それでもなお、アメリカの教育現場では繰り返しこう言われます。
Be assertive!
- Assertive ≠ Aggressive
- 主張せよ。しかし、攻撃するな
- 意見は言う。相手は尊重する
これは「もっと強く出ろ」「負けるな」という意味ではありません。本来は「主張はせよ。しかし、攻撃するな」この一線を理解し、守ることが前提になっています。アメリカ社会では、
- assertive(自己主張)
- aggressive(攻撃・威圧)
一方、日本はどうでしょうか。
日本人は人の話を聞き、相手を尊重し、場の空気を読む力に長けています。これは本来、assertive になるための極めて重要な土台です。しかしその一方で、「意見を言うこと」がいつの間にか対立や攻撃と同一視されてきました。
その結果、日本は中庸に近い位置にあるのではなく、中庸に届いていない状態にとどまっているように見えます。アリストテレス的に言えば、日本は徳の「過剰」ではなく、「欠如」の側に寄ってしまった社会です。
このスライドが伝えたい本質は、「中庸とは、静的な真ん中ではない」という点にあります。
人は時に強く主張し、時に引きます。行き過ぎたら戻れること、足りなければ踏み出せること。その振れ幅を自覚し、理性的に調整できる力こそが中庸です。もし私の理解が正しいとするならば、日本人が assertive になるために必要なのは、性格を変えることでも、欧米化することでもありません。必要なのは、ただ一つです。
「意見を言うことは、対立でも攻撃でもない」
この認識を、社会全体で共有し直すこと。日本人はすでに、相手を尊重し、耳を傾ける力を十分に持っています。欠けているのは、その土台の上で、「私はこう考えます」と、言葉にする訓練です。
「意見を言うことは、対立でも攻撃でもない」
この認識を、社会全体で共有し直すこと。日本人はすでに、相手を尊重し、耳を傾ける力を十分に持っています。欠けているのは、その土台の上で、「私はこう考えます」と、言葉にする訓練です。
正解を当てる必要も、相手を説き伏せる必要もありません。先ずは、自分の立場を提示してみる。その小さな一歩を許容する文化と教育があって初めて、日本人は攻撃的になることなく、理性的に自己主張する――本当の意味での assertive に近づくことができるのではないでしょうか。
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