ただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。 たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。 かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。
『高瀬舟』 森鴎外
(1916年)
すでに所有しているもので満足することを知らないのはアメリカ人の特性だったのですが、こういった感情についても、日本は四半世紀遅れてアメリカを追いかけているような気がします。
もっと快適にしたい、もっと愛し愛されたい、もっと知識が欲しい、もっと所有物を増やしたい、もっと美味しいものが食べたい、もっと楽しみたい、、、。 幸福と快楽を倒錯したように「もっと~!」を獲得するためだけに情熱を燃やす。
恐らく、感謝する気持ちが足りないのでしょうね。自分のモチベーション(原動力)が何処から来ているのか?
「もっと」だけがモチベーションであれば、年をとるごとに利己的な傾向が強まるでしょう。知足(足るを知る)を意識すれば、他人に目を向けることができるのかも知れません。
超高齢化社会で考えなければならない事って、こういったことじゃないでしょうか?
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