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神の月
銀杏を入れて茶碗蒸しを食べました
今年も神無月になってしまいました。 私は長い間、神無月って神様が出雲の会議でいなくなるので、神が無い(いない)月だと信じていました。 実は、「無」って「の」のことで、「神の月」が正しいようです。
今の日本って、八百万の神どころか、どこにも神様がいなくなったかのようです。 お天道様が見てないから恥も外聞もなくなっちゃった。 これには大正時代、『神神の微笑』で「日本の特性」を指摘した芥川龍之介も驚くでしょうね。
「、、、、泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教はいくら弘まっても、必ず勝つとは云われません」。老人はだんだん小声になった。「事によると泥烏須自身も、この国の土人(つちひと)に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気(おき)をつけなさい。御気をつけなさい。………」
(芥川龍之介『神神の微笑』1922年)。
泥烏須(デウス)=キリスト教の神
老人=日本の神
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