2023年12月31日日曜日

バランスがとれるか?


人生のどん底は「平均48.3歳」でやってくる…幸福度の沈み方が深くなる人、浅く済む人の決定的な違い 145カ国を対象にした研究で明らかになった幸福度のU字カーブ 、、、という記事がビジネス雑誌に掲載されていました(私はヤフーニュースで読みました)。

記事では主に3つの原因が挙げられていました。
  • 40代後半になって、理想と現実のギャップにさいなまれる。
  • 親の介護と子育ての二重の負担がのしかかる。
  • 管理職になれないストレス、または、中間管理職として働く責任からくるストレス
この記事のような「統計によるとこうだからこうなる」という思考パターンを人生に当てはめるのには疑問を感じます。今年一年を通じて、テレビ・新聞の報道としての倫理観にはとことん呆れ果てましたが、ビジネス誌も例外ではありません。それはビジネスを経験しない大学教授や知識人と言われる人たちの無責任な考察です(全員ではありませんが)。

心の持ち方は人それぞれです。原因と結果の間には一人一人異なる要因が隠れているのです。仕事(管理職)にしても、子育てにしても、介護の問題にしても、ケースバイケースで「統計ではこうだからあなたもそうだ」とはならない。ましてや、海外の統計は日本では当てはまらない場合が多いのです。

人間の心理には行動から分析できる表層的なものとは別に、無意識下の心理状態が働いている。人間はとてもアナログな生き物なのです。

今年も最後の一日となりました。2024年は世界中で激動の一年になりそうです。どういう終わり方をしようとも世界には解決できない問題が多い。いかにバランスをとるか? これは国家も個人も同じではないかと強く感じます。メディアに騙されないように自覚してバランスをとるしかないのでしょう。

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2023年12月25日月曜日

上滑りから崖からの転落へ

 
朝の散歩

今年は「大正時代」にこだわった一年でした。それは色んな意味で令和の今とあまりにも似ていると思ったからです。

夏目漱石は明治の文明開化を「上滑り」と言いました。それを大正時代に受け継いだのが芥川龍之介や梶井基次郎でした。芥川の遺作である『或阿呆の一生』(1927年)と梶井基次郎の『檸檬』(1925年)には「上滑り」に対する反抗が見られます。2作とも洋書が並ぶ書店が舞台設定にあります。

「上滑り」は軍国主義が入り込んできて昭和の戦争で破綻しました。敗戦後の70数年、日本はアメリカ化により「上滑り」がとうとう「崖からの転落」になっています。それは敗戦直後の太宰治の作品や坂口安吾の『堕落論』からも予想できます(安吾はまだまだ堕ち足りないと言っていますが、、、)。

梶井基次郎の『檸檬』


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2023年12月23日土曜日

倫理観の欠如

 
コペンに乗り換えたのは、世界中こんな車はないからです!
黄色のコペンは梶井基次郎の『檸檬』のイメージです。

日本の最後の砦はアニメ、、じゃなくて自動車産業です。その中でも日本らしいユニークな技術が軽自動車。欧米の自動車メーカーや部品メーカーは日本の牙城を崩したくてしょうがない。日本のメディアの軽薄な大騒ぎ報道は政治の裏金(未記載?)報道と共通のものがあります。

今回のダイハツ不正の詳細はよく分かりません。しかし、ヘッドレストの助手席の試験結果を運転席のものにしたとか、試験時のタイヤ空気圧が正確性を欠いたとか、エアバッグ試験が自動作動じゃなくタイマーだったとか、コペンユーザーの私にとって大した問題じゃないのです(企業の倫理観念という問題はあるが)。そもそも軽自動車でエアバッグが作動するような事故だと死ぬ可能性が高い。軽ですから。

それにしても、日本のメディアはひどすぎる。専門家としてコメントする大学教授も局の解説員もアナウンサーも恥ずかしくないのでしょうか? もう少し全体的なリテラシー(人間としての心得)を上げたほうがいい。どれもこれも視聴率という数字やお金のためですかね、、、。

大正時代(1912~1925年)、漁夫の利であった第一次世界大戦の好景気、それに続く戦後の大不況、関東大震災(1923年) 等々、そして軍国主義に陥り破滅に向かった。煽ったのは当時新興勢力であった新聞やラジオのメディアでした。今も同じだと思いませんか? メディアがお金で動くのは、ある程度は仕方がないとしても、いくばくかのジャーナリズム精神が残っていないと多くの国民は騙される。倫理観念がないのはダイハツだけじゃなくてメディアも同じじゃないか!

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2023年12月22日金曜日

教育の意義

ビジネス雑誌に以下の対談が掲載されていました。 

「人のせいにする子ども」大量に生んだ日本の教育工藤勇一×西岡壱誠「教育の役割」対談【前編】

https://toyokeizai.net/articles/-/720830



「自分の人間関係は自分で構築して、自分が生きやすいようにするためにはどうすればいいかを自分で考える」って当たり前のことです。それが人間の心得というものでしょう。

いま世の中で起こっている多くの問題の本質は、一人一人の倫理観の問題です。教育の意義って、子供たちに倫理観念を植えつけることでしょう。多くの問題に対する解決策は教育です。日本はここ70数年その教育に失敗したのです。

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2023年12月19日火曜日

倫理的主体を何に求めるか?

 

小池百合子氏の発言が狙うのは東京都知事選挙か国政か、永田町が見る3つの狙い…読売新聞政治部デスクが解説する : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)


今は日本の倫理的な主体は何かを真剣に考える時でしょう。文部省の高等学校指導要領によると「公共(公民)」の範疇のようですが、実際は学校でどう教えられているのでしょう?

いつまでも学費の無償化なんかが議論の中心だと日本沈没はそう遠くはない。政治家や教育者には「教育の意義とは何だ?」と聞いてみたいものです。日本全体で問題山積ですが(他国との比較は置いておいて)、多くの問題は国民一人一人の倫理観にゆだねられているのです。いま大騒ぎしている政治家の裏金だか未記載の問題も倫理観の欠如と言えるでしょう。

宗教や哲学が精神的支柱にならない日本にとって、倫理的主体を何に求めるかを真剣に議論してもらいたいと思います。

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2023年12月15日金曜日

太宰治の三鷹跨線橋

https://www.yomiuri.co.jp/national/20231215-OYT1T50181/

下の写真は12月14日の夜明け頃です。誰もいませんね、、、。







2023年11月8日水曜日

映画『ゴジラ-1.0』

 

映画『ゴジラ -1.0』を観てきました。


ネットで映画の批評をいくつか読んでみました。世代によって見方が違うもんですね。監督・脚本の山崎貴は59歳、映画『永遠の0』の監督です。

私は私の眼を通して観ます。どうしても敗戦直後の Occupied Japan や1945年から令和の今に至る日本を意識しました。防衛だとか大義だとか卑怯だとか、、、。主人公が「戦争は終わらせる」といったのは、自分自身との闘いだった。

坂口安吾の『堕落論』(1946年)が思い浮かびました。戦争でゼロになっても、それは戦争に負けたからじゃなくて人間本来の堕落だ。日本や日本人が欠けているものだ、まだまだ堕ち足りない。もっと堕ちろと言っている。ゴジラは日本や日本人の人性を攻撃しているのかもしれない。山崎監督もインタビューで言及していますが、ゴジラをやっつけるということは、日本人に対する神の祟りを鎮めるということなのでしょう。

「日本や日本人とは、いつまでたってもお気楽なものだ。 むなしい人間関係の上に安眠し、社会制度や国際情勢というものに全身を投げかけて平然としている。 堕落のもつ性格の一つは孤独であると敗戦直後に言ったではないか。 だから、人間の持っている自然の姿(人性)に帰るためにも、もっと孤独になれ。 とことん堕落しろ! そして、 一人荒野を歩いて、そこから這い上がれ」(坂口安吾)。

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2023年10月17日火曜日

ながめせしまに

太宰治が愛した三鷹の跨線橋
12月には解体されるそうです。



 

人生色々人それぞれ。でも、年を取るって不可逆的な現実です。全ての人に平等なのです。


花の色は移りにけりないたづらに、わが身世にふるながめせしまに(小野小町)

絶世の美女といわれた小野小町の晩年(年齢不詳なので何歳の頃かわからない)、老いに対する心の葛藤を歌ったものです。「ながめ」をどこまで拡大解釈するかですが、過去の様々な出来事を思い出して、自分も「長く生きた(人生を眺めかえす)」と「長雨」をかけているのでしょう。

60代後半になると、小野小町の「花の色は、、、」の歌の意味が何となく分かってきます。美人薄命というのは美人が短命というよりは、美人である期間なんて、人生のなかでほんのわずかだという事です。男女ともに生老病死は不可逆的な現実です。

人生の目的は幸福の追求でもあるのですが、全く受動的な幸福は幸福ではないということです。思い出す経験をいっぱいしているほど老後は楽しくなる(人生を眺める)。その中から未来に伝えるべきものがあって伝承していけるといいですね。

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2023年10月15日日曜日

心得たと思ふは、、、

ギターって録音してみると、いかに自分が下手くそだかわかります。自分の頭の中だけでカッコよく弾けているだけなのです。ギターの弦は6本ですが、必要のない音を鳴らさないことと止める時に止まっているかがポイントです。

ビジネスのプレゼンテーションも同じです。余計なことは言わない。意味のないエーとかアーとかウーとか言わない。ギターもプレゼンもリズムが大事です。リズムのないプレゼンは内容に関わらず失敗に終わります。

私はリズム感がない。ギターもプレゼンテーションも死ぬまで上手にはなりそうもありません。しかし、若い頃に理解できなかった数々の問題点も漸く客観視できるようになりました。経験が経験になりつつあると前向きに考えています。

私は手遅れですが、10代のギター小僧も20〜40代のビジネスパーソンも自分のパフォーマンスを録音してみるといいですよ。

心得たと思ふは、心得ぬなり。心得ぬと思ふは、心得たるなり(蓮如)



2023年10月13日金曜日

謝念と邂逅


季節の風物詩。茨城の栗です。栗の鬼皮渋皮むきは一年に一度でも嫌になります。でも、後を引くほのかな栗の甘みを感じるには仕方がない。

若者(Z世代)の意識調査の記事がネットにありました。Z世代の約7割が日本社会の未来に「希望を感じていない」そうです。

理由は、「政治に期待が持てない」(56.7%)、「少子高齢化が進んでいる」(42.1%)、「自分の資産が安全ではない」(26.8%)、「格差社会により分断が進んでいる」(24.9%)、「利己的な人が多い」(19.2%)といった結果だそうです。

人生は謝念と邂逅と言ったのは昔の偉いお坊さんです(誰だか忘れました)。

「謝念」の気持ちはまず相手を理解し、相手の希望により添うことです。「邂逅」(encounter)とは、思いがけなく出会うことです。出会うのは人とは限らない。一生読める本であったり知識であったり音楽であったりその他の趣味であったりする。

今の時代は恐らく50年前よりも未来が見えにくい。今日よりも明日、明日よりも明後日が良くなるということが信じられない。そういった「縁(環境)」の中にいることは間違いない。だからこそ、ガバナンスやコンプライアンスのような新たにできた枠組みではなく、自分たちが歴史的に築き上げてきた社会の仕組みや、それを支える、それこそ「価値観」を重視する精神から学ぶべきでしょう。卑屈になる必要はないが、Z世代ももっと謙虚になるべきです(高齢者のパワハラと言われるでしょうね、、、)。

自分が50や60歳になれば、自分が30や40歳の時にいかに知性がなかったことに気づくものですそうじゃない中高年が多いのは問題ですが、、、。

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2023年10月12日木曜日

ギターの弦交換



4~5年ぶりでギターの弦を交換しました。5年も経つと弦の交換方法を忘れていました。結果、上の写真のように悲惨な状態になりました。クラプトンズ・チョイス(マーチン社製)という弦は安かったのですが(1セット 1100円)、5弦6弦の響きが今一歩に感じました。


ギターを弾くと自己の進歩の無さに空しさを感じますが、弦交換もギターを弾き始めた中学生の頃からやっているので大丈夫だと思っていても、謙虚に向き合わないと経験が経験でなくなっちゃいますね。

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2023年9月30日土曜日

今年の梅干し

 今年の梅干しが出来上がりました。理由は分かりませんが、皮は柔らかく例年よりも美味しくできたと思います。今年は紫蘇のない白干梅です。







2023年9月28日木曜日

友だちの概念

今年も四国の友人が自ら収穫したミカンを送ってくれました

言葉本来の意味が加速度的に軽くなっています。友人に関しても、もっと抽象度を上げて「友だち」の概念から考え直した方がいい。

人生にとって大切なことはいっぱいありますが、自分がどういった状況の時にどういった友人を見出したかという事は、後の人生に多大な影響を与えます。友人とは昨今のような SNS の friend でもないし、単なる仕事上の知り合いや飲み仲間や遊び友達ではない。自律した個別の人間同士のふれあいや付き合いを言います。人生それぞれの時代の環境がインプットとなり、将来のアウトプットにつながっていくのですが、環境の中心となるのが友人です。

真の友人は、意見が一致しているとか考え方が同じだとか互いに似たところがあるとかいうことではなくて、逆に、二人が性格上でもまったく違っていてもそれぞれの個性がはっきりとしていることでしょう。だからこそ長年の付き合いができるのです。

和して同ぜず、同じて和せず。日本人は往々にして同じて和せずなのです。異文化コミュニケーションでもこのあたりがポイントだと思います。

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2023年9月26日火曜日

コペンという車

 

コペンについて語ります。18歳の時から多くの車に乗ってきましたが、この車はかなり気に入っています。軽自動車って、日本人が日本のために作った車です。多くの制約のなかでこんな車を作るって凄いと思います。


・とにかく運転が楽しい車。
・気持ちよくて素晴らしい車。
・バランスがいい車。
・カーブをまわることに重点をおいた車。
・2人乗りなのに使い勝手がいい車(荷物が積める!)。
・電動オープン(18秒でオープン)のため非常に手軽な車。
・年寄りでも乗れる扱いやすい車(高齢者のゴーカート)。
・特別な部品は何もないが、ソツがない車。
・軽なりの振動がある。静粛性はない。それが自分好みな車。

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2023年9月25日月曜日

ハンバーガー



ハンバーガーに欠かせないピクルスは、ディルで漬けた自家製ピクルスです。日本のスーパーで手に入るピクルスは大抵がスィート・ピクルス。ハンバーガーには絶対にディルで漬けた甘みのないピクルスです。

小学生の頃(昭和30年代)、ハンバーガーは漫画『ポパイ』の中でしか知りませんでした。見たことも食べたこともありませんでした。1964年11月「昭和の黒船」が佐世保港に姿を現しました。米原子力潜水艦シードラゴンです。市内では寄港反対を訴えるデモ隊と機動隊が衝突し負傷者や逮捕者が続出。佐世保の街は騒然となったのです。父親に連れられて福岡から佐世保にシードラゴンを見に行きました(反戦反核デモ参加ではありません)。

その時に生まれて初めてハンバーガーを食べたのです。昼間のバーのカウンターだったと思います。生のオニオンスライスとピクルスがそえられていました。漫画『ポパイ」の登場人物の一人ウィンピーの口癖は「ハンバーガーをおごってくれよ。来週の火曜日には必ず返すから」でハンバーガーばかり食べるキャラでした。当時私はハンバーガーを勝手に甘いお菓子だと思っていたので、初めて食べて大変驚いたものでした

漫画『ポパイ』からウィンピー

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2023年9月19日火曜日

空気の研究

 

山本七平が『空気の研究』を発表したのは1977年。

芸能界事務所とタレント(+親たち)と報道するメディアと斜め上から見下ろす政治。日本の状況って46年経っても何も変わりませんね。

アメリカ人の同僚に日本の『空気』をどう説明したらいいか? 若い時に随分と悩みました。正しいかどうか判りませんが「peer pressure」を使い、多くの例を挙げて説明をしたものでした。空気が全てをコントロールする実情は、神が行動規範である世界から見ると「組織ぐるみだろう」あるいは「日本なんてそういった野蛮(バナナリパブリック)な国柄なんだろう」になるのでしょうね。

アメリカのメディアも利害関係で動く点では日本と同じです。もっと強烈かも知れません。自分の利害という視点でしか見ていない。ただ日本は「見て見ぬふり」とか「忖度」が働きますから、自浄作用ではなく外圧でしか変化は起こらない。それは日本には神とか宗教といった「中立」という概念がないからではないか、、、と。つまり、人間を超越した能力の存在の欠如。どうでしょう?

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2023年9月7日木曜日

9.11 アメリカ同時多発テロ

あれから22年。

2021年夏、20年にわたるアメリカ軍のアフガニスタン駐留が終了しました。アメリカにとって最長の戦争でした。アメリカ軍はいなくなった、しかしアメリカが撤収してからアフガニスタンの人々の葛藤が始まるのです。ソマリア、シリア、イラク、ウクライナと今でもアメリカの介入は現在進行形で続いています。どこまで気づいているか甚だ疑問ですが、日本も同じです。

人類は世界的規模、つまり地球全体を考える一元的にシフトしないと、地球は滅びるかも知れません。ジョン・レノンの1970年の楽曲に『Instant Karma!』があります。ヨーコの影響があるのでしょうが、恐らく「因果応報」を唄っているのでしょう。アメリカにとっての因果応報ってどうなるのか100年後を見てみたいですね。 

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9.11 アメリカ同時多発テロ事件

   

2002年の秋から2006年の秋にNYに戻ってくるまでの4年の間、アメリカの生活から離れていた。果たして9.11の前と後ではアメリカは変わったのだろうか?

変わった点もあるだろうが、大筋は変わっていないのだろうと思う。確かに、アメリカ国内を移動すると空港のセキュリティなどで不愉快な思いをすることは多くなった。フレンドリーでユーモアいっぱいのアメリカ人がギスギスしていると感じる。ゲートで搭乗を待つアメリカ人に余裕がなくなった。しかし、これらは小さな現象であって、ちょっとステップ・バックしてマクロレベルでアメリカを見てみると、アメリカは少しも変わっていないような気がする。

ペリーの黒船艦隊の威嚇による日本への開国要求、カリフォルニア州、ニューメキシコ州、テキサス州をメキシコから割譲した米墨戦争、米西戦争によるスペインからのフィリピンの植民地化、ハワイの領有化、先の大戦に日本を追い込んだやり方(これはちょっと様々な意見があるだろうが、、、)、これらと、9.11直後のアフガン侵攻、大量破壊兵器を根拠に(今となれば何もなかったことは世界中が知っている)イラン戦争に突入した強引なやり方に、大きな違いがあるとは思われない。

アメリカは文化・文明の多様性というものに鈍感だ。どの国も歴史があり、歴史の延長線上としての現在がある。しかし、アメリカはそういった多様性を認めようとせずアメリカを押し付ける。アメリカの社会という枠の中でみると、多様性の国アメリカなのだが、世界の中でのアメリカは全く多様性を理解しないかのように振舞う。

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.11には不可解な点が多い。

5年半の月日が経ちグランドゼロにやって来た。7WTC 跡地だけには立派なグラスタワーが完成していて、壁面に隣の崩壊しなかったビルがくっきりと映し出されている(下の写真左の中央のビルの位置に7WTCビルがあった。写真右の左端のビルが7WTC跡地に建った新しいビルで、手前が1WTCと2WTCのあったところ)。


                                                                             

 世界史に関する知識も浅く、アメリカのことだってよく理解しないのに、ただ単にNYに10数年住んでいたからと言ってどうのこうのと言えたものではない。事件からまだ5、6年しか経っていないじゃないか。客観性をもって事の真実を追求するにはあまりにも時間が不足している。

事件当日、火曜日の朝はWTCに隣接するWFCに向かっていた。普段は仕事の関係で、月曜から木曜日の間はNYにいないが、この日は日系企業に対するセミナーをNY商工会議所で開催する予定があった(WFC:ワールド・ファイナンシャル・センター)。

郊外の自宅からメトロノース鉄道でマンハッタンに向かう車中、ブロンクスからマンハッタン島に入る直前、最初の飛行機が1WTCに激突した。電車の中はビジネスマンで満席だ。NYタイムスやウォールストリートジャーナルを読む者、書類に目を通している人、ごく普通のNYでの通勤風景。私は上海・北京の旅から戻ったばかりだった。まだ時差ボケの中、午後のセミナーでのプレゼンの内容を考えていた。セミナーのテーマは「危機管理」、私の話は‘93年のWTC爆破テロ事件に遭遇した私の経験を日系企業の方々に紹介する内容だった。

乗客の携帯電話が次々と鳴り出した。周りがざわつく。
WTCに軽飛行機が突っ込んだらしいぞ」。「本当か?」。「バルーンが当たったのかも知れない、、、、」。

私の携帯も鳴った。妻からだ。「軽飛行機がWTCに突入したらしい。テレビでやっている。WTCから煙が出ている。ダウンタウンには行かない方がいいわよ。新しいニュースがあったら電話するから」。

10分程してグランドセントラル駅に到着した。駅構内は足止めを食らった人たちでごった返している。地下鉄は既に動いていない。メトロノースも運転を見合わせると言う。何が起こっているのか分からない。

「これは大変なことになるぞ、、、」。

仕事仲間の安否の確認をしなければいけない。みんながWFCに向かっている筈だ。「仮オフィスとする場所を確保しよう」。グランドセントラル駅周辺のホテルを探した。いくつかのホテルをあたり49丁目にあるホテルにやっと部屋を確保することができた。CNNを見ながら部屋の電話で連絡を取り始める。この時点でランドラインはまだ繋がる。携帯はすでに繋がらなくなっていた。

二機目の飛行機が激突した。

 ホテルの窓は南に面しているので、WTCから立ち上る煙は生で見ることができる。テレビにはWTCの状況がLIVE映像で映し出されている。

10時になろうとしている時 2WTC が崩壊した。テレビでは崩壊が画面いっぱいに放映されている。窓の外からはひときわ大きな灰色の煙が立ち上る(煙手前がWFCのビル群)。


  WTC 崩壊直後、UA93便がペンシルバニア州で墜落した。「LETS ROLL!」という言葉を残してテロリストに立ち向かったと言われるトッド・ビーマーは元同僚で、彼の妻も同じオフィスで働いていた。90年代半ば、新入社員のトッドは私の仕事を補佐してくれた。学生のようなちょっと内気な彼の印象からは想像もできない行動だ。

9時38分にはペンタゴンにAA77便が突入している。


4機の航空機、そして2つのWTCタワーの崩壊と隣接する 7WTC ビルの消滅、全てがあまりにも秩序だっている。

仲間全員の無事を確認するには夜中までかかった。後で分かったことだが、WTC直前で地下鉄にどじ込められていた者、交通手段がないので徒歩でNJまで帰った者、自宅がWTCの近くで停電のために23階の部屋から下りることができなかった者、、、。

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9.11に公表されていない真相は本当にあるのだろうか?

US政府陰謀説、チェイニー副大統領主犯説など、かなり過激な説も浮上しては消え、消えてはまた浮上してきている。多発した一連のテロの一つ一つに対して疑惑が表明されているが、ここでは全ての疑問に対してコメントすることはしないが、私自身は当時から7WTCの崩壊が気になっていた。

仕事で何度か7WTCに入ったことがあった。地下鉄レキシントン・ラインの駅からWTCWFCに行く場合は、7WTCの前を歩いたりした。「WTCから離れているにもかかわらず、なぜこれが7WTCと言うんだろう」と何となく思っていた。

また、映画ファンであれば、このビルは見覚えがあるかもしれない。ハリソン・フォードとシガニー・ウィーバーが出ていた88年の映画「WORKING GIRL」の撮影に使われたビルだ。

WTCは、WTCの崩壊した2つのタワーから2ブロック離れている。ハイジャックされた飛行機が突入した訳でもない。9.11当日の夕方520分に、老朽化したビルを意図的に倒壊させるかのように、一瞬のうちに消滅した。当局の発表では、火災による倒壊とのことだが、果たして火災により、鋼鉄の枠組みをもつビルが一瞬にして跡形もなく崩壊するだろうか?

9.11陰謀説の中には、「テロの総司令部が7WTCにあり、WTCに突入した2つの旅客機は、7WTCからリモートコントロールされていたんだ!」と言うものまである。倒壊したビルの瓦礫が次の日には全て現場から持ち去られたのも不可解だ。

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2007年1月29日の日本の通常国会のニュースをYAHOOの動画ニュースで見た。民主党の小澤さんが代表質問に立っていた。格差問題を取り上げ、「小泉さん、安倍さんの6年で日本は世界で最も格差のある国になった」と発言していた。安倍さんの答弁にはこれについて具体的なコメントはなかった。

アメリカという国はお金さえ十分にもっていたら自由で平等で民主的な国だと認識できる。それは資本主義の論理が強烈に働いているわけで、資本主義と民主主義は相反する。この点を理解していないと、様々な不愉快な出来事によってアメリカが嫌いになってしまう。

アメリカの格差社会は日本で問題にするようなレベルではない。5%弱の世帯がアメリカ全体の純資産の60%以上を占めているのだ。持っている金が多ければ多いほどエライと見なされ、実際お金さえ持っていればアメリカでの生活はかなり快適になる。お金を持っていないか、お金をかけない暮らしをすると、アメリカの生活にはウンザリさせられる。

アメリカ人は自分を守ることを最優先する。開拓時代は、それこそ銃を手にとって自分自身や家族を守っていた。現在はどうだろうか?資産を増やしお金でわが身や家族をプロテクトしようとしているとは言えないだろうか?9.11で強固に信じていた国や体制に疑問が出始めて、自分のことは自分で守るという傾向が一層強くなったのかも知れない。

アメリカ人は、かなりインテリであっても自国の歴史や、世界の歴史について知らない人が多い。そして強いアメリカを盲目的に信じてきた。しかし、アメリカがやっている事は基本的に正しいのだという前提は9.11を境に崩れてきているのではないだろうか?

民主主義は民意の代表であることが前提であれば、政府はメディアをコントロールするだろうし、それには絶対的な資本の力が必要となる。金があればあるほど強いと言う訳だ。

* * * * *

9.11は考えれば考えるほど不可解な点が多い。アメリカの人々の気持ちは多少なりとも変化があったのだろう。ただ、アメリカと言う国は9.11の前と後で方針に変化があるようには思えない。それどころか、これまでの性格を増長してきている傾向にあると思う。

ローマ帝国は東ローマ帝国が滅亡するまで1500年ほど続いた。イスラムのオスマン帝国でさえ500年続いた。アメリカはたかだか二百数十年である。帝国アメリカは今後どういった展開を見せるのであろうか?


2007年1月

 





2023年9月3日日曜日

直観と直観の検証

 

左手人差指の付け根が痛くて暫くギターが弾けませんでした。これだけ猛暑だとビールがすすみますからね。10日ほど経って痛みがかなり無くなりました。危うく高齢者の楽しみを奪われるところでした。あぶないあぶない。


ギターが弾けるとなると、やはりジミー・ヘンドリックスです。

音やフレーズの一部を聞いてジミヘンがいいと直観的に感じて、全体のジミヘンを聴くことになる(10代の半ばです)。それからジミヘンの「部分と全体」「直観と検証」の循環的解釈が始まる。もう半世紀以上やってますね。

人との出会いも同じですね。人なんて簡単に理解できるもんじゃない。ところが今の人間関係っていたる所で簡単すぎませんか? 全体に対する直観がないのか、自分の直観を検証する手間を省くからか?

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2023年8月26日土曜日

日本人はどう生きるか

魅力的なトヨタ・スポーツ800(お隣さんの車です)

メディアでは自動車のEV化に関するトヨタの戦略が正しいのか間違っているのか侃々諤々の様相を呈しています。

失礼な話ですが、私にとって今のトヨタの車は魅力がない。車に付いているロゴだって格好が悪い。トヨタの人がどれほど自覚しているのかは不明ですが、トヨタがこけると日本は沈没です。政府は「市場とか競争原理とは何か?」を考えて産官学の統合を考えてもらいたいものです。今はベクトルがバラバラだからです。

△▼△ 市場の安定は神の手じゃない △▼△

アダム・スミスが言ったような「神の見えざる手」は教科書の世界(時代背景が違いすぎるし、、、)。実際の市場は独占か寡占です。アマゾンを見てもマイクロソフトを見てもよく分かるでしょう。もともとルールは確立されていないので、新たなルールを作るか現行のルールを無理矢理でも変える方向に力は働くのです。そこに駆け引きが生じる。コンフリクトが生じ、調整がつかない場合には戦争になる。「神の見えざる手」で市場が安定することがないことは、バブルの崩壊や過去の世界恐慌やリーマンショックを見てもよく分かると思います。

△▼△ ゲームのルールは変化する △▼△

要するに、ルールや多くの制度というものは絶えず変化しているのです。ゴールポストだって動く。不安定に乗じて紛争が起こる。陰で仕掛ける連中がいる。それが人間の本質と言うべきか、それとも近代社会の当然の帰結と言うべきか。国際社会に参加する国はそのことを理解した上で行動しているのだろうと思います。日本は明治以前はどうだったのか日本の価値判断の基準を再考すべき時です(安易に世界に適応する必要はない)。

△▼△ ベクトルを合わせる △▼△

抽象度を上げて世界を眺めてみる。色んなものが見えてくると思います。国家も企業も世界の中で覇権争いをする様子が見て取れます。そして、それは戦争になる可能性も秘めているということです。産官学でベクトルを合わせ、一丸となって海外からのバッシングを跳ね返す時です。

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2023年8月21日月曜日

8月の日本

菩提寺は奈良の西方寺

人生も先が見えてきたからでしょうか、最近では強烈な拒否反応は軽減しました。20代の頃から8月に日本にいるのは本当に嫌でした。日本のテレビや新聞雑誌で取り上げる戦争や終戦の話題が非常に不快だったからです。日本人でいることが情けなくなるからです。

世界中のあらゆる仕組みには一応ルールが設定されています。それは多くの国が性悪説をとっているからです。人間は不完全で禽獣の域を脱することなく、時には衝突し平和を乱すと思っているからです。国家間には差異があり感情や認識には大きなギャップがあります。2000年以上継続する日本文化と17世紀からのアメリカ近代文明とは人生観など様々な観が違います。

だとすると、国家を超越した抽象的なレベルでの議論が必要になります。

日本の議論は真逆です。日本の受験エリートが上位を占める政府官僚でも企業でも具体的な議論は得意です。しかし抽象度を上げて(全体を見て)レベルセットすることを省いてしまいます。日本の現行教育システムでは教科別の柱はいっぱい立てるのですが、柱を渡す梁を通す余裕はありません。そのまま社会人生活が始まるのが原因の一つだと思います。

結果、抽象と具体のバランスをとりながら物事を推し進めることができない。孔子の言うところの「君子不器」です。つまり「君子たるもの一つの器(機能=function)にとどまってはいけない」ということです。

若い人たちには「人殺しはよくない」とか「家族が可愛そうだ」とか、そういった感情的な抽象度の低い議論ではなく、「戦争(論)」を議論して、モノの考え方を培ってもらいたいと思います。誰だって人殺しは嫌です。当たり前です。戦争の悲惨な場面だけを感情的にフォーカスする日本のメディアの8月は、本当に呆れるばかりで不快なのです。

一人でも多くの若い人に覚醒してもらい、一つの器にとどまらない君子に成長してもらいたい。時間はかかるかも知れませんが、今の日本に残された道はそれしかないでしょう。

奈良にて。

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2023年8月14日月曜日

ロビー・ロバートソン

ザ・バンドのロビー・ロバートソンが亡くなりました(80歳)。ザ・バンドはボブ・ディランのバックもつとめたバンドです。

当時の高校生はThe Weightのイントロが弾けるとヒーローでした。

1970年代大阪のアマチュアバンドはコンサートの最後にみんなで The Band の『The Weight』をやるのが定番でした。ロビー・ロバートソンは本当にカッコいい人でした。 R.I.P.

今聞いても『The Weight』の歌詞の意味はよく分かりません。同世代のアメリカ人に聞いた事がありますが、彼も本当の意味は分からないとのことです。おそらく人生の色んなシガラミを『The Weight』と言っているのではないかという事です。ビートルズにも『Carry That Weight』という曲がありました。

後世に残る偉大な曲は想像力が広がっていくものです。正岡子規の俳句みたいです。シンプルでも広がる想像力が大きい歌詞は偉大です(五七五で表現する子規は偉大過ぎる、そして日本語も素晴らしい言語です)。

 『The Weight』は想像力をかりたてられる。1970年代の大阪のティーン・エイジャーたちは、「人生って大変なことがいっぱいで自由になるのは難しい」くらいの理解だったのだろうと思います。少なくとも私は、、、。

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2023年8月7日月曜日

夏目漱石とクラプトン

夏目漱石 『道楽と職業』(明治44年8月

漱石によると、職業は人の為のもので、芸術や哲学・科学などは自分本位の仕事だそうです。 漱石にとって文学は道楽であり職業でした。 それは「己のためにする結果、すなわち自然なる芸術的心述の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して」成り立つところに意味があるという漱石の働く事・生きる事に関する基本姿勢なのです。根底にあるのは漱石がイギリス留学中に手に入れた「自己本位」です。

ibgを起業した頃に漱石の『道楽と職業』を何度も読み返し考えました。道楽であり職業に他人を巻き込んでいいものか? と。人の気に入っただけの報酬で17年目に突入することができたので何とかバランスが取れていると考えるべきか? どうなのでしょう?

エリック・クラプトンと漱石の『道楽と職業』

『Old Love』は、クラプトンがパティ・ボイド(元ジョージ・ハリソンの妻)との別れを唄った曲です。パティ・ボイドとの婚姻期間中も何度も浮気して子供もつくったのに、、、。あくまでも自分や自分の音楽を一番愛しているクラプトンなのです。

己のためにする結果に世界中の多くの人が気に入った。その報酬が莫大なものになって、自分が物質的に成り立つレベルどころじゃなくて、世界的な大金持ちになっちゃった。

土日に肩こりになりながら一生懸命練習したのですが、このソロは難しい。クラプトンの集大成みたいなものです。速いしフレット上を動き回るし、同じスピードで弾くのは大変です。


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2023年7月31日月曜日

2023年度の精鋭たち

2023年度 土用干し ~ 最終日

猛暑で日焼けしたのか、シソを入れない白干し梅干しなのにかなり赤い。ダイソーで買った200円の瓶は29粒の精鋭たちには大きすぎた。もっと小さい瓶を手に入れなければ。








2023年7月24日月曜日

60歳をすぎたら存在自体がパワハラ

「60歳をすぎたら存在自体がパワハラ的」と認識するくらいがいい…ブッダが説くアンガーマネジメントの教え、、、という記事をネットで読みました。

著者の斎藤孝(大学教授)さんは1960年生まれ。アラ還ですね。仰ることはごもっとも。間違っていません。私自身を見ていると「存在自体がパワハラ」そのものだ。しかし、65歳を過ぎると人生終わりが見え始める。日本人男性の健康寿命は72歳です。だとすると、運と周囲の人に恵まれただけで生き延びた私のような人生でも何か役に立つことがなかったか?と考えてしまうのです。Look at me, I am old, but I’m happy ですから。

クラプトンにこだわって(revisit)3か月くらいです。ネットで1万円のDVDプレーヤーとクラプトンのアンプラグドを購入しました。クラプトンの指の動きが良く分かります。左手の人差指と中指が異様に長いですね。第一関節から先は私の倍の長さはあります。どうりで小指なんか使わなくてもいいんだ、、、。



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2023年7月17日月曜日

クラプトンは温故知新


今日は何の日?

海の日ですね。 「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う」ということだそうです。

人生って辛いものですね。乗りきっていくには技術や方法論だけでなく、生き方そのものが大事でしょう。国も同じだと思いますよ。 国の生き方、つまり、それは、国のアイデンティティーであり文化です。 国民の祝日ってそういうものを代表しているものだと思っていました。 通常、そういったものは、勝者が敗者から剥奪するものなのに、自分から進んで放棄したり意味の無いものにする必要はない。

クラプトンは温故知新

クラプトン『Unplugged』(1992年)から『Malted Milk』です。いつものようにあまり練習しないで夜中の一発録画でした。

クラプトンはロバート・ジョンソンのこの曲が大好きなのでしょうね。80年代のクラプトンはアル中で施設にも入っていたそうです。アル中と闘いながらこういった曲をアコースティックギター一本で毎日のように歌っていたのでしょう。Malted Milk は麦芽乳です。禁酒時代にロバート・ジョンソンはビールやモルト(麦芽)ウイスキーを思い浮かべてこの曲を作ったのでしょう(1937年)。

私はデラニー&ボニー時代(1971年頃)以降のクラプトンはほとんど聞かなかったし動向もしらなかったのですが、1992年のアコースティックの『Unplugged』は発売と同時に買いました。クラプトンは、70年代はヘロイン80年代はアルコールと20年間ヘロヘロボロボロの人生だった訳ですが、そもそもそれがブルースそのもの、クラプトンはロバート・ジョンソンのようなブルースマンの楽曲を自分の人生と重ねて新たなクラプトン・ブルースにしました。要するに『温故知新』なわけです。

明治維新は温故知新の失敗

ヨーロッパ近代は文化が成熟した後に、文明が進化しグローバル化が進んだ。ヨーロッパの没落が始まりました(20世紀初頭)。そして人間の理性や合理性を全面的に押し出したアメリカが台頭した。ニーチェが言ったニヒリズムのアナーキーな世界になった(WWI以降のベルサイユ体制)。

日本はこういった歴史の流れの中で独立を保つべきだと主張したのが福沢諭吉でした。福沢諭吉は日本人の魂を残しつつ西洋文明を早急に取り入れるべきだと思っていたのです。福沢諭吉や後の西田幾多郎たちは西洋文明や思想は限界だと考え、日本を含む世界全体の調和を如何にして実現するかを考えたのだろうと思います。

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2023年7月13日木曜日

価値判断の基準

息子(ナッシュビル在住)からのプレゼント

LGBT法案が話題になっています。

NYにいる時に働いていたコンサルティング会社のNYエリアのトップはゲイの男性でした。当時はLGBTなんて全く話題にもなっていませんでした。私も上司がゲイであるかどうかなんて意識したこともありませんでした。恐らくゲイの男性なんて紀元前からいたのでしょう。

アメリカの変化には多くの要素がありますが、2000年以降ジェンダーフリーが急速に進んだことは間違いありません。自由と民主主義が行き過ぎたために優秀な人が裏に引っ込んだ。一方、ギブソンの本社がある南部の状況は真逆で、性差別なんて当たり前の南北戦争の頃のようでもあります。

LGBTの議論

「同性婚、日本の司法判断は未来へ前進、準備できている」といったエマニュエル駐日米大使の記事がメディアを賑わしています。 エマニュエルさんは大都市シカゴ出身で、大学はヨーコ・オノと同じNYのリベラル色の強いサラローレンス大学です。

「LGBTに関する法律は日本の文化には必要がない」ということを、エマニュエル大使に筋道立てて説明してあげる日本の政治家や知識人っていないのですかね?海外、特に欧米で暮らすと良く分かりますが、日本は欧米と比較してほぼ差別がない国です(欧米の価値観とは違う)。欧米は差別があり人間が自然をコントロールするという事が前提になっています。つまり二元論的な差別があるから法律で規制するのです。このままだと日本も差別を意識して(前提として)、それを法律でコントロールする欧米型の価値観に変化する可能性が高くなります。価値判断の基準が希薄だと染められやすい。

日本はアメリカと違って何千年も自然を認め自然と融合してきた国柄であるということを日本人が思い出し、駐日大使には伝えるべきです。日本には日本の価値判断の基準がある。

以下は3年前に ibg 社内で議論したことです。

事なかれ主義の日本はパンデミックに弱い

世界的な感染症を考えることは現代の日本人には最も苦手なことの一つでしょう。なぜならば、パンデミック問題はすべての者の当事者意識が求められるからです。今の日本人の多くは事なかれ主義で虚無的です。問題意識は危機意識に至らず、危機意識がないのに当然のこと当事者意識は生まれません。

二元論と一元論

自然との共生は単なる感情的や感覚的な融和主義ではないはずです。地球全体の自然の因果関係を、自然の単なる一部分としての人間を考えることができるかということです。自然と人間の二元論的に人間中心、つまり、人間が自然をコントロールするという思い上がりは近代国家の特徴です。西欧は気づき始めて試行錯誤しつつ半世紀以上たってしまったようです。中国は近代国家が陥った失敗に共産党の面子のために突き進もうとしている。多くの善良な中国の若者が気の毒で仕方がない。

共同主観の模索が課題

日本はどうか? 近代国家が目指した人間中心主義でもない。かといって人間と自然のバランスを考えながら将来を考えるリーダーシップはない。コミュニケーションを通じて主観と客観を行ったり来たりしながら共同主観を模索するのは日本人が最も苦手とするエリアです。しかし、ウィルス後のパラダイムが変わった後の世界観では最も必要とされるポイントだろうと思います。

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2023年6月29日木曜日

高齢者の楽しみ

 

高齢者の楽しみのベスト3は、1.テレビ・ラジオ、2.新聞・雑誌、3.仲間とのおしゃべりだそうです。

私は高齢者の楽しみとしてクラプトンでも真面目に研究してみようかと思い、アマゾンでローランドのヘッドホン(RH300)を購入しました。

私は左耳が聞こえないのですが、このヘッドホンを使えばクラプトンのアコースティックギターの1~3弦の音が良く分かります。クラプトンはアコースティックがエレキよりも上手だと思います(本当にギターが上手なんでしょうね、、、)。この曲はクラプトンでヒットしましたが、作詞作曲はクラプトンではありません。


音楽はヘタッピーでも聞いているより自分で演奏するほうがいい。料理も食べに行くよりも失敗するけど自分で作る方が楽しい。それぞれに小さいですが進歩に対する達成感を味わえますからね。

Look at me. 
I am getting old, but I am happy !

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2023年6月15日木曜日

太宰治とクラプトン (続)

『太宰治情死考』坂口安吾 1948年

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43137_30135.html

https://youtu.be/l3hZS-0tomM

太宰治の桜桃忌が近づいてきました。「芸道というものは、その道に殉ずるバカにならないと、大成しないものである」(『太宰治情死考』坂口安吾)。

エリック・クラプトンと太宰治はよく似てると思います。超ダメ男だけど、どちらもハンサムでカッコよく、とてつもなく女性にモテる。安吾が言うように作品で評価すべきなのでしょうね。

私はクラプトンの大ファンではありませんが、クラプトンから一曲選べと言われれば 1966年の『Hideaway』です。クラプトンが21歳の時の録音です。発表から何年か遅れて聞いた高校受験直前の私は、このあたりから学校教育から距離をおくようになりました。

クラプトンのギターはこの一曲に詰まっています。クラプトンは57年経った今でも同じフレーズを弾いています。大ファンからは怒られるかも知れませんが、クラプトンはこの頃が頂点だったように思うのです。

ちゃんと弾けないまま50年以上経ってしまいましたが、YouTubeのおかげで謎だった部分が随分と解明されました。


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2023年6月7日水曜日

甘えの構造

土居健郎(1971年)

今の日本は「甘え」の解釈もアヤフヤだし、甘えや友情なんていうのもきわめて薄っぺらで、土居先生が『甘えの構造』で説明している「内」と「外」が曖昧になっていると思います(下図参照)。真の意味で甘える場所がなくなっているのではないでしょうか?


人間関係本来のコアは家族だし次は友達。それから、楽屋のような仲間と時間を共有する場所が大事です。今の日本は楽屋とステージの境(際)も曖昧です。緊張すべきステージは緊張しないし、ステージの緊張をほぐす仲間との意見交換の場である楽屋がない(楽屋は修練の場でもある)。時間を共有して成功も失敗も共に経験して友人を作る手間を省く。facebookの友達が友達になった、、、あまりにも安易すぎる。適度に甘えられる環境は自分で時間をかけて作るしかないのです。

甘えの前提は「trust & respect(信頼と尊敬)」です。相手を respect するには、自分も respect されるように努力が必要です。甘えの過剰はどこかの首相の親子関係のように相互依存につながるけど、親子関係(特に父親と息子の関係)は一生 trust & respect 構築のプロセスだと思います。

日本人と甘えの議論は、ibgのポストコロナの羅針盤である『迷子になる地図』の主旨とズバリ重なります。個と公共の問題であり教育の問題であり異文化コミュニケーションの問題です。内と外のバランスって本来は日本人が得意とする部分だったと思う。近代化や近代国家が推進したアトミズムって、原子だけあれば分子は要らないという考えです。成れの果てが今のアメリカ社会だし、日本は30~40年遅れてヒョコヒョコとついて行っているように感じます。

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2023年6月4日日曜日

アイデンティティの崩壊

 



東大の先生の記事

東京大学の先生が「日本の大学には優秀な人材が定着しない」という記事を書いていました。習得主義と履修主義を説明して、日本の履修主義は大きな問題であるとも指摘しています。「履修主義」とは、小中学校で学ぶ生徒が「所定の教育課程をその能力に応じて、一定期間履修すればよいのであって、特に最終の合格を決める試験もなく、所定の目標を満足させるだけの履修の成果を上げることは求められていない」とするシステムです。つまり、学力的には「ザル」だし、教育現場が倫理・道徳的な鍛練の場だとも言えません。これが日本の現実なのです。アメリカの習得主義はお金で解決する場合が多い傾向にありますが、、。

アメリカのアイデンティティ

1970年代の初頭、アメリカの崩壊は大学から始まったと指摘したのはアンドリュー・ハッカーでした。日本はアメリカにほぼ全てを依存している訳ですが、社会の状況は30年くらい遅れて後を追いかけているように思います。http://ibg-kodomo.blogspot.com/2016/06/14.html

アメリカのホワイト層の給料は日本の4~5倍でしょう。でも、優秀な日本人はアメリカで生き残れるほど精神的にタフでしょうか? アメリカ人(サバイブする人たち;恐らくトップ20%)はアメリカのとてつもなく理不尽な社会で何とか生き残る能力を幼稚園児の頃から鍛えられているのです。

アメリカ没落の原因の一つはアメリカのアイデンティティの崩壊です。サミュエル・ハンティントン(ハーバード大学教授、故人)は1990年代の半ばに、アメリカは将来的にプロテスタントの倫理観念とアングロサクソンの政治文化を失い国家としてのアイデンティティが無くなると予言しています。日本のアイデンティティを喪失させることに成功したアメリカは70~90年後に自らのアイデンティティを失うこととなる、、、何という皮肉か

日本のアイデンティティ

フーテンの寅さんの口上はアイデンティティの確認作業です。フーテンで全国をフラフラしている寅さんでも、葛飾柴又に家族や時間を共有した昔からの隣人たちがいる。つまり、アイデンティティを持っているからフラフラできるのです。寅さんのアイデンティティは葛飾柴又の人たちが護っている。

1970年代の中ごろまでは、日本でも評論家や大学の先生たちが日本のアイデンティティ喪失の危機感を盛んに議論していました。ところが、いまやそんなこと問題にしている知性はどこにもいませんね。知性の崩壊、これもアメリカと同じ道を歩んでいます。30~40年遅れて、、、、。

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2023年5月30日火曜日

令和の日本に必要な教育とは何か?

今年もやってきました。季節の風物詩。鳥取のラッキョウ和歌山の南高梅です。


国民全体の本当の基礎教育(形而上学的なもの)が欠落し、公共心が失われつつある令和の日本に必要な教育とは何か?

教育は新しい社会システム(体系)構築の問題であり、新しい世界観からの要求に答える体系を考えるべきなのです。それにしても日本人は「システム」ということが苦手だ。主語と述語の欠落など日本語の構造が曖昧でシステムに向いていない言語であることが原因かもしれない。

結局は一人一人が倫理的主体になるしかないのだが、日本には欧米のようなエリート教育がない。子供たちが大人になるまでに意識的に倫理的な主体(中心)を作らない限り、これからの世界の混迷を乗り切る人材は生まれない。

日本は明治以降ひたすら表面的な理論や技能ばかりを猿真似してきた。和魂洋才の和魂を忘れた。学校教育は、柱をいっぱい立てる教科毎の受験制度を未だに継続している。各教科がシステムとして統合されないまま社会人になっていく。既得権益もいい加減にしてほしい。教養軽視の文明化を夏目漱石は「上っ滑り」として痛烈に批判しました(1911年)。

政府やメディアのリスキリングやChatGPTの議論を聞いていると、日本はこのまま漂流するしかないと言わざるを得ないのです。今を一生懸命生きるのはいい事なのですが、過去があり、今は未来につながる。現行の教育制度に依存するのではなく、まずは疑ってみてはどうでしょうか? 

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2023年5月15日月曜日

生産性を正しく理解しているか?

 

五目チャーハン

塩ラーメン

鶏清湯(鶏チンタン)

香味油

高齢者の私の家庭への貢献度と言えば、失敗も多いのでマイナスかもしれません。家庭全体の生産性はもう多くは望めないので、私自身の労働生産性を高める必要があります。料理も失敗する確率も高いのですが、私の中では何かやろうとする決意と実行をモットーとしているので常に前向きです。

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日本の生産性の問題や日本人の給料がなかなか上がらない理由に関して様々な意見が飛び交っています。私は経済評論家ではないので、自分の経験からコメントしておこうと思います。

生産性と労働生産性

生産性

生産性とは1つのものをつくり上げるのに、投下した物や人的リソースを活用して、どれほどのものが産出されたかの割合を示すものです。

労働生産性

労働生産性とは労働者1人当たりが生産できる成果の効率性を示す数値です。

生産性はマクロ的視点で、人口構成の変化、デフレやインフレ、企業の内部留保や非正規労働者の増減の問題等々多くの要素が絡み合っています。一方、労働生産性は個々の労働者の視点から見た場合の事で、リスキリングなど最近になってフォーカスされ出しました。ところが、見落とされているのは日本式経営やキャリアマネジメントの問題です。

会社への貢献度が問われる

労働生産性は自分の年俸と会社の業績との関係です。会社全体の売上に対する自分の給料の割合(貢献度)だと言う事です。アメリカのビジネスパーソン(クラークレベルではない)は、年俸の2〜2.5倍分の売上を達成できていないとクビになる可能性が高い。アメリカのビジネス界では労使共にそう言った了解の下で働き、転職する場合に判断の材料にします。ところが、日本は雇用される側の会社や経営陣への依存度が極めて高い。経営や会社の業績は「上」が考えることで自分の給料は分けて考えるのです。

雇用する側も社員を報酬と比較しながら正当に評価する意識や能力に欠けます。日本の人事部は現場のビジネスから遠い斜め上から見る傾向にある(お目付け役のように、、、)。

日本流を貫くのであれば、それはそれで結構。しかし、スローガンはグローバル標準でも、やっていることや意識レベルが日本流ではベクトルがあわず上手く行かないのです。

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