2014年2月11日火曜日

「建国記念の日」と「紀元節」

2014年は皇紀2674年

「建国記念日」と「建国記念の日」。 こんなところにも、今の日本の偽善性を垣間見る思いがします。 「建国記念日」が反対され法令が国会を通過しなかったため、「建国記念の日」として法令が定められました。1966年のことです。

丁寧で相手との距離を考えた言葉を使うと、人は上品な心持ちになります。 そして、相手との距離感を勘違いし下品な発言をした場合、心持ちは下等になります。

日本人は、日本語という国語の枠の中で生活し日々考えているわけで、質の高い日本語をいっぱい収集して引出しにしまっておくと生活が豊かになるでしょう。

「の」があるかないか、、、国家との距離感が随分と違いますね。


『紀元節』 夏目漱石 (全文) 

南向きの部屋であった。明るい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃えて、塗板を眺めていると、廊下から先生が這入って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触る着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。

先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。

すると、後から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓テーブルの傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と肉太に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。

「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。

記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない(
1909年

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