2012年7月22日日曜日

日本という社会

鉄人28号は国家防衛のために開発された最終兵器だった
 
安全保障を考えるって、「国家とは?」を考えることです。
 
問題は、戦後民主主義教育と言われるもののおかげで、日本人の国家意識は極めて希薄になってしまったということです。 日本人にとって「国家」なんて何となく嫌なもの、だから、「国家」は「社会」になっちゃった。 「アメリカという国家」の枠の中にある「日本という社会」になっちゃったのですね。
 
今の日本には、個人のエゴを規制する枠がなくなってしまいました。 これは、自由だと喜ぶべきものではないでしょう。 これまでの日本は、「世間」という強制力が、個人のエゴの発散を規制していました。 でも、東京を見たらよくわかるように、世間の強制力なんて跡形もなく崩れ去ったのですね。 マスメディアが崩壊を加速させます。
  
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