「養分を吸収する」(11月10日)に関して、台湾のカブちゃんがコメントをくれました。
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「子曰、不怨天、不尤人、下学而上達」
(子曰く、天をも怨みず、人をも尤(とが)めず)、下学(かがく)して上達す)。
このスライドを見た時に私の心に浮かんだのは、論語のこの一句です。 時期が来るまで待つということは、口で言うのは簡単ですが、実際には非常にしんどいことだと存じます。 特に私のような凡人は、なかなかうまくいかない時には、愚痴りたくもなりますし、外部環境や他人のせいにもしたくなる。
「下学」の意味の解釈は色々あると思うのですが、そんなしんどい時こそ身近なもの(丁度木の根の周りに書いてあるようなこと)に学び続けてこそ、人間はじめて上達や成長がある(幹や根が太くなっていく)ということだと思います。 また、この後「知我者其天乎」(我を知る者はそれ天か)と続くのですが、要は、自分で自分を信じて前に進むしかないのだと思います。
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いつものことですが、カブちゃんには頭が下がります。 コンサルタント業務の上に居酒屋経営、そして、台湾大学の大学院生と八面六臂の活躍です。
「下学上達」なんて何十年も聞いていない言葉です。 地道に実践を積んでいくってことでしょう。 自分で考えてみるということでもある。でないと上達しない。
評価は自分じゃない、周り(天か?)がすることで、結果は後からついて来るって事じゃないですかね? 福沢諭吉 「学問のすすめ」の「十七編 人望論」に通じるところもあるかも知れない。 最近よく「私なりに一生懸命やっています」って聞きます。 総理大臣までが言っています。「自分で評価してどうするんだよ!」と言いたい。
カブちゃんが言うように、自分を信じるしかないんだろうと思います。それが「四十にして惑わず(不惑)」(今の時代だったら五十くらい?)、50才くらいでやっと惑いがなくなる。 ツリーの絵は「下学するには養分を吸収する根を張ることが重要」だと言いたいのです。 根を張らないで知識やテクニックだけをつけても、四十になっても五十になっても迷い続ける。 天命を知る事にならない。(注:二十代や三十代は知識やテクニックの比重は高い)。 「上達」は時間がかかってしんどいことだから、養分吸収の根の張り方が重要でしょう。
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