玄関の梅 ~ 梅の花言葉は高潔だそうです
『走れメロス』(1940年 太宰治)
「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。
最近の世の中の出来事を見ていると、「覚悟」の問題と同様に「信義」が希薄になってきたのではないかと感じます。 「信義」とは、大辞泉によると、“真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。 「信義に厚い」「信義を重んじる」”とあります。
契約社会の理想は、紙で契約書を取り交わさなくても、人が約束を守る精神があれば全てがうまく行くというものです。 しかし、現実はそうじゃない。 約束も守られない、非常に自分勝手で腹黒い世界に変化して来ています。
『走れメロス』を読んで感じることですが、約束の本質は自分の信義の問題なのです。 自分の気持ちにコミットするということが重要ということであり、コミットメントとは、覚悟と同様に信義の意味もあるのだろうと感じます。
メロスはなぜ走ったか? 世界中で信義を重んじるメロスのような人がいなくなった!
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