山焼き直後の若草山三重目(山頂)です
自信をもつことは何かを信じることでもあります。 根拠なんか無くてもいいのです。 キリスト教やイスラム、そしてユダヤ教のような宗教でなくても、何か崇高なものを信ずるということは自信につながります。
若草山の山焼きは、春日大社、東大寺、興福寺の神仏が習合し、先人の鎮魂や世界の平安を祈る儀式だと言われています。 もう何世紀も続いている行事です。 近い将来、近隣諸国から「歴史を書き換える意図があるから止めるべきだ」とクレームが来るかもしれませんね。
2014年になる今の若草山から見下ろす東大寺の景観や鹿を1000年以上前の人たちも望んだのでしょう。
日本の祭祀は神代以来つづいてきたものです。 日本人の宗教性の原点なのです。 これが日本固有の信仰であり、この信仰を「神道」と呼びます。 神様は日本全国に無数に存在します。 必ずしも人間の恰好をした神様ではありません。 新しい神様もいれば古い神様もいる。 八百万(やおよろず)の神様というわけです。
神道は、大和朝廷の祭儀に大陸伝来の思想が影響を与えながら確立されたそうです。 つまり、神道は日本固有の思想でありながら、けっして日本独自の思想に凝り固まってはいません。 外国の思想を受け入れる“寛容さ”を持ち合わせているのです。 受け入れるだけにとどまらず、包み込んで新たに創造する柔軟性を持っているのです。 キリスト教やイスラム教のような原理主義的なものとは真逆なのが日本人が信じる信仰なのです。
もっと信じて、そして自信をもったらいい。
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