2022年11月10日木曜日

アメリカ中間選挙に思う

 

Plymouth Rock とはピルグリム(巡礼始祖)が1620年にメイフラワー号からプリマスに上陸した際に最初に踏んだとされる岩です。

アメリカは負けを理解できない

共和党も民主党も同じです。双方とも負けを理解できません。アメリカ人はアメリカが世界の中で地盤沈下しているのには気づいています。しかし、一体全体それがなぜだか解らないのです。知性(intellect)は「振り返り」であり「反省」です。アメリカはコンピュータ的であり、今の言い方であれば AI 的です。AIは反省しませんからね。アメリカは知性ではなく知能(intelligence)の国なのです。

それにしても日本のアメリカ中間選挙のニュースは表面的すぎて酷い、、、、。

アメリカを勉強しよう

民主党も共和党も負けを理解できない。それがアメリカそのものなのです。That's what it is all about !  選挙というのはアメリカを理解するには絶好の機会です。アメリカという国は何を重視するのか? アメリカの間接選挙は今の時代でも正しいか? アメリカはどう変わってきているのか? 何が変わらないのか? Plymouth Rock からたかだか400年です。日本人も属国を決めたなら宗主国の歴史を勉強しましょう(ご無礼!)。

トランプとは何か?

トランプって特別な人ではなくて、典型的なアメリカ人でありアメリカ大統領だったのかもしれません。福音の伝道者であり、福音とは富と成功を意味するのです。40%近いアメリカ人はトランプは成功して大金持ちになったのだから神から一番祝福された self-made man(成金)だと信じています。日本では self-made man は成り上がりとして嫌われます。

正統性(legitimacy)の欠如

理念や目的の欠いた(いわゆる正統性の欠如です)ポピュリズムが支配しているのがアメリカの実情です。会社でもビジョンがない、つまり利益だけが目的のマネジメントと同じです。self-made man(成り上がり)の条件は機会の平等です。後はポジティブ思考があれば誰でもアメリカンドリームを掴むことが出来ると考えてきたのですが、格差が拡がり過ぎてどうにもならなくなった。それが今のアメリカでしょう。ハーバードやイェール出身の弁護士エリートよりもトランプのような経歴の人のほうが大統領としてアメリカ大衆に受け入れられるのです。

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2022年10月31日月曜日

自分らしい生き方を貫く

 


40代を襲うキャリアの危機といったことがビジネス誌の記事になっています。我が国の総理もリスキリングを声高に連呼します。多くの40代は自分を知ることが怖い。40代になって自分の「市場価値」がだんだんと明らかになって、それを受け入れることに躊躇するということらしいです。40代の10年はその後の人生のためにも重要な10年だと思います。精神的にも肉体的にも。

要は、自分らしい生き方を貫けるかどうかだというのが私の結論です。

自分というのは一番不可解な代物です。長期的に日記をつけると、年をとって自分というものが少しばかり分かってきます。人生が長いか短いかは判りませんが、自分とは何者かということを死ぬまで問い続けるのでしょう。

子供の頃に伸び伸びとできていないと、大人になっても自分の可能性は何だと悩み続けるものです。40代の人生の踊り場であれこれ悩んでいると、50代を無駄に過ごして高齢者になって後悔することになります。ご用心!

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2022年10月23日日曜日

自分で選択する大切さ

 


オプションを比較して自分で選択することによって人の人生は大きく変わる。環境を選ぶこともできない運命というのもあるけれど、「毎日忙しくて」とか「親が言っているから」とか「伴侶が反対するから」とか「世間の目が、、」とかを行動の基準(クライテリオン)としても何の意味もないと思います。

誰かに強制されたのでもない、世間の動きに合わせたのでもなく、自分の意志で何をどう選んできたか、人生ってそうやって自分がつくり上げてきたものじゃないですか? 管理職かそうじゃないかは上司の意向ばかりじゃない、自分の意思も大きく影響して今の自分があるのです。

自分で決める自由が大切だからこそ、色んなことに興味や関心を持つことがとても重要なのです。これは男も女も関係ない。仕事をする女性も専業主婦も関係ないことです。日本の「空気」はそれを奪っている。もしかしたら自ら進んで放棄している。それの方が楽チンだから?

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2022年10月22日土曜日

大人になるための第一歩は絵日記

 
マルタイ棒ラーメンで作る博多ラーメン

大人になるための第一歩

人生って物語です。物語の主人公は自分。自分を布置化して(距離を置いたところから見て)自分の位置を確認する。絵日記というのは自分を語ることの第一歩です。自分を語るというのは大人になるための重要なプロセスなのです。それは大人になってから、自分自身の決断や思考力を試すことにつながる。日記をつける(またはエッセイを書く)ことの重要性です。

多くの人と交流し物語を記す

より多く人の話を聞き、より多くの人に語りかけ、様々なことを経験して試行錯誤を繰り返す。そして、自分の人生のビジョンを明らかにしていく。自分の好き嫌いをはっきりさせる。要するに、自分の好みを見つけ自分がどういう人間かを知ることです。

人生の色んなフェーズで時間(時代)を共有する他者がいるから面白くなる。フェーズ毎に自慢できることもあるだろうし、人に言えないこともあるでしょう。それぞれのフェーズの物語に他者が絡んでいる。時間を共有することで信頼と尊敬が生まれる。そうやって単なる他者が友人となる。最終的には自分の老後資金の原資となるのです(原資はお金だけじゃない)。

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2022年10月13日木曜日

価値判断の乱れ

日本はレジリエンスかフラジャイルか?
   

岸田首相の「日経リスキリングサミット」での発言要旨

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1257J0S2A011C2000000/?fbclid=IwAR01aXsPGZzF9KGKy429EtaQFvWJE_bvC03FR6RsnOOa8aoE5cN59edZ0gY

リスキリングというよりも、教育の失敗が今の日本の停滞の原因になっていないかを検証すべきでしょう。

世界中で近代化の限界にぶち当たったわけですから、国のリーダーには人間や国家にとって最も大切なこと、つまり、どうすれば質の高い価値規範を維持することができるかを議論してもらいたい。それは国家が独立する目的でもあるのです(紀元前にプラトンという人が言いました)。

そうであるならば、一国のリーダーには日本人の価値判断の基準をしっかりと固定して欲しいものです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教でない日本は宗教が国を支えることは難しいので。今の日本は様々な点で、価値判断が乱れていると思いませんか?

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2022年10月3日月曜日

日本語の危機は考える力の危機

ibg『迷子になる地図』は日記帳であり雑記帳です 

文化庁の国語世論調査を受けて、「手書きの大切さ再確認したい」といった記事をあちらこちらで見ました。全体の82%が「国語に関心がある」と答え、関心がある点は「日常の言葉遣いや話し方」「敬語の使い方」が多かったそうです。デジタル機器の進化に伴い、漢字が書けなくなったと感じている人は多いし、日ごろから文字を書く機会は減っているのは事実でしょう。しかし、問題はそれほど表層的なことではないのです。

思考するためには概念の理解が必要です。他者との対話で必要となるのは、先ずは一定の抽象度に高める(abstract)レベルセッティングなのです。他者は自分と100%同じ意見やバックグランドを持っている訳ではないのですから重箱の隅から入ってはいけません。レベルセッティングの後に「概念」と「具体的」を行ったり来たりしながらコミュニケーションします。

漢字を忘れないようにするためでなく、自らの思想構築のために、日記というのは素晴らしいツールです。日記をつけることで、自分の頭の中に様々な概念が集積し世界観ができていくのです。または、自分の世界観を表現するために概念の蓄積があるのです。若い時から日記をつけておくと、高齢者になって自分というのがどういった人間かということも知ることになります。

何を書くか? 普段から問題意識や危機意識がないと、何を書くか何を話すか何を議論するかという内容が決まらない。表現が素晴らしく、ロジックが一貫していても内容がないものとなってしまいます。国語教育の議論はそういった点まで考慮して議論されていないのではないか? だとすると、日本人の考える能力(思考や思想構築)の低下はとどまるところを知らないでしょう。

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2022年9月23日金曜日

これからの日本社会を問うてみた

東大寺(今は亡き父の撮影)

陰徳を積む


日本文学者のロバート・キャンベルさんは、江戸時代の書物を例にだし陰徳を積むことが大切であると言っています。日本人がとっくに忘れ去った言葉をご存じだ!何が真理であるか判らない時代、個人で出来ること、個人が自己責任としてやるべき事は徳を積む、道徳心を養うことです(自らの思想を形成することでもある)。江戸も末期に近い天保時代って、現代の社会情勢に似てる気がします(precarity:不安定)。武士の序列社会が腐敗し武士は武士道を忘れ蓄財のために悪徳商人と手を結び、民は無能なリーダーの下で生活もままならない。そこに天災や飢饉が起こる、、、。 現代の日本の政治家は大企業の係長か課長補佐のようにもっと小粒で、天保の江戸幕府にも劣るような気がします(老中水野忠邦は賛否は両論でも天保の改革を実行した)。民だって最後には一揆を起こして黙っていなかった。一方、現代の日本の民は虚無的で公に「もっと、もっと!」と依存しすぎる。

大衆の反逆(オルテガ 1929年)

オルテガの言う「大衆」の定義:

① みんなと同じである
② 大衆社会を代表する
③ 自己否定する

大衆的人間は議論をするつもりもなければ、そもそも相手の話を聞くつもりもない。大多数の人が信じている常識や偏見をうのみにし、それを一方的に押し付けてくるだけである。大衆はみんなと違う人を排除する。多くの団塊世代や高齢者が台風の中なぜ国会前に集まったのか?(数は報道の10分の1ほどだったようですが)。彼らは2000年以上の日本や日本人を否定し、戦後77年を信じます。なぜか? それは彼らは陰徳を積んでいないからです。直近の半世紀余りが豊である(あった)という自惚れが強いから、過去を否定したくなるのです。彼らは往々にして歴史的経緯をちゃんと勉強していないし、豊かさや便利さを享受するだけで、何のために生きているのか分からない。オルテガは『大衆の反逆』の中で、自分のなすべきことが分からないと、人間は自己否定するものであると言っています。

改めて自己責任

一時「自己責任」という言葉が流行りました。「情報化」がもたらす問題の一つが、中心なき社会、権威なき社会です。社会全体に規範意識(norm)がなくなり、日本では個人としても確固たるアイデンティティは存在しない。だれも責任をとらない社会の出現です。それがオルテガのいう大衆社会と同じなのです。だとすると、これからのポストモダン、ポストコロナの日本社会はどういった統制原理でまとまる必要があるのか? 国のリーダーたちはそれを議論すべきなのです(これからの「個と公共の関係」)。政治家が、葬儀に参加する・しないで大騒ぎする場合じゃない!

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