「無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」(昭和17年6月)。
これは、小林秀雄の『無常という事』の最後の1行です。 『無常という事』は、文庫本で4ページ。最初に読んでから、何十年も経っているのですが、ちゃんと理解しているのか未だに自信がありません。
時間は常に流れている。 世界情勢は常に変化している。 どんな人も必ず老いて死んでしまう。 これが無常です。 国だって同じことです。 もしかしたら、ミッドウェー海戦時の日本という国や日本人に対して、小林秀雄が訴えたかった魂の叫びだったのかもしれません。
今の日本は、戦時中ではありませんが、精神的には何も変わっていないような気がします。
相変わらず、世界の空気が読めているとは思えないし、世間を眺めてみると、どうなるか分からない未来に対し、あらゆる欲望と格闘しているだけのように思えるのです。 「人生は無常であること」を意識して生きている人がどれだけいるでしょう? 先生は生徒たちをどう教えているのでしょう?
「常なるもの」って、もしかしたら、人のベースである「DNA」かもしれませんね。 過去から受け継いだ「DNA」が存在していて、それを現在の「私」が未来へと繋いでいくのです。 「私」ができることなんて、ちっぽけなことです。 失敗もするだろうし、落ち込んで身動きがとれなくなることだってあるかも知れない。 でも、時は流れ、老いて死んでいく。
要するに、毎日を精一杯生きろと言っているのか。
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