昭和50年の『日本の自殺』が新書として出版されました。著者である「グループ一九八四年」は、ジョージ・オーウェルの『1984』を意識したのでしょう。ハクスリーの『素晴らしき新世界』も出てきます。オルテガの『大衆の反逆』も引用されています。
中野剛志氏が解説で指摘しているように、『日本の自殺』が警鐘を鳴らしたことは、バブル崩壊で現実のものになったのだと思います。 日本はその後の20数年にわたり、右肩下がりの低迷を続けています。
ところが、興味深いのは、「バブル崩壊まで」と「その後の20数年」の原因は全く同じだと言うことです。 資産インフレであろうが長期デフレであろうが、日本の問題の本質は、オルテガが言うところの「甘やかされた坊ちゃん」であり、『日本の自殺』で指摘されている「内部からの社会的崩壊」なのです。 福田和也さんも「今の日本は自殺するだけの勢いもなく、自然死してしまうのではないか」と解説しています。
以下、本文より
人間経験全体のなかに占める直接経験の比重が相対的に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの提供する情報を中心とする間接経験の比重が飛躍的に増大したことに伴うさまざまなマイナスの副作用について検討しておかねばならない(P94)。
マス・コミュニケーションによって人間がだまされ、知力を低下させられ、真実の視界を妨げられるという皮肉な現象が生ずる結果となる。(中略)情報化のさまざまな代償は、思考力、判断力を衰弱させ、情緒性を喪失させ、幼稚化と野蛮化の社会病理をとめどもなく拡大していくこととなり、日本社会の自壊作用を強めるのである(P102)。
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