2010年11月12日金曜日

『三四郎』 ~ 広田先生の警鐘

(早朝のJR三鷹駅)

夏目漱石の『三四郎』のはじめの部分に、熊本から東京の大学に入るため東京へ向かう三四郎が、汽車の中で髭の男と会話を交わす場面が出てきます。この人は、東京で再会することになる旧制一高英語教師の広田先生です。

漱石は、広田先生に「魂なく日本が発展しても、それは真の発展ではなく、似非であり、日本は滅びる」と言わせたかったのでしょう。漱石の警鐘は、先の大戦で現実となり日本は滅亡寸前まで行きました。その後、敗戦をゼロスタートとして経済成長を最優先し、先進国家の一員になりました。しかし、それはmake-believe(ごっこ)の世界だったのでしょう。現実を直視しない国ごっこが65年も続いてしまった。明治が目指そうとした近代国家さえ未だに出来ていなかったのかも知れませんね。

今の日本の状況を念頭に置いて漱石の『三四郎』を読んで見て下さい。楽しめますよ。

髭の男は、「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが」、「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。

三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」
と言った。

(中略)

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」

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2010年11月10日水曜日

三省の日々です

(夜明け前の吉祥寺駅前です。ISO400、露出 1/60、手持ちでの撮影です。私の腕ではなく、あくまでもニコンのVRレンズ(手ブレ補正内蔵レンズ)のおかげです。 カメラはD90)。

コンサルティング・ビジネスは、商品がサービス、つまり、人によって提供されますから、コミュニケーション・スキルは大切です。コミュニケーション・スキルとは、ただ単に、プレゼンテーションが出来るとか、ミーティングでファシリテーションができるとかではないのです。

論語には、コンサルタント育成に使える指標が数多くあります。以下の文は、コミュニケーション・スキルの核心を衝いています。これは、カウンセリングを行うときにカウンセラーが注意すべき点でもあります。

曾子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。

曾子曰く、吾(われ)、日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)と交りて信ならざるか。習わざるを伝うるか。

孔子の門人の曾子言った。私は一日の中で何回も何回も(三たび)、以下の点について反省する。

  1. 他人のために相談に乗った時、本当に誠意をもって考えてあげたか?
  2. 仲間との交際において、十分に信義を尽くしたか?
  3. 自分がちゃんと理解していないことを、他人に教え伝えはしなかったか?

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2010年11月8日月曜日

穏やかな日本の朝

愛国心って、英語ではパトリオティズム(patriotism)です。パトリというのは郷土のことですね。愛国心なんてものは、列島の外から日本を見ないと感じることはないかも知れませんね。自己防衛意識と同じです。

政治家先生が、「偏狭で極端なナショナリズムを刺激しないことを政府の担当者として心すべきだ」と言っているようですが、どうでしょうね、今の日本の教育ではナショナリズムどころか、パトリオティズムすら醸成できないでしょう。

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2010年11月7日日曜日

「吾輩は猫である」で今の日本を考える

YouTubeの投稿がきっかけとなって、日本が変わるかも知れませんね。65年もの間、タブーになっていたような議論がYouTubeや2チャンネルを媒体として活発になってきました。日本のTVや新聞メディアの人たちは「現状を真摯に受け止める」のか「遺憾に思う」のか、どちらでしょうか? われわれ大衆は、ますます「事物を疑って取捨を断ずる事(福沢諭吉)」が重要になってきます(http://ibg-kodomo.blogspot.com/2009/12/blog-post_16.html)。

明治維新を跨いで生きた福沢諭吉は勿論ですが、明治の文豪も文学を通じて「国家」を考えました。夏目漱石は、「吾輩は猫である」の登場人物の一人である八木独仙(やぎ どくせん)君に、以下のように発言させています。

「中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方が余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない」。

「永久満足ができるものじゃない。去ればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通すことが出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ」。

これは、「吾輩」の飼い主で英語教師の珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)君が、隣の中学校の野球部の生徒とボールが自宅の庭に飛んでくることで、もめていることに関して、哲学者である八木独仙君がコメントしたものです。「中学生」って、日本の北や南や西に位置する隣国と同じじゃないですか?おっと、忘れていました。太平洋を挟んでずーっと東にも、小学生のような国がありましたっけ。

今の日本の政治家はどうなっているのでしょうね? 政治家なのに「国家の利益(ナショナルインタレスト)」を考えずに、自分のエゴを全面に押し出すようです。

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2010年11月4日木曜日

オバマ大統領 “自分の責任”、、、日本の政治家は?

オバマさんの民主党が中間選挙で歴史的な大敗を喫しましたね。アメリカの経済や雇用状況が非常に良くないということです。10年前の世界経済では、アメリカが世界の需要をひっぱっていました。アメリカが世界中からモノを買い、日本がお金を出すという構造だったのです。

2009年11月オバマ大統領が来日しました。もう1年、早いですねぇ。

昨年、オバマ大統領は日本およびアジアに対する演説を東京で行いました。当時の鳩山首相はオバマ大統領の演説を待たずにシンガポールへ旅立ってしまいました。シンガポールで同じ会議に出席するというのに、、、。そう言えば、シンガポールで鳩山さん、ロシアのメドベージェフさんと北方四島に関して何か話をしていましたね。

昨年、オバマさんが何を訴えたのか復習しておきましょう。

1.パクス・アメリカ-ナの終焉 ~ アメリカはもう強くないのよ、日本も自立してちょうだいね。

2.共通の価値観 ~ 日本は価値観を共有する仲間だよね?(基本的人権、民主主義、自由と平等)。価値観を共有する国同士の互恵が大事なのよ。

3.核について ~ 将来的には核廃絶を望むけど今は無理。アジアにだって急速に軍拡している横暴な国があるよね。

4.対中政策 ~ 中国に民主化をお願いするのは諦めたよ。今はアメリカ製品をどんどん買ってくれればそれでいい。アメリカだけが消費国なんてもう無理。

5.日本へのメッセージ ~ お願いだから、国際情勢をよく理解して。日本は独立国家なんだから、そろそろ自立してね。

さて、APECではどんなメッセージになるのでしょう? それにしても、ここ1年ちょっとの間に日本は随分と沈んだものです。責任のとれるリーダーの存在は不可欠ですね。

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2010年11月3日水曜日

自家製クリームあんみつ















赤えんどう豆入りの自家製クリームあんみつ。赤えんどう豆は薄い塩味で、これだけでビールのつまみになります(赤エンドウ豆は、右の写真の寒天の下に見えます。トップにあるのは小豆)。



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2010年11月2日火曜日

人間なんて、、、

日本人というのは、本当に無駄とか余裕が嫌いですね。 

それに、欠点が全く無い完璧を目指します。 アメリカや中国なんて欠点だらけですよ。問題があるのは当たり前、問題だらけの中から良いものをピックアップして前に進もうとします。たまには強引に。

日本は完璧になるまで前に進めません。問題が100%解決しないのに、余裕なんて見せたら総攻撃にあってボコボコにされてしまいます。私は「無駄とか余裕から魅力が生まれる」と言い続けているのですが、日本ではあまり受け入れてもらえませんね。だから長年日本にいなかったのかも知れません。

「しわけ」なんて簿記の世界の話(仕訳)かと思っていたら、政治の世界で人気があるようですね。理解不能です。 ギリシャ哲学の世界から、ヘーゲル、マルクス、そして毛沢東と、「矛盾」ということが論じられてきました。なぜでしょうね? 

私は「人間なんて生まれてから死ぬまで矛盾との戦いだからだ」と勝手に納得しています。「矛盾をいかに解決するか」、「矛盾とどう向き合うか」が、人間そのものなのだと思います。 人間が矛盾そのものなのだから、人間が行う政治とか、特に、外交なんて矛盾や葛藤の塊のようなものでしょう。「遺憾だ!」と列島の中で叫んでもね、、、、。
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