私は安倍さんのファンでも自民党の熱狂的な支持者でもありません。しかし、高齢者の一人として自分の国が少しでも良い方向に向かってくれればいいと思っています。
多くの人が安倍さんの死を悼んでいるのは安倍さん自身が日本的な価値観の源泉だった(または近かった)のでしょう。それに共感した日本人が今の時代でも多くいたことに対して、正直な感情として私は嬉しく思いました。だから安倍さんの死を三島由紀夫のように犬死させてもらいたくない。
安倍さんの日本的価値観は世界のリーダーの間(バイデン、プーチン、トランプ、エルドアン、モディ、ジョンソン、マクロン、蔡英文 等々)でも受け入れられていた。主義主張の異なる世界のリーダーたちが、日本を羨ましく思っているのかも知れない。世界が模索するポストモダンやポストコロナの世界は、日本本来の価値観に近いものじゃないのか?(例えば、小乗仏教ではなく親鸞の仏教的なもの)。
政治家に100%を求めてはいけない。私は60%でいいと思っています’。自信と誇りのない個人も、会社も、国家も存在意義がない(私の人生とビジネスの経験から言っています)。これは上から目線ではありません。私は安倍さんの政策や思想で意見を異にする部分があります。ただし一番共感する点は、彼はブランド志向じゃないところです。序列主義(偏差値主義)じゃない、柱をいっぱい立てて梁を通さない教育に大いに疑問を持っている点です。安倍さんは私のような一般的な高齢者とは違う。私は国民のために命はかけられない。そんな勇気はありません。だから政治家をやっていません(もちろん教育者でもない)。彼は命を懸けていた。政治家ですから超リアリストだったと思います。彼の生い立ちを考えると、国家レベルで「原因と結果(日本の現状)の間」から政策を考えて行動したのだろうと思います。
安倍総理の「死」を犬死させないためにも、共感した感情を掘り下げて日本の未来につなげてもらいたい(民主主義が~民主主義が~!のような似非悼みではなく)。企業だって同じです。共感する価値観の源泉がないのに企業の業務改革や意識改革なんてあり得ない。教育でも同じですよね? もっと大きなレベルで共感する価値観の源泉がないと教育も成り立たないのではないですか?(家族とは? 人生とは? 生とは死とは、、、といった)。
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