太宰治の短編『メリイクリスマス』の舞台となったのは、三鷹駅前のさくら通りにあった鰻屋台『若松屋』です。 三鷹の下連雀に住んでいた太宰は、午後3時過ぎには大抵が若松屋でコップ酒を飲んでいたそうです。 その後、若松屋は国分寺に移り、何度か代替わりして『若松屋』という屋号を復活させて商売を続けているようです。
連休は三鷹の持ち帰り専門の鰻店『豊駒』で鰻の大串を買ってきて鰻丼にして食べました。
『メリイクリスマス』 1947年 太宰治
母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。 私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。
私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。母は、うなぎが好きであった。私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。
「いらっしゃいまし。」
客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。
「大串がよござんすか、小串が?」
「小串を。三人前。」
「へえ、承知しました。」
「へえ、承知しました。」
その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪をあおぐ。
「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」
こんどは私も少し笑って言った。若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
「や、かなわねえ。」 と言って笑い、鉢巻の結び目のところあたりへ片手をやった。
「や、かなわねえ。」 と言って笑い、鉢巻の結び目のところあたりへ片手をやった。
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