小学校一年生(昭和30年代)になって手にした30cmの物差し
自分の人生の物差し、つまり、価値判断の基準は大よそ10代に形成されます。歳と共に視野が拡がって幾分の修正はなされるでしょう。しかし、自分の美意識、簡単に言うと、自分が好きか嫌いかは10代の半ば頃までには基本ができていくものだと思われます。コミュニケーションの本質は「美意識と美意識の格闘」です。 自分の美意識が明確でないのに、他の美意識と格闘し新たな価値を創造するなんて出来ないですよね?日本の diversity(多様性) や LGBT の議論を耳にして感ずる違和感です。自分が生きて行く上での物差しは他者とは違うということです。
マックス・ウェーバー
マックス・ウェーバーは、「国家とは、或る特定の地域の内部で正当な物理的強制力の独占を要求する人間共同体である」と言いました。これは極端な考え方ではなくて、国際社会で常識として通用することです。ウェーバーの言う「正当な物理的強制力」とは、国防と警察のことです。「人間共同体」とは、自分の住む或る特定の地域を愛する人たち、我々の場合は日本人ですね。つまり、郷土愛です(文化と言ってもいい)。郷土愛の集合体、これが愛国心になるわけです。防衛、国内治安としての警察権力、そして国法(憲法)がそろって国家になるというのがウェーバーが言った事なのです。ウェーバーの言葉を念頭に今の日本を考えてみて下さい。
だとすると、、、
日本の課題を突き詰めて考えると「日本人の国家意識の欠如」という大きな壁にぶちあたってしまいます。イノベーション的なことではなく、時間はかかるが一人一人が自分の価値判断の基準(物差し)や時間に関するセンスを身につけることから始めるしかないでしょう。
夏目漱石の『三四郎』の広田先生の名言「日本は滅びる」はいよいよ現実になってきました。
三四郎は広田先生に「日本には富士山がある!」と言ったのですが、広田先生は「富士山は日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言った。
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