2025年4月1日火曜日

ボロのように憂鬱

 
武蔵野市の桜(3月31日)


昨日は曇っていて寒かったですね。曇り空の桜はボロのように憂鬱ですね。『或る阿呆の一生』は芥川龍之介の自死直前の文章です。


隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。

芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。

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2025年3月29日土曜日

子育て ~ 親の心構え

 

NHK HP 「これからの育児」より

https://www.nhk.or.jp/minplus/0028/?fbclid=IwY2xjawJTwn5leHRuA2FlbQIxMQABHVLOCUI1QU7u1Puw_4xWLBe5zG2y9CiTmVlkwZRaGmqC4QRKVE4dNiZ5FQ_aem_HkTc3ML-k0CtfBjf2trgtQ


世の中には種々雑多な「子育て論」があり関連書籍も数多く出版されています。子育てを以下の2つのフェーズに分けて①だけにフォーカスする「子育て論」がほとんどだと思います。

① 成人するまでの子育て
② 成人した後の子供との関係

子供が成人すれば「後は勝手にやるだろう」じゃないのです。私ができているかどうかは別として、親の心構えは誠実で信頼できる親であることです。それが全てであると言っていい。成人した後でも親子関係は継続するのです。

それは親と子の関係に限らない人間関係そのものです。普通の他者との関係を忘れないのが親として自分が死ぬまで続く子育てじゃないですか? 多くの「子育て論」に書かれているような親になろうとする必要はない。子供は親の言っている事とやっている事のギャップを見ています。つまり親の言葉と行動(態度)との関係です。それが信頼関係構築の過程です。私は生意気なガキだったので、中学生の頃は教師のあらさがしばかりやっていました。結果、信頼できない学校や先生とは距離をとった。

日本社会はアダルトチルドレンばかりのような気がします。多くは子供の頃からの親との関係に問題があったからです。それがそのまま会社では上司と部下の関係になる。本心では他者と関われない。仮面をかぶり続けるのです。

要するに親は自然にふるまえばいい。

口だけの親も教師も政治家も誠実だとは言えない。そして信頼される訳はない(総理大臣と国民の関係も同じですよね?)。
  
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2025年3月28日金曜日

アメリカ人であることは恥ずかしい

 ハートのナンシー・ウィルソン「ベトナム戦争の時、自分たちをアメリカ人と呼ぶのがちょっと恥ずかしかった。今はもっと恥ずかしい」
2025/03/25 11:13掲載

Nancy Wilson, photo courtesy of artist
「今、アメリカ人であることは恥ずかしい」。ハート(Heart)のギタリスト、ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)は、ベトナム戦争を米国にとって恥ずべき時代だったと振り返る一方で、今のアメリカの「淫らな大富豪カルチャー」を痛烈に批判し、今はアメリカ人であることが、もっと恥ずかしいと語っています(記事より)。https://amass.jp/181604/
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1986年6月26日NHKホールでハートの公演を観ました。当日の録音がLIVE盤になっていることを最近になって知ったのですが、手に入れることはできませんでした。39年前アン&ナンシー姉妹も若かった。私も同様に若かった。

私が憧れのアメリカに初めて行ったのはベトナム戦争直後でした。成田空港の開港前で、赤い絨毯が敷かれた羽田国際線からの出国です。グレイハウンドのバスでアメリカを縦断したのですが、そこに見たのは疲弊して自信を失ったアメリカでした(ナンシーの言葉通り)。子供の頃からアメリカに憧れてきた私は大きなショックを受けました。しかし、今のアメリカは私が暮らした1989~2009年のアメリカよりも更に落ち込んでいます。これもナンシーがインタビューで語っている通りです。

アメリカはアメリカのアイデンティティを失った

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2025年3月26日水曜日

D₇が押さえられれた! 

 


やっとD₇が押さえられるようになりました。昨年11月に転倒して(老人!)痛めた左手の人差し指と中指が4か月かかってようやく治ってきたみたいです。


I can finally hold down the D7 code, The index and middle fingers of my left hand, which I injured in November last year, seem to have finally recovered after 4 months.

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2025年3月23日日曜日

コロッケ蕎麦で判断力を鍛える

 

コロッケ蕎麦

いつコロッケを崩すのか? 

最初はおつゆをずずーっと。それから蕎麦をひと口すする。いきなりコロッケを崩すなんて野暮はいけません。コロッケって衣がしっかりしている訳ではありません。つゆを吸って急速にふやけていくのです。

つゆに浸かった下の面はしんなりとしはじめます。上の面はまだカリっとした状態です。この一瞬が大事なのです! ここでコロッケをひと口かじる。

下はしんなり上はカリっ。やがてコロッケを崩す決断のときがやってきます。関東風のかつお出汁のおつゆはコロッケがポタージュ化して最後の一滴まで飲めるのです。

判断力や決断力をこうやって鍛えられます。

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2025年3月21日金曜日

Freedom and Responsibility (自由と責任)

Cooking is like experimenting. You try anyway. I fail, but I wouldn't stop. It is just like everyone's life. You don't give up even if you don't get recognition. It's true for my "Niku-jyaga"(Japanese beef and potatoes). Even if you fail, you keep on making it. Failure is a part of my life. It's food for thought. This time, Niku-jyaga was well done.


Education before the 15-year war of the Showa period placed more importance on the “ears” and the “mouth. However, in the 80 years after the defeat of the war, education was focused on “eyes” with an emphasis on entrance examinations.

Cooking and music are not interesting unless there is someone to eat and listen to them. Studying for exams alone is boring. Knowledge that you think with your eyes is in the past tense. It is like accounting versus finance. It doesn't produce originality.

The “ears” and “mouth” are more important than the “eyes. When the intellectual activity performed by the mouth stops, the elderly become blurred. A guitarist should sing even if he is tone deaf. It is always better to think with the eyes, ears, and mouth in a balanced manner. And when multiple eyes, ears, and mouths come together, new things are created. 

It is freedom and creation. The base of freedom is responsibility. Japanese education has taken away freedom and deprived children of their ears and mouths. Because there is no freedom (Japanese equality), people do not think about responsibility. It has been 100 years since the Showa era. We still don't realize it.

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2025年3月19日水曜日

眼と耳と口のバランス

 

料理は実験みたいなものです。とにかくやってみる。失敗する。でも止めない。人生と同じです。評価されなくてもへこたれない。肉じゃがだって同じ。失敗しても作り続ける。失敗はするものなのですよ。糧になる。今回は上手にできました。


昭和の15年戦争前の教育はもっと「耳」と「口」を大事にした。ところが敗戦後の80年は受験中心の「眼」の教育に徹した。

食べてくれる人や聞いてくれる人がいないと料理も音楽も面白くない。勉強だって一人で受験勉強なんてつまらんでしょう。眼で考える知識は過去形。ファイナンスに対するアカウンティングのようなものです。独創性が生まれない。

「耳」と「口」が「眼」以上に大切なのです。口で行う知的活動が停止すると高齢者はボケる。音痴でもギタリストは歌った方がいい。眼と耳と口で考えるのがバランスがとれていいに決まっています。そして、複数の眼と耳と口が一緒になることで新しいことが創り出される。自由と創造です。自由のベースは責任です。日本の教育は自由を奪い耳と口を奪ってしまった。自由がないから(日本的平等)責任を考えない。昭和も100年です。まだ気づかない。

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2025年3月15日土曜日

一生のうち自由度が一番高いのは?

 
NHKニュースより

70代80代のオツムの悪い部分が世襲されて、今の50代60代が彼らと同じように年を取って行かないか心配です。

30代40代が事なかれ主義になってもらっては困る(支持政党特になしが多い)。支持政党特になしは、現総理に正統性を認めているという事になります。民主主義ですから。

50数年ぶりにルース・ベネディクト『菊と刀』を所々読み返しました。以下の記述があります。1940代、日本に一度も来た事がないベネディクト女史が調査した日本です(AIもインターネットもPCや携帯もない時代ですよ!)。

1.世間の期待通りに生きる(自分を殺しロボットになる)
2.世間を無視し自分の信念に従い生きる
3.1と2の狭間で彷徨い続け年老いていく
  
人生の時間で日本は欧米と真逆です。それは、子供の時と高齢者の時が一番自由度があり、甘やかされているということです。欧米は一般的に壮年期が一番自由度が高い。つまり自由に自分の意志で自分の人生を歩まなければならないのです。   

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2025年3月5日水曜日

アメリカの現状と今後、そして日本は?

 

目は口程に物を言う

自分を客観視しながら人生を生きてこなかった人は、アンテナを高くして全体を見ながら一歩前に踏み出すことはできないものです。

アメリカの現状と今後

私が最初にアメリカに行ったのは1976年。ベトナム戦争が終わりアメリカは精神的に落ち込んでいた。中国の生活や仕事を経てNYに異動したのは1989年。アメリカ人は皆がナルシストになった。自己中ということです。self self self と言い出した。自己啓発本は売れまくった。自分のことだけを考えるアメリカができあがった。


その後移民が増え、イギリス的、つまりアングロサクソン的価値判断やプロテスタント的な価値観(WASP文化)が消滅した(1990年代)。アメリカが求めてきた自由社会の前提は自己規律(道徳)です。それが自由な社会を構築する。ところが直近の20~30年で移民もヨーロッパからだけでなく雑多な移民が増え自由とは言ってられなくなった。本来のアメリカ人は余裕がなくなりアメリカ人の心が狭くなった。

サミュエル・ハンティントンの『Who We Are? ~ The Challenges to America's National Identity』(2004年)より。

①アメリカの覇権体制が崩壊する
②国内の人種対立がさらに激化する
③アイデンティティが喪失する(アイデンティティを持たない不安定な国)
④アメリカは弱体化し、中国が台頭する

そして日本は?

「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいのではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。そうすればそいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう」(『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ 16世紀 フランス)。

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2025年3月1日土曜日

幸せな高齢者になるための準備

就職氷河期世代 これから直面する課題(NHK)

初回放送日:2025年1月20日

バブル経済崩壊を受けて、新卒での就職が難しかった「就職氷河期世代」。今後直面する可能性が高い住まいや介護などの課題と求められる対応について考えます。



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バブル崩壊が1991年で就職氷河期が始まりました。1970年~1991年生まれを就職氷河期世代というそうです。彼らはトランプを支持するラストベルトの白人労働者層とは「≒」ではない(上の記事参照)。

トランプを支持する白人労働者層はエリートが世襲していく知性主義に反対しています。つまり、ピケティが主張したr(資本収益率)>g(経済成長率)に似ています(既得権益はオカシイだろうと言っています)。ラストベルトの労働者層は高等教育を受けていない人が多い。貧困のレベルは日本よりも悲惨なのです。     

日本の場合、政治家には世襲の弊害が大いにあると思いますが、反知性主義はアメリカのようにモチベーションになるとは思わない。日本の氷河期世代には優秀な成績で有名大学を卒業した人も多いからです。彼らはこれから50代後半に入る。学校で学んだことを全て捨て去って、自分で勉強をし直すことをお勧めします(流行りの手先のリスキリングではありませんよ)。まだ間に合う。視野を拡げ思考の抽象度を上げる。60歳まで継続すると比較的健全で幸せな高齢者になれる!
     
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2025年2月11日火曜日

ハンバーガーの思い出

近所のハンバーガーチェーン店(フレッシュネスバーガー)です。驚きの値段ですね。いつもお客さんでいっぱいです。私はまだここのハンバーガーは食べたことがありません。

小学生低学年の頃は鉄人28号やちばてつやの漫画に熱中していました。アメリカ製の漫画『ポパイ』もテレビでやっていました(1959年~1965年)。ポパイの中でウィンピーというキャラクターが登場し、口癖が「ハンバーガーをおごってくれよ(I'll gladly pay you Tuesday for a hamburger today)」でした。当時はハンバーガーなんて日本にないし、どんな食べ物なのか? ポパイの漫画の内容よりハンバーガーって何だと画面に食い入って観ていました。

https://youtu.be/68eue5cpbsE?si=wUEfYZ9_1eyXBi3f

1964年アメリカの原子力潜水艦シードラゴンが佐世保に入港し大騒ぎになりました。父親に連れられて福岡からシードラゴンを観に行きました。ランチにハンバーガーを人生で初めて食べました。そこはレストランではなく米兵相手のバーで、昼間は軽食としてハンバーガーを出していたようです。バーのカウンターで食べたハンバーガーは生の玉ねぎのスライスが入っただけのシンプルなものでしたが、今でも鮮明に記憶に残っています。

その後大阪で高校生になった私は近鉄布施の商店街でマクドナルドに遭遇(邂逅)することになりました(1972年)。一号店はアベノ近鉄のようですが、布施のマクドナルドもほぼ同時期でした。ビッグマックとフレンチフライには驚きましたね。ハンバーガーが80円、ビッグマックは確か200円だったと思います。当時放映されていたアメリカのTVドラマやアメリカンニューシネマの影響もあり、私のアメリカ熱は最高潮に達しました。もうアメリカに行くしかないと!












マクドナルド HP より(当時の布施店の写真があります!)


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2025年2月9日日曜日

日米首脳会談 ~ トランプとヤクザ

トランプは優しくなかった。150兆円まんまとせしめたんだからね。大したもんだ。


トランプって日本のかつてのヤクザに近い。私のいうヤクザは今のヤクザではなく日本の近代化や高度成長を下支えした時代のヤクザです。

ヤクザというのは、相手を相手の意図に反して従わせるときには、最終的には暴力を最大の武器として制裁を加える、もちろん説得とか影響力という側面はないことはないが。あるいは制裁を加えることができる力(代紋)を見せつけることによって相手を服従させる。これはアメリカのお家芸です。トランプはそのアメリカの中でも成功者であり、最もアメリカ的なリーダーという訳です。単に育ちの良いエリートではなく若いころからニューヨークの裏社会で数々の修羅場を通り抜けています。          
   
日本の政治家、特に今の総理と外相はヤクザの任侠道から一番遠い世界にいる2人です。アメリカでは義務に対して責任があります。日本の場合、義理と人情です。トランプはこの4つに対しての距離感が抜群です(普通のアメリカ人には義理と人情という思考回路はない)。トランプは頭の回転が速いのでしょう。ところが昨今の日本の政治家は義理と人情にも疎い人が多い。  
   
トランプにとって、自らすすんで風下に立とうとする態度は最も軽蔑することでしょう。日米会談を評価するのは日本のメディアやコメンテーターだけでしょうね。もっとも総理は軽蔑されていることさえ気づいていない。日本国民として悲しい事です。
    
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2025年2月4日火曜日

総理へのサジェスチョン

 

数多くの日本の教育の問題の一つは、作文を論文にする教育をしないことです。中学後半から高校生にかけて、小学生の作文が論文にならなければならない。ところが日本の教育システムでは論文を書く教育に焦点があたりません。     

昨日動物園にゴリラを見に行ったとする。それを文章に書く時、「昨日家族と一緒に動物園に行きました。そしてゴリラを見ました。大変大きくて強そうでした」。これは小学生の作文です。動物全般とか動物園とか地球の環境問題とか人と動物の関係とか、そういった抽象度を上げる(普遍性の高い社会全般の問題)話をした上で、具体的なトピックと統合していかないと大人の議論にならない。多くの日本の組織では抽象度の高さより、具体性や論理性の方が重要だと思われています。

文章を書く「形式」は大事なのですが、もっと重要なことは抽象度が高いところから具体的に落とすこと、ちゃんとした概念が文章に埋め込まれているかの2点です。これはプレゼンでも会談でも同じです。特に外国人と初めて会うときの会話においては意識しておかないとなめられます。終始風下に立たされることになる。   

抽象度が高いということは全体を見るということで、書き手や話し手の世界観・社会観を示すことなのです。小学生の作文じゃないので、正しい概念を使って文章を構成することも大事です。その人の教養レベルが分かります。私のようなロートル(老頭)は手遅れです。今更どうしようもない。しかし中高生にとって、小学生の作文を論文に進化させることは多くの日本人が考えるよりも重要なのです。

総理のトランプ大統領との会談が迫っています。いまから作文は論文にはならない。「形式」だけでもトランプ大統領のスタイルに合わせたほうがいい。これほど文化の違う相手には、総理の感情や態度では説得がむずかしい。だとすると、形式(論理)で話す以外に方法はない。外務省も担当の通訳も認識しておくべきことでしょう。   

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2025年1月30日木曜日

人生初の意思決定

 
12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」

プレイバック「昭和100年」
2025/1/26 08:50(産経新聞)

https://www.sankei.com/article/20250126-RY2FKSF56BGA7JUZAO7E25VDCM/?utm_medium=app&utm_source=smartnews&utm_campaign=ios&fbclid=IwY2xjawIF6ftleHRuA2FlbQIxMQABHZqLlpsSVc5TT_G16puNjkeNblVe6ATsZ69mTE9TNvkq5OPxtxO30n275Q_aem_X-ii18YYjJN1xbmY2WaeuA


少年サンデーや少年マガジンは40〜50円でした。昭和41年、ちばてつや、望月三起也、手塚治虫ら漫画家とGSのタイガースとビートルズは小学生の私のヒーローでした。福岡の公団住宅の暮らしは恐らくそれほど裕福ではなかったけど、日本全体が急成長の時期で躍動感があり、割とハッピーでしたね。

小学5年生の頃に、漫画やプラモと決別しました。 これが人生で最初の重大な意思決定でした。 今でもよ~く覚えています。   

思想が固まる前の何気ない体験は、以後の人生の思想形成に大きな影響を与えるものです。 プラモがあったり漫画を読んだり、蝉取りに走り回ったり三角ベースの野球に熱中したり、、、そういったものが私の原風景(昭和30年代から40年代の福岡)であり、それは日本の昭和の場面の数々なのです。 

自分が属する集団に愛着心を持つのは自然な事で、家族から発展して友人や会社のような組織、そして、国家。 こういった原風景を伴う愛着心がなかったら、生きていること自体がとても空しいものになるでしょう。


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2025年1月26日日曜日

ジョージ・ハリソンの遺言

ジョージ・ハリスンのNOから一転、ビートルズ「最後の新曲」に…息子が語るAIによる継承(読売新聞)

音響・映像技術の目覚ましい発展を受け、英ロックバンド、ビートルズやメンバーの過去の作品が毎年のようにリミックス(再構築)されている。残された名作の数々を、いかにして後世に伝えていくべきか。ジョージ・ハリスン(2001年死去)の音楽遺産を引き継いだ息子のダーニ・ハリスンが取材に応じた。ビートルズが1990年代に発表した“新曲”や、ボブ・ディランやエリック・クラプトンも参加したライブ映像作品「コンサート・フォー・バングラデシュ」を、人工知能(AI)を使ってより鮮明にする構想も明らかにした。(文化部 鶴田裕介、通訳 丸山京子)


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ダーニ ・ハリソン

『父は時代を先取りしていたと思います。この資本主義、物質社会の慌ただしさの中で、いかにきちんと自分を持ち続けるかということを、その頃から考えていたわけです。今でいうマインドフルネスでしょうか。人間には内面の部分と、外の世界があります。今の世の中はどうしても外の世界に人の目を向けさせようとするけれど、そうすることによって自分の内面が壊されてしまうことがある。そうされないために、両方が持つ、ある種、二律背反的な世界の中でどうしていくかということを、当時から言っていたんだと思います』。

恐らく西欧はようやく何でも二元的な自分らの弊害に気づいてきた。元来日本人の世界観は二元的でない一元的な世界観人生観です。ところが、一元的な日本精神を忘れ周回遅れで大失敗した西欧の後を追いかけています(特に政治家や大学の先生ですね)

Dhani: “I think my father was ahead of our time. From that time on, he was thinking about how to hold on to oneself properly in this hectic capitalist and material society. I guess it is what we call mindfulness today. Human beings have an inner part and an outer world. Today's world tries to make people focus on the outside world, but doing so can destroy one's inner self. I think he was talking about how to avoid such a situation in a kind of dualistic world where both sides exist,he said from that time” .
Perhaps the West is finally realizing the evils of a dualistic point of view. Japan and the Japanese is a non-dual, monistic view of the world and life. Japan, however, is lagging behind and following in the footsteps of the West, which has failed so badly.

13~14歳の頃初めて『Here Comes The Sun』を聞いた時、英語で「here」は「he」と発音するんだと思いました。後にそれはジョージの発音が訛っているのだと知りました。ジョージの息子のダーニが言っているように、ジョージは時代を半世紀以上先取りしていたのでしょう。   
  
ジョージの最初のソロアルバム『All Things Must Pass』(1970年)」は今でも聞いています。バックがクラプトンがいたデレク・アンド・ザ・ドミノスやバッドフィンガー、ビリー・プレストンなのもいいですね。



 

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2025年1月24日金曜日

ザ・バンドの最後の生き残り

 
One-man band within the Band, Garth Hudson. R.I.P.

Garth Hudson, master instrumentalist and last surviving member of The Band, dead at 87 By The Associated Press Published 1:45 PM EST, Tue January 21, 2025 (CNN)


The Bandのメンバーのガース・ハドソンが死去した(87歳)。

ニューヨークのウッドストックにある介護施設で息を引き取ったことを友人が明らかにした。ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リヴォン・ヘルム、リチャード・マニュエルが他界した後、ザ・バンドの最後の存命メンバーとなっていました。

1970年代の大阪のアマチュアバンドはコンサートの最後にみんなで The Band の『The Weight』をやるのが定番でした。今聞いても『The Weight』の歌詞の意味は分かりません。同世代のアメリカ人に聞いた事がありますが、彼も分からないとのことです。

後世に残る偉大な曲は想像力が広がっていくものです。正岡子規の俳句みたいです。シンプルでも広がる想像力が大きい歌詞は偉大です。『The Weight』は想像力をかりたてられる。1970年代の大阪のティーン・エイジャーたちは、人生って大変で自由になるのは難しい、、、くらいの理解だったのだろうと思います(少なくとも私は、、、)。

2024年のスーパーボールのバドワイザーのコマーシャルは『The Weight』でした。今のアメリカはザ・バンドが唄った『The Weight』を最も必要としているのかもしれない。寝る場所がないほどアメリカ社会は疲弊している。

Take a load off Fanny(ファニー、重荷をおろせよ)
Take a load for free(重荷をおろすのにお金なんていらないんだぜ)
Take a load off Fanny(ファニー、心の重荷をおろせよ)
and you put the load right on me(あんたの重荷は俺が引き受けるよ)



2025年1月15日水曜日

Teach Your Children の歌詞を考える

 

Teach Your Children(1970年)

You who are on the road
Must have a code that you can live by
And so become yourself
Because the past is just a good bye.

Teach your children well,
Their father's hell did slowly go by,
And feed them on your dreams
The one they pick's, the one you'll know by.

Don't you ever ask them why, if they told you, you would cry,
So just look at them and sigh and know they love you.

この曲は多くの示唆に富みます。中学生の頃は親の視点は分からなかった訳ですが、親を40年近くやっていると「hell did slowly go by」じゃないことが分かります。「子育て」って死ぬまで続くのだろうと思います。


過ちを犯す人には子供の頃に愛情を与えられず、人格形成に失敗している人が多い。大事なのは「しつけ」です。やっちゃいけないことを覚えて、社会に順応する方法を身につける必要がある。愛情を持たずにほったらかしたら禽獣の域を脱することはできません。小さい頃の環境は大事だし、人生で出会っていく人たち(邂逅)は大きなモチベーションとなります。

世の中には対人関係がうまくいかない人が多い。学校、職場、社会で対人関係がうまくいかなければ、人生で苦労する可能性が高い。そうなるとコンプレックスが行動の基準となってしまいます。  

今は世界中で愛情に飢え居場所がない人が多いのだろうと思います。

This song has a lot of implications. When I was in middle school, I didn't understand the parents' point of view, but after almost 40 years of being a father, I know it's not “hell did slowly go by”. I think parenting will continue until I die.

Many people who make mistakes have failed in character development because they were not given love as children. The important thing is discipline. They need to learn what not to do and how to adapt to his or her society. If you leave them alone without affection, they will never get out of the realm of fowl. The environment when you are young is important, and the people you meet in life (encounters) are a great motivator. 

Many people have trouble with interpersonal relationships. If you don't have good interpersonal relationships at school, work, and in society, you are likely to struggle in life. When this happens, the complex(mainly inferior complex) becomes the standard(code)for behavior.

Nowadays, I believe that there are many people in the world who are starved for love and have no place in the world.

2025年1月14日火曜日

阪神・淡路大震災(1995.1.17)から30年

 
  NHKニュース

ChatGPTによる聖徳太子のことを聞いてみた。

聖徳太子は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し「和」の国家構想を描いたことで知られています。聖徳太子と仏教、儒教、神道に関する主な事柄は次のとおりです:

仏教:聖徳太子は熱心な仏教徒で、高句麗の僧である恵慈に師事して仏教を学びました。また、主要な仏典の注釈書である「法華義疏」「勝鬘経義疏」「維摩経義疏」を著作しています。

儒教:聖徳太子が制定した「憲法十七条」の第一条には「和をもって貴しとなす」という儒教思想に基づいた普遍的人倫が説かれています。

神道:聖徳太子の国家構想では、自然と人間の循環調停を神道が担うと説かれています。

和の精神:聖徳太子は「和をもって貴しとせよ、忤うことなきを宗とせよ」という有名な言葉で「和」の精神を示しました。

聖徳太子は、日本最初の成文憲法である「憲法十七条」を制定し、仏教を広めるために法隆寺を建立しました。

下は2011年1月のブログです。2か月後の2011年3月11日には東日本大震災が発災しました。その後2019年にはコロナ禍が襲ってきた。ここ30年間の三大危機です。 

日本は移民政策などヨーロッパの失敗を周回遅れで取り入れ、いまだにアメリカ化に疑問がない。今のヨーロッパやアメリカを真似てもロクなことはありません。日本の政治家には聖徳太子のリーダーシップを振り返ってもらいたい。    

崖っぷちにある日本で国民の信託を全く受けていないような人たちが権力の座に胡坐をかいている。これは日本にとっての悲劇です(四つ目の危機)。そして、国民には暴力団対策法のような使用者責任がある!(組員が問題を起こすと組長にまで責任が及ぶということ)。    

    

*** 2011年1月のブログ ***


1月17日、阪神・淡路大震災から16年、毎年この時期になると『方丈記』です。

「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し」(有名な冒頭の部分)。

16年前の1月17日早朝、私は東京のホテルにいました。前日の夜、ニューヨークから東京に飛んで来たのです。1週間の予定で東京・大阪、そしてロサンゼルスへの出張の初日です。夜中から起きていたので、朝5時のニュースが始まる前からテレビをつけていました。大きな地震があったことを、臨時ニュースが伝えました。気になったのですが、そのまま仕事に向かい、夜になって八重洲の居酒屋で友人のOさんと飲んでいました。店の壁に備え付けのTVを見ると、「死傷者が数百名の大惨事」を伝える報道になっていました。しかし、この時点で、5000人以上の人が亡くなる大規模の災害になるとは、誰も想像だにしなかったのです。

大阪の会議はキャンセルされ、数日後、関西空港からユナイテッド航空のロサンゼルス行きの便に乗りました。神戸から船で関西空港に避難してくる人たちが、空港の彼方此方にうずくまっていました。ロサンゼルス便はボーイング747で、私の席はジャンボの2階席。キャビンアテンダントが、「好きなところに座ってもいいわよ!」と言います。なんと、2階席の乗客は私一人だったのです。席についてシートベルトを締めて私の頭に浮かんだのが、『方丈記』の冒頭の部分でした。疲れていた私は『方丈記』を考えながら離陸前に寝てしまい、気がついたらロサンゼルス到着の1時間前でした。

白状しますが、『方丈記』なんて、冒頭の部分以外は全く知りませんでした。方丈(一丈四方)の庵に引きこもったネクラな鴨長明が、人生のはかないこと(無常)を、切々と綴ったものくらいにしか考えていませんでした。しかし、16年前の阪神大震災から毎年一月に『方丈記』をパラパラとめくるようになり、徐々に書かれている内容が分かってきました。

鴨長明は、「いつまでも一つのことに拘る心(執心)を持ってはならない」と言っています。最後の章では、方丈の庵にさえ「閑居の気味」(閑静な住いの趣)と執着した自分を痛切に否定しているのです。様々な天災に遭い、無常を自覚し、方丈の庵の生活に入ってさえ自分の心の修行の足りないことを責めています。ストイックなまでに、人間とは何かを考えたのかも知れませんね。

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2025年1月10日金曜日

ポール・マッカートニー



昨年の12月に息子の嫁が Paul McCartney の『The Lyrics』という本を送ってくれました。ポールが自身の人生と楽曲の歌詞を語ったものです。少年時代の作品からビートルズ時代、ウイングス、ソロ・アルバム、そして最近に至る作品までを網羅していて全部で154曲。歌詞が書かれた状況、歌詞に書かれた人々、歌詞が書かれた背景、歌詞が生まれるきっかけとなった場所、そしてそれらに対して今になって思うことなどが、作品タイトルのアルファベット順に並べられています。


という訳で年末年始はビートルズに立ち返っています。そろそろ指も治ってきてギターが弾けるようになったので、改めてビートルズを聞いています。小学校6年の時に『Hey Jude』がシングル版でリリースされたので購入し、同時に歌詞の内容を知りたくて近所で英会話を習い始めました。当時は英会話なんて見つけるのが大変だった。


『The Long and Winding Road』 も長い間誤解していました。ビートルズの解散時にポールの葛藤を唄ったものだと思っていましたが、実はホワイトアルバムの頃に作った曲なんですね。私のような natural born onchi が絶対に歌ってはいけないスローバラードです。『Yesterday』も同じですね。小学校6年から中学1年にかけてAct Naturally のB面だった『Yesterdai』を一年中聞いていました。

Last December my daughter-in-law sent me a book by Paul McCartney called『The Lyrics』. It is Paul's story of his life and the lyrics to his songs. It covers his work from his boyhood, through his Beatles days, Wings, solo albums, and up to his most recent work, 154 songs in all. The songs are arranged in alphabetical order by the title of the work: the situation in which the lyrics were written, the people to whom the lyrics were written, the context in which the lyrics were written, the places that inspired the lyrics, and his current thoughts on those lyrics.

So the end of the year and the beginning of the New Year are get-back to the Beatles. Now that my fingers are almost recovered and I almost could play the guitar, I am listening to the Beatles again. When I was in the sixth grade of elementary school, “Hey Jude” came out, so I bought it. At the same time, I started learning English conversation in my neighborhood to learn the lyrics. At the time, English conversation school was hard to find in the local city of Japan.

I misunderstood〝The Long and Winding Road” for a long time. I thought it was a song about Paul's struggle when the Beatles broke up, but it was actually written around the time of the White Album. It is a slow ballad that a natural born tone deaf (onchi) like me should never sing. The same goes for “Yesterday. I listened to “Yesterday” all year round, which was the B-side of ”Act Naturally” from 6th grade to 1st grade of my junior high-school.

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2025年1月7日火曜日

EQとSQ

 

日本の政治家はSQもEQも絶望的なくらい低い。IQとPQは人による。SQは比較的新しい概念だそうですが、日本人は苦手です(私も苦手です)。一国のリーダーたちのSQが低いと大問題なのです。SQレベルの低い日本人の中でも最下層の人たちが総理や外務大臣になってしまった。それが日本の現実です。

今は政治家のことはさておいて、我々一人ひとりができることを考えましょう。

消極的な感じ方や思い込みを捨てる。 Passive じゃなくて Active な人生のほうが楽しい。将来のために現在を犠牲にし続ける人生は悲しくないですか?そもそも、人間って一人一人の価値観に基づいて選択をするもので、我々は選択することによって自分の生き方を方向づける。苦渋の選択もあるだろうし、選択の失敗もあると思う。しかし、選択する力が人生で最も重要な能力の一つであるにもかかわらず、日本社会は選択の自由をpeer pressure(山本七平が言うところの「空気」) によって奪ってきた。日本の学校システムがそういった国民をつくってきた。

Spiritual Quotient (SQ) は一般的に精神面での強化といったことを言われていますが、私は「邂逅(出会い)や他者とのつながり(社交性)」だと思います。他者は人であったり自然であったりモノであったり、誰も知らない死後の世界であったりです。自分を知る、つまり自分とのつながりという意味では精神的(spiritual)と言ってもいいと思います。自分を知った上で(EQの範疇)他者との距離感をコントロールする(SQ)。

世界のリーダーたちが大きく変わる2025年、日本はどうなるでしょうか?

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2025年1月5日日曜日

2025 Happy New Year !

The Entertainer(Chet Atkins 1996)

 転んで痛めた左手の人差し指がかなり回復してきました。ローコードのCはまだ無理です。人差し指で一弦二弦の一フレットは痛くて押さえられません。去年から始めている「墓場にもっていく10曲」ですが、9月にサキソフォンを始めたことや、指を怪我したことで遅々として進んでいません。

この曲は墓場への一曲だと思っているのですが、1年近く弾いていないとすでに忘れていて、昔の自分の映像で確認しないとどうにもならない。AIが過剰に評価されている昨今、自分の動画を観ながらアナログギターを弾くなんて、、、何と楽しい事か!

The index finger of my left hand, which I hurt in a fall, has recovered considerably. However, low-code C is still not possible. With the index finger, the first fret of the first and second strings is painful and cannot be pressed. It's a graveyard 10 piece that I've been working on since last year, but it's been slow because I started playing the saxophone in September and I injured my finger.

I think this song 「The Entertainer」is a song to the grave, but after not playing it for almost a year, I've already forgotten about it, and I can't do anything about it unless I check it with a video of myself from the past. In these days when everyone is going crazy about AI(actually, AI is overrated), how fun it is to play analog guitar while watching my out of tune videos!

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