2014年11月26日水曜日

日本人の価値観

アメリカは感謝祭ですね(今日のUSA Todayより)

アメリカ人の物欲は果てしがないのでしょうか? 

日本もアメリカ的価値観に巻き込まれて(グローバル化とも言われますが、、、)20年ほど経ってしまいましたが、日本もそろそろ自らのアイデンティティーに目覚めてビジョンを打ち立てて欲しいものです。 そもそもグローバリゼーションなんて、日本人本来の価値観には合わないのですから。

今年は自宅のお風呂をリフォームしました。 ずーっとシャワーだけだったので、お風呂のリフォームは本当に価値がありました。 日本人の幸福って、お風呂でゆっくりと湯舟につかるといったものだったと思います。 お風呂にお湯をいっぱいためる事が贅沢だと思えると、人生、しめたものですよ!

12月に選挙があるようですが、争点は「日本人の価値観」にしてはいかが?

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2014年11月18日火曜日

映画『シカゴ』 (2002年)

ブロードウェイ・ミュージカルの映画版 『Chicago』(2002年)。 

Understandable, understandable(わかるよ、わかる)
Yes, it's perfectly understandable(完全に理解できる)
Comprehensible, comprehensible(論理的にも問題はない)
Not a bit reprehensible(疑う余地は全くない)
It's so defensible!(正当防衛と言ってもいいだろう)

辣腕弁護士ビリーが記者会見でメディアを意のままに操ろうとする場面です。

1920年代のシカゴ。スターを夢見るロキシーは、キャバレー歌手ヴェルマのステージを羨望の眼差しで見ていました。 そんなロキシーは、自分を売り込むという約束を守らなかった恋人を撃ち殺してしまいます。 留置所に送られたロキシーは、そこでヴェルマと出会いました。彼女は不倫した夫と妹を殺した罪に問われていたのです。しかし、マスコミ操作に長けたリチャード・ギア演ずる辣腕弁護士ビリーのおかげで、世間ではスター扱い。ロキシーも同じ手段でヴェルマ以上の注目を浴びようとビリーを雇います。

1920年のシカゴ、殺人を犯しても「拝金主義」の辣腕弁護士がいれば、メディアも陪審員も自分の意見に共感させ、無実を勝ち取ることができます。 今のアメリカだって大差ないし、中国と言えば何をか況やです。

2015年より先、ますます混沌とする世界情勢。 その中で、日本や日本人にとって最も重要なのは、「自己防衛」の意識です。 questionabledefensible に変えられるのが現実なのですから。

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2014年11月13日木曜日

高円寺で朋友と

高円寺 「天すけ」

朋友がサンフランシスコより帰還したので、三鷹から高円寺に行って天ぷらを食べました。 四半世紀以上付き合っていると、時代背景を共有しながら、彼の人生と私の人生がそれぞれ蓄積して、ところどころでオーバーラップしています。 肩に全く力の入らない会話を楽しめます。 

25年前、彼はシドニーに移住し、私はニューヨークに住んでいました。 私の夏の休暇を利用してNYからLA経由でシドニーに遊びに行きました。 彼の長男は4歳、私の長男は3歳、子供たちは風の強い少し寒い浜辺で走り回っていました。 今度、彼の長男が結婚するという。 今年は私の長男が結婚しました。

太宰治 『未帰還の友に』(1946年)

菊屋というのは、高円寺の、以前僕がよく君たちと一緒に飲みに行っていたおでんやの名前だった。その頃から既に、日本では酒が足りなくなっていて、僕が君たちと飲んで文学を談ずるのに甚だ不自由を感じはじめていた。あの頃、僕の三鷹の小さい家に、実にたくさんの大学生が遊びに来ていた。僕は自分の悲しみや怒りや恥を、たいてい小説で表現してしまっているので、その上、訪問客に対してあらたまって言いたい事も無かった。しかしまた、きざに大先生気取りして神妙そうな文学概論なども言いたくないし、一つ一つ言葉を選んで法螺で無い事ばかり言おうとすると、いやに疲れてしまうし、そうかと言って玄関払いは絶対に出来ないたちだし、結局、君たちをそそのかして酒を飲みに飛び出すという事になってしまうのである。

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2014年11月9日日曜日

僕らはみんな生きている、生きているから年をとる


以前にもブログに書いたと記憶していますが、人口推移というのは経済動向と違って、予め予測できる問題です。 英語で言うところの「comprehensive」なのです。

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2014年11月5日水曜日

余裕がでたら実を結ぶ

今年の玄関のオリーブ

日本の世の中が評価して立派だと思われている人が、実は、とんでもない俗物だということに出くわすことが多くなりました。 

世間からダメな人間だというイメージを持たれ続けていますが、本当はそうじゃない、反骨の精神を持った優しい男、それが太宰治じゃないでしょうか?

 『東京八景』(昭和16年)は、大学進学のために上京し(昭和5年)、32才になる太宰が「青春への決別の辞」として振り返ってつづった作品だといわれています。結婚し(昭和14年)、『走れメロス』を書き(昭和15年)、作品はどれも前向きな内容で人気作家となりました。

『東京八景』は、東京での10年を総括したものでしょう。 力が抜けて余裕がでたのだと思います。 

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甚だ心細い、不安な余裕ではあったが、私は真底から嬉しく思った。少くとも、もう一箇月間は、お金の心配をせずに好きなものを書いて行ける。私は自分の、その時の身の上を、嘘みたいな気がした。恍惚と不安の交錯した異様な胸騒ぎで、かえって仕事に手が附かず、いたたまらなくなった。東京八景。私は、その短篇を、いつかゆっくり、骨折って書いてみたいと思っていた。十年間の私の東京生活を、その時々の風景に託して書いてみたいと思っていた。私は、ことし三十二歳である。日本の倫理に於ても、この年齢は、既に中年の域にはいりかけたことを意味している。また私が、自分の肉体、情熱に尋ねてみても、悲しい哉なそれを否定できない。覚えて置くがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰にも媚びずに書きたかった(『東京八景』)。

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2014年11月1日土曜日

正統性があるかないか

奈良 薬師寺の土塀

中国の専制独裁は短期で終わるでしょうね。 今はインターネットがあり、情報をコントロールするのは難しい。 専制は昔よりも長続きはしないと思います。

中華人民共和国は1949年に成立以来、一度も国民の信任を受けていない政府なのです。 当然のこと、支配者たる正統性(legitimacy)はない。 この「正統性」というのが重要で、世界の国々はそのことをよく承知しています。 

日本は伝統とか独自性を基礎として、人間の共通性の領域に到達していることを認識しておけばいいと思います。 歴史上の連続性を根拠とした伝統の正当性があるということを。

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