和辻哲郎のように月の光で見たのではないですが、夕方に若草山から大仏殿を望みました。 ふんわりと浮かんでいました。
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古寺巡礼和辻哲郎門の壇上に立って大仏殿を望んだときには、また新しい驚きに襲われた。大仏殿の屋根は空と同じ蒼い色で、ただこころもち錆がある。それが朧ろに、空に融け入るように、ふうわりと浮かんでいる。幸いにもあの醜い正面の明かり取りは中門の陰になって見えなかった。
見えるのはただ異常に高く感ぜられる屋根の上部のみであった。ひどく寸のつまっている大棟も、この夜は気にならず、むしろその両端の鴟尾の、ほのかに、実にほのかに、淡い金色を放っているのが、拝みたいほどありがたく感じられた。
その蒼と金との、互いに融け去っても行きそうな淡い諧調は、月の光が作り出したものである。しかし月光の力をかりるにもせよ、とにかくこれほどの印象を与え得る大仏殿は、やはり偉大なところがあるのだと思わずにいられなかった。その偉大性の根本は、空間的な大きさであるかも知れない。が、空間的な大きさもまた芸術品にとって有力な契機となり得るであろう。少なくともそこに現われた多量の人力は、一種の強さを印象せずにはいないであろう (1919年)。
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