティティを失うこととなる、、、何という皮肉か!

寅さんの口上はアイデンティティの確認作業です。フーテンで全国をフラフラしている寅さんでも、葛飾柴又に家族や時間を共有した昔からの隣人たちがいる。つまり、アイデンティティを持っているからフラフラできるのです。

1970年代の中ごろまでは、日本でも評論家や大学の先生たちが日本のアイデンティティ喪失の危機感を盛んに議論していました。ところが、いまやそんなこと問題にしている知性はどこにもいませんね。知性の崩壊、これもアメリカと同じ道を歩んでいます。

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2022年8月7日日曜日

核戦争犯罪の実行犯は誰か?

 
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/warmuseum/02/?fbclid=IwAR2uHFO1Oq6tFHF5E7n11sJWGIEiWZikWx1QXOGFBccytI9tzW8YBaQZ_0w 原爆は世界のあり方を根本から変えた(NHK News)

広島・長崎は自然災害じゃない。落ちたのではなく落とされた。だったらなぜ落とされたのか?現代史を正確に語るには、戦後レジームからの脱却(日本の独立)が必要だったのだが、、、。

アメリカが急先鋒をなす近代国家(主義)は、分子は要らないというアトミズム(原子論)で成り立っています。とどのつまりが広島と長崎でした(アトミックボム)。

人は独りでは生きられないし死ねない。個人・家族・社会が支え合うバランスで成り立っている。原子ではなく分子の世界です。そしてそれが日本の伝統でした。77年経った今、明治維新から数えると150年、日本人は未だに判らないようですね。

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2022年7月19日火曜日

安倍さんの死 4

 

ibg のランチでクリント・イーストウッドの『ミリオンダラーベイビー』(2004年)の話になりました。安倍さんの著書『美しい国へ』(2006年)の中で安倍さんがこの映画のことを書いているので、安倍さんの本の話から映画の話題になりました。

『ミリオンダラーベイビー』は「安楽死」を題材として、近代(モダン)主義からポストモダンへの転換をテーマにしていると思います。近代合理主義は根底に全ての個人の生命への「生きる権利」に絶対的価値を置き「死の権利」を無視してきた。非常に利己的になった。

私の想像ですが、イーストウッドは自分の年齢からか、死を意識して人の一生とか幸福とかを考えたのだろうと思います。アメリカが混迷し(余裕をなくし)、この映画が製作された20年前はすでに利己主義者と 0.1%の大金持ちによって占領されてしまった。イーストウッドが愛した旧き良きアメリカは行き過ぎた近代化(文明化)よってズタズタにされた。

超近代主義のアメリカが行きついた先は果たして人にとって幸せか? どうなのよ? 自分は? といった疑問で、イーストウッドの頭の中がいっぱいになっていたのかも知れません。もしも死ぬことが幸せならば、死ぬことも個人の幸福追求(の権利)ではないかと(すなわち安楽死)、、、。銃規制と同じでアメリカが抱える矛盾ですね。

今の日本って30~40年前のアメリカのように思うのです。欧米の一部は直近の四半世紀、過度な近代化やグローバリゼーションを見直そうとしている(そうじゃない人もいっぱいいますが、、、)。アメリカに住んで仲の良いアメリカ人の友人たちと接して感じたのは、アメリカは個人主義の国で近代合理主義で個と集団(公)を割り切っているようで、合理的な面はもちろんあるのですが、実は伝統的な彼らの家族主義も備えているということです。個人の意見はあるけど、じつはそれを尊重する家族や仲間がいるのです(共同主観に立つ)。私が親しくなったアメリカ人はだいたいそんな感じでした。

世界のリーダー達が安倍さんの死に哀悼の意を捧げたのは、今の混迷の世界の中で日本の伝統や文化が一番まともで羨ましく思っているからじゃないのか? ところが、一部の日本人だけが深く考えず安倍さんのことも犬死させるのでしょうか?

日本は高齢化が超高齢化になり、生と死の境の問題がますます大きくなっています。日本人は日本人の死生観を確認する時だと思います。安楽死というのは近代主義や近代国家の思想では解決できないものです。アメリカという実験国家は近代主義の最先端を走ってきた。日本には日本人の死に方(死生観)があったはずです。それはケースバイケースのあうんの呼吸なのかも知れない(安楽死と言えるものも含めて)。ところが、いまは病院に放り込めば家族は自分の手を離れたとホッとしてしまう。生と死の間がなくなった。世界の知性はそのことに気づいている。

安倍さんがご自身の著書で映画『ミリオンダラーベイビー』を取り上げたのは、もしかしたら、以上のようなことを意識していたのかも知れませんね。

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2022年7月18日月曜日

安倍さんの死 3

 
下は7年前の小林秀雄に関する記事です。

小林秀雄は一歩一歩前に踏み出す一貫性のある生き方を論じていました(『私の人生観』)。自分の足元を見る。足元にある伝統(日本人の生き方)を自覚する。伝統に従い信じる。それは右翼にも左翼にも媚びない生き方です。

アメリカにも中国にも媚びない自立した国家。日本国民の60~70%は自分の直観に従って共感し、弔意を表し涙したのだろうと私は信じたい。

小林秀雄の「戦後」 論説委員・福島敏雄


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安倍さんの死 2

日本とは違い海外では安倍さんの評価は一様に高い。恐らく日本では元首相の暗殺さえも芸能ニュースの一つであるかのように忘れ去られる可能性が高いでしょう。批判ばかりでなく危機感と責任感を持って、子供や孫そして今を生きる自分たちのために、もっとまともな日本にする努力をするべきじゃないですか? 坂口安吾が敗戦直後に『堕落論』で言ったように、もっともっと堕落して落ちるところまで落ちないと気づかないか?  

死というものは本人だけのものでなく集団のものとみなす傾向が強い。それは生きるという事が家族や仲間と共有しているからです。安倍さんのような人は共有の範囲がただものじゃない。私はそういった家族主義的なものの考え方はいいと思う(アメリカ価値観と真逆)。これからの超高齢化社会の日本では高齢者の孤立を避けるという意味でも、ますます必要なことだと思う。

先の戦争では300万以上を犬死させたままの日本ですが、安倍さんの死を犬死させないように目を覚ましてほしい。

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2022年7月17日日曜日

安倍さんの死

 
安倍総理のご冥福をお祈りします。

私は安倍さんのファンでも自民党の熱狂的な支持者でもありません。しかし、高齢者の一人として自分の国が少しでも良い方向に向かってくれればいいと思っています。

多くの人が安倍さんの死を悼んでいるのは安倍さん自身が日本的な価値観の源泉だった(または近かった)のでしょう。それに共感した日本人が今の時代でも多くいたことに対して、正直な感情として私は嬉しく思いました。だから安倍さんの死を三島由紀夫のように犬死させてもらいたくない。

安倍さんの日本的価値観は世界のリーダーの間(バイデン、プーチン、トランプ、エルドアン、モディ、ジョンソン、マクロン、蔡英文 等々)でも受け入れられていた。主義主張の異なる世界のリーダーたちが、日本を羨ましく思っているのかも知れない。世界が模索するポストモダンやポストコロナの世界は、日本本来の価値観に近いものじゃないのか?(例えば、小乗仏教ではなく親鸞の仏教的なもの)。

政治家に100%を求めてはいけない。私は60%でいいと思っています’。自信と誇りのない個人も、会社も、国家も存在意義がない(私の人生とビジネスの経験から言っています)。これは上から目線ではありません。私は安倍さんの政策や思想で意見を異にする部分があります。ただし一番共感する点は、彼はブランド志向じゃないところです。序列主義(偏差値主義)じゃない、柱をいっぱい立てて梁を通さない教育に大いに疑問を持っている点です。安倍さんは私のような一般的な高齢者とは違う。私は国民のために命はかけられない。そんな勇気はありません。だから政治家をやっていません(もちろん教育者でもない)。彼は命を懸けていた。政治家ですから超リアリストだったと思います。彼の生い立ちを考えると、国家レベルで「原因と結果(日本の現状)の間」から政策を考えて行動したのだろうと思います。

安倍総理の「死」を犬死させないためにも、共感した感情を掘り下げて日本の未来につなげてもらいたい(民主主義が~民主主義が~!のような似非悼みではなく)。企業だって同じです。共感する価値観の源泉がないのに企業の業務改革や意識改革なんてあり得ない。教育でも同じですよね? もっと大きなレベルで共感する価値観の源泉がないと教育も成り立たないのではないですか?(家族とは? 人生とは? 生とは死とは、、、といった)。


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2022年7月16日土曜日

2022年6月6日月曜日

不完全性の克服

文科省のホームページに書かれていることは大抵が間違いじゃない。しかし、具体性に欠けるために実行されない可能性が高いと思います。「グローバル化と教育に関して議論していただきたい論点例」を例に説明しましょう。

整理(3)の最後に書かれていることが一番重要なのですが、論点を掘り下げて議論の幅を拡げ深化させるファシリテーションが教育現場では出来ないでしょう。概念がしっかりしていて抽象化と具体化を行ったり来たりできるファシリテーター(教師)がいないからです。これは企業内での教育にも同じことが言えます。重箱の隅をつつく議論は得意なのですが。。

「また、グローバル化の中で、自分とは異なる文化や歴史に立脚する人々と共存していくためには、自らの国や地域の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付けることが重要になっている」(文科省)。

グローバル化と教育に関して議論していただきたい論点例:文部科学省 (mext.go.jp)

MEXT.GO.JP グローバル化と教育に関して議論していただきたい論点例:文部科学省

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人間の精神の根っこには自分の所属している国(家)の風土と歴史があります。人間が動物と違うのは言語能力です。その国の国語とそれにもとづく文化を大事とするのが人間の本質です。言語(国語)を中心とする国柄がその国の公的なもの(公共心)に大いに影響します。だとすると、「自らの国や地域の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付ける」はもっと具体的に議論すべきでしょう。

日本の場合、文化(言語)は弥生時代から数えると3000年ほどの時間をかけて形成されてきたものです。グローバル化グローバル化!と声高に叫んでも簡単に転換できるものではありません。国家がぶれると戦争になる。大国が余裕を無くした状況は非常に危険です。国家を動かす人間なんて不完全性の極みだからです。

私の孫たちの国語は英語です。将来的にどうやって人間の不完全性を克服するのでしょう?


2022年5月24日火曜日

コペン Vol. 7

CVTの話し

長い間、CVTに関して誤解していました。よく理解せずに先入観から 「CVT はダサい」と思っていたのですが、CVTは日本の道路事情を十分に考慮した優れものです。以前乗っていたジープ・チェロキーはドイツのZF社製の9段変速のトランスミッションでした。コペンはもちろん CVT です(ダイハツ独自のDual mode CVT)。

そもそもドイツの道路と日本の道路では負荷変動が全く違う。日本では低速での変化が激しい。信号での go stop や曲り道、渋滞。CVTはATやDCTと比較すると小さいし軽い。軽自動車との相性は抜群です(日本の運転環境を考えると普通自動車でも有効)。

EV用の高性能CVTを作って中国に輸出すればいい(もうやっているかも)。そういえば、20年ほど前にある自動車メーカーの部長さんに「完成車を売るよりもトランスミッションとかエンジンだけをパーツとして中国に売ればいい」といったら、エキセントリックに激怒されたことがあります。彼の大手サラリーマンとしてのプライドが許さなかったのでしょうね、、、。残念。






コペン Vol. 6

コペンは曲がる性能に優れています。日本の狭い市中をゴーカートで走るイメージです。対極にあるのが JEEP などの大排気量の大型車ですね。
  • カヤバ製のショックアブソーバーとスプリング ⇒ 接地感が高い。
  • 電動パワステ ⇒ コーナリングがいい。できればステアリングホイールはもう少し小径がいい。
  • 強化フレーム+ヤマハのパフォーマンスダンパー ⇒ 標準はダイハツの D-フレーム。それにヤマハのダンパーを追加。
コペンのような中古車を北米市場に投入しても面白いと思います。日本の行政は旧い車に対して税金を重くする重課税制度です。2年に一度の車検もある。一方アメリカは逆です。右ハンドル禁止のアメリカでも25年経た車は改造なく乗れます(クラシックカー登録制)。

日本の現行制度は程度のいい日本の旧車が欧米に流出する要因です(GT-R、ランサーエボリューション、インプレッサ、セリカ、フェアレディ 等)。自動車に関心がない人が制度を作っているのでしょう。







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コペン Vol. 5

沖縄返還は1972年です。調布飛行場が日本に返還されたのは昭和49年(1974年)のことです。首都東京上空はいまだに日本に制空権はなく米軍横田基地がコントロールしています。

コペンは電動ルーフ(アクティブトップ)を閉めればトランクのスペースも十分です。コペンが登場したのは2002年ですから今年で20年になります。ダイハツとしてはコペンに対して相当気合が入っていたのでしょう。本来はホンダが作りそうな車です。

雨の日は乗らないので常にオープン(top down)で走っています。サイドウィンドウを閉めていると帽子をかぶっていても風の巻き込みは殆ど気になりません。