2026年2月11日水曜日

問いを失った政治、考えなくなった社会  ――衆議院選挙とAI時代の人間

 
今回の衆議院選挙を見ていて、私はある一枚のスライドを思い出していました。

それは、1990年代前半に私が初めて作成し、その後、数多くのプロジェクトのキックオフミーティングで使ってきた、コンフリクトマネジメントに関する図です。もともとは、ビジネススクールの教科書にあった考え方を拝借したものですが、私自身にとっては、組織や社会を考えるうえでの「基本中の基本」を示す一枚でした。

このスライドを、大手日本企業の部長クラスの方々に説明すると、しばしば鼻で笑われました。「そんな当たり前のことを、なぜ今さら説明するのか」「貴重な時間の無駄だ」という空気を、何度も感じたものです。実際に、そうした言葉を直接投げかけられたこともあります。しかし皮肉なことに、日本の組織は、まさにその「当たり前」ができていない。そのことを、私は現場で繰り返し目にしてきました。

今回の選挙戦も、同じ構図だったように思います。

国民が抱いている素朴な疑問――エネルギーや食糧問題をどうするのか、外交や国防と生活をどう両立させるのか、移民政策をどう設計し、社会としてどう統合するのか――本来なら、そうした問いこそが選挙の中心に据えられるべきでした。ところが実際には、具体的な統合設計を示さないまま、「やる気」や「強さ」を競い合う場になっていたように見えます。強さを演出することと、全体を設計することは、まったく別の能力です。

添付のスライドは、横軸に「対立のレベル(コンフリクトの強さ)」、縦軸に「成果(アウトプット)」を取っています。対立が低すぎれば、組織はぬるま湯になり、成果は上がりません。一方で、対立が過剰になれば、分断や疲弊を生み、やはり成果は落ちます。重要なのは、その中間にある「マネージすべき領域」であり、適度な緊張と対立を意図的につくり出し、議論を通じて全体最適を探ることです。

コンフリクトマネジメントとは、争いを避けることではありません。異なる意見を表に出し、感情と問題を切り離し、共通のゴールを確認しながら、建設的な議論へと導くことです。その過程で、創造性が生まれ、問題が早期に発見され、相互理解が深まります。コンフリクトは「悪」ではなく、「変化が必要だ」というサインなのです。

今回の選挙の圧勝は、リーダー個人の勝利というよりも、有権者と政治がともに「問いを放棄した」結果ではなかったでしょうか。野党も、国民も、十分な問いを投げかけられなかった。その代償は、時間差で必ず現れます。問題は、そのとき誰が責任を引き受けるのか、という点です。

そしておそらく、こうした選挙を重ねるたびに、日本政治から静かに距離を取る人は、これからも増えていくのでしょう。そのこと自体が、すでに社会に現れている、ひとつの「コンフリクトのサイン」なのだと思います(社会全体の虚無化)。

では、どうすればよいのか。答えは短期的な対症療法ではなく、中長期的な教育のグランドデザインを描くことしかありません。日本には、何もないわけではない。小中学校から高校、大学に至るまで、本来は思考力を育てるための素材も蓄積も、すでに存在しています。問題は、それらが「問い」を中心に再編されていないことです。

良い問いの立て方を学び、仮説を立て、検証するという方法論を、段階的に身につけていく。その過程でAIを取り入れるのであって、AIに考えさせたり、書かせたりするのではありません。人間が書いた文章をAIに評価させ、問い返させる。その補助線として使うことこそが、健全な関係でしょう。

まずは現行の国語教育が本来何を目指してきたのか、その本質を確認すること。その上で、思考力を少しずつ積み上げていくしかない。問いを立て、考え、引き受ける力を育てること。それができなければ、日本は政治においても、教育においても、静かに思考を手放していくことになるのだと思います。

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