2023年1月31日火曜日

鮎川誠さん

 

シーナ&ロケッツの鮎川誠が亡くなった。

1970年代のサンハウスというグループの頃から注目していました。YouTube が登場してからは、鮎川誠のビデオは観ることにしていました。

鮎川誠は福岡の人で彼の話す博多弁(九州弁: 筑後弁 /シーナの故郷の北九州若松弁とミックスした鮎川弁)が好きです。鮎川誠は愛情が非常に強い人です。先に亡くなった奥さんのシーナに対してはもちろんのこと、3人の娘さんやお孫さん、半世紀使っているギブソンのレスポールというギターや友人たちやら。。。

鮎川誠はアメリカ人の父親と日本人の母親のハーフです。福岡というところは私がいた頃(1960年~1970年)は米軍の街であり米軍関係者が多かった(米軍の板付空港が日本に返還され福岡空港になったのは1972年)。さらに朝鮮半島も近いこともあり朝鮮人や中国人も多かった。それらがうまく共生していたように思います。福岡には Love the one you are with って精神があったのかも知れませんね。

悲しくてしかたがないけど、素晴らしい人生だったと思う。ご本人も満足でしょう。R.I.P.

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2023年1月29日日曜日

ごぼう

ごぼうの肉巻き(八幡巻)

ごぼうは地中に長くまっすぐ根を張ることから、家庭や組織の基礎がしっかりと堅固であることを願い、縁起のいい食材としておせちに使われます。ibg のスローガンは「照顧脚下」です。

「日本軍は捕虜に木の根っこや枝を食べさせた。これは捕虜虐待だ」と敗戦後の裁判で訴えがありました。木の根っこというのは「ごぼう」です。日本軍の兵士も同じものを食べていました。本間雅晴中将(フィリピン方面大14軍)は戦後の戦争裁判で捕虜虐待その他の罪で銃殺刑に処されました。本間中将は今村均大将の親友で、親英米の人道主義者で大変立派な日本人でした。





2023年1月28日土曜日

ジェフ・ベックが亡くなった

ジェフ・ベックが亡くなりました。自分にとってここまでショックだとは正直驚いています。

クラプトンとジミー・ペイジと亡くなったジェフ・ベックが3大ロック・ギタリストと言われていますが、3人とも60年代イギリスのヤードバーズというグループに交代で在席していました。クラプトンは私にとってはボーカリストです。黒人ブルースのフレーズは黒人よりも黒っぽい。真似の隙間で自分のオリジナルを出しているのですが、そのオリジナルが秀逸なのです。

ペイジはギタリストでありプロデューサーです。ツェッペリンというヤードバーズの後継みたいなバンドをプロデュースしました。ツェッペリンは今でもよく聞きます(1970年代前半までの楽曲)。クラプトンだって1975年くらいまでのクラプトンが好きです。ベックもフュージョンになる前、70年代半ばまでが特に好きです。

要するに、彼らとの出会いと当時の自分の年齢がポイントなのです。彼らは私の自己が形成される過程での重要な存在ですね。だから今でも同じ音楽を聴いて当時を思い出します。

1973年、ジェフ・ベック(BBA)の大阪公演を観ました(中間試験直前だったと思う)。日本中のギター小僧は「ベックのピックは何を使ってるんだ?竹を使っているのだろう」という噂まで流れていた。私は前から12番目の席で目を凝らして見ていたのですが、何が何だか分からないうちに終わりました。

今だとYouTubeがあって画像を繰り返し見ることができる。0.5倍速にだってできる。ギターTAB譜だってネットで見ることができます。もちろん、それでもジェフ・ベックのようには弾けないのですが、隅から隅まで分かってしまう。100%分かると想像の余地がなくなります。1970年代のギター小僧たちは夏休みの間中、会えば自分の考えを主張して侃侃諤諤の議論をしていました。分からない部分は各自が想像して自分で行間を埋めるしかない。でもそういった積み重ねが後々の個性豊かなプロギタリストを生んだんでしょうね。

私は一生かかっても真似をする領域にも達することはない。熱意も才能も不足しているのでしょう。でも満足満足。ありがとう、ジェフ・ベック。R.I.P. 



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2023年1月26日木曜日

今だからこそ『ガリヴァ旅行記』

300年前に出版されたスイフトの『ガリヴァ旅行記』は読解が難しい。私は高齢者になった今でも正しく読めているのか全く自信がありません。しかし、第三篇「空飛ぶ島」は今の世界、特に超高齢化社会の日本にとって示唆に富む内容だと思いました。

不死ではあるが不老ではない王国、老化から逃れることはできず、いずれ身体も目も耳も衰え集中力も記憶も定かでなくなる。日々の不自由に延々と愚痴をこぼし、長く生きているために強大なエゴで周囲を見下す低俗な人間になっていく。やがて死なないことを嘆いて行く。

頑固で気難しくて何に対しても批判的で、、、、自分を見ていると、高齢化社会のネガティブな特徴が凝縮されているように感じます。日本の高齢化の問題は想像以上に大きい。ジジババや親が間違っていると子供は間違った大人に育ってしまいます。

第三篇、第四篇は「人間は愚かだから日々を大事にして一生懸命考えましょうね」と読めてしまいます。それは我々 ibg のポストコロナの羅針盤としてまとめた『迷子になる地図』に通じるところがあると思いました。日々考えて精一杯自分の人生を生きるということです。死が生に勝って、人は必ず死ぬ、不可逆的で日々死に向かって進んでいるのです。

だとすると、今の日本社会は多くの人が時間の感覚をなくして「わかんなぁ~~~い」じゃないでしょうか? 適応異常なのか過剰適応なのか、外圧に対して右往左往するだけで、自分では何処に行ったらいいか分からない状態、、、。 

正解はなくても大事なのは Seize The Day(今を生きる)ということです。平家物語や方丈記や徒然草の頃に日本人は無常ということを理解していたのです。

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2022年12月30日金曜日

観の形成 ~ 日本の教育に足りないもの

息子夫婦からのクリスマスプレゼント


     自家製ベーグル

概念の収拾

ビジネス雑誌の記事で「人間はほとんどの情報を概念によって知覚している」と書いてありました。その通りだと思います。

それは言葉に発する前に頭の中で、日本人なら日本語で考えているということです。そのさい「概念」が貧困だったり時代に合ってなかったり間違っていたりすると、他者とのコミュニケーションが難しくなるということです。議論の前提であるレベルセッティングができないからです。これは外国語以前の問題です。概念の蓄積は日々無意識に継続しないといけない。それには日記やメモ、毎日書かなくても備忘録でいいのです。今年作成した ibg の『迷子になる地図』の意図するところです。

適応異常か過剰適応か

同じ記事の中で「日本人の弱点は変化に対する対応力が非常に弱い」という事も言われていました。果たして日本人は適応異常なのか、それとも過剰適応なのでしょうか?

明治維新以降の日本は日本的なものと西欧近代的なものの間で右往左往する、落ち着きのないブレブレの歴史です。昭和の敗戦後は西欧近代的なものがアメリカ的なものに変わりました。優越感と劣等感の間の揺れ動き、つまり、それがコンプレックスなのです。夏目漱石がロンドンで悩み胃潰瘍になった頃から何も変わっていません。300万人以上が死んだ戦争の原因が何であるかを冷静に分析し学習しない記憶喪失の国のなるべくしてなった現状でしょう。

自分の信念を持つには日々概念を収集して自分の世界観、社会観、死生観、、、あらゆる「観」を形成することです。

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2022年12月18日日曜日

価値判断の基準

ibg 『迷子になる地図』より

生活をしていると毎日様々なニュースが聞こえてきます。今までは取るに足らなかったことが、最近では問題となって世間を騒がしているように感じています。その問題の多くは、現代社会のあり方や人々の価値観の違いに起因するものであると思うのです。時間に流され対岸の火事としてやり過ごすこともできますが、問題を先送りせず時には誠実に向き合うことが大切です。そしてそのために、我々一人ひとりの意識や価値判断の基準の見直しが不可欠であるのです。

全世界で起こっているこの大きな”うねり”は、我々が生きていくうえでの価値判断の大前提の変化でもあり、人間が歴史の中で築いてきた『知の構造』が大きく変化しているものです。そして大前提が変わりつつある状況下で我々は安直に今までの行動を続けるのではなく、しっかりと自らの判断と行動を見つめ直す必要があると思います。一人一人が変わらないと日本は変わらないのです。

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2022年12月8日木曜日

12年前のブログから ~ 歴史を学ぶこと


私は右でも左でもない。中庸(Golden Mean)を心掛けて生きてきたつもりです。ところが、暫く日本を離れていると、日本全体が左に移動してしまって、中庸のつもりだった自分が右に寄った感覚に陥ります。

歴史を学ぶことについて、学者先生たちが様々な意見を言われています。大概は素晴らしい意見です。しかし、小中高の教科書に反映されていないですね。歴史は歴史になっていない。そこには悪意さえ感じられます。自分の生まれた国を貶めて何の意味があるのでしょうか?これでは、自尊心も生まれないでしょう。歴史を勉強しないと、今の日本がなぜこうなっているのか(良い点も悪い点も)、分からないと思います。

日本にいたら、国や日の丸を意識することなんてほとんどありません(オリンピック以外は、、)。しかし、日本を出るときは、パスポートが必要です。どの国でも入国するときには入国審査があり、パスポートの提示を求められるのです。

海外で暮らすと、自分の国の歴史を知らないために恥ずかしい思いをすることがあります。

仕事仲間のアメリカ人Rとは10年以上の付き合いです。Rは、大学を卒業して7年間、アメリカ海軍の駆逐艦(デストロイヤー)に将校として乗船していました。退役して20年、マネジメントコンサルタントをやっています。彼は、日本海海戦や東郷平八郎のことを知っています。山本五十六のことやミッドウェイ海戦のことに詳しい。士官学校で教わっているのです。

お酒が入ると、「日本人はSneak Attackをする」と真珠湾奇襲の事を持ち出します。私はいつも、「真珠湾はルーズベルトのBooby Trapだ」と言い返すことにしています。お酒の上での友だち同士の会話なので、どうってことはないのですが、こういったやりとりがあるから2人の間に一定のレベルに達する信頼関係が生まれているのだと思います。

史実なんて、正確には分からないものだと思います(タイムマシンが発明されるまでは)。だから、多くの国は自分の国の歴史を国策に基づいて主張し、教育に取り入れます。ほとんどの国は、そのことを理解しているのでしょう。

日本も、子供たちが日本や日本人に誇りをもてるような歴史教育をすべきだと思いますね。

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