2017年12月10日日曜日

違うだろー!


「違うだろぉぉぉっ!!」
フランスの哲学者サルトルを調べています。

「ち・が・う・だ・ろ・ 違うだろー!」がきっかけです
私の中での今年の流行語大賞です。今年起こった事に対して私も怒鳴りたい。

サルトルは良い部分もあるし、やはり左翼的に感じるところもあります。しかし、「人間は主体的に自らを生きよ(投企)」、「人間には設計図はない(実存と本質)」、「社会への参加(アンガージュマン)」 等々、 今の日本人にとって、とってもいいことを言っているように思います。

サルトルの頭で今の日本を考えてみると、全てが「違うだろー!」になってしまうのです。

私が左翼のブルースマンだった十代の頃(左翼というよりも反体制でしたね)、サルトルに共感しました。恐らく、「人間は何者でもない」というサルトルの言葉は、将来どういう人間になるか暗中模索の若者の心に響いたのだろうと思います。

1970年代、サルトルに熱狂した日本の若者が、どれほとサルトルを理解してたかは分かりません。勿論、少し世代が下(高校生)の私は分かっていたふりをしていただけです。バカ騒ぎしてた当時の大学生の中には真剣に日本の戦後は「違うだろー!」と考えてた学生もいたのだろうと思います。

あの頃から50年近くたち、今の世界でも若者は実存するのですが、サルトルに共感する人は少なくなったと思います。話題になりませんからね。ソクラテスやプラトンまで戻らなくても、サルトルは現代を生きた哲学者なので、少しは分かり易いと思います。 

サルトルは晩年「人の運命は人の手中にある」と言いました。第二次世界大戦を境として戦前と戦後、2つの人生を生きたサルトルを振り返るのは、今の日本人にとって決して無駄ではないと思います。日本人の運命は日本人の手中にあるべきだから。

蛇足ですが、備忘録として書いておきます。太宰治は敗戦後3年間だけ生きました。戦前戦中と戦後では太宰はまったく2人の人格のように感じるのです。そのあたりはサルトルと共通項があるのかと思っています。

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