2026年2月8日日曜日

中庸とは何か――三つの国民性から見える「assertive」という技術

 

このスライドは、日本・アメリカ・中国を、自己主張のあり方という一つの軸で配置したものです。アメリカ社会は、中国と同様に強い自己主張のエネルギーを持つ社会です。

それでもなお、アメリカの教育現場では繰り返しこう言われます。

Be assertive!
  • Assertive ≠ Aggressive
  • 主張せよ。しかし、攻撃するな
  • 意見は言う。相手は尊重する
これは「もっと強く出ろ」「負けるな」という意味ではありません。本来は「主張はせよ。しかし、攻撃するな」この一線を理解し、守ることが前提になっています。アメリカ社会では、
  • assertive(自己主張)
  • aggressive(攻撃・威圧)
この二つは明確に区別されます。そしてその区別は、個人の性格に委ねられているのではなく、教育、ルール、契約、言語といった仕組みによって支えられています。だからこそ、「Be assertive」という言葉が成立するのです。

一方、日本はどうでしょうか。

日本人は人の話を聞き、相手を尊重し、場の空気を読む力に長けています。これは本来、assertive になるための極めて重要な土台です。しかしその一方で、「意見を言うこと」がいつの間にか対立や攻撃と同一視されてきました。

その結果、日本は中庸に近い位置にあるのではなく、中庸に届いていない状態にとどまっているように見えます。アリストテレス的に言えば、日本は徳の「過剰」ではなく、「欠如」の側に寄ってしまった社会です。

このスライドが伝えたい本質は、「中庸とは、静的な真ん中ではない」という点にあります。

人は時に強く主張し、時に引きます。行き過ぎたら戻れること、足りなければ踏み出せること。その振れ幅を自覚し、理性的に調整できる力こそが中庸です。

もし私の理解が正しいとするならば、日本人が assertive になるために必要なのは、性格を変えることでも、欧米化することでもありません。必要なのは、ただ一つです。

「意見を言うことは、対立でも攻撃でもない」

この認識を、社会全体で共有し直すこと。日本人はすでに、相手を尊重し、耳を傾ける力を十分に持っています。欠けているのは、その土台の上で、「私はこう考えます」と、言葉にする訓練です。

正解を当てる必要も、相手を説き伏せる必要もありません。先ずは、自分の立場を提示してみる。その小さな一歩を許容する文化と教育があって初めて、日本人は攻撃的になることなく、理性的に自己主張する――本当の意味での assertive に近づくことができるのではないでしょうか。
  
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