2021年12月17日金曜日

心の幸せ

今年もあと2週間となりました。来年の ibg カレンダーです。

アメリカの現実

アメリカは自由主義が行き過ぎて民主主義との折り合いがつかなくなっています。自由主義のほうが資本主義との相性がいいからです。これまでアメリカが辛うじてバランスしてきたのは貧富の差が今ほどではなく、中間層が豊かに生活できていたからです。自由と民主のバランスは、みんなが豊かさを感じることや国の社会保障でなんとか保ってきた。
ところが、アメリカの絶対優位は崩れ、格差が超ウルトラ格差になり99%の国民が苦痛を感じるようになりました。医療保険も日本と違って自己責任だから、多くの没落中間層が医者にも行けなくなった。自由と民主のバランスが完全に崩壊したのです。

日本はどうか?

先日、年金受給の手続きに行ってきました。今になって改めて分かったことは、日本の年金には個人または個人主義という概念がないということでした。自分の人生のラップアップまで他者頼みで、人生の着陸点を自分で考えなくてもいいことを前提に日本の年金の仕組みはできています。自分の掛け金に見合った受給金額から、現在の年収にあわせて受給額が減額されるのです。アメリカの年金である Social Security のような金融商品ではないということです。これでは高齢者(=年金受給者)が働いて稼ごうというモチベーションは下がります。

ワクチン接種に関しても日本人は強制されても文句を言わない、、、というか、どちらかと言うと強制されたい。アメリカの接種率が伸びないのは、政府に強制されたくない。ワクチン接種を決めるのは自分(個人)だという強い意思がある。自己決定権という自由を無くすくらいならコロナで死ぬわ!と思っている人が国民の40%くらいはいる。もしかしたら、そのうちの20%はコロナなんてフェイクだ!と本当に信じている人もいるかも知れませんが、、、。

日本の年金は、セルフモチベートできている高齢者のやる気を完全にくじく仕組みです。国会で延々とやる10万円の議論もバカバカしい。本当にくだらんと思う。日本はもっと若い時から社会人(大人)になることを教育した方がいいと思います。以上のような発言は「世間」から嫌われる、、、でも大丈夫。もう人生の着陸点が見え始めているし、「心の幸せ」は維持できていますから。

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2021年12月6日月曜日

目的は幸福を求めること

wondering what's on the table....

「万人共通の目的は幸福である」といったのはプラトンです。今の時代でも同じだと思います。

遺伝子の影響もあるでしょうが、日本人の問題は幸せになるための意思決定を自分で行わないことにあります。

仏教の言葉でいう「因縁果(いんねんか)」、原因があって結果があるのですが、どうも縁(環境や他者)に依存しすぎる。自分で決定しないから結果に対しての責任感が希薄です。さらに諦めがいいのか、結果に対する振り返り(reflection)がない。

「どう生きるか?」も大事ですが、そろそろ「なぜ生きるか?」を考える時です。

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2021年11月29日月曜日

中学受験 国語入試で問われていること

 
チャーリーは分離不安障害 
そのくせ自分が王様だと思っているのでアンビバレントな分離不安症です

中学受験頻出作家が語る「国語入試で問われていること」【朝比奈あすかさんインタビュー】|VERY

配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/6f8792d584b8e1ba6c066ce16494a7cc663b68fa?fbclid=IwAR2cPZQKVpxImd99xPUIkSV2sU5vJft3rOQev1wJpc4BBCImLNq89uwWfuI

大学受験でも入社試験でもなく中学受験というのが驚きです。異文化コミュニケーションって、日本人がもっとも苦手とすることの一つでしょう。

「思いやり」と「弱いものを見下して自己満足を得ること」の違いが明確になっているか? 社会的に気の毒な人を救済しようとか保護しようという発想は、日本社会の根本であるパターナリズムに傾きやすい。大事なのは、助ける側と助けられる側との間に精神的な落差があってはいけないことなのです。

大人社会でもできてないことを小学生に教えるのは難しいと思う。小学生なんだから、自然を楽しむとか物の美を愛し味わうことから始めたらいいと思う。

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2021年11月25日木曜日

思考のフレームワーク

引き出しの中が空っぽだったりロクなものが入っていない場合、考える事ができない。
  • 環境問題
  • 教育の問題
  • 個と公共の問題
  • 文化と文明の問題
  • 異文化コミュニケーションの問題
  • デジタル化の問題
以上の問題は多くの問題のエッセンスと言えます。思考のフレームワークとして使えるのです。直近のアメリカと中国の気候変動に関する共同声明を考えてみましょう。

環境問題は全ての者の当事者意識と倫理観であり(教育の問題)、私的利益と公共の利益の相克です(個と公共の問題)。アメリカと中国は世界中で最も私的利益と公共利益のバランスが苦手そうな国家です。「譲歩」なんて一番できそうもない人たちなのです。一方、日本の譲歩は自己欺瞞の譲歩です(日本の近代化≒文化と文明の問題)。

SDGs(持続可能な開発目標)は地球環境の保全と経済的な成長とのバランスをいかにとっていくかです。一番大切なことは、SDGs は将来の世代への責務という発想です。子供や孫たちへの責任を考えるなら(世代間の公平性≒異文化コミュニケーション)、日本の現状を変えようとしない態度(事なかれ主義)は自らの責任の放棄と言えるでしょう。

ビジネスに目を転じてみると、企業の再生にも同じ発想が必要だと思います。ところが今の日本の多くの大企業は無責任極まりない。今だけ、金だけ、自分だけ、、、。自分で計画を立てず人まかせ(パターナリズム≒教育の問題)、自分でたてた計画でなく、振り返りもしないから責任を感じない。

ポストコロナは、日本人の生き方(≒文化と文明)を根本から見直す時だと思います。

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2021年10月26日火曜日

本当の教育改革とは?

 

運動会の練習か? @ 井の頭小学校

小学生の頃に限り教師のコントロールが生徒に勝っていい。だから教師の質、つまり、教師の倫理観や知性は大事です。各論や半径数メーターの選挙演説を声高に叫ぶ政治家は、この国の未来をどうしたいのでしょう? 毎度のことながら呆れるばかりです。私の住む地域は東京18区、元首相は「コロナという非常事態には一番経験のある私がふさわしい政治家です」と全く反省がない。

教育の失敗が今の日本の状況を生み出したのは明らかです。

基礎教育が欠落するということは、公共心が育たないということです。間違った教育を続けることは勘違いした大人を量産することです。頂点にあるのが日本の政治家であり官僚でありビジネスリーダーたちですね。バラバラな知識を統合したり、体系化するような教育改革を行ってもらいたいと思います。

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2021年10月14日木曜日

学歴信奉はやめませんか?


ピザも自家製が最高!

ポストコロナの時代は、統合化(integration)とか総合的(synthetic)といったことが益々重要になると思います。カタカナで胡麻化すのではなく、基本的な概念をできる限り正確に理解して物事を全体的に考えることが要求されます。日本にはそういった思考ができる人材はごくわずかなのです。

日本企業、つまり、サラリーマン(日本独特の存在)として働く人材を育てるには、これまでの日本の教育システムは合理的だったのかも知れません。しかし、日本企業が世界で競争力を失ったとなると、教育システムを根本から見直す必要があります。

教育の目的は実社会への準備のためや、究極的には幸せになることです。世界の素早い動きに多くの日本企業は適応異常を起こしています。これまでの日本企業が必要としてきたスペックの人材を、これまで通りに育成してどうするのですか?子供たちを不幸にするだけです。日本は沈没してしまいます。

教育問題として、少子化や教育現場での情報化(今はやりのDX)や教育者の不在が問題視されているようですが、果たしてそういった現状認識でいいのでしょうか? 

以下のような問題が十分に議論されていることを期待します。 
  1. パターナリズム(服従的)
  2. 自律性の欠如
  3. 総合的でない授業(学科毎の学び)
  4. 情熱と興味を開拓する余裕のなさ
  5. 点数による序列主義
小中学校と高校では、生徒‐教師間の力のバランスを変える必要があります。中学後半から高校生にかけて自己が形成され始めます。学校からの強制でなく主導権を子供中心とすべきです。そうすれば子供達の間に競争ではなく連帯が生まれるはずです。小学生や中学の前半まではある程度の強制(しつけ)が必要です。ただし、一人一人臨床的に判断する必要があります。前提条件として、全教科の合計点と内申書で子供を型にはめることは直ぐにでも止めるべきです。

もういい加減に学歴信奉はやめませんか? 日本の有名大学の名前が「鎧」になった時代はとっくに終わっているのです。

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2021年10月12日火曜日

学校の評価基準は間違っている

小学生の時に使ってた物差し

点数が学力をはかる客観的な物差しであると見なされています。
はたしてポストコロナの混迷の世界、そのままでいいのでしょうか?

「寛容」は英語で tolerance ですが、tolerance は「許容誤差」の意味もあります。これからの世の中は益々寛容さや許容誤差、つまり tolerance が大事になってくると思います。

ところが日本の教育を見てみると、真逆の方向にダッシュして未だに走り続けている。受験業者などの既得権益保護が目的なのか、、、と疑ってしまうのです。

物差しが間違っていると、時代に合わないスペックの大人を量産し続けることになる。

混沌とした状況で必要とされる能力は以下の3つです。
  • 徹底的に自分の頭で考える(プロセス思考)
  • これまでの枠や常識をのりこえる(イノベーション)
  • 誤りを恐れない(試行錯誤)
こういった生徒は日本の教育システムでは優等生になれない。

日本の学校教育の特徴は以下の通りだからです。
  • 回答する時間が決まっている ⇒ 頭の回転がはやい。
  • 出題範囲がきまっている ⇒ 一定の枠の中で考えることに長けている。
  • 100点以上はない(減点主義) ⇒ 誤りを犯さない用心深さがある。
いつか変わるだろうと思ってきましたが、一向に問題の本質を議論する姿勢は見受けられません。子供たちの将来を真剣に考えるならば、親御さんが現行の教育システムに反抗すべきでしょう。

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2021年10月11日月曜日

エゴイズムの氾濫

ハロウィーン

パンデミックで世の中がどことなくギクシャクしています。

新たな世界観が出てくるまでの葛藤の時代なのかも知れません。管理の時代から更に自己統治の時代へとシフトしていると思われます。日本にいると分かりにくいのですが、日本ほど自由と平等が高い次元で認められている国は珍しいと思います。自己統治が不完全でありながら、今の日本ではだんだんとエゴイズムが台頭してきています。2年になろうとするパンデミックが日本にもたらしたのは、更なるエゴイズムの氾濫かも知れません。

民主主義は極端な平等を肯定しています。

アメリカのような自由主義は自己決定権が優先しすぎます。資本主義は極端な不平等を肯定しているのです。現代は自己決定権を基本として、いかに全体(公)を考えるかの時代です。本来ならば、義務教育や高校・大学の教育で資本主義のゲームに必要な能力が身につくはずなのですが、日本の場合はそうではない。教育者や政治家に資本主義のゲーム経験のない人が多いのも一因でしょう。

基本的な概念の理解が不十分であるにもかかわらず、エゴイズムだけが氾濫してくるのは危険です。

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2021年9月30日木曜日

親ガチャとは?

 
ローストビーフ弁当

親ガチャという言葉が流行っているそうです。

ガチャガチャと言われるカプセルトイにもソーシャルゲームにも疎い私は何のことだか分かりませんでした。親ガチャとは、「どんな親(家庭)から生まれてくるか? 」を指す意味のネット上でのスラングということらしい。自分の幸不幸は親に依存するということのようです。「親ガチャに成功した」は、 生まれてくる環境や親に恵まれた事 を指すとか。

「私は私だけで成り立つのではなく、私と私の環境(自分の存在を意味づけられている共同体)の二つから構成されている」と言ったのはスペインの哲学者オルテガです。私の人格や人間性は私の選びようのない環境によって規定されているというものです。

私自身も還暦を過ぎこれまでの人生を振り返って見ると、生きてきた街や友人や仕事仲間(幸いにして友人と仕事仲間が同じである場合が多い)が「私」を形成してきたことがわかります。

確かに親も環境の一つなのですが、親以外の要素は大きい。偉大なオルテガに反論するようですが、親以外の環境は自主的に選択すればいいのです。そうでなければ、一生を無為に生きることになります。

何度も繰り返し言っていますが、日本の教育に欠落するものは「観」の形成だと思います。今後の世界のパワーバランスの中でますます重要になることの一つでしょう。「観」は親から教えられたり他人から教え込まれるものじゃない。あくまでも自分の力と責任とにおいて形成すべきものです。そして、前提は自由であることです。悩んだり考えたりする時間が必要だからです。

現行の日本の教育システムに子供たちも親も先生も自由がありますか?

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2021年9月28日火曜日

子育てはいつまで続くか?

 
チャーリーはもうすぐ9歳になります。躾はとっくに諦めています。

「子育てはいつまで続くのか?」

福沢諭吉は「子供が子供を育てることができるようになったら終了」と言いました。私の実感としてですが、子供が社会人になってから、つまり、20代30代になってからのほうが、親として子供の役に立てることや、子供に伝えるべきことは多くなるのだと感じています。自分ができていないから強く感じるのでしょうね、親の責任は大きい。子育ては自分が死んで終了なのでしょう。


「父母の職分は、子を生んでこれに衣食を与うるのみにては、未だその半ばをも尽したるものにあらず、これを生み、これを養い、これを教えて一人前の男女となし、二代目の世において世間有用の人物たるべき用意をなし、老少交代してこそ、始めて人の父母たるの名義に恥ずることなきを得べきなり」(「教育のこと」福沢文集 巻之一)。

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2021年9月18日土曜日

特別な存在は自分でつくる

先日友人が送ってくれた梅酒

今の時代は、愛は与えるものじゃなくて与えられるものだと思う傾向にあるそうです(ジジイの口調そのものですねぇ、、、)。思うに、人として成熟してないから配慮とか他者を尊重することとか好奇心とか、つまり、愛する事の前提が欠落しているのでしょう。

誰にも依存せずに与えられるって幸せを感じることなのです。たとえ今は無理でも、愛されるよりも愛することを目標として今日を生きる。自分にとって時間を注いでもいい対象は自分でつくる! 

ポストコロナで益々重要となってくることの一つだと思います。

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2021年9月11日土曜日

アメリカ同時多発テロから20年

あれから20年。アメリカ軍のアフガニスタン撤退とタリバンの首都制圧。テロとの戦いが継続するのか、それとも新たな国際秩序に突入するのか。タリバンには世界が納得する実績がありませんからね。

人類は世界的規模、つまり地球全体を考える一元的にシフトしないと、この星は滅びるかも知れません。 新たな20年で進歩はあるか? 

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9.11 アメリカ同時多発テロ事件

   

2002年の秋から2006年の秋にNYに戻ってくるまでの4年の間、アメリカの生活から離れていた。果たして9.11の前と後ではアメリカは変わったのだろうか?

変わった点もあるだろうが、大筋は変わっていないのだろうと思う。確かに、アメリカ国内を移動すると空港のセキュリティなどで不愉快な思いをすることは多くなった。フレンドリーでユーモアいっぱいのアメリカ人がギスギスしていると感じる。ゲートで搭乗を待つアメリカ人に余裕がなくなった。しかし、これらは小さな現象であって、ちょっとステップ・バックしてマクロレベルでアメリカを見てみると、アメリカは少しも変わっていないような気がする。

ペリーの黒船艦隊の威嚇による日本への開国要求、カリフォルニア州、ニューメキシコ州、テキサス州をメキシコから割譲した米墨戦争、米西戦争によるスペインからのフィリピンの植民地化、ハワイの領有化、先の大戦に日本を追い込んだやり方(これはちょっと様々な意見があるだろうが、、、)、これらと、9.11直後のアフガン侵攻、大量破壊兵器を根拠に(今となれば何もなかったことは世界中が知っている)イラン戦争に突入した強引なやり方に、大きな違いがあるとは思われない。

アメリカは文化・文明の多様性というものに鈍感だ。どの国も歴史があり、歴史の延長線上としての現在がある。しかし、アメリカはそういった多様性を認めようとせずアメリカを押し付ける。アメリカの社会という枠の中でみると、多様性の国アメリカなのだが、世界の中でのアメリカは全く多様性を理解しないかのように振舞う。

* * * * *

.11には不可解な点が多い。

5年半の月日が経ちグランドゼロにやって来た。7WTC 跡地だけには立派なグラスタワーが完成していて、壁面に隣の崩壊しなかったビルがくっきりと映し出されている(下の写真左の中央のビルの位置に7WTCビルがあった。写真右の左端のビルが7WTC跡地に建った新しいビルで、手前が1WTCと2WTCのあったところ)。


                                                                             

 世界史に関する知識も浅く、アメリカのことだってよく理解しないのに、ただ単にNYに10数年住んでいたからと言ってどうのこうのと言えたものではない。事件からまだ5、6年しか経っていないじゃないか。客観性をもって事の真実を追求するにはあまりにも時間が不足している。

事件当日、火曜日の朝はWTCに隣接するWFCに向かっていた。普段は仕事の関係で、月曜から木曜日の間はNYにいないが、この日は日系企業に対するセミナーをNY商工会議所で開催する予定があった(WFC:ワールド・ファイナンシャル・センター)。

郊外の自宅からメトロノース鉄道でマンハッタンに向かう車中、ブロンクスからマンハッタン島に入る直前、最初の飛行機が1WTCに激突した。電車の中はビジネスマンで満席だ。NYタイムスやウォールストリートジャーナルを読む者、書類に目を通している人、ごく普通のNYでの通勤風景。私は上海・北京の旅から戻ったばかりだった。まだ時差ボケの中、午後のセミナーでのプレゼンの内容を考えていた。セミナーのテーマは「危機管理」、私の話は‘93年のWTC爆破テロ事件に遭遇した私の経験を日系企業の方々に紹介する内容だった。

乗客の携帯電話が次々と鳴り出した。周りがざわつく。
WTCに軽飛行機が突っ込んだらしいぞ」。「本当か?」。「バルーンが当たったのかも知れない、、、、」。

私の携帯も鳴った。妻からだ。「軽飛行機がWTCに突入したらしい。テレビでやっている。WTCから煙が出ている。ダウンタウンには行かない方がいいわよ。新しいニュースがあったら電話するから」。

10分程してグランドセントラル駅に到着した。駅構内は足止めを食らった人たちでごった返している。地下鉄は既に動いていない。メトロノースも運転を見合わせると言う。何が起こっているのか分からない。

「これは大変なことになるぞ、、、」。

仕事仲間の安否の確認をしなければいけない。みんながWFCに向かっている筈だ。「仮オフィスとする場所を確保しよう」。グランドセントラル駅周辺のホテルを探した。いくつかのホテルをあたり49丁目にあるホテルにやっと部屋を確保することができた。CNNを見ながら部屋の電話で連絡を取り始める。この時点でランドラインはまだ繋がる。携帯はすでに繋がらなくなっていた。

二機目の飛行機が激突した。

 ホテルの窓は南に面しているので、WTCから立ち上る煙は生で見ることができる。テレビにはWTCの状況がLIVE映像で映し出されている。

10時になろうとしている時 2WTC が崩壊した。テレビでは崩壊が画面いっぱいに放映されている。窓の外からはひときわ大きな灰色の煙が立ち上る(煙手前がWFCのビル群)。


  WTC 崩壊直後、UA93便がペンシルバニア州で墜落した。「LETS ROLL!」という言葉を残してテロリストに立ち向かったと言われるトッド・ビーマーは元同僚で、彼の妻も同じオフィスで働いていた。90年代半ば、新入社員のトッドは私の仕事を補佐してくれた。学生のようなちょっと内気な彼の印象からは想像もできない行動だ。

9時38分にはペンタゴンにAA77便が突入している。


4機の航空機、そして2つのWTCタワーの崩壊と隣接する 7WTC ビルの消滅、全てがあまりにも秩序だっている。

仲間全員の無事を確認するには夜中までかかった。後で分かったことだが、WTC直前で地下鉄にどじ込められていた者、交通手段がないので徒歩でNJまで帰った者、自宅がWTCの近くで停電のために23階の部屋から下りることができなかった者、、、。

* * * * *

9.11に公表されていない真相は本当にあるのだろうか?

US政府陰謀説、チェイニー副大統領主犯説など、かなり過激な説も浮上しては消え、消えてはまた浮上してきている。多発した一連のテロの一つ一つに対して疑惑が表明されているが、ここでは全ての疑問に対してコメントすることはしないが、私自身は当時から7WTCの崩壊が気になっていた。

仕事で何度か7WTCに入ったことがあった。地下鉄レキシントン・ラインの駅からWTCWFCに行く場合は、7WTCの前を歩いたりした。「WTCから離れているにもかかわらず、なぜこれが7WTCと言うんだろう」と何となく思っていた。

また、映画ファンであれば、このビルは見覚えがあるかもしれない。ハリソン・フォードとシガニー・ウィーバーが出ていた88年の映画「WORKING GIRL」の撮影に使われたビルだ。

WTCは、WTCの崩壊した2つのタワーから2ブロック離れている。ハイジャックされた飛行機が突入した訳でもない。9.11当日の夕方520分に、老朽化したビルを意図的に倒壊させるかのように、一瞬のうちに消滅した。当局の発表では、火災による倒壊とのことだが、果たして火災により、鋼鉄の枠組みをもつビルが一瞬にして跡形もなく崩壊するだろうか?

9.11陰謀説の中には、「テロの総司令部が7WTCにあり、WTCに突入した2つの旅客機は、7WTCからリモートコントロールされていたんだ!」と言うものまである。倒壊したビルの瓦礫が次の日には全て現場から持ち去られたのも不可解だ。

* * * * *

2007年1月29日の日本の通常国会のニュースをYAHOOの動画ニュースで見た。民主党の小澤さんが代表質問に立っていた。格差問題を取り上げ、「小泉さん、安倍さんの6年で日本は世界で最も格差のある国になった」と発言していた。安倍さんの答弁にはこれについて具体的なコメントはなかった。

アメリカという国はお金さえ十分にもっていたら自由で平等で民主的な国だと認識できる。それは資本主義の論理が強烈に働いているわけで、資本主義と民主主義は相反する。この点を理解していないと、様々な不愉快な出来事によってアメリカが嫌いになってしまう。

アメリカの格差社会は日本で問題にするようなレベルではない。5%弱の世帯がアメリカ全体の純資産の60%以上を占めているのだ。持っている金が多ければ多いほどエライと見なされ、実際お金さえ持っていればアメリカでの生活はかなり快適になる。お金を持っていないか、お金をかけない暮らしをすると、アメリカの生活にはウンザリさせられる。

アメリカ人は自分を守ることを最優先する。開拓時代は、それこそ銃を手にとって自分自身や家族を守っていた。現在はどうだろうか?資産を増やしお金でわが身や家族をプロテクトしようとしているとは言えないだろうか?9.11で強固に信じていた国や体制に疑問が出始めて、自分のことは自分で守るという傾向が一層強くなったのかも知れない。

アメリカ人は、かなりインテリであっても自国の歴史や、世界の歴史について知らない人が多い。そして強いアメリカを盲目的に信じてきた。しかし、アメリカがやっている事は基本的に正しいのだという前提は9.11を境に崩れてきているのではないだろうか?

民主主義は民意の代表であることが前提であれば、政府はメディアをコントロールするだろうし、それには絶対的な資本の力が必要となる。金があればあるほど強いと言う訳だ。

* * * * *

9.11は考えれば考えるほど不可解な点が多い。アメリカの人々の気持ちは多少なりとも変化があったのだろう。ただ、アメリカと言う国は9.11の前と後で方針に変化があるようには思えない。それどころか、これまでの性格を増長してきている傾向にあると思う。

ローマ帝国は東ローマ帝国が滅亡するまで1500年ほど続いた。イスラムのオスマン帝国でさえ500年続いた。アメリカはたかだか二百数十年である。帝国アメリカは今後どういった展開を見せるのであろうか?


2007年1月

2021年9月6日月曜日

1993年のワートレ爆破事件

パキスタンで待機する自衛隊機(NHKニュースより)

今回のアフガニスタン邦人救出作戦で1993年のWTC爆破事件を思い出しました。当時の日記を遺言として掲載します。


ワールド・トレード・センター爆破事件(1993年)

 

  アメリカ人も日本人もパニックになる時は同じかもしれない。しかし、危機的状況における指導者の実力は、アメリカ人のほうが日本人より随分と上なのではないだろうか?

ワールド・トレード・センターがテロにより爆破された。

私はこの事件で「日本人のマネージメント・スタイルが危機的状況に弱い」と言うことを強く感じた。ところが、ニューヨークの日本人社会や日本のマスコミはあまりこの点に言及するものはなかった。では、なぜ私はこう思ったのだろうか? 当日、そして爆発後の私の行動を振り返ってみようと思う。

 

1993年2月26日金曜日

 

 朝8時PATH-TRAIN(パス・トレイン)改札横のコーヒーショップでシナモン・デーニッシュでコーヒーを飲む。ワールド・トレード・センターの1階ビック・キッチンと呼ばれるファースト・フードが集まっているところから、エスカレータで地下コンコースへ降りていく。そこが、ハドソン川を渡りニュージャージー州へ行くPATH-TRAIN(パス・トレイン)の改札で、売店や靴磨き、トイレ、バー、そしてこのコーヒーショップがある。カウンターだけのコーヒーショップで、ミーティングの時間調整のために、ここで時間を潰す。ジャージーシティーの日系の銀行でのミーティングにはまだ1時間程ある。爆発はこの後数時間後に起こり、このコーヒーショップは天井が崩れ落ちてしまった。

 

 ジャージーシティーは、マンハッタン島のダウンタウンからハドソン川を渡った対岸のニュージャージー州にある。PATH-TRAIN(パス・トレイン)で5分程で行ける。1989年頃から日本の銀行はこのあたりにコンピュータ・センターを移しはじめた。ニュージャージーやジャージーシティーは、企業を誘致し、環境の悪くなった倉庫街を再開発しようとしたため、優遇税金を考えたり(例えばセールスTAXがゼロ)、市長自らが宣伝マンとなり再開発にやっきになっていたところに日本の銀行が飛び付いたのである。それに加え、電話会社は競ってハドソン川を渡すT3ファイバー・ケーブルを引き、通信回線のバックアップ計画の売り込みも含め顧客獲得にやっきになっていた。

 

  通信回線のバックアップをアメリカで考える場合、複数の電話会社を使うことを第一に考える。電話会社のストで1ヶ月も業務が停止し、新しい回線をひけなかったことも実際起こったのだ。ハドソン川をクロスする2点間の場合、通常2-3社の電話会社と契約し、回線の通るルートを複数にする。ラインはリンカーン・トンネル、ジョージ・ワシントン・ブリッジ、そしてスタッテン島経由の3つのルートがある。たとえ複数の電話会社と契約してもそれらが全てリンカーン・トンネルを通っているのであれば、リンカーン・トンネルがつぶれればおしまいになる。だから、複数の電話会社を使っても常にルートを確認する必要がある。ニューヨークで商売を行う電話会社は競合が激しく、これらバックアップ計画のコンサルティングも含めて、顧客獲得のためあらゆる手を打ってくる。市場を独占している日本の電話会社とはかなりギャップがある。

 

 昼前(11時頃)パス・トレインでニュージャージー側からワールド・トレード・センターへ戻り、地下鉄Eトレインでミッドタウンのオフィスに帰ってきた。昼、会社のカフェテリアで昼飯を食べ自分の机に戻ると、友人のジムから電話が入る。ジムは「一人働きのシステム・プログラマー」で、私は彼のことを「史上最強のIBMシステム・プログラマー」と呼んでいる。IBMのシステム、それも通信関係(SNA)にめっぽう強いのだ。その彼が、「ワートレが爆破された!冗談じゃないんだぜ。ツインタワーの前を歩いてる時、大きな音と振動がしたんだ。一体何事か分からなかった。すぐにススだらけの人たちがビルから出てきたんだ。ヘイ、何軒クライアントがいるんだ? 忙しくなるぞ。ビジネスだ、ビジネス!」。ジムはニュージャージーなまりの早口の英語でまくしたてる(本当にニュージャージーなまりなのか知らないが、彼の早口をニュージャージーの田舎英語とからかっている)。これは「大騒ぎになるなぁ」と思った。

 

 昼過ぎ、ニューヨークのワールド・トレード・センター(貿易センタービル)がテロにより爆破され、5人の死者と数千人にのぼる負傷者が出た。爆弾はワールド・トレード・センターの中にあるビスタ・ホテルの真下の駐車場の車に仕掛けられていた。後にNYPD(ニューヨーク市警)は、地下2階のエリアB2で爆発が起こったことを発表した。爆発は地下2階で起こったにもかかわらず、110階のツインタワーの6階部分までダメージを及ぼした。

 

 夜は、マンハッタン・イーストサイド、8番街のタイ・レストランで会社の人と夕食をとってそのまま家に帰った。これは、無責任のように聞こえるが、自分らの出番は明日の朝と思っていた。コンティンジェンシー・プランを持たない日本企業は初期行動が遅れると考えたからだ。ツイン・タワーで働く全ての人たちはビルの外に避難させられた。初期行動の手順がプロシージャー化されていないため従業員はどこへ行ったらいいのかも分からない。当然、爆発のショックでバラバラになり、病院で手当を受ける者もいれば、家に帰った者もいた。社員リストなど連絡を取るためのネットワークも確立されていず、たとえあってもオフィスの中のPCのハードディスクの中にあり、どうにもならない。コンピュータのことよりもまずは従業員の安全確認にしばらく時間がかかりそうだった。

 

 翌27日(土曜日)の朝、自宅に電話が入る。「緊急にパソコンをありったけ集めて〇×△銀行のバックアップ・センターに持ってきてくれ」。イエローページで片っ端に電話を掛けるが、ウィークエンドなのでパソコンのレンタルショップはどこもクローズだ。ホワイトプレーンズのシアーズへ行く。クレジット・カードのリミットが問題になった。仲間に電話してシアーズに来てもらう。皆のシアーズカードを作り、それらを集めてリミットを5万ドルを越えるようにする。パソコンと一緒に卓上の計算機まで買ってくるように頼まれる。レンタカーを借り、ニュージャージー州シコーカスのバックアップ・センターへ着いた時はもう夜8時をまわっていた。「パソコンの手当てくらいなぜ銀行の人達でできないのだろう」。素朴な疑問がわいてくる。       

 

 イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」

 

  1993年2月28日午前1時。ニュージャージー州シコーカス。ハドソン川の対岸にはマンハッタン摩天楼の夜景が広がる。零下に凍てついたマンハッタンの夜景は素晴らしい。車のラジオからはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が流れている。

 

  やっと確保した大量のパソコンやソフトウェアをトラックから下ろし終わった。

目の前の光景を見てその異様さにあらためて茫然とする。100名以上の人達がかなり広いワンフロアーの部屋に臨時の〇×△銀行ニューヨーク支店をつくろうとしている。皆が疲れきっているのがよくわかる。あっちこっちで怒鳴り声がする。目はうつろになっている。広い部屋の中央には「対策本部長」と書かれた急場ごしらえの支店長席がつくられていて、副支店長たちが東京との連絡を行っている。煙草の煙はあちらこちらから立ち上り、ケータリング・サービスの食べ物は手付かずのままテーブルの上にある。パニック状態の日本人とは対照的に、所在無い日本人以外の人達は壁ぎわに立っていたりうずくまったりしている。

 

ジョー・ウォルシュとドン・フェルダーによる物悲しく強烈なツインリード。シンプルで印象的なベース・ライン。最後のリフが頭の中でグルグル回っている。

 

頼りないニューヨーク支店の銀行幹部

 

 「ホテル・カリフォルニア」の中の「みんな囚人のようだけど自分で決めてここにいるんだ」と言う部分は「そう思いたいんだけど得体の知れない怪物(プレッシャー)によって逃れることができない」と言っているのではないだろうか?日本人にとって得体の知れない怪物は何なんだろうか? それは、日本人が組織をなすと必ず出てくる暗黙のルールではないだろうか。横並びにしなければならない、一人で責任を負えない、以心伝心の精神主義の世界で、田舎の「村の掟」に似ている。非常事態でもあくまでも人間関係のなかで進められる。

 

 「村の掟」は村に対する絶対の忠誠心を要求する。そして、村八分とは、村で他の人と違った意見を発したり行動をとった場合、村のみんなからのけ者にされることを言う。意見や行動はたとえ建設的なものであっても、みんなと違えば「村の掟」を侵すことになるからはじき出されるのである。ただ単に飛び出て済めばいいのだが、通常何らかの制裁が加わる。それは、今であればイジメであったりする。社会が未開であればある程「村八分度」は強くなる。

 

 目に見えない日常業務でのプレッシャーがこの爆破事件で露わになり、〇×△銀行の日本人は冷静に業務再開のためのプランを実行する以前に半狂乱になってしまった。銀行幹部は大きな声をあげ、部下を怒鳴りつける。精神主義で現場をまとめようとしてもそれは意味をなさない。危機的状況をマネージするには、臨機応変にその場の状況に対応する現場の指導力が最重要である。しかし、ここでの指揮官たる対策本部長席では100人以上の人に対して、現状の把握や、方針、戦略を明らかにし、それぞれの役わり分担を徹底するといった試みはなく、ひたすら机の上の電話で日本からの指示を仰いでいた。行員の半数ほどは日本人ではない。彼等は所在なく、いつ帰れるとも分からず感情的なマネージメントに当惑している。

 

  日本人はトップに立つ人が協調性を唱え、組織に対する自己のない忠誠心を行動パターンの基準とするように要求する。しかし、アメリカ人はトップが非常時に協調性を要求することを理解できない。パニックにあって、日本人のトップがこのことを理解していない場合、悲劇は起こる。アメリカ人の行員たちはコンセンサスを求めているのではなく、支店長や幹部らの「INITIATIVE(イニシアチブ)」と「DETERMINATION(問題判別の力)」を待っているのだ。いくら経験ない若いアメリカ人でも、東京との電話をよりどころとしている日本人幹部の姿は、全く理解に苦しみ、頼りない存在にうつったことだろう。彼等は、パニックにおいても状況を適確に把握し、取るべきアクション・プランをたて、プライオリティをつけ、現有のリソースで最大限のリカバリーをはかるリーダーシップを会社幹部に期待している。みんなで話し合って、さらに現場の状況が見えない東京の指示を仰いでいる日本人幹部には大いに失望しただろう。

 

コンティンジェンシー・プラン

 

 1989年、日系の銀行に対するコンピュータのビジネスをするためシステムズ・エンジニアとして赴任した。この時、アメリカのコンピュータ事情を知って、アメリカの先進性に驚いたことが3つあった。

 

1.PCの利用が大変進んでいること

2.デジタル通信関連の技術と利用が進んでいること

3.コンピュータのシステム開発の考え方が日本と違っていること

 

  3つ目を少し説明しよう。

 

  赴任早々、ロングアイランドのポートワシントンと言うところで開かれたコンピュータのセミナーに参加する機会があった。そこで当時のバンカーズ・トラストの情報システム担当のエクゼクティブ(CIO)の話を聞く機会に恵まれた。内容は「コンピュータのシステム開発、運用と障害対策」についてであった。この時、始めて「CONTINGENCY PLANNING(コンティンジェンシー・プラニング)」という単語を耳にする。彼はプレゼンテーションの中でこう言った。

 

  「コンピュータの障害対策と言うのは、ビジネスの継続性をキープすることで、それを考えるのがコンティンジェンシー・プラニングと言うものだ。ただ単に障害から回復することだけを考えるのではなく、災害時だからこそ新規にビジネスを取ってくる。そして、災害時に競争相手より常に優位な位置にいることが大事だ」。

 

  「バックアップ・リカバリーではなくビジネス・リカバリー」、さらに「障害をビジネス・チャンスとする」。ウォール・ストリートのシステムと言うのは「ただ者ではないなぁ」と感じた。

 

  同じミーティングの席で、アメリカにはこのコンティンジェンシー・プラニングだけを専門に行っているコンサルティング会社があることに気付いてまたまた驚いた。早速、連絡をとり話を聞いた。彼等と1989、90年から1993年の爆破事件までわれわれの営業項目の1つとしてこのコンティンジェンシー・プラニング・コンサルティング(Contingency Planning Consulting)を、マンハッタンにある日系の銀行向けに行うことになったのである。しかし、ビジネスの成果はかんばしいものではなかった。当時、都銀、長信銀、信託、地銀あわせて50行以上あった銀行の中で契約が成立したのはただの1行だけだったのだ。

 

  このコンティンジェンシー・プラニングと言うのは日本人にとってはこの爆破事件の後でこそ知られるようになったのだが、平穏無事な時に日本人から理解を得るにはなかなか時間の要するものである。たとえ理解してもらっても、それに対して代金をはらってまで真剣に考えようとすることは、当時のニューヨークの日本の銀行にはなかった。ニューヨーク支店の担当者が日本の本店に対して、コンティンジェンシー・プラニングの必要性を訴え、予算を取ってくることをするだけの積極性がなかったのである。とにかく、われわれのコンティンジェンシー・プラニング・コンサルティングのビジネスはほとんど成果をあげることもできず、話を持っていったパートナー(コンティンジェンシー・プラニングのコンサルティング会社)にも申し開きができず、連絡も跡絶えがちになっていたのである。爆発が起こった時、さすがに「ザマーミロ」とまでは思わなかったが「おれは日本人だぞ。日本人として誠心誠意尽くすんだ!」と3回心の中で唱えてから家を出ないと、どうしてもホンネが顔に出てしまう。

 

この事件を楽しんだKさん

 

  世界で2番目に高いツイン・タワーには350の企業のオフィスがある。日系企業も50程あり、その中の23の会社が自分の会社の顧客であった。完全に復旧するまでこれらの会社は、1ヶ月あまり別の場所での営業を余儀なくされることになるのである。オフ・サイトのバックアップ・センターでの営業開始まで、緊急事態での営業期間中、そしてバックアップ・センターからワールド・トレード・センターへの復帰または新たなオフィスへの引っ越し、この間、被害にあったほとんどの日系企業は右往左往し、パニックに弱い日本人を露呈した。

 

 私の働いていた会社では少数の日本人とアメリカ人マネージメントの間でコンフリクトが起こった。「爆発で被害にあった顧客は日本企業だけではない。日本企業だけに優先的に社内の端末を貸し出すのはフェアじゃない」と言うのがアメリカ人の考えで、日本人の「〇×△銀行が絶対優先」という要求とぶつかったのである。日本人の中には「日本を向いて仕事をする日本人」と「アメリカ人のフェアさに気付く人」と様々であった。もっともこれには以下のような伏線があったのだ。  

 

 ある邦銀は、バックアップ用のコンピュータのメモリーのアップグレード(増設)のリクエストをしてきた(1、2万ドルのもの)。「騒ぎがおさまれば返却するからメモリーを貸してくれ」と言う。勿論、金は払わない。「増設に必要なエンジニアの人件費はなんとか本店と交渉してみるけれど、あまり期待しないで欲しい」と言う。この邦銀の人は「非常時だから当然の要求をしている」という感じで、全く「バックアップ機の意味とは何か?」を考えてないようであった。「非常事態は起こる可能性が非常に低い(起こらない)からバックアップ機のメモリーは本番機の半分でもいい。バックアップ機なんて実際動かなくていい」と考えていたのだ。この銀行の担当者は、とうとう電話の向こうで「サービスが悪い」と怒鳴りだす始末である。

 

 またある地銀は、相互バックアップ契約を同じワールド・トレード・センターのツイン・タワーの銀行とやっている。これではバックアップの意味がない。連銀からの監査を書類上逃げたかっただけなのだ。それに、メンテナンス契約をやはり同じビルの中の日本の会社と行っている。メンテナンス費用を節約するためだ。これも機能しない。この銀行は低姿勢にヘルプを求めているのだが言っていることは慇懃無礼、無茶苦茶なものだった。

 

  「日本人は起こって欲しくないことは考えない」性質がある。だから、起こってしまった場合その対応が遅れてしまう。本当は「先例がないこと、予期しなかったことにいかにうまく対処するか。それには可能な限り備えること」が大事なのである。テロによる災害は予測し難いが、水害、停電、地震などと同様に可能な限り対応をマニュアル化しておく必要があるのである。マンハッタンは「危険がいっぱい」だ。トップの判断によるコンピュータを中心としたコンティンジェンシー・プランの巧拙が即、企業の優劣に反映する。ディーリング(トレーディング)・システムや、銀行間決済が中心となるウォール・ストリートの金融システムではこれさえ考えていれば情報システム部門の仕事の半分は終わりといっても過言ではない。

 

 しかし、この事件を楽しんだ人もいる。全ての日本の銀行が同じだった訳ではないのだ。Kさんは1989年のロングアイランドでのセミナーに参加していた。彼がこの時の話に影響されたのかどうだか知らないが、コンピュータ・センターそのものをすでに、ニュージャージーに移していたのだった。ワールド・トレード・センターの爆破事件の大騒ぎの中でニヤリと笑っていたのではないだろうか。爆破事件までの私のセリング・トークに対するKさんの返答は以下のようなものであった。そして、彼が私に期待したのはデータ・センターをマンハッタンからニュージャージーに移すネットワークのデザインとプロジェクトのマネージの部分だけだった。「ニューヨークの邦銀の業務で何が一番大事か?」はKさんががっちり押さえていたのである。

 

  「レベルが低くても、素人でも、コンティンジェンシー・プランなんてものは自分達でやらないと、本当に何かあった時には機能しないと思います。だから、自分達でとにかくやってみようと思ってるんです。ニューヨークは災害に非常に弱いのです。天災にしろ人災にしろ危険な要素は溢れかえっている。ニューヨークの銀行で一番大事な業務は銀行間決済(ELECTRONIC FUNDS TRANSFER)です。何らかの理由で決済ができなくなると、数千万と言うペナルティーと信用を失う。天災は事前の準備や訓練で災害の被害を減少、限定できるんですよ。しかし、発生する確率に影響を与えることはできないですけどね。一方、人災の場合は目的や意図を持つ人間集団を相手とした不測の事態です。ニューヨークのこのあたり(ダウンタウン)の場合、天災でも人災でもビルへのアクセスと行員の仕事への復帰をどこで、どういった順番でやるか、そして、それに伴う連絡体系の確立が大事なんです」。

 

  Kさんの銀行でも1ヶ月後、ワールド・トレード・センターで業務を再開するまでは、ジャージーシティのコンピュータ・センターは大騒ぎであった。だが、〇×△銀行とは大いに違っていた。Kさんと彼のスタッフは嬉々として大騒ぎを楽しんでいるかのようであったのだ。一体どうしてだろう?

 

  Kさんはニューヨークの副支店長から、この銀行が北米でコンピュータ部門を独立させた時、その現地法人の社長に就任した。この人事こそこの銀行の最大の成功だったのではあるまいか?Kさんは日本企業の幹部としては珍しく思いやりの深い謙虚な人であり、普段は部下と遊んでばかりいる楽天主義者のように見える。しかし、実際はアメリカの現実も日本企業の本質も知り尽くしたリーダーだったのである。彼の若い部下たちに最大の能力を発揮させる指導力を備え、このような危機的情況にのぞんでの聡明でスピードのある判断力はアメリカ人の部下たちも納得するものであった。さらに「自分が最終的には責任をとる」といった態度がアメリカ人と日本人の混成部隊である部下たちを安心させ、彼らが100%以上の力を出すことになったのである。

 

爆破事件の教訓

 

 日本企業の危機管理は通常「取引先の多重化・分散化」、「相互バックアップ体制の確立」、「手作業によるバックアップ(いわゆるコンティンジェンシー・プランに基づく緊急時対応マニュアル)」が中心となって考えられている。これらの事柄がプランされていないのであれば論外であるが、日本では発生した危機的状況の中で業務をいかに早急に正常な状態に回復させるかに焦点があたり、災害時にコンペティション(競合他社との競争)までは考えない。「非常時だから皆で助け合おう」、「困っているのだから当然助けは来るものだ」と考える。当然ビジネスをリカバリーすることは最重要だ。しかし、「危機的状況を利用してビジネスを取りにいく」といった項目が危機管理に追加されて議論されることはない。爆破事件でディーリング・ルームが使用不能になっている状況でただ一つの銀行が通常通りディーリングが出来ればどうだろうか?

 

 もう1つの教訓は現場での指導者のリーダーシップだ。集団主義や精神主義ではなくシステマティックな構造にして、刻々と変化する状況の中で何度も戦略を見直し軌道を修正する体制が必要である。それには優秀な指導者が要る。アメリカ人に対して危機的状況の下、「オレの顔色から判断しろ!」と怒鳴ったって相手は分からない。目標を明確にし、常にオプションを提示し、危機を乗り越えるグランドデザインをまずたて、組織の人たちにそれが分かるようにする必要がある。そして、リーダーはユーモアの精神も忘れてはいけない。「INITIATIVE(イニシアチブ)」、「DETERMINATION(問題判別の力)」、「SENSE OF HUMOR(ユーモア)」。これがアメリカの指導者が優秀な3つの条件だと思う。

 

ゆるぎない経済大国を支えている日本の金融界の中心である日本の銀行は、ニューヨークでも自信満々であった。「アメリカに学ぶものはない」。ニューヨークの多くの日本のビジネスマンはこう考えていた。この油断や慢心の最終的なノックアウト・パンチになったのがこのワールド・トレード・センター爆破事件であった。しかし、新聞紙上など表面的には「日本の銀行はその場を大変うまく乗り切った」で終わったようである。

 

1993年

2021年8月30日月曜日

最後の収穫

 

夏野菜 最後の収穫

最後の収穫は茄子とピーマン。トマト、バジル、インゲンは根っこから引き抜きました。マルチ(mulching)と言われるシートをかけているのは秋・冬野菜に参加する次のグループのための準備です。

残暑は厳しいですが、夏も終わり何となく寂寥たる風景です。今年の秋・冬野菜は抽選に参加しませんでした。去年の8月末からちょうど一年、「なんちゃって農業」でしたがコロナ禍の中大変楽しむことができました。

小学校の教科の勉強なんて全部やめちゃって農業研修にすればいいのにと感じました。小学校で教わる勉強なんて中学生になってやればいい。小学校の教科を英語で教えようではないかといった議論があるようですが、何をかいわんやです。一生英語なんて使わなくても立派な仕事や人生はいっぱいあるのです。

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2021年8月28日土曜日

自分の変化を楽しむ

 

1968年のツェッペリンの録音は昔のままです。50年ちょっとが経ちました。私はどう変わったか、、、え? 何も進歩がない!!!


自分の変化を楽しむのは大事です。

15歳の時に漱石の『吾輩は猫である』を初めて読む。25歳の時にまた読む。35歳で読む。45歳、55歳で読む。同じ本を読んでも感じることは違っているはずです。自分の感じ方は違っているのです。

そうやって幸せを感じることができる人は強い。
幸せは他人との比較じゃないから。

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2021年8月15日日曜日

トマトのパスタ

食材がいいと料理人は私でも大丈夫。本当に美味しく出来上がります。トマトは半分は炒めて焦がして潰します。あとの半分は完成直前に投入します。






 

2021年8月13日金曜日

今だから漱石の『私の個人主義』!


夏目漱石の学習院大学での講演録『私の個人主義』は、漱石の幸福論でもあります。漱石は留学先の英国で自己本位を手に入れて強くなりました。私はたいして中味はないし形式も守ったわけではありませんが、十代の頃に漱石の『私の個人主義』(写真)を手に入れたために、高齢者の仲間入りをするまで牢屋に入ることもなく幸せに暮らすことができました。

パンデミックの今でこそ全ての若い人に読んでもらいたいと思います。

2009年にブログにUPしたものを少し修正しました。最初に公開した後に、東日本大震災が発生しました。そして今回の新型コロナウィルスによるパンデミックです。明治維新や昭和の敗戦に匹敵するような大転換点だと思います。さてコロナ後の日本は塞翁が馬となすことができるか?

民主主義国家の個人と社会

民主主義国家では、個人(in-dividual)が自由に意見を表明でき、さらにそれが集まると社会(society)が形成されます。ただ自由に意見を言うといっても、それが自分勝手な要望ばかりでは困ります。西欧では何百年もかけて試行錯誤しながら個人を基盤とする社会を形成してきました。日本では自由というのは少しばかり悪いことのようなニュアンスでとられている感があります。それは、「自由」と「自分勝手」や「我がまま」がゴチャまぜになっているからでしょう。そして、個人がベースに社会が形成されるのではなく、世間の中に個人があり、個人は世間に合わせて調整を強いられる。調整できない人は村八分となります。

他者への依存が基本の日本社会(世間)  

ビジネスの世界でも「イニシアチブ」や「リーダーシップ」は、はっきりしたビジョンがないと、個人の利益誘導ととられても仕方ありません。「個人が勝手なことをやりみんなの和を乱す」と考えられているのかも知れません。 それとも、日本人は「自由でいることの責任の重さ」を十分理解していて「自由じゃないこと(他者への依存)」を選んでいるのかもしれません。

漱石が言いたかったこと

夏目漱石の「私の個人主義」は、漱石がこれから社会に出ていく学習院の学生に対して大正三年に行った講演です。明治の文豪は本当に偉大ですね。 漱石はスピイチの中で「ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もないし、権力を使う価値もないし、また金力を使う価値もない」と言っています。「自由とその背後にある義務という観念が必要なこと」にも言及しています。漱石がこれから社会に出ていく学習院の学生に対し語ったこれらのことは、そっくりそのまま現代の日本人に対しても適応できるのではないでしょうか?

個人主義とは?

漱石は大正時代に「日本の国の変化の中で大切なのは、変化に対応できる個人主義だ」と言っています。今の日本は、漱石の時代とは違って、国家と自分の関係を考えるにはあまりにも平和すぎるのかも知れません。 自由とは責任を伴うものです。日本人は、自分から自由を捨てることで責任も放棄してしまったのでしょうか?お互いの自由を尊重しあい、ルール至上主義でなく、社会の基本(個人)をもう一度考えることから始めたらどうかと思います。そうでなければ、多様性も人権も非常に薄っぺらな議論に終わってしまいます。

個人主義を手に入れるには?

福沢諭吉の「学問のすすめ」の最終編である十七編は、人望に関することです。諭吉は「人間交際」(ソーシャル)が大事で、人望を得るには実学を含む様々な修養を積めと言っているかのようです。私は、夏目漱石が言う自由であることに必要な倫理観も、人との関わりを通して身につくものだと思います。もっと人や社会と関わりを持ち、そうした経験から自然と倫理観を持てるようになれるといい。パンデミックの時、若い人たちの覚醒を望みます。

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2021年7月30日金曜日

コロナ体験でわかった日本の課題

夏野菜もそろそろ終盤です。3度でなく5~6度は収穫できた三度豆(インゲン)も終了しました。トウモロコシも終了です。あとは主力がトマトで、茄子とピーマンは順調に実がなっています。夏野菜もやってみて色々と勉強になりました。

コロナ体験でわかった日本の弱点と課題は簡単には解決しない。

多くはコロナ禍以前からの問題であり、問題の根は深く、明治維新以降の日本の近代化に立ち返って考える必要があります。政府や金融機関だけのせいじゃない。自己の変革なくして社会の変革などあり得ないのです。

近視眼的な手段の連続では決して解決しない。

個人(individual)が自立せず西欧のような近代社会(society)が成立しないのであれば(宗教の関係もあり日本では成立しないと思う)、「世間」を見直すしかない。「世間」をここまでボロボロにした主な原因は教育と、大衆をミスリードするメディアでしょう。だとすると、解決へのスタートポイントは明白です。時間はかかるが。

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2021年7月25日日曜日

上滑りをやめて考える時

 

今年も土用干しの季節になりました
どっしりと重量感がある精鋭の南高梅23粒

1964年の東京オリンピック

1964年の東京オリンピックの頃、日本は自立しようと一生懸命だったのでしょうね。私は地方の公団住宅に暮らす小学生、もはや戦後ではないと言われ、各家庭にテレビは行き渡っていました。ただオリンピックを見るためにカラーテレビを購入する家は、まだまだ少なかったように思います。しかし、私を含め小学生には弱者という感覚はなかった。五感を研ぎ澄ますための自由があったように思います。蝉取りに走り回ったり川でフナと格闘したりと、子供の一日の中で自然が占める割合が大きかったのです。


寛容さがなくなる世界

アメリカは日本の20〜30年先を走っています。そのアメリカを見ていると、弱者が痛めつけられる社会に急激にシフトしてきているように感じます。弱者の権利はどんどん剥奪される。寛容さなんて皆んな忘れちゃってる。アメリカに盲従する日本も早晩そうなるでしょう。だとすると、最大の弱者で被害者は子供です。私のような図々しい高齢者じゃない。

「世間」が拘束する日本

日本は社会に代わって「世間」が人を拘束しています。世間は社会と違って視野の狭いタコツボの中のルール(感情)で動く。どういった「社会」であるべきか、どういった社会で暮らしたいかをデザインしていく個人の発想が欠落しているのです。人生の主人公として運転席にいるのは自分じゃないですか。これからの世界では、個人が独立していないということは致命傷であり、残念ながら、それが今の日本の根本問題なのです。

未来への期待

明治維新に立ち返って考え直すべき時です。明治の文明開化でハード面は近代化しました。しかしソフト面、すなわち精神の近代化は棚上げされた。それが昭和の戦争の内的要因にもつながったと思います。300万人も戦死者を出した敗戦にもかかわらず、精神の問題(人間関係)を棚上げしたままアメリカ依存の戦後復興(≒ 高度成長)、バブル崩壊、それに続く失われた30年を経て、昨年からのパンデミックに至っています。明治維新、敗戦、東日本大地震、武漢ウィルスによるパンデミック。まだこのまま上滑りを続けるのか?

若い人には高齢者の意見は最小限にして、自分たちの未来を自ら運転席に座って考えてもらいたい。

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2021年7月14日水曜日

選択の連続が人を成長させる


収穫のタイミングまで選択の連続である野菜作り

選択の連続が人を鍛え成長させる

止まったり回避しちゃ成長はないし、最終的には幸せにならないと思う。一つ一つの選択に個性だとか自由だとか責任とかが絡んでくる。責任感のない事件や事故が頻繁に起こるようになったのは、なんとなく人任せで主体的に自分で選択して実行してないから責任という感覚に結びつかないんじゃないか? 流行りのダイバーシティにしても、一人一人が違っていて個性があって、色んな意見があって議論するから意味がある。一人一人の意思決定のプロセスが異なるから個性の違いがでてくる。最終的にダイバーシティのパワーとなる。

日本の教育は「考えないこと」を教えている

日本の現行教育は子供たちを枠にはめる事だけを教える。文科省や学校が決めた枠です。「framed=枠をはめられる」 ってワナにはめられるという意味です(Bob Dylan「I shall be released」)。そうだとすると、日本の子供たちは考えないまま大人になって行く。「そういうもんだ」と思えば何も考えなくていいし、自分で判断する必要がなくなる。「なんとなく幸せ~~~」。

人の脳ってよくできている

入力があって計算(思考や教訓)があって出力がある。日本の教育は入力の部分を子供たちに任せずに、枠のなかで「こういうもんだ」を教える。ところが、そもそも脳の働きって学習機能です。経験を積めば積むほど、成功や失敗を繰り返せば繰り返すほど、賢くなる。それは言い換えれば、「自分の枠が出来てくる」ということです。人が作った枠じゃなくて、自分の枠です。つまり、枠ははめられるのじゃなく自ら作る。学習とか勉強ってそういうことじゃないかな?「羹に懲りて膾を吹く」じゃないけど、経験して賢くなる。脳機能を考えるとそれが学びでしょう。

教育とは?

美味しいものを食べたり、感動する映画や絵を観たり、様々な種類の音楽を聴いたりして脳に入力(インプット)していく。子供はインプットを繰り返すことによって自分の入力能力である五感を鍛えていく。インプットは選択し(オプション)でもある。自分で選択を繰り返し試行錯誤し、錯誤の幅を狭めていく。それをサポートするのが教育なんじゃないかな? そして、それは親の役割でもある。


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2021年7月6日火曜日

人生に通じる枝豆の収穫

どの野菜も収穫時期(ピーク時を特定する)を見極めるのは非常に難しい。今回の夏野菜の目的は「自分で作った枝豆とトウモロコシでビールを飲むぞ!」ですので、枝豆に対しては他ならぬ情熱と真剣味が増します。

莢(さや)の状態を見極める

枝豆は大豆を未成熟の状態で収穫するので(最初に発見した人は凄い)、収穫の適期は非常に限られた日数です。早すぎると実の育ちが悪く、遅れると黄色くなって風味や味が損なわれていきます。莢が膨らみ始めたらタイミングを逃さないように常に状態を見ている必要があります。臨床的だということです。

全体の8割程度が適期になれば収穫をする

株についている莢の全部が同じタイミングで収穫の時期を迎えることはありません。全体の7~8割の莢の状態がパンパンに張ってきたら収穫です。全ての莢が平等に大きくなるのを待っていては収穫の適期を逃します。数日から一週間が勝負です。

教育や会社経営、そして子育てを含む人生全般に通じるものがありますね。

本日の収穫

インゲン(三度豆)は5度目の収穫


トウモロコシは錦糸(ヒゲ)が茶色く枯れ実が固く充実したら収穫。


トマトは赤くなると鳥や虫に食われる

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2021年7月5日月曜日

個性を伸ばすには?

夏野菜の収穫

個性を伸ばすことが人間の幸福や人としての成長につながります。どうも日本の教育、否、現行の受験システムは真逆の方向に突き進んでいるように思います。








どうやって個性を伸ばすかは、自分で選択することを繰り返すということです。だから親や学校として子供に対してできることは、子供にできる限り多くの選択肢(オプション)を提示してあげることではないかと思うのです。自分の人生設計を他人に委ねない。自分で選択しながら試行錯誤を繰り返す。そして、錯誤の幅を狭める。そうやって子供たちは大人になっていく。

自分に関する様々な選択を他者に任せるのは、生きることを放棄することを意味します。なぜならば、自分の成長にも幸福にも繋がらないからです。日本では皆んなが皆んなの意見に従う。だから多くの人が自分の成長にも幸福にもつながらない大きなデフレスパイラルの大渦に飲み込まれている。


多数派の専制を打ち破るには、変わった人間(異分子)をたくさん作ることです。人は一人一人異なる。全ての人に当てはまるものはない(it is OK to be different)。世間の慣習に当てはめることばかりやっていると個性は育ちません。成長しないし幸福にもならない。個性的な人間になることによって多数派の専制を打ち砕く。

昨今スローガンのようにあちらこちらで叫ばれる多様性(ダイバーシティ)って、本来は個人の自由や個性を尊重することにあるのです。

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2021年7月3日土曜日

不幸にならないために

公園のアガパンサス

幸福論というのは高校生の頃から考えているテーマの一つです。

大人になっても自律・自立しない場合、幸福も誰かが定義してくれて、いつか与えてもらえると思うことになります。日本はポストコロナで明るい未来に向かうか、それともこのまま気づくことなく沈み続けるのか、崖っぷちに立っていると思われます。

自然との共生、情報化(デジタル化)、異文化コミュニケーション、個と公共、教育、文化の問題。どれをとっても一人一人が自分の「幸福」とか「生きている意味」を考えないと、パラダイムシフト(革命的な変化)は起こらないのです。それは日本の場合、幸福に関しても以下の壁が立ちはだかるからです。

①過度な従順
②他人事意識
③専門知識偏重
④浅い目的意識
⑤希薄なアイデンティティ

特に「自然との共生」は幸福と密接に関係してます。他者が人間だけだと相手の感情が働くからストレスがたまります。自然だってフレンドリーな場合もあれば脅威になる場合もありますが、農業などを通じて自然にふれると心が豊かになるのです。

少しでも日本の未来が良い方向に向かうため、一人でも多くの人を巻き込んで反抗を続けていきましょう。

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2021年6月26日土曜日

三度豆(さんどまめ)

インゲンの別名は三度豆(サンドマメ)。三度収穫できるから三度豆。我が家のインゲンの最初の収穫は41個。あと2度収穫できるのか? インゲンがこれほど美味しいとは!