昨日は曇っていて寒かったですね。曇り空の桜はボロのように憂鬱ですね。『或る阿呆の一生』は芥川龍之介の自死直前の文章です。
隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。
芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。
ハートのナンシー・ウィルソン「ベトナム戦争の時、自分たちをアメリカ人と呼ぶのがちょっと恥ずかしかった。今はもっと恥ずかしい」
2025/03/25 11:13掲載
やっとD₇が押さえられるようになりました。昨年11月に転倒して(老人!)痛めた左手の人差し指と中指が4か月かかってようやく治ってきたみたいです。
Cooking is like experimenting. You try anyway. I fail, but I wouldn't stop. It is just like everyone's life. You don't give up even if you don't get recognition. It's true for my "Niku-jyaga"(Japanese beef and potatoes). Even if you fail, you keep on making it. Failure is a part of my life. It's food for thought. This time, Niku-jyaga was well done.
料理は実験みたいなものです。とにかくやってみる。失敗する。でも止めない。人生と同じです。評価されなくてもへこたれない。肉じゃがだって同じ。失敗しても作り続ける。失敗はするものなのですよ。糧になる。今回は上手にできました。
目は口程に物を言う
自分を客観視しながら人生を生きてこなかった人は、アンテナを高くして全体を見ながら一歩前に踏み出すことはできないものです。
アメリカの現状と今後
私が最初にアメリカに行ったのは1976年。ベトナム戦争が終わりアメリカは精神的に落ち込んでいた。中国の生活や仕事を経てNYに異動したのは1989年。アメリカ人は皆がナルシストになった。自己中ということです。self self self と言い出した。自己啓発本は売れまくった。自分のことだけを考えるアメリカができあがった。
初回放送日:2025年1月20日
バブル経済崩壊を受けて、新卒での就職が難しかった「就職氷河期世代」。今後直面する可能性が高い住まいや介護などの課題と求められる対応について考えます。
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小学生低学年の頃は鉄人28号やちばてつやの漫画に熱中していました。アメリカ製の漫画『ポパイ』もテレビでやっていました(1959年~1965年)。ポパイの中でウィンピーというキャラクターが登場し、口癖が「ハンバーガーをおごってくれよ(I'll gladly pay you Tuesday for a hamburger today)」でした。当時はハンバーガーなんて日本にないし、どんな食べ物なのか? ポパイの漫画の内容よりハンバーガーって何だと画面に食い入って観ていました。
https://youtu.be/68eue5cpbsE?si=wUEfYZ9_1eyXBi3f
1964年アメリカの原子力潜水艦シードラゴンが佐世保に入港し大騒ぎになりました。父親に連れられて福岡からシードラゴンを観に行きました。ランチにハンバーガーを人生で初めて食べました。そこはレストランではなく米兵相手のバーで、昼間は軽食としてハンバーガーを出していたようです。バーのカウンターで食べたハンバーガーは生の玉ねぎのスライスが入っただけのシンプルなものでしたが、今でも鮮明に記憶に残っています。
その後大阪で高校生になった私は近鉄布施の商店街でマクドナルドに遭遇(邂逅)することになりました(1972年)。一号店はアベノ近鉄のようですが、布施のマクドナルドもほぼ同時期でした。ビッグマックとフレンチフライには驚きましたね。ハンバーガーが80円、ビッグマックは確か200円だったと思います。当時放映されていたアメリカのTVドラマやアメリカンニューシネマの影響もあり、私のアメリカ熱は最高潮に達しました。もうアメリカに行くしかないと!
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トランプは優しくなかった。150兆円まんまとせしめたんだからね。大したもんだ。
12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」
ジョージ・ハリスンのNOから一転、ビートルズ「最後の新曲」に…息子が語るAIによる継承(読売新聞)
音響・映像技術の目覚ましい発展を受け、英ロックバンド、ビートルズやメンバーの過去の作品が毎年のようにリミックス(再構築)されている。残された名作の数々を、いかにして後世に伝えていくべきか。ジョージ・ハリスン(2001年死去)の音楽遺産を引き継いだ息子のダーニ・ハリスンが取材に応じた。ビートルズが1990年代に発表した“新曲”や、ボブ・ディランやエリック・クラプトンも参加したライブ映像作品「コンサート・フォー・バングラデシュ」を、人工知能(AI)を使ってより鮮明にする構想も明らかにした。(文化部 鶴田裕介、通訳 丸山京子)
One-man band within the Band, Garth Hudson. R.I.P.
Teach Your Children(1970年)
You who are on the roadこの曲は多くの示唆に富みます。中学生の頃は親の視点は分からなかった訳ですが、親を40年近くやっていると「hell did slowly go by」じゃないことが分かります。「子育て」って死ぬまで続くのだろうと思います。
ChatGPTによる聖徳太子のことを聞いてみた。
聖徳太子は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し「和」の国家構想を描いたことで知られています。聖徳太子と仏教、儒教、神道に関する主な事柄は次のとおりです:
仏教:聖徳太子は熱心な仏教徒で、高句麗の僧である恵慈に師事して仏教を学びました。また、主要な仏典の注釈書である「法華義疏」「勝鬘経義疏」「維摩経義疏」を著作しています。
儒教:聖徳太子が制定した「憲法十七条」の第一条には「和をもって貴しとなす」という儒教思想に基づいた普遍的人倫が説かれています。
神道:聖徳太子の国家構想では、自然と人間の循環調停を神道が担うと説かれています。
和の精神:聖徳太子は「和をもって貴しとせよ、忤うことなきを宗とせよ」という有名な言葉で「和」の精神を示しました。
聖徳太子は、日本最初の成文憲法である「憲法十七条」を制定し、仏教を広めるために法隆寺を建立しました。
下は2011年1月のブログです。2か月後の2011年3月11日には東日本大震災が発災しました。その後2019年にはコロナ禍が襲ってきた。ここ30年間の三大危機です。
日本は移民政策などヨーロッパの失敗を周回遅れで取り入れ、いまだにアメリカ化に疑問がない。今のヨーロッパやアメリカを真似てもロクなことはありません。日本の政治家には聖徳太子のリーダーシップを振り返ってもらいたい。
崖っぷちにある日本で国民の信託を全く受けていないような人たちが権力の座に胡坐をかいている。これは日本にとっての悲劇です(四つ目の危機)。そして、国民には暴力団対策法のような使用者責任がある!(組員が問題を起こすと組長にまで責任が及ぶということ)。
*** 2011年1月のブログ ***
1月17日、阪神・淡路大震災から16年、毎年この時期になると『方丈記』です。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し」(有名な冒頭の部分)。
16年前の1月17日早朝、私は東京のホテルにいました。前日の夜、ニューヨークから東京に飛んで来たのです。1週間の予定で東京・大阪、そしてロサンゼルスへの出張の初日です。夜中から起きていたので、朝5時のニュースが始まる前からテレビをつけていました。大きな地震があったことを、臨時ニュースが伝えました。気になったのですが、そのまま仕事に向かい、夜になって八重洲の居酒屋で友人のOさんと飲んでいました。店の壁に備え付けのTVを見ると、「死傷者が数百名の大惨事」を伝える報道になっていました。しかし、この時点で、5000人以上の人が亡くなる大規模の災害になるとは、誰も想像だにしなかったのです。
大阪の会議はキャンセルされ、数日後、関西空港からユナイテッド航空のロサンゼルス行きの便に乗りました。神戸から船で関西空港に避難してくる人たちが、空港の彼方此方にうずくまっていました。ロサンゼルス便はボーイング747で、私の席はジャンボの2階席。キャビンアテンダントが、「好きなところに座ってもいいわよ!」と言います。なんと、2階席の乗客は私一人だったのです。席についてシートベルトを締めて私の頭に浮かんだのが、『方丈記』の冒頭の部分でした。疲れていた私は『方丈記』を考えながら離陸前に寝てしまい、気がついたらロサンゼルス到着の1時間前でした。
白状しますが、『方丈記』なんて、冒頭の部分以外は全く知りませんでした。方丈(一丈四方)の庵に引きこもったネクラな鴨長明が、人生のはかないこと(無常)を、切々と綴ったものくらいにしか考えていませんでした。しかし、16年前の阪神大震災から毎年一月に『方丈記』をパラパラとめくるようになり、徐々に書かれている内容が分かってきました。
鴨長明は、「いつまでも一つのことに拘る心(執心)を持ってはならない」と言っています。最後の章では、方丈の庵にさえ「閑居の気味」(閑静な住いの趣)と執着した自分を痛切に否定しているのです。様々な天災に遭い、無常を自覚し、方丈の庵の生活に入ってさえ自分の心の修行の足りないことを責めています。ストイックなまでに、人間とは何かを考えたのかも知れませんね。
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日本の政治家はSQもEQも絶望的なくらい低い。IQとPQは人による。SQは比較的新しい概念だそうですが、日本人は苦手です(私も苦手です)。一国のリーダーたちのSQが低いと大問題なのです。SQレベルの低い日本人の中でも最下層の人たちが総理や外務大臣になってしまった。それが日本の現実です。
今は政治家のことはさておいて、我々一人ひとりができることを考えましょう。
消極的な感じ方や思い込みを捨てる。 Passive じゃなくて Active な人生のほうが楽しい。将来のために現在を犠牲にし続ける人生は悲しくないですか?そもそも、人間って一人一人の価値観に基づいて選択をするもので、我々は選択することによって自分の生き方を方向づける。苦渋の選択もあるだろうし、選択の失敗もあると思う。しかし、選択する力が人生で最も重要な能力の一つであるにもかかわらず、日本社会は選択の自由をpeer pressure(山本七平が言うところの「空気」) によって奪ってきた。日本の学校システムがそういった国民をつくってきた。
Spiritual Quotient (SQ) は一般的に精神面での強化といったことを言われていますが、私は「邂逅(出会い)や他者とのつながり(社交性)」だと思います。他者は人であったり自然であったりモノであったり、誰も知らない死後の世界であったりです。自分を知る、つまり自分とのつながりという意味では精神的(spiritual)と言ってもいいと思います。自分を知った上で(EQの範疇)他者との距離感をコントロールする(SQ)。
世界のリーダーたちが大きく変わる2025年、日本はどうなるでしょうか?
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The Entertainer(Chet Atkins 1996)