菩提寺は奈良の西方寺
人生も先が見えてきたからでしょうか、最近では強烈な拒否反応は軽減しました。20代の頃から8月に日本にいるのは本当に嫌でした。日本のテレビや新聞雑誌で取り上げる戦争や終戦の話題が非常に不快だったからです。日本人でいることが情けなくなるからです。世界中のあらゆる仕組みには一応ルールが設定されています。それは多くの国が性悪説をとっているからです。人間は不完全で禽獣の域を脱することなく、時には衝突し平和を乱すと思っているからです。国家間には差異があり感情や認識には大きなギャップがあります。2000年以上継続する日本文化と17世紀からのアメリカ近代文明とは人生観など様々な観が違います。
だとすると、国家を超越した抽象的なレベルでの議論が必要になります。
日本の議論は真逆です。日本の受験エリートが上位を占める政府官僚でも企業でも具体的な議論は得意です。しかし抽象度を上げて(全体を見て)レベルセットすることを省いてしまいます。日本の現行教育システムでは教科別の柱はいっぱい立てるのですが、柱を渡す梁を通す余裕はありません。そのまま社会人生活が始まるのが原因の一つだと思います。
結果、抽象と具体のバランスをとりながら物事を推し進めることができない。孔子の言うところの「君子不器」です。つまり「君子たるもの一つの器(機能=function)にとどまってはいけない」ということです。
若い人たちには「人殺しはよくない」とか「家族が可愛そうだ」とか、そういった感情的な抽象度の低い議論ではなく、「戦争(論)」を議論して、モノの考え方を培ってもらいたいと思います。誰だって人殺しは嫌です。当たり前です。戦争の悲惨な場面だけを感情的にフォーカスする日本のメディアの8月は、本当に呆れるばかりで不快なのです。
一人でも多くの若い人に覚醒してもらい、一つの器にとどまらない君子に成長してもらいたい。時間はかかるかも知れませんが、今の日本に残された道はそれしかないでしょう。
奈良にて。
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