2012年1月31日火曜日

金沢 鈴木大拙館

旧制高等学校、ナンバースクールの四高

加賀百万石の金沢というところは、数多くの立派な人を輩出しています。 守るべきものがある伝統の土地柄からでしょうか。

兼六園から歩いて10分ほどのところに、鈴木大拙 Museum がオープンしたというので、立ち寄ることにしました。 コロンビア大学の教授でもあった鈴木大拙(1870~1966)は、禅についての著作を英語で書き、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者、思想家です。 アメリカのインテリの中には日本のことなんて何も知らないのに、やたら ZEN の話をしたがる輩がいます。

ZENの大家である鈴木大拙に対しても批判があります。「昭和の戦争の原因は神道にあり、仏教を重視していたのであれば戦争にはならなかった」と大拙が主張したというものです。 どうなんでしょうね、私は明治の近代国家建設時に、日本固有の宗教のかたち、つまり、神仏習合との折り合いをうまくやれなかった、そして、それを全体主義が国家神道としてうまく利用したからだと思いますが。


啓蒙思想家、哲学者としての鈴木大拙は福沢諭吉にも通じる多くの名言を残しています。福沢諭吉と同様、様々なドメイン、つまり、領域をクロスオーバーしたからでしょう。

鈴木大拙のことば
  • 法則に縛られず自分自身の法則を作り出していく。

  • 依頼心を捨てよ。これに尽きる。

  • 自分は世界人としての日本人のつもりでいる。









鈴木大拙 Museum


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2012年1月30日月曜日

遅れや回り道で得られるもの

ほくほく鉄道@越後湯沢駅

日本一の豪雪地帯は新潟県十日町市のあたりだそうです。 十日町は北越急行ほくほく線の越後湯沢駅と直江津駅の間にあります。 トンネルの多いほくほく線でも十日町付近の除雪のため、越後湯沢駅で2時間以上待たされました。

しかし、予定よりも遅れたり回り道するってことは、通常だと見ることができないことを見たり気づかせてくれます。 いいですねぇ。

☆ ☆ ☆

金沢市内の道路では、融雪装置と言われる除雪用の水が噴き出しています。

これは雪が多く降るが比較的気温の高い地域でよく見られます。 気温が低すぎると融雪水自体が凍ってしまいますからね。









金沢市内の消火栓の蓋

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2012年1月29日日曜日

自然と調和する

金沢 兼六園の霞ヶ池

西欧と違って、東洋的な文明は自然との調和度が高い。 自然を征服しようなんて傲慢な気持ちはなく、人間との一体化をはかろうとします。

早朝、雪の兼六園を歩いていると謙虚な気持ちになります。 相手を説得しようと自己主張する自分がつまらない人間に見えてきます。

雪吊り

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2012年1月27日金曜日

雪で足止め @ 越後湯沢






2時間半遅れで金沢駅着。特急料金払い戻し。
遅いランチは金沢名物のハントンライス!









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2012年1月25日水曜日

自分の生き方を信じる

伊勢神宮 ~ 境内に入るとそこは神の領域

自分の生き方を信じるってエゴイストってことではないのですよ。 流儀や美学と言ってしまうと大袈裟ですか? 「こだわりがある」といえば大丈夫ですか? 自分の生き方にこだわりがないとなると、人は死ぬまでハッピーになりようがないと思いませんか?

「権利」と「義務」、「自由」と「責任」。 全体主義になると「権利」よりも「義務」が大きくなり、「自由」よりも「責任」が重くなります。 今の日本はバランスが悪い。 「義務」より「権利」を主張し、「責任」を全うすることなく「自由」を叫ぶ。

吉田兼好は『徒然草』で言っています。

『もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならん』

自分の生き方を信じ、死ぬまでこだわりを通す、それって日本人の伝統ではなかったですか? 2011年は311で死者不明者が2万人近く、自殺者が14年連続で3万人を超えました。

日本人は『徒然草』なんて忘れ去ってしまい、人間は永遠に死なないとでも勘違いしているのかもしれません。 それこそエゴイストですよ。 伊勢神宮、橿原神宮、そして法隆寺を歩いて感じたことです。

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2012年1月24日火曜日

日々の生活を楽しむ


日々の生活を楽しむこと。 これが私の生き方で、誰が何と言おうと信じているのです(大袈裟?)。 そういう訳ですから雪が積もるような朝はワクワクと楽しみです。 カメラを持って夜明け前に外に出たのですが、積雪というよりも凍結だったので、すごすごと退散です。

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2012年1月23日月曜日

聖徳太子の法隆寺

写真は、法隆寺の大講堂の前から見た西院伽藍です。 右から回廊、五重塔、中門、金堂です。 千四百年の風雪に耐えてきたわけです。

聖徳太子は側近である小野妹子を遣隋使として隋に派遣しました。 大陸の先進文化を積極的に取り入れ新しい国造りをしようと留学生を同行させました。 海外インターンシップですね。

聖徳太子は、外交、国内治安に力を注ぎ、国の基本法を制定し、心のよりどころとして宗教(仏教)を導入しました。 今の日本って、どれ一つとっても怪しくなっていませんか? 以下は十七条の憲法のサマリーです。 政治家の先生方、ご存じかな?

憲法十七条
 
 1 和を大切にし,人と争わないようにしなさい。
 2 あつく三宝を敬いなさい。三宝とは,仏・法・僧であり,仏教を信仰しなさい。
 3 天皇の命令には必ず従いなさい。
 4 すべての役人は礼を守りなさい。礼は民を治め官人の序列をも維持するものである。
 5 私利私欲を捨てて,民の訴えを公正に裁きなさい。
 6 善と悪をよくみきわめて対応しなさい。
 7 自分の任務をきちんと行い,他の職務に干渉してはいけない。
 8 役人は朝早く出勤し,夜遅くまで働きなさい。
 9 善悪は義の根本である信のあるなしに関係している。心がなければ何事も成功しない。
10 人それぞれに意見が違うのはあたりまえ,違うからといって怒ってはいけない。
11 部下の仕事のできをきちんと見極め、賞罰の判断をしなさい。
12 地方の役人は民から税をとってはいけない。
13 役人は同僚や上司の仕事の内容も知っていなさい。
14 役人は他人をうらんだりねたんだりしてはいけない。
15 役人は私情を捨てて,正しく職務を遂行しなさい。
16 民を労役に使うときは,時節をよく考えなさい。農業の忙しい時期に招集してはならない。
17 大事なことは一人で決めず,多くの人々とよく議論してから決めなさい。

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2012年1月22日日曜日

未来へ向かう条件

橿原神宮 二の鳥居

外国との付き合いだって因数分解みたいなものです。 外交を通じて他国との共通因数をかっこの外に出す。 しかし、大事なことは、それぞれの国には自国の基本的な要素は残っているということです。 グローバル化の大前提は自国の基本的な要素にあたる部分、つまり、「主権」がしっかりしているということです。 例えば、経済なんて微分を駆使したって予測できない。 国の「主権」がしっかりしていないと世界の餌食となるわけです(ん? だったら積分のほうが重要か?)。

エリック・ホッファー 『情熱的な精神状態』

未来の領域に入ることは外国に入ることと似ている。 ひとは、旅券を持たねばならない。 そして、過去の詳細な記録を提供できねばならない。 だから、ある民族の歴史への関心は、しばしば、未来に対する旅券を獲得する努力なのである。 しばしば、それは、偽造旅券ではあるが。

To enter the realm of the future is like entering a foreign country: one must have a passport, and one must be able to provide a detailed record of one's past. Thus a nation's preoccupation with history is not unfrequently an effort to obtain a passport for the future. Often it is a forged passport.

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2012年1月21日土曜日

YEAR OF THE DRAGON

橿原神宮

春節(旧正月)がやって来ました。 中華圏では1年で最大のイベントです。 ドラゴン(龍)のイメージは世界中でかなり異なっています。 善であったり悪であったり、、、日本では多くの神様の一人(?)です。

共通する因数(共通因数)をかっこの外に出すのが因数分解です。 覚えていますか? 因数分解の目的は、「基本的な構成要素」に帰着させることだそうです。

コミュニケーションって、共通因数でくくるようなものです。 共通因数がないとコミュニケーションは成り立たないからです。 初めて会った人とのコミュニケーションは、相手との共通項を見つけ出すことから始め、さらに、共通項目を増やしていくことでコミュニケーションは発展します。 それは、共通の体験であったり知識や興味の対象です。

今の日本って、なかなか共通因数でくくることができなくなってしまったような気がします。 くくれても、共通項が間違った認識だったり、あまりにもバカバカしい話題だったり、、、 共通因数って子どもの頃の家庭での躾とか学校での義務教育が重要ですね。

ちょっと堅い話でした。 失礼しました。

新年快楽!

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2012年1月20日金曜日

たまには吉祥寺で食事



















「吉祥寺駅に着いた時には、もう暗くなっていて、雪は一尺以上も積り、なおその上やまずひそひそと降っていました」 ~ 太宰治 『雪の夜の話』 1944年

さきほどから雨が雪に変わりました。

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2012年1月19日木曜日

屋上屋を架す

法隆寺 東大門(国宝)

夢殿に向かう途中に建っている東大門は、三棟造(みつむねづくり)という奈良時代を代表する建物の一つだそうです。

外からは見えませんが、真下に立って上を見上げると、門の前後に棟(屋根)が2つ見えます。実は、さらにその上に本当の屋根があります。 知識のない私には理由はわかりませんが、奈良時代の建築家の何らかのこだわりがあったのかも知れません。

屋根の上にさらに屋根をかける無駄、、、、いいじゃないですか。 政治家はダメですよ、為念。

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2012年1月18日水曜日

日本の世界遺産


法隆寺は世界最古の木造建築として世界遺産に登録されています。

五重塔の初層の屋根と裳階(もこし)の間に「軒を支える邪鬼」の彫刻があります。 写真は四隅に置かれている4体の邪鬼の一つです。 飛鳥時代ですから1400年もの間、五重塔を支えてきたわけです。 よく、がんばったね、、、。

日本には世界で認められる文化遺産が多く存在します。

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2012年1月17日火曜日

長い時間をかけて育んできたもの

四脚門から夢殿を望む(奈良時代)

外国から入ってきた宗教である仏教を、日本土着の神道とうまく融合させたことは、日本人が今後も大事にしていかなくてはいけない日本人の特技かもしれません。 仏教は1500年もの時間をかけて(仏教伝来は6世紀)神道と融合してきたのですから、日本人は無宗教というよりも、かなり高度なバランス感覚をもったハイブリッドな民族といえないでしょうか?

主権国家に必要なことは、憲法、国防、国内治安の3つが揃っていることだと言われます。 しかし、それだけでは主権は保てません。 宗教に関しても、自分達が何であるか、何を信じているか、どういった死生観を持っているかを説明できないと、様々な原理主義に飲み込まれてしまいます。 グローバル化なんてかなり厄介なものなのです。

私なんか典型的な日本人で、仏教や神道だけでなく、あらゆる宗教なんて全く身近ではない日本人です。 もちろん、知識もありません。 しかし、神社や寺に行くと何かを感じてしまいます。左側の人も右側の人も、どういった立場の人であっても、自分の、つまり、日本人の出自や伝統に背を向けていくのは大きな問題です。 問題だけでなく非常に危険なことです。

長い時間をかけて育んできたもの、、、、奈良に行くとそういったものを感じてしまいます。


西院伽藍の廻廊(飛鳥時代)
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2012年1月16日月曜日

近江牛の牛丼


SA(サービスエリア)の食事もハイレベルになりました。

写真は新名神の土山SA(滋賀県甲賀市)の近江牛の牛丼です(近江牛の牛丼には近江牛バージョンとアメリカ牛バージョンがあって、価格が全く違います。 私が喜んで近江牛と思って食べたのは、アメリカ牛バージョンでした)。

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2012年1月15日日曜日

帰去来

伊勢湾を望む

以下は太宰治の「帰去来」の冒頭部分です(青空文庫より)。 これは太宰の戦中の作品です(1942年10月脱稿)。

人の世話にばかりなって来ました。 これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない。 そうして、そのかずかずの大恩に報いる事は、おそらく死ぬまで、出来ないのではあるまいか、と思えば流石に少し、つらいのである。 実に多くの人の世話になった。 本当に世話になった。

「恩に報いる」って日本人だけのものではないのです。 人間ですから、欧米人でも中国人でも人は一人で生きていけませんからね。 ただ、恩に報いるレベルって国によっても違うし、勿論、人によっても違います。 太宰は太宰なりに恩に報いようとしたのでしょう。

私は関西の生まれですが、私の「帰去来」はいつになるのか? その時までは「のほほん顔」で生きていくしかないのでしょうね。

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2012年1月14日土曜日

橿原市今井町のかまど



今井町は、奈良県橿原市にある町である。中世戦国時代の町並みが残ることで知られ、世界的にも注目されている(ウィキペディアより)。

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2012年1月13日金曜日

神様仏様

私は多くの日本人と同様、「信仰は何か?」と聞かれると、「No Religion」と答えます。

「アメリカ人との会話で宗教や政治の話は避けなさい」と英会話の教科書に書いてあったような記憶があります。 これはそうとも言えない。 ポジションの高いアメリカ人のビジネスパーソンの集まりで、会議の後の懇親会(ソーシャライズのためのパーティ)などでお酒が入ってくると、宗教や政治の話は出てきます。その年が大統領選の年であれば、必ずその話題になります。

日本人と宗教に関しても、説明できるように自分の考えを持っていないと、恥ずかしい思いをすることになります。

私は神仏習合という意味も含め、日本人の宗教は「combination of all religions」と説明していました。 「日本人は適応能力が高いので、時と場合によって様々な宗教を取り入れるのだ、どうだ凄いだろう!」と言うわけです。 アメリカ人の傾向として適応能力(adjustability)というのは褒め言葉です。 もし、相手がshintoism(神道)とかbuddhism(仏教)、または、zen(禅)なんて単語を交えて質問してくると危険なので(返答する知識が乏しいので)、話題を変えた方が賢明です。

学校教育では、宗教と国家との関わりも、史実として正しく教える必要があると感じます。

お伊勢さんは平日にもかかわらず人がいっぱいでした。 理由はどうあれ、日本人は神様仏様が大好きだということですね。

伊勢神宮 五十鈴川

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2012年1月11日水曜日

お伊勢参り

行き詰まったら神頼みっ!

伊勢神宮の手水舎

マンホールに伊勢の人の粋なこだわりを感じて帰ってきました。

伊勢市の汚水マンホール

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2012年1月10日火曜日

仕事と報酬

奈良のマンホールには鹿がいる!

拘束時間に対して報酬があると考えているうちは成長しないし、そう考える社員を多く抱える組織は発展しないでしょう。 ここだけの話ですが、ibg のチャレンジは、日中の若い人たちにそれをどう理解してもらうかということです。

仕事の中には自分の成長のため、勉強(修行)として働かなくてはいけないことがあります。それが、自分に対する投資です。 特に、若いうちにレベルの高い集団で仕事をすることの重要性はこういったところにあるのです。

欧米のビジネスの世界では仕事を求める若者はインターン期間を経てトレイニーになります。 qualify(資格を有する)されるまでに数年かかるのが普通です。 日本では企業が一括採用して正社員になった後、新入社員教育で会社が面倒を見ます。 つまり、資格を有しない若者を正社員にして給料を払いながら教育してくれるのです。 欧米のビジネススクール(MBA)は、新入社員教育を学校が行うようなイメージと考えていいかと思います。

「時間を拘束されることによってお金を貰っているのだ」と考える若者は日本と中国に多い(たぶん、日本より中国のほうが多い)。 仕事と報酬という基本的なことだって、国が変われば考え方は違ってきます。 グローバル化といっても、報酬のような基本的なことからちゃんと共通の認識をもっておかないと、うまく行かないと思います。

さて、ibg の2012年はどう展開していくでしょうか?

薬師寺の土塀

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2012年1月9日月曜日

大阪で忘年会






2012年のibg キックオフ・ミーティング(及び、2011年 忘年会)は大阪での開催となりました。 上海のibgスタッフが全員来日しました。 中国の若者は大阪だと違和感がない、、、。 恐るべし大阪です。

昨年のキックオフ・ミーティングは蘇州の太湖でした。

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2012年1月7日土曜日

今朝の富士山


ibgの2012年 キックオフ・ミーティングが、大阪は上本町六丁目で開催されます。 上海オフィス総勢30名が大阪に上陸します。 私は三鷹から愛車を駆って西へ西へ。 写真は、今朝の富士川SAから見る富士山です。 絵はがきのような面白くも何ともない写真ですが、、、、。

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2012年1月6日金曜日

過去との対話

中島飛行機武蔵野製作所→米軍住宅グリーンパーク→武蔵野中央公園(現在)
米軍より返還されたのは昭和48年(1973年)

私は宗教に対して全く疎いのですが、2011年は死や死者を考えなければならなくなった年でした。

「日本人はコミュニケーションが苦手だ」といった場合、どういった反応があるでしょうか?

日本人は内向的だから、、、
日本人は社交性にかけるから、、、
日本人は単一民族で島国に住んでいるから、、、
日本人は謙虚だから、、、
日本人は集団主義だから、、、
日本人は英語が苦手だから、、、(外国人とのコミュニケーションの場合)

実は、今の日本人って、過去や死、または、死者とのコミュニケーションだって苦手ではないでしょうか? 昨年は強くそう感じた一年でした。

宗教というのは死や死者との対話と言えるかもしれません。 誰も死んだ経験のある人はいませんから死後のことはわからない。 だから死後の世界と対話するために宗教があるのでしょう。 哲学じゃカバーできないですからね。

特定の宗教を熱心に信じることでなくても、宗教、哲学に関係なく人それぞれ過去や死、死者との対話って重要じゃないかな? もしかしたら、日本人は死や死者と正面から向き合うことさえ放棄したのではないかと思ってしまうのです。

T Rexのマーク・ボランは1977年に29歳の若さで亡くなりました。 昨日のビデオは私のマーク・ボランとの対話、私流に過去と対話してみました。

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2012年1月5日木曜日

2012年1月4日水曜日

温故知新

堀合遊歩道にある井戸
井戸の取手は切断され、水道の蛇口になっています
(写真には映っていませんが蛇口のハンドルは反対側)

昔、三鷹から北北西に伸びる国鉄武蔵野競技場線という単線があったそうです。今は細長い堀合(ほりあわい)遊歩道になっています。

昭和26年、中島飛行機製作所跡に武蔵野グリーンパーク野球場(国鉄スワローズのホーム球場)ができました。 武蔵野競技場線は都心から野球観戦客を運ぶための路線だったようです(中島飛行機製作所跡は戦後進駐軍の兵舎になりグリーンパークと呼ばれていた)。

1952年まで明治神宮球場がGHQに接収されていたために、プロ野球や六大学の試合をする野球場が足りなかった。 そこで、急遽建設されたのが武蔵野グリーンパーク野球場ということです。ところが、昭和31年には閉鎖解体されてしまいました。 プロの公式線は16試合しか行われなかったとか。 そして、野球場の解体と共に武蔵野競技場線も廃線になりました。

野球場閉鎖の理由は、都心から遠かったことや、突貫工事に問題があったようですが、一番の原因は「日本の独立」により神宮球場が返還されたことだそうです。

線路は、太宰治で有名な跨線橋のあたりから中央線の支線として分かれていたらしく、いまでも軌道補修の線路として一部残っています。


温故知新、、、う~ん、自分の頭の中の行間を読むと、恐らく、古いものや死んでしまった人も大切にして過去と対話しましょうよ、、、、ってのがあったのかも。

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2012年1月2日月曜日

一歩前に踏み出す

2012年 元旦

孔子は一生涯で一番大事なことを一字で言うならば、『恕(じょ)』であると言っています。

相手の気持ちや考えを十分に理解した上でアクションをとりなさいということです。 コンサルティング・ビジネスの難しいところは、『恕』 だけじゃダメで、『恕』 になった上で、つまり、相手の心になった上で、岡目八目の価値をださないといけないことです。 理解できない相手だって出てきますからね、、、難しい。

若い集団である ibg は、Year of the Dragon どこまで成長するでしょう? 高速にいっぱい失敗して高速に回復し、いつも一歩前に踏み出して欲しいものです。

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人

子貢問いて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、
子曰く、「それ恕か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」

子貢が尋ねる、「一言で生涯守るべき信条となる、あるとすれば何でしょうか」 。孔子は言った、「恕だろう。人からされたくないことは、自分からも人にしないことだ」

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2012年1月1日日曜日

武蔵野に散歩する

「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」(国木田独歩 『武蔵野』より)。

元旦から武蔵野を散歩しました。 なかなか獲物が見つからない。 自分の観察力が足りないから独歩のように感じないのでしょうか? 青春を彷徨する独歩が武蔵野に住んだ年齢と今の私の年齢があまりにも違いすぎるというのも原因の一つかもしれません(独歩は36歳で死没)。

三鷹駅北口の交番の横に武者小路実篤の筆になる国木田独歩の詩碑があります(下の写真)。 「山林に自由存す」。 独歩を象徴する詩からの一文です。


ちなみに、三鷹の名誉市民は武者小路実篤であって、国木田独歩も太宰治も名誉市民ではありません。

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