
2011年2月28日月曜日
2011年2月27日日曜日
映画「いまを生きる」(1989年)
日本の学校は依存心の基礎を固め、日本の社会は学校で培った依存心を発展させる場のように感じます。 国が頼りにならないのであれば、どうしましょう? それでも待ちますか? 若い人たちには、自分の人生は自分で決めて欲しいものです。
久しぶりに、映画『いまを生きる(Dead Poets Society)』を見ました。「Seize The Day(Carpe Diem)」がテーマの映画です。このブログで度々言及しました。 主人公の先生が教科書を破り捨てて、生きることの素晴らしさを教えようとします。日本の教育システムは真逆のような気がします。
(過去も未来も考えず)今を生きているのは日本の政府だけだったりして、、、余計なことでした。
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2011年2月26日土曜日
1852年 世界が見る日本
マクファーレン著1852年、ニューヨークで『The Empire of Japan』という本が出版されました。江戸時代の政治・経済や日本人の性格や教育レベルまで様々な情報を収集し分析しています。当時の英米の対日観です。この本こそが、黒船でやって来たペリー将軍の参考書だったのです。ペリーは、交渉の相手国のことを事前に勉強していたのです。米墨戦争でメキシコからテキサスやカリフォルニアを併合したアメリカ軍の猛将ペリーは、兵法「知己知彼、百戦百勝」の「知彼」を実践し、「次は日本だ!」と日本のことを学習していたのです。マッカーサーよりも謙虚な軍人だったかも知れませんね(!?)。
『日本』には以下のことが書かれています。江戸の町から江戸湾に浮かぶ黒船を眺めるのもいいですが、ペリーの視点、つまり、アメリカが日本をどう見ていたかを学ぶことは大変重要なことだと思います。
- 日本には二人の皇帝がいる。将軍は世俗権力を掌握する皇帝、神の子孫である帝は日本人の心の将軍であり、軍隊を保持していない。
- 日本は自由で独自の発展をとげている。
- 日本は世界で一番教育が行き届き、どんなに貧しい農民さえ、少なくとも読むことができる。
- 日本は平和で庶民により治安が保たれている。
- 日本では女性の地位は高い(他のアジアの国と比較して)。
- 日本人は礼儀正しく社交的である。
- 日本人は花が好き。日本人はタバコが好き。
- 日本人はよく働き、遊ぶことも大好きな国民である。
なぜ、歴史を学ぶか?日本の歴史を学ぶのは、日本や日本人を知ること、つまり、アイデンティティの確認です。今日は2月26日、75年前に二・二六事件が起こった日です。日露戦争の戦費調達をニューヨークのユダヤ人銀行家シフ相手に行った高橋是清も殺害されました。二・二六事件から、近代国家と天皇の関係を考えるか、それともただ単に右翼青年将校のクーデター未遂と片付けるかどうか、、、奥は深いですね。
さて、第三の開国を唱える日本政府は、他国が日本をどう見ているのか、しっかりとした認識はあるのでしょうか?
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2011年2月25日金曜日
ユダヤ人の生きる姿勢
ユダヤ人(ジューイッシュ)の生き方は、今の日本人にとってお手本になるものです。ところが、日本でジューイッシュが話題になることは、全くと言っていいほどありません。ユダヤ人は、1948年にイスラエルが建国されるまで、1800年もの間、自らの国を持ちませんでした。
アメリカ、特に東海岸でのジューイッシュの存在感は非常に大きいものです。アメリカ全体でジューイッシュの人口は2%前後ですが、ニューヨークでは約20%です。ウォールストリートの金融街、医師、弁護士、教師、コンサルタント、芸術家など知的な職業に就くジューイッシュが非常に多い。ジューイッシュの家庭は非常に教育に熱心です。お母さんたちは、まさに孟母三遷(もうぼさんせん)、子どもの教育のためには引越しも厭わずです。国が存在せず、または、信頼できないのであれば、世界のどこでも生きていく生命力、スキルが必要だという精神が受け継がれているのです。日本には、まだ列島があります。ジューイッシュの生きる姿勢をお手本としながら、日本は日本の危機意識を持って復活してもらいたいですね。
イスラエル建国の功労者 樋口季一郎中将
さて、実はジューイッシュと日本は関係が深いのです。戦争遂行には膨大な資金が必要でした。日露戦争の軍費は、ニューヨークのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフが日本の戦時国債を大量に購入したことによって賄われました。このシフの強力な資金援助がなかったら、日本の勝利と帝政ロシア崩壊はなかったでしょう。シフの融資の理由は、帝政ロシアでの反ユダヤ主義に対する報復だったのです。
ユダヤ人社会では、二人の日本人がイスラエル建国の功労者として称えられています。日本帝国陸軍の樋口季一郎(ひぐち きいちろう)中将と安江仙弘(やすえ のりひろ)大佐です。日本人、それも、日本帝国陸軍の軍人がイスラエル建国の功労者だと言われてもピンと来る日本人は少ないと思います。もしご存じなければ、この機会に是非とも覚えておいて下さい(エラそうですね、、、失礼しました)。
日華事変勃発直後の1938年、ナチスの迫害から逃れるために、多くのユダヤ人がソ連・満州国境沿いにあるシベリア鉄道オトポール駅まで避難していました。第二次大戦中、ソ連のユダヤ人も多くがシベリアに連行され強制収容所で亡くなっています。樋口は、ユダヤ人難民を満州に入境させる措置をとりました。満鉄から救援列車を満州里駅まで出して、国境を歩いて渡った難民を収容しました。ドイツ外務省は、当時、日独同盟を結んでいた日本政府に対して猛烈な抗議をしたそうですが、樋口の上司であった東条英機は「人道上の配慮からだ」と突っぱねたのです。
安江大佐は、ユダヤ難民の満州への移住計画を主導しました。日露戦争の軍資金をユダヤ資本に頼った経験から、戦費捻出のためだったとも言われますが、事実として多くのユダヤ人の命を救ったことには違いありません。安江大佐は終戦直後ソ連軍に逮捕されシベリアに抑留され1950年、ハバロフスク収容所で病死しました。満州で救われたユダヤ人のうち6000人が大連から船で敦賀に上陸し、その後、汽車で神戸にやってきました。いまでも神戸にはユダヤ教の会堂であるシナゴーグがあります。
東条英機だけでなく、満鉄総裁であった松岡洋右も樋口季一郎と協力してユダヤ難民を保護しています。東条も松岡も極悪非道の戦犯というのが学校で教える歴史ですね。学校が教えないなら、親が賢くなって子どもに伝えるしかないのです。
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2011年2月24日木曜日
日本国憲法前文を読んでみよう
「日本には世界に誇れる憲法九条があるではないか。憲法九条を世界に輸出しようではありませんか!」と、ある教育者の方が声高に叫ばれるのを聞いたことがあります。今日は、日本国憲法の前文を分解してみましょう。
最初のパラグラフ。これは、リンカーンの有名なゲティスバーグ演説のパクリですね。日本語訳(つまり、憲法前文!)には、以下のことが書かれています。
- 主権在民は、選挙によって選ばれた代表者を通じて行う
- 我々と我々の子孫のために主権が国民に存する
- 他国民との協和の恩恵を確保する
- 自国が自由であるという恩恵を確保する
- 政府が再び戦争を起こさないように主権は国民に存する
南北戦争直後、リンカーンはゲティスバーグ演説で何を訴えたかったのでしょうか?「人民の(of the people)人民による(by the people)人民のための(for the people)政府」は誰もが知っているフレーズです。 しかし、リンカーンが本当に言いたかったことは、「勝った側も、敗けた側も、戦争で死んだ人(honored dead)は犬死にじゃないんだ」ということです。日本国憲法前文を作成したアメリカ人は、そのことを理解していたことは間違いないと思います。つまり、日本敗戦後、今ある平和は、多くの犠牲のもとにあるのだということを伝えたかったのでしょうね。しかし、日本語訳は、本来の目的を反映していないのです、意図的なのでしょうか?
二つ目のパラグラフ。われわれ日本人が強く望むこと(desire)に関してです。
- 恒久の平和を念願する
- 人間相互の関係を支配する崇高な理想を自覚する
- 平和を愛する他国の公正と信義を信頼して(trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world)、自分達の安全と生存を保持しようと決意する
- 国際社会で名誉ある地位を占めたいと強く望む(国際社会とは平和維持、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去しようと努めている社会)
- 全世界の国民が、恐怖と欠乏から免れ、平和に生存する権利を有することを認識する
多くの人が支持している日本国憲法の中では、国民が信ずることが三つあります。
- いづれの国家も他国を無視してはならない
- 「政治道徳(political morality)の法則」は普遍だ
- 「政治道徳の法則」を遵守するのは、各国も同様に責務を果たすことに依存している
最後に、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓って(pledge)います。
如何でしたか? 学校で教わったのと同じでしたか?
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2011年2月23日水曜日
サザエの殻
ES3351881年(明治14年)、福沢諭吉46歳。外交政策論である『時事小言』を発表しました。若い頃から内外で見聞を広めた福沢諭吉は、「日本にとって大事なことは、国力を増強し、独立主権を目指すことだ」と、強く思ったのでしょう。
殻の外の「喧嘩異常なる」って、チュニジア、エジプト騒乱に端を発する中東情勢であり、中国の軍拡、北朝鮮の核問題、プーチンロシアの脅威、欧米の経済状況、、、「殻」たる政府が取り組まなければならないことは枚挙に遑がないですね。「気がついたら殻と共に魚市場のまな板の上だった」なんてことがないようにしてもらいたいものです。それとも、ヤドカリにように、別の「殻」を探さなければならないのでしょうか?
「俚話(りわ)に、青螺(さざえ)が殻中に収縮して愉快安堵なりと思ひ、其安心の最中に、忽ち殻外の喧嘩異常なるを聞き、窃(ひそ)かに頭を伸ばして四方を窺(うかが)へば、豈(あに)図らんや、身は既に其殻と共に魚市の俎上に在りと云ふことあり、国は人民の殻なり。其維持保護を忘却して可ならんや」(俚話:巷の話)。
福沢諭吉は大阪生まれの武士でした。10代の頃は居合と同時に漢学を学び、緒方洪庵の適塾では自然科学を学びます。江戸に出たあと、横浜の外国人居留地の見物に行ったら、専ら英語が使われていて、自分が学んできたオランダ語が全く通じずショックを受けています。24歳でした。この時から英語を猛勉強し、1860年、勝海舟と共に咸臨丸で渡米することになりました。
1862年(文久2年)、27歳の福沢諭吉は、幕府使節団の一員としてヨーロッパ各国を訪問しました(この年、新渡戸稲造が岩手で誕生しました)。欧州に行く途中、香港、シンガポールで植民地主義・帝国主義を目の当たりにしたのです。アジア人が白人によって虫けらのように扱われるのを見てショックだったでしょうね。ロンドンでは万国博覧会を視察し、蒸気機関車や電気機器に触れました。樺太の国境問題の交渉でロシアにも行っています。帰国後『西洋事情』を書いています。1867年には再度渡米、帰国後は『西洋旅案内』を書き、教育活動に専念して行きます。
漢文からオランダ語、英語。人文科学から自然科学。江戸から明治。日本から海外、それも、アメリカ、アジア、ヨーロッパ諸国。クロスオーバーですねぇ、ギタリストでいえば、先日グラミー賞を受賞したラリー・カールトン(ミスターES335)みたいな人です。
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