2012年4月10日火曜日

上海へ



JR三鷹駅のホーム


上海は雨。 タバコ屋のお兄ちゃんは70年代パンクのような雰囲気。

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2012年4月9日月曜日

正しい目標の設定

昨日、「私は心に期すことのレベル設定が低い」と書きました。 私はオジサンなので、もうこれでいいのですが、若者はダメですよ。 特に大学生なんか、正しい大志を抱いてもらわないといけませんね。 この国の将来がかかっていますから。 野心(ambition)と知識・スキルと倫理観の三つをうまくバランスさせてください。 野心だけでもダメ、知識とスキルだけでもダメ、倫理観念だけが強くてもダメです。

実は、新渡戸さんも『自警録』の中で「勝敗を定むる標準を高きに置け」と言っています。



カラスも花見? いやいや、夜明け前から生ゴミを虎視眈々と狙っているのです。 私はカラスより高い目線で背後からカラスをとっちめたいのですが、、、、。

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2012年4月8日日曜日

成功と失敗の基準

新渡戸稲造は、「成功と失敗は、世間の眼には見えない」と、『自警録』(1929年)の中で言っています。 的を射た文言ですね。 なぜならば、日本って、理想とする、つまり、どういう状態であれば幸福なのか非常に曖昧であり、自由と平等の定義と同様、成功と失敗の定義だって私にはよく理解できないからです。

新渡戸さんは、「輿論を標準として成功と失敗は測ることはできない」と以下のように説明しています。

世を渡るにはまったく輿論を無視するわけにはいかぬけれども、世人の考えをのみ標準として成敗を測ることは、はなはだはかなき業である。 勝つも敗くるも、失敗するも成功するも、その基は各自の心のうちに置いてこそ、真の成敗の味わいが分かるものである。

(中略) 自己の心の据えどころこそ成敗を測る尺度であって、この尺度が曲がらぬ以上は、いかなる失敗に遭遇しても心に憂うることがない、これ霊丹(れいたん)一粒、鉄を点じて金と成すものか(『自警録』)。

どのような人生を送りたいかというのは大事なことで、そろそろ自分で考えたほうがいい。 自分自身でイメージが浮かんでこないということは、どれくらいの努力をどういったタイミングですべきかが分からないということです。 また、理想のイメージを世論が作り出す、即ち、新聞・雑誌やテレビが言っているものであるならば、全く主体性のない他人任せの人生ということです。 魯迅が描写した『阿Q』のようですね。
私なんか、自分の心に期すことのレベル設定が低いので、常に成功だし、常に勝ちです。 もちろん、私の心に期すことなんて誰にも言いませんよ。

本文とは全く関係ないギターとミニアンプとハーモニカ
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2012年4月6日金曜日

春昼


井の頭公園を抜けて吉祥寺の駅のほうへ歩いて行きました。 

こぼれるような桜の花を見て、どれくらいの人が太宰治の奥さんのようにカエルの卵を連想したでしょうか?  実は、大きな声では言えませんが私はいつもそう思っているのですよ。

『春昼』 太宰治(1939年)

お祭りのまえの日、というものは、清潔で若々しく、しんと緊張していていいものだ。境内は、塵一つとどめず掃き清められていた。
「展覧会の招待日みたいだ。きょう来て、いいことをしたね」。
「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、――」。
家内は、無風流である。
「それは、いけないね。くるしいだろうね」。
「ええ、とても。困ってしまうの。なるべく思い出さないようにしているのですけれど。いちど、でも、あの卵のかたまりを見ちゃったので、――離れないの」。
「僕は、食塩の山を思い出すのだが」これも、あまり風流とは、言えない。

「蛙の卵よりは、いいのね」妹が意見を述べる。
「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの」。
においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。蜜蜂の羽音かも知れない。
四月十一日の春昼。





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2012年4月5日木曜日

自慢するものがあった

満開になるのはこの週末でしょう

一年以上前に漱石の『三四郎』のことを書きました。
http://ibg-kodomo.blogspot.jp/2010/11/blog-post_12.html
(三四郎 ~ 広田先生の警鐘)

広田先生は、「富士山は日本一の名物で、日本にはあれよりほかに自慢するものは何もない」と三四郎にいいました。

ところがどうでしょう! 日本には富士山を建物にした日本武道館がありました。

ビートルズから始まり、モンキースやレッド・ツェッペリン。 そして、ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」は武道館でした。 大御所ボブ・ディランのライブアルバムも「At Budokan」です。 チープ・トリックは「Cheap Trick at Budokan」で武道館を一躍世界的にしました。 ローリング・ストーンズも登場しています。そして、最多登場の外タレは? そうです! 日本のとんかつが大好きなエリック・クラプトンです。 武道館は立派に青少年の心身錬磨の場として役割を果たしています。 東京ドームなんかじゃダメ、 「ブ・ド・カン」です。

広田先生も三四郎も明治の人ですから昭和39年に完成した武道館はご存じない。 自慢するものがあったのです。

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2012年4月4日水曜日

取るに足らぬ馬鹿を言う

昨日の靖国神社

福沢諭吉は『学問のすすめ』 (十七編)の中で、「言葉を学ばざるべからず」、つまり、「言葉を学びなさい。日本語を学びなさい」と言っています。

特に印象に残っているのは以下の部分です。

書生が「日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ,英語を使い英文を用いる」なぞと,取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。 按ずるにこの書生は日本に生れて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。 国の言葉は、その国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し,毫も不自由なき筈のものなり。 何はさておき、今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり

今の日本では、社内の会話を英語にしようなんて会社もあるようですが、福沢さんが聞いたら「取るにも足らぬ馬鹿!」と怒られそうですね。

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2012年4月3日火曜日

様々な事を思い出すサクラ


さまざまの事おもひ出す桜哉  芭蕉

入学式は春がいい。 桜の咲くころがいいにきまっています。

松尾芭蕉の人生哲学は「不易流行」ですが、「不易」とは変わらないもの、つまり、真理です。 「流行」は流行ですから時とともに変わっていくものです。

キョロキョロと流行ばかり追いかけていては、グローバルに通用する人材にはなれませんよ。 欧米の個人主義だって自分のいる場所に立脚しているのですから。

国の成長も人の成長も「不易」と「流行」のバランスが重要です。 コンサルタント的に言うならば、不易とはCore Valueです。

私みたいな老百姓でも春になれば様々なことを思い出します。 日本人ですからね。

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