高円寺 「天すけ」
25年前、彼はシドニーに移住し、私はニューヨークに住んでいました。 私の夏の休暇を利用してNYからLA経由でシドニーに遊びに行きました。 彼の長男は4歳、私の長男は3歳、子供たちは風の強い少し寒い浜辺で走り回っていました。 今度、彼の長男が結婚するという。 今年は私の長男が結婚しました。
太宰治 『未帰還の友に』(1946年)
菊屋というのは、高円寺の、以前僕がよく君たちと一緒に飲みに行っていたおでんやの名前だった。その頃から既に、日本では酒が足りなくなっていて、僕が君たちと飲んで文学を談ずるのに甚だ不自由を感じはじめていた。あの頃、僕の三鷹の小さい家に、実にたくさんの大学生が遊びに来ていた。僕は自分の悲しみや怒りや恥を、たいてい小説で表現してしまっているので、その上、訪問客に対してあらたまって言いたい事も無かった。しかしまた、きざに大先生気取りして神妙そうな文学概論なども言いたくないし、一つ一つ言葉を選んで法螺で無い事ばかり言おうとすると、いやに疲れてしまうし、そうかと言って玄関払いは絶対に出来ないたちだし、結局、君たちをそそのかして酒を飲みに飛び出すという事になってしまうのである。
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