2010年2月9日火曜日

親の務め ~ 子供が子育てできるまで

(ローリーが3ヶ月間過ごした、成田三里塚 第七ゲート 農水省動物検疫所天浪検疫場。フェンスの向こう側は滑走路)。

我が家の老犬ローリーを見ていると、人間の一生のダイジェスト版を見ているようですね。

人間は動物です。人間も動物も程度の差こそあれ情愛は同じです。では、「人間と動物の違いは何であろうか?」という疑問に対して、福沢諭吉は答えています。それは「相手に対する敬意だ」と。将来の社会を担う子供たちの教育は、人間の「本心」から出た情愛をベースとした思いやりが大切であり、動物と違って人の間には敬意が存在すると。

情愛や敬意がない子育ての継続は、社会正義が機能しなくなり、卑怯者の大量生産となってしまいます。

私は、息子が納税者になった時、「親の務めは終わった」とホッとしたのですが、強烈な批評家である福沢さんは容赦なく言っています。

「父母の職分は、子を生んでこれに衣食を与うるのみにては、未だその半ばをも尽したるものにあらず、これを生み、これを養い、これを教えて一人前の男女となし、二代目の世において世間有用の人物たるべき用意をなし、老少交代してこそ、始めて人の父母たるの名義に恥ずることなきを得べきなり」(「教育のこと」福沢文集 巻之一)。

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2010年2月8日月曜日

ジェネレーションギャップ



ジェネレーションギャップは、世代による文化、価値観、思想などの相違のことですが、今の日本の世の中を見ていると、育った時代によって考え方はかなり違っているのではないかと思います。お互い共通に持っている気質をしっかり確認しないと、特に政治家などはムチャクチャな議論になってしまいます。

上のスライドは、私の勝手な分類と、それぞれの時代に起った出来事です。
  • マッカーサー呪縛世代 ~ 団塊の世代
  • シラケ世代 ~ 共通一次世代
  • バブル世代
  • 氷河期世代
  • ゆとり教育世代

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2010年2月6日土曜日

老犬介護


ノースキャスルは、マンハッタンから北へ30マイルのところにあるニューヨーク市郊外の典型的な町です。町の広さは、26スクエア・マイル。これは、千代田区の約20倍くらいの大きさでしょうか。緯度からすると、ニューヨーク、北京そして日本の青森市がほぼ同じところです。ノースキャスルの人口密度は、青森県とほぼ同じで1平方kmあたり150人ほどです。青森市の人口密度となると428人なので、ノースキャスルと比較すると、青森市は随分と人の多い賑やかな都会となります。

我が家の老犬ローリーは、16年前の1月にノースキャッスルにあるアーモンクという村で生まれました。生まれた直後から我が家の一員です。

犬は人間より成長のペースが速く、人間より速く老化します。犬の年齢を人間の年齢に置き換えると、最初の1年で17歳になり、2年目で23~24歳に成長すると言われています。それ以降は、1年ごとに人間の4年分ずつの年をとっていくそうです。したがって、ローリーは84~85歳になるわけです。

ローリーは、彼女のこれまでの16年の生涯の中で太平洋を3度渡りました。今回は、成田空港の検疫所に3ヶ月もの間、係留された後に三鷹に帰ってきました。老化の兆候は2~3年前から出ていました。目、耳、鼻、歯、皮膚、排泄、、、、。

アルツ独特の兆候も出ています。まっすぐ歩くことができずに、一方向にクルクルと回り続けてしまうような歩行障害が見られます。後退することができなくなって、家具の間などの狭いすき間に入ってしまって出られなくなったりします。椅子やテーブルの脚に何度もぶつかります。一度だけですが、夜中に階段から落ちました。

今日もローリーは夢の中。


優雅に年をとることができたのか、気になるところですね。

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2010年2月5日金曜日

自己実現って?

夏目漱石の「私の個人主義」は、ジミー・ヘンドリックスの「Little Wing」やクリーム時代のエリック・クラプトンの「Sunshine Of Your Love」と同様に私の人生を変えた作品です。 漱石をジミヘンやクラプトンと同次元で並べると、漱石には失礼ですよね。

私が、漱石を読んだのは中学時代後半ですが、ちょうどこの頃、「イージーライダー」、「俺たちに明日はない」、「真夜中のカウボーイ」や「カッコーの巣の上で」といったアメリカン・ニューシネマにものめり込んでいました。

夏目漱石は、「私の個人主義」の中で以下のように言っています。

『私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。 一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽(ふけ)り出したのであります』。

『私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自己本位の四字なのであります。自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです』。

漱石は傷心のイギリス留学で色んなことに気付いたのですね。漱石が「自己本位」と言っているのは、アメリカの学校教育の根幹である「自尊心」であり、福沢諭吉の言葉であれば、人(万物の霊)の「本心」だろうと思います(福沢諭吉の「本心」についてはまた書こうと思います)。

日本では、自己実現という言葉をよく耳にします。私は、この自己実現の意味するところがよく分かりません。自己を実現するとはどういうことだろうかと悩んでしまいます。

漱石が自己本位と言っているのは、自分勝手と言うことではなくて、自信をもつ、自分の軸を見つける、自分の見識・判断力を養うと言ったことだろうと思います。今の日本の子供に必要なことであり、大人の世界に欠如しているものは、自己実現と言うより、漱石の言う自己本位であり、漱石が「私の個人主義」で言うところの「個人主義」ではないでしょうか?

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2010年2月4日木曜日

デッキで花の写真を撮りました


有楽町の東京国際フォーラムで開催されている HRD JAPAN 2010(第29回能力開発総合大会)というイベントに参加してきました。

私が感じたことは、出展各社共通のフォーカスがあるようには思えなかったことです。つまり、問題認識がちゃんとできていないということです。これも、暗中模索、日本の現状を物語っているということでしょうか?

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2010年2月3日水曜日

知育・徳育・体育のバランス ~ 親の役割


知育、徳育、体育のバランスを考えるのは、学校でも塾でもなく、親の責任だと思います。バランスが悪いと感じたら、修正するのは親の責任であり、子供が小中学生の頃までは、親がプロデューサーであるべきです。

夫婦関係がベースとなる家庭があり、夫婦関係は親子関係に発展する。そして、地域共同体があり、その中で子供は育つ。国全体での教育を考えた場合、いくら狭い日本とは言え子供一人一人を見つめることは難しい。したがって、地域共同体で知育・徳育・体育の教育レベルを高めるのが重要です。

学校や塾に依存しすぎてはいないでしょうか?

(画像をクリックすると大きくなります)

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2010年2月1日月曜日

井の頭弁財天の手水舎(ちょうずしゃ)


日本の良さはいっぱいありますが、水が豊富なこと、綺麗なことは特筆すべき長所です。しかし、日本人のほとんどが、日本の強みが「水」だと言う事に気付いていないのではないかと思います。

日本という島国の外に出てみると、日本の良い点や悪い点が、かなりはっきりと輪郭を現わします。言い尽くされていることですが、良い点の代表的なものは「安全」と「水」ですね。これは、紛れもない事実なのです。

お隣の中国は森を大切にしてこなかった。その結果、水不足という大きな問題を抱えています。2001年のことです。16年ぶりに万里の長城(八達嶺)に行きました。木を切りすぎてカッコがつかないから、緑のペンキで山肌を塗っているのを見てびっくりしました(10年に及んで、日本人ボランティアが植林活動を行っていますが、、、)。

「日本の神は水(水神)であり森(森神)である。日本は2000年以上も前からこれらを大切にしてきたエコ先進国なのである!」と威張ってもいいのではないかと思います。

アメリカや中国のように、自省の念が稀薄でも困ったものですが、日本みたいに自尊心が無さすぎるのは、グローバルな環境では致命的な欠陥です。自尊と自省のバランスは国家でも個人でも大事ですね。

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